第4話
第三章
1
舞が閉めた深夜、ユキオはナオミと一番街にある日系スナックに立ち寄った。舞からは眼と鼻の先である。ナオミは直ぐにダイエット・コークと焼きそばを注文した。ユキオは好きなストレート・バーボンの水割りを飲んだ。
「あのおじさんどうしているのかしら。また来るって言っていたのに、ちっとも来ないわね」
ナオミはコークを一口飲んでからユキオに話し掛けた。
「本当だね。恋人がWTCのテロで亡くなったと聞いて、驚いたよ。何千人と死者や行方不明者が出たけど、周りで実際に事件に巻き込まれた人の話を聞いたのは初めてだったしね」
「そうそう。そのせいか、何処か陰のある中年だったよね」
「あの感じからして、いわゆる団塊の世代という奴さ。こちらで言うベビー・ブーマーだ。競争相手が多いから、きっと受験や就職で苦労した口だと思う」
「同世代の人数が多いってどんな感じかしらね。もうひとつピンと来ないわ、わたしには」
「それはボクも同じだ。でも何かにつけて競争相手が少ないのは有難いことさ。その分楽に人生が送れそうで」
「ユキオって案外単純なところがあるわね。単純というか楽観的すぎるというか。物事ってそんな簡単に割り切れないわよ、実際は。でも意気地なしのところもあるし、あなたって人がわからないわ」
「意気地なしって、どういう意味だよ」
ユキオは口を尖らせてナオミを睨みつけた。
「テロのことよ。あなたテロが恐ろしいって日頃よく言うじゃない?」
「そら怖いさ。地下鉄に乗っていて毒ガスを撒かれたり、車両もろとも爆弾で吹っ飛ばされたりすることを考えたら、おちおち地下鉄に乗れないよ」
「でもそんなことばかり考えていたら、それこそ生きていけないよ。それともニューヨークを離れるつもりなの?」
ナオミが心配顔で覗き込んだ。
「うん、それなんだよな」
ユキオが下を向いた。
「よしてよ。一体どうするつもりなのよ。日本に帰っちゃうわけ?」
「いや、そこまでは思ってないよ」
「だったら、どうするのよ。こちらの田舎にでも引っ込むつもりなの?」
「うーん、それもなあ・・・・・・」
「はっきりしなさいよ! 男なら」
「そう言われても。まだ思案中だ」
「折角世界最先端の大都会で暮らしているのに、テロを恐れてすごすご引き下がるなんて勿体無いわよ。後で絶対後悔するって」
「世界一の都会だからこそテロの標的になるんだよ。WTCは世界経済のシンボルだったから狙われた。Gターミナルはニューヨーク最大のターミナルだ。それをぶっ潰すことが彼らの存在を世界にアピールすることになる。このニューヨークにはそんなシンボルが集中している。次は何処が狙われるのか不安だ」
「めったに死ぬことはないわよ。わたしはここで暮らしたい。危ないのは何もニューヨークに限らない。テロリストは世界中何処だってターゲットにするわ」
「それはそうだけど、相対的に安全なところっていうのはあるはずだから」
「ユキオってまだ本当の意味でニューヨークの凄さっていうものがわかっていないからそんなことが言えるのよ。ニューヨークって町が醸し出すパワーが・・・・・・」
「パワーって? だったらナオミはその凄さとやらがわかっているとでもいうのかい」
「ええ、少なくともユキオよりはね」
「一体どんなこと?」
「ニューヨークでは移民の国アメリカ合衆国の代表みたいに世界中の民族がマンハッタンを中心に暮らしている。アート・スクールに通ってみてそれがはっきりとわかったの。同級生と話してみると、それぞれ自分や親のルーツをきちんと言えるのね。女友達にマリアって子がいるんだけど、マリアの父方のおじいさんはハンガリー出身で、六人兄妹の長男だった。他の兄妹は結婚や何やらで、その後ヨーロッパ各国に散らばり、暮らしたらしい。長男だったおじいさんは両親が亡くなると貧しい故郷を捨てて職を捜しにマンハッタンにやって来た。そしてここマンハッタンで知り合ったドイツ系ユダヤ人の女性と結婚し、息子と娘をもうけた。その息子がマリアのお父さんってわけ。お父さんは貿易関係の仕事でドイツに三年、南アフリカに二年、東京に五年というふうに世界各国で暮らした。ドイツのフランクフルトに住んでいた頃ノルウェイ出身のお母さんと出会い、熱烈な恋愛の末に結ばれ、マリアが生まれた。