第6話

第五章



 シュンタローは仕事を終えると、すぐにはアパートに戻らず、意識的に街に出た。リサのことを一時的にも忘れ、新たなスタートを切るためでもあった。ジェニーを誘い、ブロードウェイでミュージカルを観たり、メトロポリタン美術館や近代美術館に足を運んだりした。

 ジェニーはニューヨークでの生活を楽しんでいるようだった。昼間はスーパーのレジで働き、夜は好きなジャズを聞きにジャズ・スポットに出掛けているらしい。

「今度一緒にブルー・ノートに行きましょうよ。週末にすてきなバンドが来るの。モダン・ジャズがたっぷり聞けるわよ」

 ジェニーが電話口ではしゃいでいた。

「いいね」

「週末の都合はどう?」

「いいよ。じゃ土曜日にしよう」

 タイムズ・スクウェアの雑踏の中でシュンタローは携帯電話を切った。これで土曜日の予定が決まったぞ。手帳を取り出し、早速予定を書き込んだ。

 十月も半ばに入り、夜になると次第に冷え込みが厳しくなっていた。ハローウィンの休暇が近付いていた。新聞広告にはホリデイの旅行プランが満載されている。 ジェニーと何処か旅に出るのも悪くないな。そう思いながらカフェに入った。

カフェはミュージカルを待つ客で満席に近かった。ようやく席を見つけてコーヒーを注文し、バッグから新聞を取り出し広げた。その日は塾で事務的な処理が多く、満足に新聞も読めなかった。旅行プランの広告に眼を通し、ニューヨークのローカル記事の紙面を開いた時だった。ある見出しが眼に飛び込んで来た。

「日本人、遺体で発見。ロングビーチ沖。警察、殺人で捜査」

 日本人が殺された?

 シュンタローは早速記事を読み進んだ。


 十六日未明、ニューヨーク州ロングアイランドのロングビーチ沖約一・五マイルの海上で日本人の漂流死体が発見された。所持品のIDカードなどによると、死亡したのは日本人会事務局員、北村光一さん(四十八歳)。死後約一日で、後頭部に弾痕があり、至近距離から拳銃で撃たれたのが死亡の直接的な原因と見られているが、北村さんの体には拷問されたと見られる跡が無数に残っているため、警察では慎重に死亡原因を調べている。日本人会水原会長によると、北村さんは一九七二年からマンハッタンにある日本人会事務局員として勤務していた。

 

 あの北村さんだ! 日本人会を訪ねた時に出会った北村を思い出した。北村さんが何故? 一体誰に殺されたんだろう。

 急いで新聞をたたみ、チップと料金をテーブルに置いて席を立った。人波をかき分けながら通りに出て、イェロー・キャブを拾い、日本人会館に向かった。

 会館の前でタクシーを降りると、会館の入り口から中の照明が煌々と前の暗い舗道に洩れ出していた。

 シュンタローはガードマンに事情を話し、中に入って行った。以前パーティが開かれた会場に入ると、仮の祭壇が設けられ、北村の遺影が飾られていた。遺影のそばの椅子には、水原が憔悴し切った表情でうな垂れて座っていた。シュンタローは焼香し、正面から北村の遺影を見た。微笑んだ少し若い頃の写真のようだった。遺影に手を合わせ、水原の方を振り返った。

「水原さん」

 水原は、顔を上げたが、すぐにはわからなかった。

「九月の例会に寄せていただいた小暮です」

「ああ、あの時の。お友達をお探しでしたね。その後何かわかりましたか」

 水原はようやく思い出した。

「それがあの後一週間ほどして出会いました。その節は色々とありがとうございました」

 シュンタローが頭を下げた。

「そんなことより、北村さんは大変なことでしたね。先程新聞で知り、そのまま駆けつけて来たんです」

 水原は会釈し、礼を言った。

「実は、北村君は先月十日から無断欠勤していました。その後も全く連絡がないので、日本人会として警察に捜索願を出していたんです。長年勤めてくれた北村君がこんな形で亡くなるなんて、今でも信じられません」

「そうなんですか。全く知りませんでした」

 シュンタローは水原の隣に腰を降ろした。

「北村さんのご家族は?」

「明日早々ご両親がニューヨークに来られます。北村君の遺体はまだ完全に検死が終わっていないとかで、まだしばらくは警察預かりになるようですが、最終的にはご両親の手で日本に運ばれることになります」

