第10話

第九章



 日本時間十一月一日、神戸にある大邸宅の居間の電話が鳴っていた。女が受話器を取った。

" International collect-call from New York. Will you accept it or not? "(ニューヨークから国際電話が入っています。コレクト・コールですが、受けられますか?)

 オペレーターの早口英語が耳に飛び込んで来た。

" Yes, I will "(はい)

 女は受話器に耳を傾けた。

「俺だ。何か用か?」

 男が言った。

「大変よ。明子が誘拐されたわ」

「・・・・・・」

「何黙っているのよ!」

「いつの話だ」

「昨日、身代金を要求するCDが届いたの」

「CD?」

「内容のメモを取っておいたから読み上げるわよ。お宅の娘、アキコは今我々の手中にある。キャッシュで二百万米ドル用意せよ。娘と金の受け渡しは、米国東部時間十一月十五日午後二時、ニューヨーク・スタッテン島側のフェリー乗り場の近くにある倉庫だ。フェリー乗り場で赤いネッカチーフを巻き、黒のサングラスをかけた金髪の女が、お前ら二人を倉庫まで案内する。必ずあんたと国吉の二人だけで来い。もしも、誰か他の人間が一緒に来たら取引は即刻中止する。また時間に遅れたら、娘は直ちに命を失うことになる。それでは倉庫で会おう」

「赤いさそりのロゴがあるCDか?」

「ええ。脅迫文がゆっくり二度繰り返して読まれた後で、さそりから変な白い煙が出たかと思ったら、CDの内容はすっかり消えてなくなったわ。それが今読んだ脅迫文だったのよ」

「組織の仕業だ。間違いない」

 男が断定した。

「明子がWTCで行方不明になってからもう二ヶ月近くたつわ。あんたから一向連絡が来ないもんだから、あれからわたし何度もニューヨークに出掛けて心当たりを探ってみたの。でも何の手がかりもなかった。その間あんたと連絡を取ろうとしたけど、一度も取れなかったわ。一体何してたのよ!」

「すまない。しばらく外部との連絡が取れない状態だったんだ」

「わたしすっかり明子が死んだものと諦めていた。でも銀行の本社やマンハッタンの仮オフィスに確認したら、明子は九月十日から休暇を取っていたらしいわ。あのテロの前日からよ。わたし何度も確かめたのよ。本当に九月十日からですね、と。そしたら、絶対に間違いないって銀行は言うのよ。とにかく明子はあのテロを免れたらしいわ。でも、休暇を過ぎてもずっと欠勤が続いていて、何の連絡もないって言うのよ。銀行は当局にその件を連絡し明子の安否がわかり次第こちらにも知らせてもらうことになっているんだけど、明子は誘拐されていたのね」

「お前、身代金を出すつもりか?」

「二百万ドルならアメリカの口座に蓄えはあるけど、キャッシュで揃えるのには手続きが複雑で時間がかかるわ。わたし明日ニューヨークに飛ぶから、迎えの準備をしておいて頂戴。フライトはH航空007便で、JFK着午後十一時三十六分よ」

「お前本気か?」

「当たり前じゃない。大切な娘を見殺しに出来ないわ。それじゃ」

「おい、待てよ! 久子!」

 女は電話を切った。

 明子を拉致し俺を殺害しようとして失敗した組織が、今度は久子に身代金を要求し、金と俺の命を同時に奪おうという気だ。そうはさせんぞ。

 国吉は特殊携帯電話を握り締めた。


 2

 

 光太郎はFBIに事情を説明した上で特別の許可をもらい、シスコと共にハウスにシュンタローを訪ねた。

「アイマスクをしなければ入れないような場所にはさすがに今まで入ったことがありません。少々面食らいました。どうですか。ここの住み心地は?」

 光太郎が尋ねた。

「安全でいいんですが、連日の聴取に疲れましたよ。これだけ集中的に訊かれると、げんなりしますね」

 三人は応接セットに腰を降ろした。

「お父さんを前にして亡くなった息子さんのことを訊くのは大変心苦しいのですが、わたしも色々と気になっていまして。お父さん、息子さんの死についてシスコさんのご意見を伺ってもいいですか」

「ああ、いいですよ」

 光太郎が頷いた。シスコは話し始めた。

「息子さんは何かの見せしめのような殺され方をしていますね。体中痣だらけで後頭部を至近距離で撃って、死体を海に放り込むという荒っぽい手口では、実際そうであったように、直ぐ遺体が発見され、殺害がばれてしまう。時間稼ぎをするなら、日本人会のIDカードは普通取り出して、身元が直ぐわからないようにするはずです。でもそのままだった。早く殺された遺体を見つけて下さいと言わんばかりだ。殺人となれば、マスコミが騒ぎ立てる。だから見せしめのようだと言ったのです」

「なるほど。楯突くと、こうなるぞ、ということですか。国吉が犯人だという可能性はどうでしょう?」

「国吉と息子さんは長年行動を共にして来た。しかし、二人の間に何かトラブルが起こり、それで殺したということはあり得ますね。長年付き合ってきたのに、お前は俺に歯向かう気かといったような事があれば、裏の世界では口封じのために起こり得ることではあると思います」

