黒猫は何てことをした
……あ。
それはただ何となく目に留まっただけだった。
後ろ姿だけど、そうと分かる。
あれはあいつだ。今朝の猫だ。
ここは二階だっていうのに、ベランダの手すりの上を危なげもなく練り歩いている。
そのうちひょいっと雨樋を伝ってさらに上の階へと上っていった。
何故かぼくは確信した。
きっと向かう先は屋上だ。
「……ん? 四条どした?」
「あ、ごめん、ちょい行ってくる」
一緒に昼食をとってそのまま雑談へと突入していたグループの中から突然離れたためか、一人が声をかけてくる。が、ぼくは曖昧なせりふを吐いてそのまま立ち去った。
自分でもどうしてそうしようと思ったのか分からない。ただの反射的行動で屋上へと向かっていた。
立ち入り禁止のはずの屋上の扉は開け放たれていた。その扉が見える踊り場まで来たところで、話し声がするのに気づいて思わず足を止めてしまう。
「……にさ。関谷世話好きだよなー」
「……ちょっと笑っちゃおうかしら」
「だってさ、腹立つんだよ。何の主義主張もねぇくせにただ暴れてるだけとかさ」
「まーそれが思春期ってやつじゃないかなっ?」
「あんなもん相手してたらキリねぇぞ」
「でもなぁ……誰か言わんと収拾つかねぇよ」
「お前が事態を余計ややこしくしてるんだって」
「うーん、そうかもしんねぇけど……」
「まぁねぇ……一番は先生がちゃんと厳しく注意してくれればいいんじゃない?」
「いや、結構怒鳴ってるぞ。でも聞きやしないよな、あいつら。だから関谷が出張っちまう訳で……」
「まーでもだからって千尋が怒鳴ったって逆効果なだけよねー」
「どーすりゃいーんだろーな……」
「あれだ、もうほっとけ」
「だって音楽の授業でだけうるせーんだよ。あたし音楽一番好きなのに。邪魔すんなっての」
「あははははははっ! 結局ちーちゃんだって私情で動いてんだあはははははっ」
「てめぇ何心底おかしそうに笑ってくれてんだよ……」
どうやら男一人女三人いるようだ。そして会話内容からして、女三人のうち一人は関谷千尋──つまり魔王様のようである。
猫を追いかけて来ただけなのに、あんまり関わり合いたくない人物のいる所に遭遇してしまったらしい。……帰ろう。ぼくは踵を返した。
だがそうは問屋が卸さなかった。
──みゃぁぁぁ。
不吉な声が木霊する。ぼくは思わず再び屋上の方向を振り向いていた。
「……ソラ?」
誰かの声がしたと思ったときには、屋上へ続く扉のすぐ前にある踊り場に、あの黒猫が堂々と姿を現していて。
かと思ったらそのままぼくに向かって跳躍していた(えええええええええ!?)。
反射的にぼくはそいつを受け止める。なんて無茶な奴なんだ。いや、猫だから華麗に着地してみせる自信でもあったのかもしれない。
ふと視線を感じて上を見上げると、屋上の扉を背にして一人の女の子がこちらを見下ろしていた。少し長めのショートヘアー、スカート丈は標準通りの膝下。逆光のせいで顔の造作や表情までは見て取れない。だけどぼくはこの子が誰だか知っている。
どうやらぼくは彼女としばらく見つめ合うハメに(ぼくからは彼女の視線がどこを向いているのか分からない訳だが)なったようだった。これじゃ今朝の
「……関谷?」
今度は全員が扉前に集まってきやがった。うわぁ、何か気まずいぞ……。ぼくは結構慌てていたのかもしれない。
ショートヘアーの女の子──魔王様がゆっくりと階段を降りてくる。ぼくはどうしていいか分からずに硬直していた。
とうとう魔王様がぼくのいる踊り場に到着する。
数秒そのままお互い見つめ合っていたが(うわ思ったより身長でかいなぼくより高そうなんて思っていやそんなもの観察してる場合じゃないと我に返る)、何を思ったのか魔王様、ぼくの腕をがっしと掴んで強引に来た道を戻り……つまり屋上へと上り始めた。
「……ちょ、ちょ……魔王様?!」
その強引さに猫を取り落としそうになったぼくは、思わず言ってしまってからほんとに冷や汗をかいた。魔王様が階段の途中で足を止めて再び振り向いた。何を思っているか読み取れない無表情でじっと見つめられて慄く(何かすげぇ怖いんだが……)。けれど次の瞬間その場に起こったのは爆笑だった。
「は?! え、今魔王って言ったのっ?? 言ったよねっ? うん、そう聞こえたよっ。うわっでもそういえばそんな感じだよね、似合ってる似合ってるあははははははっ!」
「あっははははははははははは! 四条っちょっっっ腹いてぇぇえええ!!!」
大爆笑を炸裂させている男女各一名。そして、肩より少し長めのストレートヘアーを結びもせずにそのまま流し、眼鏡をかけた少し理知的な雰囲気を持つ女の子が、向こうを向いて肩を震わせている。耳が赤くなっているのは気のせいではあるまい(笑いすぎだろ……)。
数秒たつと、笑いすぎて苦しそうな三人は置いておいて、魔王様は無言でぼくを屋上へと連行したのだった。抵抗の余地など、ある気がしなかった。
……本気で大変気まずい。
ぼくが彼女のことをひっそりと心の中で『魔王様』なんて呼んでいたのは、その威圧的な存在感からだけではない。
物語の中に出てくる『魔王』とか言うものは、たいていが尊大かつ大げさな口調で喋り、むやみやたらに強くて『超えられない壁』って感じがするくせに、最後には絶対に『勇者様』に倒されてしまうわけであって。