「北村さんの実家はどちらですか?」

「京都です」

「そうですか。いや、わたしも実は京都なんです」

「そうでしたか」

「北村さん、ご結婚は?」

「彼は独身でした。申しわけありませんが、殺人事件ということでマスコミが大勢押しかけて対応に追われ、ひどく疲れました。今日はお引取り願えませんでしょうか」

「失礼しました。それでは」

 シュンタローは席を立った。


 アパートに戻り、寝巻きに着替えて電気を消し、ベッドに仰向けに寝転んだ。北村のことが頭を離れなかった。ニューヨークに来てまだ二ヶ月なのに、次々に身の回りで事件が起こる。

 WTCのテロ。リサの死。Gターミナル爆破。北村の死。行方不明の国吉。一体どうなっているのだろう。とても寝付かれそうにも無い。サイド・テーブルに手を伸ばし、スポットライトを点けた。壁に掛かっているポートレートが暗闇に浮かび上がった。

「リサ。お前が一緒ならどんなにいいだろう」

 シュンタローはポートレートの微笑を見つめていた。



 翌日塾を休み、シュンタローは日本人会に出掛けた。

 会館には北村の両親が日本から到着していた。父親の光太郎も母親の加寿子も飛行機の長旅と心労で疲れてはいるものの、今後息子の遺体を日本まで無事運ばなくてはならないことや帰国後の葬儀の挙行、関係者への挨拶などを控えて気が張っている様子だった。シュンタローは光太郎に話し掛けた。

「わたしは、息子さんとはここのパーティで一度お会いしただけなんですが、その時親切にして頂いたのが印象に残っています」

 光太郎は頷き、加寿子の方に眼をやった。加寿子はハンカチで何度も目頭を押さえていた。

「京都にお住まいですってね」

「ええ」

 光太郎が答えた。

「京都はどちらですか。わたしも京都に実家があります」

「そうですか。わたしどもは鉾町(ほこちょう)に住んでいます」

「あの祇園祭の。ニューヨークに来る前に山鉾巡行を見ました。いつ観てもいいですね。あれを観ると、京都の夏が来たっていう感じがします」

「小暮さんはこちらで何をされているんですか?」

「塾で教師をしています」

「先生ですか」

「まだこちらに来たばかりで、実際住むとなると日本でのサラリーマン時代に出張で来たのとは全く違い、戸惑うことも多いのですが・・・・・・」

「サラリーマン時代は何を?」

「商社に勤めていました」

「ほう、京都で勤務されたことは?」

「入社して一年だけ京都支社にいました」

「失礼ですが、どちらの商社ですか?」

「K社でした」

「そうですか。わたし実は退職前京都府警におりまして、K社の方とも捜査協力のことでお会いしたことがあります」

 光太郎は初めて薄い微笑を浮べた。シュンタローは先程から訊いてみたかった北村のことに話を転じた。

「息子さん、ご兄弟は?」

「いや、光一は一人っ子でした」

 加寿子が突然嗚咽した。

「申しわけありません」

 シュンタローが加寿子に謝罪した。

「いえ、いいんですよ。亡くなってしまった者はもう戻りません」

 光太郎が加寿子の方を見ながら言った。

「息子さんは一九七二年からここにお勤めでしたから、二十九年も居られたのですね、ニューヨークに」

「らしいですね」

「らしい、とおっしゃいますと?」

「息子とはその間一度も会っていません。連絡さえありませんでした」

「ほう、立ち入ったことですが、それはまたどうしてですか?」

「息子は高校生の頃わたしらの反対を押し切って何処か海外に出てしまったんです。それがニューヨークだったとは今回初めて知りました」

「一九七二年、高校生の時に、ですか?」

「ええ、小暮さんの年齢なら体験されたと思いますが、当時大学紛争というのがありましたね。それが息子の人生を狂わせたんです。勿論息子は高校生でしたから、大学紛争とは直接関係ありませんでした。でも、いわゆる過激派と言うんですか、大学生に思想的なことを吹き込まれて、家族というのは帝国主義の始まりだから粉砕されるべきだとか訳のわからないことを言い出したんです。そして学校にも行かず、家にも寄り付かず、過激派連中と大学のキャンパスあたりに寝泊りしていたようです」