 光太郎は黙って頷いていた。

「それとわたしが狙われた直接の動機は、例の特殊半導体のデータですが、それによって開発可能と言われるスーパー・レーザー兵器は、どのくらいの威力を発揮するのでしょうか?」

 シュンタローがシスコに尋ねた。

「そのことについては、わたしは専門家じゃないのでよくはわかりませんが、何かのスパイ映画で出てきたような威力、すなわち高層ビルを一瞬にして消し去るといったようなことも、行く行くは可能になるんじゃないでしょうか。そうなれば大量殺人がいとも簡単に行えることになり、もしそれがテロ組織の手に渡れば、今現実の恐怖となりつつある核爆弾の原料を奪われるのと同じことになり、恐ろしく危険です」

「そうですか。そこまでは全く想像もしませんでした。わたしは実に恐ろしい開発に手を染めていたんですね」

 シュンタローは自分の浅はかさに呆れていた。

「小暮さんは特殊半導体の平和利用のために開発を進めていたわけですから、そんなにしょげることはないでしょう。スーパー・コンピュータの開発も可能になるわけですから。スーパー・レーザーの兵器転用はあくまでも負の副産物ですからね」

 シスコがシュンタローを慰めた。



 米国東部時間十一月二日の深夜、久子はニューヨークのJFK空港に到着した。出迎えのロビーに「A大学文学部」と英語で書かれたフリップを持った若い白人男が立っていた。久子はその男に合図を送った。男は久子の荷物を用意していたキャリアーに積み、久子を案内して駐車場に向かった。男は紺色のセダンの前で止まり、鍵で後部座席ドアを開け、久子が乗り込む間ドアを開けたまま立っていた。ドアを閉めると男はトランクに荷物を積み込み、車の運転席に乗り込んだ。セダンはマンハッタンに進路をとった。

 

 久子の乗ったセダンは一旦セントラル・パークの南西にあるコロンバス・サークルからセントラル・パークの中通りに入り、そこから公園の反対側にある五番街に出て南下し、セントラル・パークの南通りを西に向かい、再びコロンバス・サークルから今度はセントラル・パーク・ウェストに入った。後をつける車がないことを確認しセダンは高級住宅街の一角で停まった。

 拳銃を持ち、辺りを見回す運転手の男の合図で久子は車を降り、真っ直ぐ玄関に向かい、ドア・ベルを押した。

 ドアが開き、国吉の用心棒らしい黒人が久子を地下室に案内した。重いドアが開くと、国吉は部屋の応接セットに座って、ウィスキーを飲んでいた。

「明子が誘拐されたというのに、気楽なものね」

 久子がコートを脱ぎながら、国吉を睨んだ。

「まあ、そうカリカリするなよ」

 国吉は立ち上がり、久子の頬にキスをした。

「あんた、ひょっとしたら組織とトラブルを起こしたんじゃない? 明子が誘拐されるなんておかしいじゃない」

 国吉は黙って腰を降ろした。

「組織は俺を殺そうとしている」

 久子は苦虫を噛み潰したような国吉の顔を見つめた。

「もうそろそろニューヨークも潮時ね。いやアメリカは」

「何処に行こうが、組織は俺をつけ狙う」

「じゃあどうするつもりよ」

「俺にはまだやることがある。組織に消されてたまるか」

「わたしは明日一番に銀行に行って、身代金の手配をするわ」

「そんなことをしても金をそっくり持っていかれるだけだ!」

「じゃあどうすればいいって言うの? 明子の命はどうなるのよ!」

 久子は国吉を睨みつけた。

「わたしは金を惜しんでみすみす明子を殺されることだけは絶対にしないわ」

 国吉は黙ってウィスキーを飲み干した。

「おい、マンハッタンで小暮に会ったぞ」

 久子はぽかんとした表情を見せた。

「彼ここにいるの?」

「ああ、北村から連絡が入り、あいつがいることがわかった」

「そう言えば、北村君殺されたわね。ニュースで見たわ。一体どうしたの? まさかあんたが殺したんじゃないでしょうね。どうなの?」

 国吉はウィスキーをグラスに注いだ。

「そんなはずねえだろ」

「わたしもう寝るわ。飛行機で疲れちゃった」

 久子は国吉を置いて、一階に駆け上がって行った。


 4


 話は一九七二年に遡る。当時A大で過激派のリーダーだった国吉は、シュンタローから久子を奪い取り、性欲を満たす相手のひとりにするつもりだった。ところが、付き合ううちに国吉は久子の芯の強さに惚れ込んでしまった。大金持ちの娘だからきっと甘やかされて育ったんだろう。その根性を叩き直してやる。初めはそう思い込んでいた国吉だったが、やがて久子の意外な側面を見ることになる。久子は活動家の先頭に立って国吉をも引っ張るほどの腕力を発揮したのである。

