第2話
第一章
1
ナオミは毎夜国連ビル近くの雑居ビル二階にあるスナック「舞」に勤めている。昼間はアート・スクールに通う留学生だ。ニューヨークに来て四年目になる。
Gターミナル爆発の夜、舞が開店すると同時にユキオが姿を現わした。アルバイト先の書店からの帰りだった。
「ハイ、ユキオ。いらっしゃい。ナオミちゃんがお待ちかねだよ」
舞のマスター、ケンジが声を掛けた。ユキオはマスターの隣に立っているナオミの真向かいのカウンター席に腰を降ろし、ナオミに微笑んだ。
「いらっしゃい」
ナオミが微笑を返した。
「物騒な世の中だな。Gターミナルのことだよ。気をつけなくっちゃ。さて何にするかな」
ケンジがユキオに声を掛けた。
「フォア・ローゼスの水割りを」
「はいよ。ナオミちゃん、入れてあげて」
ナオミはボトル棚の扉を開き、ウィスキーを取り出して水割り用のグラスに黄金色の液体を注いだ。
「ニューヨークは過激派のターゲットにされているみたいだね。もうニューヨークにいるのが怖くなった」
ナオミの入れたウィスキーを舐めながら、ユキオが言った。
「よせよ、そんなこと言うの。テロは何処に居ても起こるもんさ。ニューヨークに限らないよ」
ケンジが眉をひそめた。
「だがねえ、こうたて続けにあると・・・・・・」
「ユキオ、情けないこと言わないで。あなた男でしょ?」
ナオミがにらみつけた。
「テロを嫌がるのに、男も女もないだろうさ。こんなに身近で次々に起こると、弱気にもなるさ」
ユキオは二杯目を注文した。
「ペースが速いじゃないか。まあ、酔って早く嫌なことは忘れることだな」
今度はケンジが水割りを作った。
一階のドア・チャイムが鳴り響いた。ケンジは水割りを出し、遠隔操作の監視カメラでドアの外に立つ人物を確認した。
「初めての客だな」
ケンジはドア・キーをリモコンで開けた。階段を昇って来る足音が近付いて来た。
「いらっしゃいませ」
ケンジとナオミが客に挨拶をした。
ユキオが振り返ると、中年の男が立っていた。男はユキオから三席離れたカウンター席に腰を降ろした。
「メニューを見せてくれ」
ぶっきらぼうに、男が言った。ナオミがおしぼりとメニューを手渡すと、男はおしぼりを前に置いたまま、メニューを眺めていた。
「ジェントルマン・ジャックをオン・ザ・ロックで」
そう言うと、男は長髪をかき上げ、両手の指を、祈りを捧げるような恰好で結び、両腕をカウンターの上に置いたまま、ボトルが並ぶ正面の棚を見つめていた。
ケンジは男に目を注いでいた。白髪混じりの長髪だが、頭のてっぺんは幾分髪が薄い。団塊世代だろう。女好きのする横顔だ。何処かで女を泣かしての帰りかも。右手の中指の先に大きなペンだこがある。何か書き物をする仕事をしているのかも知れない。
ナオミがオン・ザ・ロックをコースターの上に置いた。男はウィスキーを一気に飲み干した。
「もう一杯同じのを頼む」
そう言って、男はケンジをちらりと見た。ケンジは気取られまいと目をそらせた。
「マスターはマンハッタン長いの?」
突然、男が訊いた。
「わたしはアメリカ永住組ですから」
「そうか、永住組か」
男は納得したように頷いた。
「お客さん、この店何処でお知りになりました?」
今度はケンジが尋ねた。
「俺はこの近くに住んでいる。ここはセカンド・アベニュー四十九丁目のあたりか。よく通るところだけど、今まで気付かなかった。今夜ふと看板が眼に入ったら、舞って書いてあるじゃないか。ちょっと嫌なことがあったもんだから、酒を飲みたくなった。こんな夜は日系のスナックが落ち着く」
「そうでしたか。まあ、お近くでしたら今後ともご贔屓に」
ケンジが商売っ気を出した。
「G駅の爆発だけど、あれはテロと断定されたんだろうか。マスター、何か聞いていない?」
男の眼は鋭くケンジに注がれていた。
「出勤前にテレビを見たんですが、犯行声明のようなものは今のところ出ていないそうです。でも、現場の様子からテロの可能性が非常に高いと言っていました。ホワイトハウスも大騒ぎになっているそうですよ」
「そうか」
男の眼がナオミと話しているユキオに向けられた。
「ごめん。君は留学生かな」
ユキオが男の方を見た。男の眼は充血していた。泣き腫らしたのか、酒のせいなのかわからない。
「いえ、フリーターです」
「フリーター? ああ、色々と職を変る世代なんだね。フリーランサーのことだな」
「まあ、そういうことです」
「君はマンハッタン暮らし、長いの?」
