第3話
第二章
1
シュンタローがリサと知り合ったのは、ニューヨークに来てから間もなくのことだった。初めて住むことになる大都会の隅々を見てやろうと、まず手始めに市内観光のバスに乗った。エンパイア・ステートビル、自由の女神像、タイムズ・スクウェア、フルトン・マーケット、チャイナ・タウン、リトル・イタリーなど御上りさん観光とも言われるコースを見て回った。その時立ち寄ったのがWTCだった。余りにも目まぐるしく歩き回ったので少々疲労感を覚えていたシュンタローは、最上階近くにあるレストランに足を運んだ。モダンな感じのする広いレストランの窓際にあるテーブルにひとり座り、階下の展望を楽しんでいると、ウェイトレスが注文をとりにやって来た。それがリサだった。
" What would you like to have ? "(何にしますか)
美しいネイティブの英語だった。
シュンタローは、栗毛を頭の後ろで束ね、ライト・ブルーの制服を着こなしペンを握って注文を待つリサの誠実そうなブルーの瞳、愛らしい口元を一遍に気に入ってしまった。
「何にしようかな」と、思わず日本語が出た。
すると、リサの口から日本語が返って来た。
「あなたはニホンジン?」
「驚いた。あなたは日本語を喋るんですね」
「ええ、わたし日本に住んでいたことがあるんです」
「そうなんですか!」
シュンタローは益々リサが気に入った。
「小暮俊太郎と言います。よろしく」
シュンタローは立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。
「わたしはリサ。リサ・マイルドです」
「リサか。いいお名前ですね」
「ありがとう。あのう、ご注文は?」
「ああ、ごめん。ソーリー。えっと、コーヒーをひとつ」
「わかりました」
そう言うと、リサは微笑んで立ち去った。
一目惚れっていうやつかな。シュンタローはひとりで微笑んだ。コーヒーが運ばれて来た。
「リサ、お願いがあります。今お会いしたばかりで大変失礼なのですが、これも何かのご縁です。もしあなたにフィアンセや旦那さんが居なければ、という条件付きですが、一度日本の話なんかを聞きたいのでお食事にお誘いしたいのですが・・・・・・」
リサは面食らったようだったが、微笑みながら了解した。
「これが今泊まっているホテルです。お暇な時に電話いただけますか。待っています」
リサはメモを受け取った。
ホテルに戻り、シュンタローは部屋で熱いシャワーを浴びた。裸身を流れ落ちる熱湯のほとばしりで、その日一日の疲れが吹っ飛んでいくような感じがしていた。ガウンを着て、部屋の椅子に腰掛けて煙草を吸っていると、リサの顔が浮かんだ。シュンタローは自分の大胆さに苦笑した。
何と図々しい。初対面でガイジンの女にデートを申し込むなんて、今までの俺には考えられないことだ。自分の気持ちを思ったとおりに率直に表現するというアメリカ、いやニューヨークの為せるわざなのだろうか。それにしても・・・・・・。
シュンタローは、いささか後悔もした。付き合うことにでもなれば、面倒くさいことも出てくるだろう。独り身の気楽さもなくなるかも知れない。しかし、その種を蒔いたのは俺だ。
ええい、ままよ。どうせ当分日本に帰るあても無い。このニューヨークで日本とは違う自分を探してみよう。
そう思い切ると、後悔は何処かに消え去った。
部屋の窓の閉め切ったカーテンの隙間から街のネオンの灯りが差し込んでいた。突然、パトカーの甲高いサイレンが聞こえ、急発進して走り去る車の騒音が響いた。
もう少し静かなホテルに越そうかな。
シュンタローは窓の分厚いカーテンにもたれ掛りながら、パトカーの走り去った通りを眺めていた。
2
リサからの電話はなかなか架かって来なかった。シュンタローは半ば諦めの境地だった。