 国吉は知らなかったが、同棲していた同志の光代はその頃既に国吉の子を孕んでいた。明子である。国吉には凶器準備集合罪等の容疑で、直ぐにでも逮捕される危険が迫っていた。国吉は日本脱出を決め、北村と共にニューヨークに向け出国した。光代と久子との別れは辛かったが、国吉は大義のためだと思い切った。出国後、国吉は国際刑事警察機構(インターポール)を通じて国際手配された。

 国吉と別れて二週間後、光代は妊娠を知り愕然とするが、結局自らの意思で明子を産んだ。しかし、持病の心臓病が悪化し亡くなる。死の床で光代は、久子に明子の将来を頼んでいた。久子は同志の光代の遺志を引継ぎ、明子を引き受けることにした。

 久子は新興財閥野口コンツェルンのトップ、野口毅のひとり娘だった。久子が左翼運動に入ったことは、毅の逆鱗に触れ、毅は久子に対し親子の縁を切ると宣言した。母親の久枝は毅に考え直すように進言したが、毅は頑として聞き入れようとはしなかった。当然、明子への援助は一切得られなかった。

 その頃学園紛争もセクト間の内ゲバが起こり、機動隊を導入したいわゆる「国立大学正常化」が進み、学生運動も退潮していった。同志も次々に運動から離れた。

もともと国吉の激しい革命志向に危惧を抱いていた久子は、国吉と別れた後いとも簡単に運動から退き、好きなファッション関係の仕事に就いて、明子と二人で暮し始めた。光代の遺志もあったが、久子は自分を本当の母親と思い、甘える明子をいとおしく感じ、実子として育てることにしたのだった。久々に国吉から連絡が入った時、久子は光代が亡くなったこと、明子が生まれたことを伝えた。国吉は少なからず驚いたが、久子に残された明子のことを頼み、電話を切った。

 物心ついてから、明子は久子に父親のことを思い切って尋ねた。久子は、父親は明子が生まれる前、出張中のニューヨークで亡くなったと告げた。その頃から明子はニューヨークに憧れ始めた。そして大学卒業後、単身ニューヨークに渡り、現地採用でWTCにあるY銀行ニューヨーク支店に勤め始めた。

 国吉は久子から明子がニューヨークにいることは知らされていたが、組織の人間として、会いに行くことは出来なかった。勿論明子には死んだことになっていたからだ。

 国吉にとり明子は亡くなった光代との間に生まれた実の娘ではあるが、父親が亡くなったという形で久子の娘であり続けることが、明子にとっては一番幸せであろうと思うに至った。

 野口毅の率いるコンツェルンは、バブル期の不動産売買やレストラン・チェーンなどの多角経営で一段と成長していた。その絶頂期に毅は過労で帰らぬ人となった。毅は遺書の中で、遺産は全て妻に譲ることを明示していた。久枝は夫の急死を嘆き悲しみ、その後しばらくして毅の後を追うように亡くなったが、生前毅から引き継いだ遺産を全てひとり娘の久子に与える旨、遺書に書き込んでいた。  

久子は両親の遺産をそっくり引継ぎ、コンツェルンの経営はとりあえず毅の右腕として事業を仕切っていた社長代行の田岡に任せた。しかし、行く行くは明子の将来の夫に経営を委ねることを心に決めていた。そして遺産を基に、ブティックの経営を始め、ニューヨークにも店を開いた。

 ニューヨークに商用で出掛ける度に、久子は明子と会い、高級レストランで食事をした。明子と別れると、久子はセントラル・パーク・ウェストにある邸の地下室に国吉を呼び、密会した。

 次々と学生運動から離れて行った同志の男らに比べ、首尾一貫して革命に賭ける国吉の姿に、久子は若い頃から思想信条を別にして頼もしさを抱いて来た。一方で、いつ国吉が死んでも取り乱さないだけの覚悟はしっかりと持って来たつもりであったが、父親の莫大な遺産が転がり込んでからは、国吉の存在に少しずつ疎ましさを感じるようになっていた。結局国吉がわたしと関係を維持しようとするのは金のためだろうと思い至るようになっていたのだ。久子にそれを気取られたように感じた国吉も、久子に対する愛情が少しずつ醒め始めているのに気付いていた。

 国吉の明子に対する気持ちも不確かになっていた。写真でしか見たことのない娘だが、今までは実の娘が自分と同じニューヨークの空気を吸っていると思うだけで親子としての絆があるものと思い込んでいた。

 しかし、リサに明子を拉致され、脅迫された時、娘のことよりも自分の身の安全に固執してしまった自分の姿を見て、明子に対する気持ちが全くの偽りだったことを、身をもって感じた。明子は自分にとって他人でしかなかった。そう思い込んだ時、父親という仮面は吹き飛んで消え去った。

 そもそも誰がリサに明子のことを話したのか。それは小暮以外にはあり得ない。 小暮が明子の拉致のきっかけを作ったんだ。しかし何故小暮はリサを知っていたのだろう。

 国吉にはどうしても小暮とリサを結ぶ線が浮かばなかった。

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