My dear
雪虫
1
……ちゃん、眠れないの? 風の音がうるさいものね。台風がこっちに来てるんだって。……ちゃんは繊細だから、うるさいとなかなか寝付けないかもしれないね。
うん、じゃあね、そしたらさ、……ちゃんが眠れるように、僕が退屈な話をしてあげる。本当に退屈な、くだらない、とってもつまらない話をしてあげるから、そうしたら風の音がうるさくてもぐっすり眠れると思うんだ。僕、一生懸命、つまらなく話してあげるから、だから風の音がうるさくても今日もきちんと眠るんだよ。
僕は子供の頃から、ずっと孤独な人間だった。なんていう出だしはあまりにもありきたり過ぎるだろうか。僕に語彙力があるならもっといい言い回しがいっぱい出来るだろうにね。
でも本当なんだ。とてもありきたりな表現だけど、僕は昔から孤独と独りぼっちだけが友達みたいな人間だった。お父さんもお母さんも仕事、仕事、仕事ばかりで、暗い家で冷たいご飯を食べるのが僕の毎日になっていた。もちろん、二人共僕を育てるために、一生懸命身を粉にして働いていたかもしれないけれど、子供を放置しなければ育てられないぐらいなら最初から産んだりなんてしなければ良かったって思わない? 子供を育てるだけの能力もないくせに、子供を育てるだけの才能もないくせに、産んで寂しい思いをさせて『全部子供のためだ』、なんて、それならいっそ産んでくれない方が良かったって子供心に思っていたよ。
僕は保育園でも小学校でもずっと孤独な人間だった。別にいじめや差別や迫害なんてものに遭ったわけではないけれど、友達なんてものもいやしなくて、いつも遊び場や校庭の隅で蟻の巣穴をほじくり返して、家を無くして途方に暮れる虫けらの姿を眺めていた。運動会に両親が見にきた覚えはなかったし、遠足では具のないおにぎりを一人でうずくまって食べていた。修学旅行も独りでみんなの後ろにくっついて、それから、それから、それから……そうだね、誰かと一緒にいた思い出なんて、僕の中には全くないね。もちろん、そんな事は死んでしまう事に比べたら全く幸せなのかもしれないけれど、僕は孤独に長く生きる幸せよりも、早く死んでも人に愛される不幸が欲しいと今でも未だに思っているよ。
でも、こんな僕にもたった一人、たった一人だけ、傍にいてくれる人がいた。出逢いは中学生の頃だった。僕はその日お腹が痛くて、でもお父さんもお母さんもとてもとても忙しくて、病院に送ってもらえもお金を貰えもしなかったから、それで仕方なく、学校の保健室で薬を貰おうと思ったんだ。でも、学校に行く途中でお腹がすごく痛くなって、もう一歩も歩けなくて、そのまま、学校の途中の道端で完全に動けなくなってしまった。誰かの気配は確かにするのに、でも誰も僕に近付いてもくれなくて、僕は十分も二十分もその場にうずくまっていた。
「大丈夫ですか」
いったいどれぐらいしてからだろう。そんな言葉と共に、僕の背中にそっと小さな手が置かれたのは。顔を上げると知らない子が、心配そうな表情で僕を覗き込んでいた。僕はきょとんとしてその子を見つめた。そんな風に話し掛けられたのは、十数年も生きてきて初めての経験だったから。
「大丈夫ですか?」
「あ……うん……え?」
「お腹、痛いんですか? 大丈夫ですか?」
その子に言われた途端、急に痛みがぶり返してきた。びっくりし過ぎて痛みを忘れてしまうなんて、僕のお腹は随分、いい加減な気がするけれど、でも、本当にびっくりしたんだ。君に初めて声を掛けられた時、僕はそれぐらいびっくりしたんだ。
「救急車呼びましょうか?」
「い、いいよ、それほどのものじゃないから」
「でも、痛いんですよね?」
「これくらいで呼んだら、お父さんとお母さんに叱られちゃうよ」
「でも、痛いんですよね?」
「学校で薬を貰うからいいよ」
「だったら、俺、学校まで一緒に行きますよ」
そう言って君は、僕に右手を差し出してきた。僕はびっくりして、しばらく君を見つめていた。君はそんな僕を見て、不審そうな顔をして少し首を傾げていたね。
もしかしたらそんな事は、普通の人からしてみたら何の事はない、覚えている価値もないような日常茶飯事かもしれないけれど、でも、僕は、そんななんでもないような日常が、たまらなく嬉しかったんだ。何年人に触れていないか分からないような僕にとっては、ただ手を差し伸べてもらえる事だけで、たまらなく幸せだったんだ。
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