お父さんはその後、両親が暮らしたニューヨークに住みつき、マリアはアート・スクールに通い始めたというわけ。マリアのせいぜい二世代前くらいをとってみても色んな民族が関わって家系が出来上がっているでしょ。それを想像の原点にしてみるだけでも、このニューヨークにはマリアのおじいさんのように新しい生活を求めてやって来た、おびただしい数の移民がいる。だからニューヨークは、アメリカ合衆国に乗っかった小さな地球みたいなものよ。その地球には世界中の民族の文化が集まり、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)し合っている。そして世界中に向けて最先端のファッション、絵画、音楽などを発信し続けているの」
「なるほど、ニューヨーク留学四年はだてじゃないなあ」
ユキオは尊敬の眼差しでナオミを見つめた。
「あなたは今そんな凄いところで呼吸しているのよ。わかった? だからテロを怖がるだけじゃなくて、自分でこの町の凄さを感じてごらんなさい。そうすれば考えも変るわよ。せいぜいよくお考えあそばせな。弱虫さん」
ナオミは向き合ったユキオの小鼻を指ではねた。
「いてえ、何するんだよ」
ナオミはにっこりして、焼きそばにぱくついた。
シュンタローはその日の授業を終え、アパートで寝転んでいた。FMラジオからレッド・ツェッペリンが流れている。ジミー・ペイジのギターが泣き終わった時、CMタイムとなり、ニュースが放送された。
Gターミナル爆発事件で政府調査団は今日、FBIと共同会見し事件はアメリカ国内に潜伏していると見られるアラブ過激派グループの犯行と断定し、実行犯のひとりと見られる男を指名手配しました。手配されたのは、元ブラック・ムスリムのモハメッド・イスラーム・ヒラムで、一九八一年十月二十一日、ニューヨーク州ナイヤックで発生した黒人過激派グループによる現金輸送車襲撃事件に関係したとされる人物です。この事件では輸送車のガードマンと非常検問中の警官合わせて三名が射殺されています。このM作戦の実行犯グループはまだ逮捕されておらず、先月発生したWTC爆破テロ事件にも加わった可能性もあり、当局はその関連を調べています。
それでは再びレッド・ツェッペリン特集、曲は・・・・・・。
シュンタローはラジオのスイッチを切った。
アラブ過激派の犯行? WTCにも絡んでいるかも知れないだって? とんでもない話だ。リサはその犠牲になったんだ。
「リサ」
シュンタローは小さな声で、亡くなった恋人の名前を呼んだ。そして、再びリサの思い出に浸っていった。
リサと付き合い出して間もない頃だった。シュンタローはアパートでリサと向かい合い、酒を飲みながら日本の話をしていた。
「シュンタローは日本にいる頃商社に勤めていたと言ったじゃない。どんな仕事をしていたの?」
「そら色々やったさ。生き馬の眼を抜くニッポンの商社マンだったからな」
「例えば?」
「東南アジアのフルーツの買い付けでしょっちゅうタイやインドネシアに行った。扱った商品はフルーツに限らずごまんとある。マイクロ・エレクトロニクス関係の商談でニューヨークにも何度か来たよ」
「マイクロ・エレクトロニクス?」
「君には余りわからないコンピュータ関連の話さ。アフリカで産出するブルー・ダイアモンドって知っているかな?」
「いいえ。何なの、それ」
「ブルー・ダイアモンドのあるタイプはマイクロ・エレクトロニクスに応用できる重要な半導体としての性格を持っているんだ。半導体は、低温では電流を殆ど流さないが、高温になるにつれて電気の伝導率が増していく。その原理を応用してブルー・ダイアモンドを使い、様々なマイクロ・エレクトロニクスへの応用範囲を広げて最新鋭のコンピュータなどを開発しようというものだった。しかし、それに利用できるブルー・ダイアモンドは稀で、なかなか鉱脈が見つからない。でも、それを見つけて権利を取れば、スーパー・コンピュータ開発の最前線で勝利できる。どのコンピュータ・メーカーもそのノウハウを喉から手が出るほど欲しがっていた。だから、それを提供すれば莫大な利益が転がり込む。もう商社を離れたから言うけど、ある時ブルー・ダイアを探せという極秘指令が出て、アフリカに乗り込んだこともあった」
「見つかったの、そのダイアは?」
「まあ、その辺は想像に任せよう」
