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人が何故神様にすがるか知ってるかい? 心に支えが欲しいからだよ。善行は必ず報われるとか、信じる者は救われるとか、祈れば罪は許されるとか、そんなの、『そうなったらいいのになぁ』って人の願望そのものじゃないか。僕はこの言葉に神様の恩情を感じるよりも、神様にすがらなければ崩れてしまう人の脆さを覚えるんだ。
君は僕の一つ下の学年だった。とは言っても、僕は全く先輩らしからぬ、人に誇るものなど何もないつまらない人間だったけど、じゃあ、先輩ですねって、君が笑ってくれたから、たった一つの年の差さえもひどく嬉しく感じていた。
僕は君に逢った次の日から何度も君の元を訪れた。毎日毎日、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も。今にして思えば僕の来訪は、君にとってはとんでもない迷惑事だったに違いないのに、君はいつもとびきりの笑顔で僕を出迎えてくれていたね。僕はそれが嬉しくて、君と話せる事が嬉しくて、言葉を覚えたての子供のように君に色んな話をしたね。僕は人との関わり方を知らない、ひどい口下手だったけど、それでも、君と何かおしゃべりしたくて一生懸命話をしたんだ。
「よく『同じ人間だから』っていうフレーズを耳にするけど、なんで人間っていうだけで一括りにするのか分からないよ。だったら豚や鼠や蠅やゴキブリも同列に並べるべきじゃないかな。だって同じ動物なんだから」
「恋愛もののマンガやドラマや小説ってさ、両想いで終わるから甘酸っぱいなんて言えるんだよ。これがズルズルの一方通行のまま話が進んでいくならさ、ご都合主義のハッピーエンドの綺麗事にはならないよ」
「昨日も今日も両親がさ、僕の事をまるでいないみたいにして家の中で過ごすんだ。子供を無視しないと出来ないぐらい働かなきゃいけないのなら、いっそ産んでくれない方が良かったっていうのにね」
こんな何の面白みもない、つまらない僕の話なんて、本当に時間を無駄にするぐらい意味のない事だっただろうに、君はそれでも毎日毎日、嫌な顔をせず我慢して僕の話を聞いてくれた。僕にはそれが嬉しかった。実の親ともまるで会話のないような孤独の塊の僕だったから、ただ傍で話を聞いてくれる人がいる事が、喉が詰まって死にそうな程幸せ過ぎて堪らなかった。
僕は毎日毎日、君の元に通い続けた。朝も、休み時間も、昼も、放課後も、授業中も、いつでも、毎日毎日毎日毎日。君はそれでも、僕を笑顔で迎え入れてくれたけど、日が経つにつれて段々段々、その笑顔には陰りが見えるようになっていった。でも、僕はただ君に逢いたくて、ただ君と話がしたくて、君の都合などお構いなしで、いつでも君の笑顔を求めて君の元を訪れ続けた。
君と出逢って一ヶ月が経った頃、ついに君の顔から笑顔が消えてなくなった。僕に見せた事のないようなとても強張った顔をして、怯えたような表情をして僕の事を見つめていた。僕は意味が分からなかった。なんで君の顔から笑顔が消えてしまったのか。なんで僕から一歩一歩、君が離れていこうとしているのか。
「ねえ……ちゃん、どうしたの?」
「なんでもないですよ」
「嘘。最近、僕の事避けてるよね」
「そんな事ないですよ」
「それも嘘。だって目を合わせてくれないじゃない。笑ってだってくれないじゃない」
「疲れてるだけですよ」
「何かあったの? 僕で良ければ相談に乗るよ?」
「あの……すいません……本当に……」
「遠慮しないでよ。だって僕達」
「もう、来ないでくれますか」
そう言って、君は僕に背中を向けて何処かに歩いて行こうとした。僕は離れていく君の背中を逃すまいと追い掛けた。だってなんで君が背を向けたのか全く分からなかったからだ。僕が原因なら謝らなくちゃ、仲直りをしなくっちゃ、そう思って、僕は君の背中を一生懸命追い掛けたんだ。
「ついて来ないで下さい」
「ごめん、謝るよ。僕が何かしたなら謝るよ。ごめん。謝るから、ねえだから機嫌を直してよ」
「だったらついて来ないで下さい」
「そんな事言わないで」
「お願いだからついて来ないで下さい」
「嫌だよ、君の傍にいたいんだ」
「ついて来ないで下さい!」
「嫌だよ、君から離れたくないんだ」
君はついに駆け出した。僕は君を追い掛けた。君は走って、僕も走って、君は人がめったに来ない、古い校舎にあるトイレの中に入っていった。僕がトイレに入った時には個室のドアはバタンと閉められ、僕は、君が入った個室のドアを、扉を壊す勢いでドンドンドンドン叩いたんだ。
「ねえ、……ちゃん、開けて、開けて、開けて」
「……、……、……」
「悪い事をしたなら謝るよ。悪い事をしたなら教えてよ。悪い事をしたなら直すから。だからここを開けてくれ」
「……、……、……」
「ねえ、ごめん、僕は本当に、分からないんだ。なんで君を怒らせてしまったのかが。だから、ねえ、教えてよ。僕のいったい何が悪かったのか教えてよ」
「消えろ、消えろ、消えてくれっ! お願いだから今すぐここから消えてくれっ!」
僕は、君の声がよく聞こえなくなるぐらい、それぐらいの勢いでドアを必死に叩き続けた。だって分からなかったから。君に謝る事で頭の中がいっぱいで、君に許してもらう事に頭がいっぱいになり過ぎて、トイレのドアを叩き続ける事に僕は夢中になっていた。
僕は繰り返しドアを叩いた。指が割けて、拳が裂けて、血が出て、乾きかけの血がドアにくっついてベタベタして、喉が涸れて、いつのまにか日が暮れて、トイレが真っ暗になっていても。一生懸命叩いたよ。だって君の傍にいたかったから。だって嫌われたくなかったから。だって君が好きだったから。だって独りは嫌だったから。
でも、君は出てきてくれなくて、君の声も聞こえなくなって、それでも僕は手の感覚がなくなっても、ずっとドアを叩いていた。
朝日が外から射し込むまで。
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