第11話

第十章



「アラブ過激派ヒラム逮捕!」

 十一月六日の夕方、全米のテレビが速報を流した。その舌の根が渇かぬうちに、見出しは変った。

「ヒラム、逮捕直後に射殺! 組織の犯行か」

 国吉は地下室でテレビに釘付けになった。


千二百十六名の死傷者を出したGターミナル爆破事件の容疑者としてFBIに指名手配されていたモハメッド・イスラーム・ヒラムが今日午後四時半頃、ニューヨーク州ホワイト・プレーンズで逮捕されましたが、その直後ビルの中から同じ組織とみられるスナイパーにライフルで撃たれ、即死しました。

ヒラムは二十年前にニューヨーク州ナイヤックで発生した現金輸送車襲撃事件の容疑者として手配され、先月五日のGターミナル事件では実行犯のひとりとして指名手配されていましたが、市内のビルの一室に潜んでいたところをFBIの捜査員に逮捕されたものです。そして捜査員に連行され、ビルを出たところを、同じビルの上階からライフルで狙撃されました。弾は頭部を貫通し、ヒラムはほぼ即死状態だったということです。ヒラムを撃った男は同じ組織のスナイパー要員と見られ、FBIとの銃撃戦の末、射殺されました。それでは犯行現場となったビルの前からトム・ヒンクス記者に伝えてもらいます。トム、現場の様子はどうですか?

はい、こちらは・・・・・・。

 

 国吉は目の前が真っ暗になった。ヒラムが死んだら俺の革命はもうおしまいだ。画面は騒然とするビルの前で早口にリポートする記者の姿が映っていたが、国吉は頭が混乱して内容を聞き取る余裕がなかった。

 国吉は呆然としてソファーに身を横たえた。いくら優れたテロリストであっても、一旦逮捕されれば組織を守るため一発で殺されてしまう。その空しさに国吉は愕然としていた。ヒラムとの最初の仕事は、あの二十年前のナイヤックの事件だった。あの当時、二人とも三十歳を過ぎた頃でまだ若かった。大いに世界革命を語り合ったものだ。俺はその後別の組織に属すことになったが、苦しい時はいつもあいつのことを思い出して頑張って来た。五十を過ぎ体力が落ちてくると、またあいつと仕事がしたくなって、組織を離れた途端、組織は俺を目の仇にし、リサという刺客を送り込んできた。俺は女に殺されるほど、まだ落ちぶれちゃいない。しかし間違いなく組織の手は俺に近付いて来ている。明子の誘拐で、今度は久子まで巻き込む恐れが出て来た。一体どうすればいいのか。ヒラムがいればまだ革命路線を歩む気はあったが、もうその夢は費えた。いっそのこと自首して出ようか。俺はもう疲れた。

 張り切っていた糸が国吉の中でぷつんと音を立てて切れた。



 身代金の受け渡しの日が来た。国吉は久子と共にマンハッタンから対岸にあるスタッテン島行きのフェリーに乗り込んだ。空にはどんよりとした雲が垂れ込めていた。キャッシュの入った大きなジュラルミンのケースを一人ずつ持ち、二人は明子が囚われている倉庫がある島の方を見つめていた。フェリーは穏やかな水面を滑るように進んで行った。

「明子は本当に生きているんだろうか」

 久子が自分に問い掛けるように言った。国吉は黙ってフェリーの甲板で頬を撫でる風に吹かれていた。

 しばらくしてフェリーはスタッテン島の船着場に着岸した。乗客が数人、先に降りて行った。国吉と久子は女を探した。赤いネッカチーフが眼に飛び込んで来た。女はサングラスをしたまま、金髪を風に揺らせていた。国吉と久子はケースの取っ手を強く握りしめて、女の手招きする方に向かった。

「二人だけでしょうね」

 人通りのない裏道に入ったところで女が念を押した。

「ご覧の通りだ」

 国吉が太い声で言った。女は念入りに二人のボディ・チェックをしてから、先に歩くように指図した。女の手には拳銃が握られていた。しばらく行くと倉庫が見えて来た。

「そこを左に入って!」

 女は倉庫の裏手に二人を誘導した。そして鍵のかかっていないドアを開け、二人に中に入るように指示した。

 倉庫は二階建てで、二階には窓があり、外光が差し込んでいた。一階を見渡すと、かなり奥深い造りになっていた。大きな木箱が積み上げられ、辺りは暗かった。木箱の間には二階に通じる鉄製の階段がいくつもあった。二人は奥に向かって歩かされた。その時、木箱の陰から人が飛び出して来た。見知らぬ男が二人、猿ぐつわをはめられた女の両腕を掴んでいた。

「明子!」

 久子が叫んだ。明子は久子の姿を認めて激しく体を動かそうとしたが、男に押さえつけられた。

 奥からサングラスを掛け、黒いスーツに身を固めた長身の男が現れた。男は黒い帽子を脱ぎ、胸のところにかざした。長い金髪が露になった。

" It's been long since I saw you last, Kuniyoshi. Welcome to the hell"(久しぶりだな、クニヨシ。地獄へようこそ)