見知らぬ男の誘いに簡単に応じるほどニューヨークの女はバカじゃなかろう。大都会で暮らす女は抜け目がないはずだ。微笑をふりまいて、メモを受け取りはしたが、それは社交辞令だったのだろう。
そう思うと、急に馬鹿ばかしさに襲われた。俺はやはり間抜けなお人好しなんだな。
シュンタローは仕事場に決まった日本の塾に通い始めた。日本を発つ前、ニューヨークでのとりあえずの就職先として、塾の日本本部に関係していた友人を介して内定をもらっていた。塾ではニューヨークに駐在する日本の会社員の子供を相手に、外国語としての英語の講座を担当するのがシュンタローの日課だった。
シュンタローが英語に堪能なのは、大学当時英語を学び、卒業後長年にわたり勤めた商社でビジネス英語を使うセクションに居たからである。勝手の違うニューヨークで塾の環境に慣れようと努めるうちに、リサのことは脳裏から離れていた。
ある夜同じ塾に勤める日本人職員とピアノ・バーで酒を飲み、ホテルに戻るとレセプションで呼び止められた。メッセージがあるという。受け取ってメモを見ると、リサからだった。
明日の夜七時に、ホテルに伺います。もし都合が悪ければ、以下の携帯電話に連絡下さい。
メモには電話番号が書いてあった。
やはり、覚えてくれていたんだ。シュンタローは心のもやもやが一気に吹っ飛んだような気がした。
何処で食事しようかな。このホテルのレストランが無難だが、もうひとつムードがない。か、と言ってまだ色々といいレストランは知らないし。そわそわし始めた自分が可笑しかった。
シュンタローはレセプションに行き、周辺のレストランを尋ねてみた。担当者は嫌な顔もせず、ボール・ペンで地図にマークを入れながら幾つかのレストランとその特色を説明してくれた。
翌日の夜、約束通りリサはホテルにやって来た。ベージュのワンピースにブラウンのハンドバッグを右腕に掛け、首には十字架のぶら下がったシルバーのネックレスが輝いていた。豊かな胸の谷間が眩しい。最初に出会った時よりも、ずっと大人びた感じがする。
「やあ、お久しぶり。本当に来てくれたんだね。嬉しいよ」
シュンタローはリサの微笑を胸一杯受け止めていた。
「この近くにいいレストランがあるんだ。そこで食事をしよう」
「まあ、嬉しいわ」
二人は夜の街へと繰り出していった。
シュンタローが選んだのは落ち着いた感じのするフランス料理店だった。案内された、奥まったテーブルの壁にはスポットライトを浴びたニースあたりの漁港の風景を描いた絵画が掛かり、テーブルには可憐な花を飾った花瓶とキャンドルが置かれていた。二人が席に着くと、ウェイターがキャンドルを灯した。
「ほんと、すてきなレストランね」
リサがあたりを見渡しながら言った。
「実は俺もここに来るのは初めてなんだ。ホテルで紹介してくれたところだよ。気に入ってくれてよかった」
ウェイターが注文を取りに来た。二人はまずワインを注文し、コース料理を頼んだ。運ばれて来たワイン・ボトルにOKを出してから、シュンタローが切り出した。
「リサはニューヨークの人?」
「ええ、生まれも育ちもブルックリンよ」
「そうか、生粋のニューヨーカーなんだ」
「シュンタローの出身は日本の何処なの」
「京都だ。生まれも育ちも」
「キョートはわたしも日本にいる頃は何度か行った。エンシェント・キャピタル・オブ・ジャパン(日本の旧都)よね。お寺とか神社が多い歴史を感じさせるところね。わたし好きよ」
「日本に居た頃は何処に住んでいたの?」
「カナザワ」
「へえ、金沢か。北陸のキョートだ。どうして金沢に住んだの?」
「亡くなった父が昔金沢の金箔の世界に憧れて一年ほど金箔の先生について修行をしたの。その頃はわたしもまだ中学生だったから、母親と弟の一家四人で日本に行ったの」
「そうだったのか。それで日本語がしゃべれるんだね」