「何処の大学だったかおわかりになりますか?」

「確かA大だったと思います」

「A大? 間違いありませんか?」

「ええ、息子の部屋の机によくA大全学闘争委員会のアジビラが置いてありましたから」

「実はわたし、当時A大の学生でした」

「えっ、そうでしたか」

「誤解されると困りますので言っておきますが、わたしは過激派と対立していた人間です」

 光太郎は一瞬安堵の表情を浮かべた。

「高校生が大学に入り込んでいるという噂はお聞きになったことがありますか?」

「いや、ありません。過激派やシンパの学生には個人的に色々と迷惑をかけられましたが、内部事情までは知りませんでした」

 ひょっとしたら、光太郎は国吉のことを知っているのだろうか。

「当時A大にわたしの文学部同期で活動家の国吉という男がいました。お父さん、ご存知ありませんか?」

 光太郎の顔色が変わった。

「その国吉という男です。息子をたぶらかしたのは」

 シュンタローは驚いた。国吉と北村がつながった。

日本人会を訪れた時、何故北村は国吉を知っているとは言わなかったのだろうか。何か知られると都合の悪いことでもあったのか。それはWTCのテロと関係しているのかも知れない。いずれにしても北村は殺害され、国吉はひと月余り失踪している。二つの事実に何か関連はあるのだろうか。

「お父さんから見た国吉はどんな男でした?」

「あんな奴、息子の代わりに死ぬべきだった。国吉は息子を無理やり活動家の組織に入れて洗脳し、革命の兵隊に仕立て上げたんです。息子は一切親の意見を聞かなくなり、こいつに暴力をふるうまで堕落しちまったんですよ」

 そう言って光太郎は、下を向いて涙を堪えている加寿子を見つめた。

「国吉はうちの家をズタズタにした極悪人です。悪魔のような奴だ。何が革命家だ。冗談じゃない。わしは今でもあいつを何処かで見つけたら、殺してやりたいほど憎い!」

 光太郎は両膝の上で拳を握り締め、体を震わせて涙を堪えていた。

 しばらくして光太郎が尋ねた。

「小暮さんはその後何処かで国吉を見かけたり、会われたりしたことはありませんか?」

 光太郎はシュンタローの顔を探るように見つめた。

「いや・・・・・・ありません」

 シュンタローは、最近国吉が現われたことをどうしても言えなかった。

「そうですか」

 光太郎は肩を落とした様子だった。

「息子さんは何故その後、ご両親に一度も連絡を取ろうとしなかったんでしょう。立派にニューヨークで働いておられたのに」

「あんな形で別れた手前、自分から連絡することは恥ずかしくて出来なかったんじゃないでしょうか。負けず嫌いな奴ですから、光一は」

 異国の地で殺されてしまった不憫な息子に対する父親の精一杯の弁護だった。

 シュンタローは両親に礼を言って、日本人会を後にした。

 

 北村は自分から一切連絡はしなかったものの、実家の住所など日本への連絡先だけは正直に日本人会に届けていた。もしも不都合なことがあるなら、日本の連絡先なんていくらでもでっち上げられるはずだ。そうしなかったのは、北村が万一の場合、他人であれ両親の元に連絡できる手段を確保しておきたいと思ったからではないか。それは北村にとって、一方的であれ、日本に置き去りにしてきた両親と結んだ事実上のホットラインであり、連絡を取ることが出来ない息子としての精一杯の誠意だったのかも知れない。

 それにしても何故国吉が俺の住所を知っていたのか、これでわかった。会員名簿を見て、北村が知らせたのだ。そして俺はまんまと国吉に利用されたのだ。国吉にとって北村という存在は、日本人や日本の情報を得るために日本人会に常駐させた情報収集スタッフだったのではないか。

 国吉の狡猾さが無性に腹立たしかった。

 

 

 ある夜シュンタローは飲み歩いて遅く帰宅した。ドアをキーで開け、灯りをつけて部屋に入った。何処となく部屋の様子が違って見えた。壁に掛かっている物やベッドの周辺の物が動かされたような気配があった。最初は酔いのせいかとも思った。しかし、デスクの引出しの中を開けると、整理しておいた小物が雑然と動かされた跡があった。間違いない。誰かが部屋に侵入したのだ。