「商社を辞める時、仕事関係で知り得た情報はどうするの?」
「それはものによる。手元に持っているのもあるし、商社に置いてきたものもある。何故?」
「極秘指令なんて言葉を聞くと、まるでスパイみたいで、すごく興味が湧いたから」
リサはシュンタローに水割りを作った。
「でもこれからは光の時代だ。マイクロ・エレクトロニクスにしても光のスピードには適わない。レーザー光線などが電気や電子の世界、それに石油などを飛び越えて、エネルギーのトップに踊り出る時代が来る。その時代には光ファイバーや半導体の役目を果たすダイアモンドの加工技術など全く新しいテクノロジーが必要になる」
いつの間にか大学の頃の話になった。
「当時は世界的なベトナム反戦のうねりが押し寄せて、日本でも反戦や反帝国主義のスローガンを掲げた学生運動が起こった。運動は次第にエスカレートし標的は大学自体に向けられた。過激派の活動家連中がキャンパスにバリケードを築き、建物を封鎖して立てこもった。彼らは大学解体を叫び、大学当局の要請で封鎖を解こうとする機動隊と衝突した」
「キドータイ?」
「ライアット・ポリス。騒乱を鎮圧するための警察部隊のことだよ。投石物から顔を守る透明のガードがついたヘルメットを被り、制服の上にプロテクターを身にまとって、ジュラルミンの楯を持っていた。過激派学生は機動隊を国家権力の手先と呼んで、事ある毎に睨み合い、火炎瓶や石を投げつけた」
リサは水割りの氷を口の中で転がしながら話を聞いていた。
「俺は過激派学生の運動に反対だった。大学は学問をするところだ。その場を破壊するのは許せない。授業を再開することを主張したが、ナンセンスの一言で片付けられた。多勢に無勢、随分くやしい思いをしたよ」
「シュンタローの主張はその人たちと違ったかも知れないけれど、自分の意見をはっきり伝えたんだから、それでいいじゃない。それをとやかく言う権利は他の人にないわよ」
「俺にナンセンスという言葉を浴びせ掛けた同期生がいた。国吉英雄と言うんだが、今奴のことを思い出した」
リサの瞳が一瞬シュンタローの視線から逸れた。
「クニヨシ・ヒデオはどんな人だったの?」
冷ややかな表情で、リサが尋ねた。
「同じ文学部だったけど、過激派の国吉とノンポリの俺は思想的に激しく対立していた。個人的にも許せないことがあったが、何処か気になる奴だったんだ。いつの間にか大学をフェイド・アウトして、海外に出たという噂を聞いた。アジ演説では世界同時革命を目指す同士と連帯するというのがあいつの口癖だった」
「クニヨシはニューヨークにいるの?」
「わからない。何しろ卒業から三十年近く経っているからね」
「じゃ、それから一度も会っていないのね。もし、万一クニヨシとマンハッタンで出会うことがあれば、紹介してよ」
「それは構わないけど、あまり会いたくない」
「個人的に許せない、って言ったけど、それはどういうことなの。訊いていい?」
「余り喋りたくないんだよ」
「だったらいいわ」
リサはウィスキーをぐっと飲み干し潤んだ表情を向けた。そして、シュンタローの体に腕を回し耳のあたりを唇でまさぐり始めた。
シュンタローはリサを軽く押し留め、服を脱いだ。リサもTシャツとジーンズを脱いで、もう一度シュンタローの体に抱きついた。二人はお互いの匂いを嗅ぐように唇を重ね合った。もつれ合いながら、シュンタローは、リサが国吉の名前を聞いた瞬間に見せた眼の表情の変化が気になっていた。
2
九月に入り、塾も新学期を迎えた。
リサは女友達と旅行に出ると言って、フロリダに出掛けてしまった。シュンタローの上着のポケットには、日本人会のパーティの案内状が入っていた。その夜、マンハッタンに来てすぐ会員になった会のパーティが日本人会館で開かれることになっていた。
パーティに出席するのは、その日が初めてだった。国吉についての情報が掴めないだろうか、というのがシュンタローの思惑だった。
会場にはイブニングドレスで着飾った女性会員の姿があった。スーツ姿の年配者もいる。シュンタローは見知らぬ日本人を遠まわしに見つめていた。
会長が型どおりの挨拶をした後、皆で乾杯し幾つかの丸テーブルに別れ、用意された日本食をつまんだ。
マンハッタンに来てから、シュンタローの人間関係は、塾を中心としたものと、リサとの付き合いに限られていた。