「でも今から二十年ほど前のことだし、それから使う機会も殆どないから、大分忘れちゃった」
ワイングラスを持ったまま、リサが微笑んだ。頬がほんのりと赤くなっていた。
「お父さんは何故金箔の世界に?」
「父はその頃五番街でアート・コレクションの店を開いていたの。ある日カナザワの金箔師が訪ねて来たのよ。年配のおじさんだった。父の店に金箔の作品を置かせてくれないか、という話だった。父はその人が持参した作品を見て、金箔の魅力に取り付かれた。早速その人と商談に入り、店に置くことになった。ニッポンの金箔は新しもの好きのニューヨーカーの間で評判になり、雑誌にも取り上げられて父の店も有名になった。そのうちに父は自分も金箔作りを勉強したいと思い始め、おじさんに頼んで金箔工芸の研修にカナザワに行くことになったわけ」
「そうだったのか。でも、金箔はぼくも詳しく知らないけど、一人前になるにはとても難しいはずだ。お父さんはどうされたの」
「初めは半年で本当の基礎だけを学ぶつもりだったけど、父は実際の工程を学ぶうちに興味が増して、結局一年も居ることになった。店の方は伯父に任せてね」
「それで君も一年金沢で過ごすことになったわけか」
「そう。その間にキョートにも出掛けたわ。一家で金箔を張り巡らした金閣寺を訪ねたり、茶道の美術館で金箔を施された茶碗を見たりした。わたしもすっかり金箔のとりこになったの」
リサはそう言って微笑んだ。シュンタローは微笑を見て、益々リサが好きになっていく自分を感じていた。
「一度お父さんの店に連れて行ってくれないか?」
「いえ、父はもう亡くなって、店も人手に渡ったの」
「そうか。それは残念だな」
食事を終えた二人は、人影のまばらな舗道に出た。
「それじゃ、わたしここらで失礼するわ。ここから歩いて数分のところにアパートがあるの」
「家の前まで送っていこうか」
「大丈夫よ。今日は楽しかった。ごちそうさま。それじゃね」
リサはシュンタローと握手し、振り返りながら立ち去って行った。
マンハッタンで一人暮らししているのだろうか。
シュンタローはきびすを返した。
暗い舗道で背後から近付く足音を感じていた。リサは足を速めた。すると、背後の足音も速まった。暗がりで突然後ろから羽交い絞めにされ、口を手で押さえ込まれた。声が出せない。リサはもがきながら、歯で相手の指に思い切り噛み付いた。 男の悲鳴が夜の闇に響き渡った。男はハンドバッグをもぎ取り、リサを押し倒して逃げようとした。突然男のうめき声が響き渡った。倒れて起き上がろうとするリサの眼の前で白人の若い男が気絶して倒れていた。男のそばに別の男が短い警棒のようなものを持って立っていた。
「シュンタロー!」
リサがシュンタローの顔を見つめた。
「何か胸騒ぎがした。だから、君の後をつけてきたら、こいつが君に襲い掛かるのを見たんだ」
「その棒は護身用なの?」
「うん、ニューヨークはとても危険なところと聞いていたので、用心のため持ち歩いているんだ」
「ありがとう、助かったわ。あの男が拳銃を持ってなくて本当によかった」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「さあ、家の前まで送ろう」
シュンタローはハンドバッグを拾い上げ、リサの肩を抱いて歩こうとした。
「わたしは本当に大丈夫。じゃあ、失礼するわ」
リサは手を振りながら逃げるように舗道を駆けて行った。
まだ付き合いの浅い男に自分のアパートの所在を知られたくないのだろう。
シュンタローはそう思いながら、ホテルに戻って行った。
3
シュンタローはその後もリサと会った。