 男は不敵な笑みを浮べて、国吉を睨んでいた。

「マドセンか。まだ生きていたんだな」

 国吉の顔が一瞬引き攣った。

 マドセンは組織でも指折りの殺し屋だった。国吉が組織にいる頃、コンビを組んだこともあり、獲物は一発で仕留める腕に定評があった。

 赤いネッカチーフの女はいつの間にか姿を消していた。

「ケースをそちらのテーブルの上に置け」

 マドセンが命令した。国吉と久子はケースを木製のテーブルに置いた。明子を押さえ込んでいた男がひとり、テーブルの上に置かれたジュラルミン・ケースを開け、中味を確認した。男が頷くと、マドセンは明子を羽交い絞めにしている男に鋭い眼で合図を送った。

「ママ!」明子は久子の胸に飛び込んで行った。

 マドセンが胸に手をやった。その瞬間二階から慌しく走り降りて来る靴音が響いた。

" Freeze ! "(動くな)

 男の鋭い声が暗い倉庫の中に響いた。

 マドセンは一瞬ひるんだが、拳銃を素早く抜いて、国吉めがけてぶっ放した。国吉の体が吹っ飛んだ。

「あんた!」

 久子が絶叫した。二階から降りてきた男がマドセンに向け、拳銃を発射した。マドセンは頭から血しぶきを上げて、木箱にぶつかり、どっと床に倒れ込んだ。

「キャー!」

 久子は明子と木箱の間に身を隠した。

 階段から何人もの男が駆け下りて来た。マドセンは即死状態だった。

「早く救急車を回せ!」

 男らは、明子を羽交い絞めにしていた二人の男を拘束しながら叫んだ。男らの上着の背中にFBIの文字があった。

 国吉は顔を歪め、左胸から血を滲ませながら立ち上がろうとしていた。

「動くな! 今担架が来る」

 フェッドのエージェントが叫んだ。

「あんた、大丈夫?」

 久子が駆け寄り、心配そうに国吉の顔を見つめた。国吉はこっくりと頷いた。

 担架が到着し、国吉とマドセンが運ばれて行った。明子は久子の胸に抱かれながら、涙にむせんでいた。

 赤いネッカチーフの女は、倉庫の外で逮捕されていた。倉庫の周りはいつの間にかFBIの車両が取り巻き、エージェントらが緊急連絡をする声が飛び交っていた。



 シュンタローはハウスでFBIの担当官から事情の説明を受けた。シスコと光太郎も同席した。

「先日国吉本人から連絡がありました。娘が組織に誘拐され、連合いと身代金を持ってスタッテン島の倉庫に行くことになった。事が無事終われば、自首する。ついては娘と我々を守って欲しいと」

「あいつが自首を?・・・・・・」

 シュンタローが首を傾げた。

「組織が国吉の殺害を狙っているから、全てを我々に任せて、まず自首するように勧めました。しかし国吉は自首の条件として、組織の指定通り、国吉本人らが取引に行くことを主張しました。娘を自分の手で組織から救いたいと言ったんです」

 シュンタローは組織が娘を誘拐し国吉をおびき出そうとした時、娘を捨てて自分の身の安全を図ろうとした国吉が、何故今回は敢えて危険を冒そうとしたのか、合点がいかなかった。

「国吉に何らかの心境の変化があったということでしょうか?」

「やはり自分の娘だからじゃないでしょうかね」

 担当官は当然だという顔をした。

「いずれにしても我々は国吉の自首を最優先に考え、国吉の条件を呑んだ上で現場を張り込むことにしました。国吉とそのワイフ、それに娘の身の安全を絶対に確保する必要があったのです。特に国吉に死なれては元も子もありませんから」

 担当官は国吉から得られる組織壊滅のための有力情報や裁判での証言を念頭に話しているようだった。

「娘さんの容体はどうなんですか?」

「何しろ二ヶ月余りも組織に拘束されていましたから、精神的にも肉体的にも限界に近付いていたことは想像されます。とりあえず今は、病院で精密検査を受けながら安静にされています。拷問の跡もないようなので、一同ほっとしております」

「国吉の容体は?」

「幸いにも弾は心臓をわずかに逸れました。命に別状はありません。それでも二、三ヶ月の入院は必要でしょう。国吉のワイフも一時的なショックによるストレス状態が徐々にほぐれてきているそうで、娘さんと同じ病院で手当てを受けています」

「国吉の奥さんというのはどういう方ですか?」

 シュンタローがさっきから気になっていることを尋ねた。担当官はメモを取り出した。

「お名前は野口久子さん。日本のコーベに自宅があり、五番街でブティックを経営されているそうです」

 久子だ。久子は国吉と結婚していたのか。シュンタローは予想されることとは言え、驚いていた。

 担当官は倉庫現場での状況について、順序だてて説明していった。

「射殺された組織の殺し屋は誰でしたか?」

 シスコが訊ねた。

「マドセンです」

「そうか、あの名うての殺し屋か。国吉も本当に危なかったな。マドセンが一瞬ひるまなければ、国吉は完全に殺られていたところだ。国吉はマドセンの腕前をよく知っている。マドセンでなくても、組織は国吉を殺るために確実なヒット・マンを送り込んで来たはずだ。それなのに何故先に自首せずに、条件を付けてまで自分を危険に晒(さら)したのだろうか」

シスコの疑問は、そのままシュンタローの疑問でもあった。担当官は同じ疑問が繰り返されるので閉口していた。

「いずれにしても小暮さんには、まだ当分の間ここに居ていただくことになりますので」

 担当官はメモをしまい、部屋を出て行った。


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