か、と言って、新たな人間と知り合いになるのも煩わしい。そう思いながら、シュンタローは握り寿司をつまんでは、手酌でビールを飲んでいた。
「初めてお越しですね。会長の水原です」
会長が話しかけて来た。見知らぬ会員に一応の愛想をふりまいておこうということだろう。シュンタローは思い切って国吉のことを訊いてみた。
「国吉英雄さんですか。ううん、その方は会員ですかな?」
「いや、それもわかりません」
「おい、北村君」
会長が少し離れたところで立ち話をしている中年男に声を掛けた。北村と呼ばれた男は、シュンタローよりも少し若い感じだった。会長が耳元で囁くと、北村はちらりとシュンタローの顔を見てから、急いで会場を出て行った。
「ひょっとして記録があるかと思い、今事務局の者に調べに行かせましたので、少々お待ちください。小暮さんでしたかな、ニューヨークはどれ位になりますか」
「まだ半月ほどです」
しばらくすると、北村がカードを持って戻り、会長に手渡した。会長は眼鏡を取り出しそのカードに眼を通した。
「国吉さんは、会員だったことがありますね。ふむふむ、記入項目には抜けたところが随分ある。これでは余り役立ちませんな」
シュンタローはカードを受け取り、記載事項を見た。
確かに名前は国吉英雄だ。住所はマンハッタンとしか書かれていない。電話番号の欄は抜けている。職業欄にも記載がない。しかし、備考欄に小さな文字で「一九七三年A大学文学部卒」とある。国吉は、大学は卒業していないが、A大文学部は俺と同じだ。文学部同期で国吉姓はあいつだけだ。間違いない。国吉はニューヨークに居たんだ。
「申請の日付がありませんが、これはいつ頃作成されたものかわかりませんか」
「ファイルの整理棚の年代からしますと、一九七三年頃に入会申請されたかと思います」
北村が答えた。会長は隣のテーブルに居場所を移し談笑していた。
あいつは俺が卒業する前の年に海外に出たはずだから、一九七二年か。すると、とにかく日本を離れて一年たった頃ニューヨークに居たことは間違いない。まだニューヨークにいるのだろうか。
「勿論今は会員じゃないわけですよね。退会届は出しているのでしょうか」
「いえ、それはわかりません。何しろ、住所など連絡先がきちんと書かれていませんので、当方としても確認のしようがありませんし。年会費の振込みがなければ、退会と見なしますしね」
「こちらでは今までのパーティ出席者の名前は保存されていますか」
「実際に出席いただいた方のご芳名のリストはありますが・・・・・・」
「申しわけありませんが、それを見せていただくことは?」
「構いませんが、何しろ会は創立が古いものですから少々分厚い資料になっていますので、部屋に来ていただけますか」
シュンタローは北村の後について事務室まで足を運んだ。
「小暮さんは国吉さんのお友達ですか?」
北村が訊いた。
「大学の同期生です。北村さんは、日本人会は長いんですか?」
「ええ、もう二十九年居ります。大概の日本人なら知っていますが、国吉という人は知らないなあ」
シュンタローは一九七二年頃からのパーティ出席者のリストを隅々までチェックしていった。
「あった!」
国吉の名前が一九七三年五月十五日に開かれたパーティ出席者リストに載っていた。念のためその後のパーティも全て調べてみたが、そのパーティだけだった。
北村の紹介でその日の出席者に手当たり次第国吉のことを尋ねてみたが、誰一人国吉を知る者はいなかった。
国吉の動静についてそれ以上日本人会では情報がなかった。だが俺の勘では、リサは国吉を何らかの形で知っているような気がする。国吉の名前を聞いた時、リサの眼の表情が一瞬変化した。シュンタローはその意味を知りたいと思った。
3
旅行からリサが戻ったのは、それから四日後だった。二人はアパートで会った。
「どうだった? フロリダの休暇は」
「楽しかったわよ。一緒に行った女友達はジェニーと言うんだけど、四日したらニューヨークに現れるわ。マンハッタンは初めてだというから誘ったのよ。シュンタローにも紹介するわ」
「余り日焼けしてないね」
シュンタローはリサの顔や腕を見ながら言った。
「日焼け止めを塗っていたからよ。とてもよく効くの」
リサはうつむきながら答えた。一瞬会話が途絶えた。
「少し疑問に思っていることがあるんだ」