その日は、ようやくアパートを見つけ、契約をした日だった。ホテルから荷物をまとめて転がり込んだアパートは、国連ビルに程近いセカンド・アベニューから少し西に入ったところにあった。ようやくホテル暮らしから解放されて、ベッドに横たわりまどろんだ時、バッグの中で携帯電話が鳴った。ベッドから起き上がり、携帯を取り出し電話に出ると、リサの元気そうな声が聞こえた。
「今何処?」
シュンタローは眼を擦りながら、長髪をたくし上げた。
「アパートだ。さっき越したばかりだ」
「そう。良かったわね。ホテルは値段が高いから。ところで、今夜はどう? 何処かで食事しない?」
「いいよ。何処に行こうか」
「ソーホーにいいイタリアン・レストランがあるの。パスタが最高」
「君に任せるよ」
「わたしもうすぐ仕事が終わるから七時にそのレストランで会いましょう。ウェスト・ブロードウェイとスプリング・ストリートの交差点をすぐ南に入ったリストランテ・モレッティよ。じゃあね」
「ちょっと待ってくれ。もう一度ストリートと店の名前を・・・・・・」
リサはもう一度ゆっくりと通りの名前と店名を言うと電話を切った。
シュンタローもソーホーを歩いたことはあったが、いざと言うと場所がはっきりわからない。メモ書きをもとにマンハッタンの地図でその交差点を探してみた。大まかな地図なのでよくわからない。シュンタローは以前ソーホーで買った地区のガイド・マップを思い出し、バッグから取り出した。今度はすぐにわかった。地図を見ているとジャパニーズ・レストランもある。しばらく寿司バーにも行っていないので、会う場所を変えたい気もしたが、今夜はリサご推薦の店にしよう。
シュンタローはソーホーを目指し、早めに出発することにした。アパートの出口で年配の肥ったガードマンに予備のドア・キーを渡した。
「電話工事が来るので、来たら渡してやってくれ」
「はいよ」
ガードマンはデスクの引き出しにキーを放り込んだ。
シュンタローがアパートの角を曲がった時、通りの向かいに電話会社の軽トラックが停まった。サングラスをかけた男が二人降り立ちアパートに入って行った。そして、一人が入り口に座っているガードマンに声を掛けた。
「B号室の電話工事に来たんだ。今日入居があった部屋だ」
ガードマンは二人の人相風体をじろりと見た。
「あいよ」
ガードマンはデスクの引出しから預かったばかりのキーを男に放り投げた。そしてデスクの上に両足を乗せ、でっぷりとした腹を撫でながら制服の胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
男らはシュンタローの部屋に向った。部屋に入ると二人は顔を見合わせて頷き、持って来たリモコン操作のカメラ・モニターを箱から取り出した。そして、モニターを外からは見えないように隠してセットし、携帯で外部と連絡を取った。
「テストOKか? よし。完了だ」
もう一人の男は電話機を取り付け、盗聴器を細工した後シュンタローの荷物やクローゼットを開け、何かを探していた。
「おい、それらしいものは見つからんぞ」
「よし、とりあえず引き揚げよう」
男らは急いで部屋を出て行った。
軽トラックの後部座席には手足を縛られ、猿轡(さるぐつわ)をされた電話会社の技術者がぐったりとして転がっていた。軽トラックは急発進し猛スピードで通りを走り抜けて行った。
約一時間後、軽トラックは大西洋を望むロングアイランドの絶壁近くで停まった。辺りに人気はなかった。男らは気絶したままの技術者の手足それに口からロープと猿轡をはずした。そして技術者を助手席に座らせ、ひとりの男がハンドルを握り、車を絶壁に向けて発進させた。男は絶壁の手前で開け放していたドアから地上に飛び降りた。加速度のついた軽トラックは、周りの低木をなぎ倒しながら技術者もろとも絶壁から海に転落して行った。男らは近くの道路で二人を待ち受けていた黒塗りのフォードに乗り込んだ。
4