「いえ、まだ四ヶ月です」
「9・11を体験したんだね?」
「はい、そうです」
「どんな感じがした?」
「いや、驚きましたよ。一生に一度の大事件を体験しちゃったという感じで」
「そうだろうな」
男は何度も頷いていた。
「もう長いんですか? こちらは」
ユキオが男を見つめた。
「いや、八月の半ばだから、まだ一ヶ月半だ」
「失礼ですが、何をされているんですか」
「学習塾の英語教師だ。TOEFLを教えている」
「外国人学生のための英語ですね。駐在員の子供向けですか?」
「その通りだ。あの、WTCのことなんだけど・・・・・・」
「はい」
男はオン・ザ・ロックをぐいと飲んで一瞬下を向き、再びユキオの眼を見つめた。
「あのテロで恋人が死んだ」
「・・・・・・」
ユキオは男の突然の言葉に面食らっていた。
酔いが回ったせいか、男は亡くなったという恋人の話を始めた。
「彼女はWTCにあるレストランでウェイトレスをしていた。あの日、本来なら非番だった。同僚が風邪を引いて熱を出したので、代わってやったんだ。それでやられちまった。体は粉々に砕け散ったんだろう。遺体も見つからない」
男の充血した眼が潤んでいた。
ユキオはナオミと顔を見合わせた。ナオミの顔は引きつっていた。三人は黙って男の話を聞いていた。
「暗い話をしてしまい、申し訳ない。君らとは全く関係の無い、個人の話を。マスター、勘定だ」
男は立ち上がり、料金とチップをナオミに手渡して階段の方に向った。
「ありがとうございました。またどうぞ」
男は振り返り、ユキオらを見た。
「また来るよ。これを何かの縁と思って」
これがシュンタローとユキオの出会いだった。
2
帰宅したユキオは、いつものようにパソコンに向った。インターネットで大手新聞や週刊誌が載せない情報をまとめて読むのが習慣だった。お気に入りの有料サイトは日本を出る前に知り合いから紹介されたもので、会員になると、サイトを運営する元大手新聞記者がネット検索で集めた世界の最新裏情報を目の当りにすることが出来る。
その夜のサイトには『9・11の陰謀』と題するWTC事件に関する裏情報が載っていた。
ユキオの頭には、恋人をWTCで失ったという男のことが浮かんでいた。ユキオは自問しながら裏情報を読み進んだ。
「9・11」は全て仕組まれていた。WTCに突っ込んだ航空機はリモコン操作されていたらしい。大体、異常事態に対して、米軍機の緊急発進の形跡もないのがおかしい。宇宙を含めてあれだけ防衛のための傍受スパイ網を誇るアメリカが何故易々とハイジャック機をWTCに突っ込ませてしまったのだろう。阻止する手段は幾つもあったはずだ。二機目がWTCに突っ込んだという情報を掴んだ時、大統領はのんびりと学校の授業を参観していた映像がある。しかも、教室の椅子に座ったまま、動きもしなかったらしい。何故なのか。それは背景に大統領も事前に知っていた大きな陰謀が潜んでいたからではないのか。
あの崩壊の日、WTCにはユダヤ人が居なかった。事前に攻撃を知らされていたからではないのか。ということは、ユダヤ保守勢力やネオコンが陰謀に絡んでいたのではないのか。
アメリカ大統領を告発する映画が封切られ、関心を呼んでいた。大統領一族はサウジアラビア王室やウサマ・ビンラディン一族と石油の利権がらみで親密な関係を維持していた。9・11事件にはサウジアラビアが絡んでいる可能性も否定できない。それを隠蔽するため、大統領は国民の目を外にそらそうとし、テロ支援国家と烙印を押された国に対し戦争を仕掛けようとしているというのが映画のシナリオだった。
しかし、サイトに引用されたジャーナリストは、むしろ謀略を仕掛けているのは映画監督のほうではないかと批判している。その論拠はこうだ。アメリカでの利権を手中に収めようと、サウジアラビアとイスラエルが激しく競い合っている。監督はそのうち片一方のサウジアラビアと結びついた大統領一族を非難している。ところが、もう一方のイスラエルとそれに加担しているネオコン勢力の悪行には完全に眼をつぶっているというのだ。
あのおじさんの恋人は、きっと政治勢力の対峙から生まれた大陰謀の犠牲になったんだ。陰謀の前には、個人の生命なんて虫けらほどの存在もないんだ!
ユキオは裏情報が醸し出す興奮に疲れ果て、いつの間にか眠り込んでしまった。
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