シュンタローが切り出した。
「何なの?」
「君は国吉を知っているんじゃないか?」
「それどういう意味なの?」
「君がいない間に日本人会に行って来た。北村さんという事務局員の人に手伝ってもらって調べたら、国吉は確かにニューヨークに居た記録が残っている。今から二十八年も前にね」
「わたしが七歳の頃の話だわ。知っているわけはないでしょ。そのキタムラさんとかいう人は、日本人会は長いの?」
「もう三十年近いベテランだ。日本人や日本の情報に詳しい」
「その人でもクニヨシのことは知らないの?」
「知らないそうだ。話は戻るが、俺が国吉の名前を出した時、君の眼の表情がほんの一瞬だったけど変化したのに気付いた。顔色は全く変らなかったが、何かに驚いたような印象だった。それを俺に気取られてしまったと思った君は、直ぐに平静を装ったような感じがした」
リサの顔に当惑の表情が走った。
「一体何が言いたいの。もしそうだとしたら、どうだと言うのよ」
「国吉には女のことで酷い目にあったことがある。もし彼の事を知っているなら、正直に君との関係を話して欲しいんだ」
「わたしとの関係? どういうことかしら。私がクニヨシの恋人だったとでも言いたいわけ?」
「俺はこれからも君と付き合いたい。だから秘密は嫌だ。相手が国吉なら尚更のことだ」
「詰問されているみたいで、非常に不愉快だわ。わたし帰る!」
リサが立ち上がった。
「待てよ!」
シュンタローは引き止めようと、リサの腕を後ろから引っ張った。リサはそれを振り解いて、部屋を出て行った。
怒らせてしまったな。シュンタローは少々言い過ぎたことを悔いた。でも、リサが国吉について何かを隠そうとしているような様子が気がかりだった。リサは、国吉が俺の知り合いとわかり、国吉との関係を必死に隠そうとしたのではないのか。そんな感じがしていた。
シュンタローが国吉に拘るのには理由があった。
学生時代国吉は過激派セクトの運動に積極的に参画していたが、女の方もお盛んだった。同士の女と同棲するだけでは飽き足らず、シュンタローの女友達にも手を出した。そのことで国吉との関係は一層険悪になった。
女友達は野口久子と言った。シュンタローは久子と教養部で知り合い、キャンパスが過激派セクトに封鎖されている間、意気投合して何度か一緒に旅に出掛けた。シュンタローにとって初めて交わった女だった。久子はシュンタローと同じ一般学生で、早期の授業再開を望んでいた。
しかし、教養部学生に対する過激派の強力なオルグで、久子はしだいに思想的に国吉に近付き、シュンタローを批判するようになった。噂では国吉を中心に過激派幹部が久子を学生会館の空き部屋に連れ込み、軟禁状態にして激しく自己批判を迫ったという。シュンタローが事態に気付いた時には、もう手遅れだった。久子は洗脳され、完全にセクトの人間に作り変えられていた。
国吉らが「性の革命のためのフリーセックス」と称し、同志の女を入れ替わり立ち替わり犯しているという噂も立った。思想云々は別にして、国吉は性欲を満たす相手として久子を抱き込んだとシュンタローは今でも思っている。
キャンパスで国吉をつかまえ、シュンタローは叫んだ。
「国吉、久子を性の奴隷にして、もてあそぶのはやめろ!」
「何をねぼけたこと言ってるんだ。久子が自己批判し帝国主義に洗脳されているお前を捨てて俺を選んだだけだ。お前の男としての魅力のなさを棚に上げて、俺を誹謗するのはやめることだな」
「何を抜かしやがる。久子を呼んで決着をつけようじゃないか」
シュンタローは一応の啖呵を切ったが、久子は予想どおり国吉を選んだ。シュンタローは引き下がるしかなかった。
その後三十年近くが経ち、シュンタローは未熟な学生時代の出来事として、国吉との確執を胸にしまい込んで来た。
そしてニューヨークでリサと知り合った。ところが、リサはどうも国吉を知っているらしいと思った途端、昔の苦い記憶が蘇り、シュンタローは警戒心を強めた。国吉の女たらしの性格がおぞましく思えた。リサまで国吉に奪われてたまるものか。シュンタローは身構えた。
それからしばらくリサからは何の連絡もなかった。シュンタローも敢えて連絡をしようとはせず、日々が過ぎた。
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