モレッティはすぐに見つかった。店の前にあるテーブル席にはカップルらしい男女がビールを飲みながら語り合う姿があった。まだ約束の時間には早かったので、シュンタローは付近を歩いてみた。
ギャラリーが軒を連ねている。世界に向けて最先端の芸術を発進するニューヨークの拠点だ。
ある日本人作家は、ニューヨークのシンボル、ビッグ・アップルを踏まえて、アップルの半分は最高の芳醇さを誇り、あとの半分は腐り切っていると表現した。このあたりは芳醇な香りを放っている地域に入るのだろう。通りを歩くアーティスト風の若者は、最新のアートを生み出すソーホーの空気を胸一杯吸い込もうとしているような気がした。シュンタローもその空気を呼吸してみたい気分にかられた。
俺もいい歳になった。彼ら若者からすれば、ニッポンの団塊世代の端くれはどんな風に見えるのだろう。何処となくしょんぼりとした初老の姿に映るのだろうか。
しかし、俺はまだ負けない。会社を辞め、新たな世界を求めて日本を飛び出して来たんだ。住まいも確保できたし、リサとも付き合い始めた。仕事もやっと軌道に乗って来た。もう一花も二花も咲かせてやろう。シュンタローは腕を思いっきり伸ばして、深呼吸した。
「何してるの」
声の方を振り返ると、Tシャツにジーンズを穿いたリサの姿があった。シュンタローは微笑を返した。
「この街で君に出会えた幸福を噛みしめているのさ」
日本では思いつきそうもないセリフが口をついて出た。
「まあ、すてきな言葉をありがとう」
リサはシュンタローの腕に自分の腕を絡ませて、レストランに足を向けた。
二人は店の中庭にあるテーブル席に腰を掛けた。案内したウェイターが小脇に抱えていたメニューをそれぞれに手渡し、注文を待った。
「白ワインをグラスで頂戴」
リサが言った。
「俺もそれだ」
「それとリングウィニ・パスタを二人盛りお願いね」
ウェイターはすぐに調理場への連絡に走った。
「どう? 新しい住まいは」
「うん、こじんまりとはしているが、なかなか気に入ったよ。一人暮らしには申し分ない。買い物にも便利だし、安全面も良さそうだから」
「それは良かったわ。わたしにもいつか見せてね」
「ああ、大歓迎さ」
シュンタローは「今夜でも来る?」と言いかけて、とっさに言葉を飲み込んだ。
「レストランはどうだい? 忙しい?」
「昼間は忙しかったわ。日本人観光客の団体の予約が入ったの。旅行社の扱う団体予約がよく入るのよ。何しろニューヨーク最高のビルでしょ。第二タワー屋上の展望台からマンハッタンを眺望して、第一タワーでうちのランチを食べるというのがコースになっている場合があるのよ。今日は、その日だったから」
「もうどれ位勤めているの?」
「二年ほどになるかな。前はアベニュー・オブ・ディ・アメリカスにあるハンバーガーショップで働いていたの。ジャンク・フードのハンバーガーじゃないわよ。飛び切りおいしい本物のハンバーガーよ。マンハッタンでは一番伝統のあるお店のひとつで、そこの従業員は地元の古株が多くって、ニューヨーカー・アクセントの英語を話すの」
「へえ、一度行きたいな」
「今度行きましょう。わたしが休みの日に案内するわ」
「君と知り合えて色んなところに行ける。ニューヨークのビギナーにとってはあり難いことだ」
「折角こちらで暮らしているんだもの。充分本物を楽しまなくっちゃ」
そう言って、リサはパスタを口にしながら微笑んだ。
「このパスタすごくおいしいね」
「マンハッタンでも最高のパスタの店だもの。ワインもおいしいし」
リサはグラス・ワインのお代わりを注文した。顔がほんのりと赤みを帯びていた。
食事を終えて店を出た頃、あたりはすっかり夜の帳が降りていた。リサを何処かもう一軒誘おうか、でもそんなことをすれば嫌われるかも知れない。シュンタローの心は揺れていた。