 シュンタローはセキュリティ会社に電話を入れ、責任者に至急連絡をするように伝言した。一時間ほどして電話が入った。

「B号室の小暮だが、留守の間に部屋が荒らされた。至急事情が聞きたい。今日昼間に勤務したガードマンに連絡するように言ってくれ。至急だ」

 間もなくガードマンから電話があった。入居当日出会った年配のガードマンだった。

「責任者から話を聞いただろう。何か心当たりはないか」

少し言いよどんだ後で、返事があった。

「ミスター・コグレが入居された日に来た電話工事の男が二人、B号室の部屋のキーを貸してくれとやって来たんです」

 シュンタローはアパートに入居した日、電話工事を頼んだことを思い出した。

「一体何をしに来たと言っていた?」

「お宅から電話機を交換してくれという依頼があったと言っていましたが・・・・・・」

「それでどうしたんだ?」

「いや、こちらは何も聞いていないし、キーも預かっていないと言ったんですが・・・・・・」

「ですが、どうした?」

「会社に直接本人から連絡があり、そうしてくれと言われている。客の依頼を忠実に実行しなければ、商売に支障が出る。これは契約行為であり、契約不履行で訴えられたらお前責任を取れるのか、と迫られたので、ついマスター・キーでドアを開けてしまいました」

「何て事をするんだ。それでもセキュリティ会社の人間か。俺は全く依頼などしていないぞ」

「申しわけありません」

 ガードマンの沈んだ声が受話器の向こうで聞こえた。

「それで何という電話会社で、従業員の名前は?」

「・・・・・・」

「どうした。俺の言ったことが聞こえなかったのか」

「何も聞いていません」

「今すぐ来てくれ。すぐにだ」

 シュンタローは、ばかばかしくなって電話を切った。

 念のため電話機を調べたが、全く同じ電話機だった。交換なんて嘘っぱちだ。それにしても、何の目的で侵入したのだろう。物盗りか。シュンタローは部屋の隅々を調べていった。デスクの上に置いていたラックのCDはそのままだ。並べた順も同じだった。ベッド周りはマットや敷き毛布などに触った形跡はあるが、物はなくなっていない。クローゼットの衣服なども触った様子はあるが、そのままだ。

クローゼットの上方に眼を転じると、上部の戸が少し開いているのに気付いた。天井近くのかなり高いところにあるため、普段使っていないスペースだった。椅子に上り、開こうとすると、片方の取っ手がない。支えになる部分が電動ドリルか何かで丸く切り取られ、穴がぽっかり開いていた。変だな。もう一方の取っ手で戸を開け、背伸びをしながら中を覗きこんだ。

「カメラだ!」

 シュンタローはカメラを取り出した。ワイアレスで映像を送るリモコン操作のモニター用カメラだった。高性能らしいマイクもついている。

 何故こんなものが。一体いつからここにセットされていたんだろう。シュンタローは首を傾げた。電話会社の技術者になりすました何者かがセットし俺の部屋を覗いていたんだ。しかし、何のために。

 ひょっとしたら、電話にも仕掛けがあるのでは。急いで電話機を取り上げ、表と裏を調べた。裏に不自然なタップがくっ付いていた。盗聴器だ。当然俺の会話を盗聴するためだろう。シュンタローはカメラと盗聴器をデスクの上にまとめて置いた。

 間もなくガードマンがやって来た。私服の姿は初めて見たが、腹の出っ張りだけは同じだ。

「これを見ろ。俺の部屋に覗き見のカメラと盗聴器が仕掛けてあったぞ」

 ガードマンは驚いた顔でシュンタローを見た。

「二度やって来たという二人の男は同じ人物なのか?」

「はい、間違いありません」

「男の特徴は?」

「両方とも中肉中背で、二人ともサングラスを掛けていたので眼の色はわかりませんでした。髭が濃かったです。二人とも四十歳くらいの感じで、スキー帽のようなものを被っていましたが、耳元から金髪がのぞいていましたから、北欧系の人間かも知れません」

 一体その男らは何をしようとしていたのだろう。俺の動静を探ろうとしていたのだけは間違いない。

「これからはどんなことを言われても、二度と俺のいない間に部屋のキーを開けるなんて事はするな」

 ガードマンは下を向いて頷いた。シュンタローは念のためアパート管理会社に事情を話し、ドアにもうひとつ別のキーをつける許可を得た。


「おい、モニター画面が消えたぞ!」

 アパート近くのモニター・ルームで男が叫んだ。

「ばれたらしいな。次の手段を考えないと」

 もう一人の男が急いで受話器を取り上げた。

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