「何処かに行かない? もっとお酒が飲みたい気分だわ」
リサが体に腕を回して来た。豊かな胸の感触と香水の甘酸っぱい香りがした。シュンタローはどぎまぎした。リサは静かに眼を閉じて、唇を求めた。果たして俺はリサの何人目の男なのだろうか。そう思いながら、リサと唇を重ねた。ワインの匂いが鼻をついた。
気が付くと、リサと抱合いながら越して来たばかりのアパートの前に立っていた。ソーホーで拾ったイェロー・キャブの運転の荒さで、酔いが余計に回った感じがしていた。リサは肩に顔を持たせかけて、アパートの入り口の方を眺めていた。
「ここが新しい住まいなの?」
「そうだ。どうする? 中を見てみるか?」
リサは黙って頷いた。
「俺の部屋にはまだ酒がないんだ。セカンド・アベニューに出て買ってこようか」
「いいわよ、お酒なんか。早く中に入りましょうよ」
リサが腕を引っ張った。シュンタローに気付いたガードマンは軽く会釈をしたが、その眼は直ぐにリサの方に注がれた。
「お友達ですか」
ガードマンが眉を少々しかめながら尋ねた。
「イエス!」
シュンタローはわざと陽気に言った。リサはガードマンを無視して、シュンタローを急がせた。
「電話工事は来たかね?」
「へえ」
ガードマンがキーを手渡した。
部屋に入ると、リサは床に倒れ込んだ。
「おいおい、大丈夫かい?」
シュンタローは灯りをつけてから、リサの肩に手を掛けた。
「大丈夫」
リサは起き上がり、がらんとした部屋の壁にもたれ掛った。
「水を飲むといい」
シュンタローはキッチンに走った。コップに水を汲んで渡そうとすると、リサは眼を閉じていた。Tシャツから直の胸の膨らみが眼に飛び込んで来た。
リサはそのまま眠り込んでしまった。シュンタローも肩に腕を回したままで、いつの間にか眠っていた。
どれ位時間が経っただろう。シュンタローが眼を覚ますと、バスルームでシャワーの音がしていた。時計を見ると、午前二時を回っていた。シャワーの音が止まり、ドアが開く音がした。バスタオルを体に巻いたリサが出て来た。
「ごめんなさい。バスタオルを借りたわよ。シャワーを浴びたら」
リサは後ろ向けになって、バスタオルを体からはずし、濡れた栗色の髪を拭き始めた。しなやかな後ろ姿の裸体が露になっていた。シュンタローはゴクリと唾を飲み込んだ。身近で若い女の裸体を見たのは何ヶ月ぶりであろうか。
前回の相手は商売女だった。日本を発つ前、地方の温泉に出掛けた。その時温泉旅館の部屋に女を呼んだ。目前のリサの肢体とは似ても似つかぬ、関取のような女だった。上に乗られたら、押し潰されるのではないかと思った。
「何をしているの。シャワーには入らないの?」
リサが振り返って、こちらを見ていた。バスタオルで胸を押さえているが、下腹部から髪の毛より数段黒い茂みが覗いていた。
「よし、俺も入ろう」
リサの眼を背後に感じながら、衣服を脱いだ。そのまま後ろを振り向かずに、バスルームに入った。栗毛と茂みの毛が数本、排水溝に流れ込まずに床にくっついたままになっていた。
湯の温度を下げて、全身にボディ・シャンプーを塗りたくり、頭から一気に冷水シャワーを浴びた。泡が勢い良く排水溝に流れ込んで行った。
タオルを前に当てて部屋に戻ると、リサはバスタオルを放り投げ、全裸で近付いて来た。シュンタローは思わずタオルを落とした。
「なかなか立派ね」
リサが抱きついて来た。二人は部屋の床に横たわり、激しく求め合った。
その背後で密かにカメラ・モニターが作動していた。アパート近くのモニター・ルームでは男が二人、画面を食い入るように見つめていた。
「こんな生のセックスを覗けるとは役得だな。これから毎晩楽しみだ」
二人は緩みっぱなしの顔を見合わせた。
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