ぼくにしてみれば道化以外の何者でもない。
夢がないとでも何とでも言ってくれていい。
ともかくぼくはそんな道化た魔王なんてものに彼女を照らし合わせていたわけで。
そんな意味のこめられた呼称だなんて憶測できた人間がこの中にいるのかなんて分からないけれど、ぼくが彼女を多少なりとも見下していたことに変わりはないのだ。
…………気まずい……。
しかも皆全然喋らないまま、交互にソラ(目の色から誰からともなく呼び始めた名前らしい)とじゃれてるだけ。
皆がいじりまわすのをソラは気持ちよさそうに受け入れている。
「……そいえば、四条君、だっけ?」
「ん……?」
やっと口を開いてくれたのは、だけど、赤いリボンでまとめたツインテールをくるくると巻き、ブラウスやら制服の裾やらがフリル満載に改造され、あちこちにちゃらちゃらと鎖が巻かれている、見たばかりでお近づきを遠慮したくなる格好の女の子だった。時々目にして驚いていたけど、まさか口をきく機会に恵まれ(?)ようとは……。
「ずっと話聞いてたのかなっ」
うぐ。
いきなり痛いところを突いてくる。まぁあれではただの盗み聞きであることに変わりはないのだけれど。
「……何か関谷さんの行動に皆がダメ出ししてたあたりからずっと、だと思う」
さすがに会話の細部までは覚えていないが、正直にぼくは答えた。
「おい四条、もう魔王でいいぞ魔王で。ぴったりすぎる。俺も今から魔王って呼ぶことにする」
笑いをこらえつつと言った様子でそう言ったのは同じクラスの木藤君(中学二年にして身長が二メートルを超えている……すげぇ)で、言った後にもう堪えきれなくなったのかまたくっくっくと笑い始めた。
「……どういう意味だ木藤……」
ジロリと彼を睨む魔王様。
「四条君から見てどう? 魔王様ちょっとお節介すぎよね?」
見た目ものすげぇ真面目そうな眼鏡の女の子(名札に2-6吉村とある。とするともしかして常時学年一位で家庭教師四人も五人もついてて習い事しまくりのお嬢様で本人もとんでもないクソ真面目という噂のあの吉村さんなのだろうか……)まで『魔王様』を踏襲しようとしている。ぼくは頭を抱えたくなりつつも(魔王様も何とも言えない表情をしていた)、頷いて答えた。
…………っていうかなんだこの学年中のキワモノ勢揃いみたいな集団は……。
「あんな奴ら放っといた方がいいと思うよ」
今日だけじゃない。そして音楽の時間に限ったことじゃない。自習とか、問題を解きなさいとか、そういう時間に男でも女でもうるさい奴がいると、彼女は決まって口出しをする。その度に思うことだ。何で放っておかないんだろう? お陰で彼女のイメージというものはあんまり宜しくないらしい。まぁ、ぼくもその『宜しくないイメージ』を抱いてる一人なのだが。
「四条君魔王様がほんとに授業後に森君を追いかけてったっていうのは知ってる? ってか今聞いてた?」
…………ちょっと。まじですか。
「……いや知らないけど……」
「私木藤君から聞いて指差して笑ってやりたくなったわ」
……いやさすがにそんな一昔前の大げさスタンスみたいなことまでしなくていいと思うけど……。
「放っておいたら奴らは止まらないだろう」
だけど魔王様はバカ正直な目をして真っ向からぼくらに対立する。
「先生に任せておけばいいんじゃない? 生徒の仕事じゃないと思うよ」
「ふむ……四条は先生が右を向けといったら大人しく右を向く人間なんだな?」
……は? 何だかまた意味の分からない理屈を捏ね回し始めたようだ。
「別に先生は神様じゃないだろ。ただの人間だ。あたしたちとなんら変わりない。ただ少し長く生きてるだけだ。まぁそれがすごいことなんだろうけど。でも、考え方が全て正しいって訳じゃない。だから大人しく全部任せてるだけじゃだめなんだ。自分から行動しないとさ」
だからうるさいと思ったら自分から注意するってことか? ……いや何かよく分かんねぇんだけど……。
「……うんまぁ、今のあたしのやり方も一〇〇パーセント正しいなんて言えねえよ。だからこうして色々とこの三人と話し込んでる訳なんだが……」
「あ、魔王様、もうすぐ五時間目始まる」
ツインテール(名札に2-1朝倉とある。やはり『魔王様』を採用する気満々の様子だ……)が意外にもそういった忠告を発した。何か規則と名の付くものは全て素通りしてそうなイメージなのに。
「ありゃ。…………四条、気が向いたらまた昼休み屋上来いよな。こいつらだけだといっつも最後はからかいにしかならん」
何だか魔王様ももう呼称などどうでもよくなったようでいちいち反応するのをやめたようだった。うん、多分相手にしなかったら皆そのうち飽きてやめてくれるんじゃないかな……きっと……。
「ちょっと。心外ね」
吉村さんが眼鏡を押し上げながらそう抗議したが、表情がニヤニヤしていたのであまり説得力を感じられなかった。
「けどこの開かないはずの屋上に侵入して驚いてないあたり……開け方知ってるクチなのかなっ??」
皆で屋上を出て、少しコツのいるやり方で元通りの鍵がかかった状態に戻しながら(あぁやっぱりぼくと同じやり方だったんだ)、朝倉さんが聞いてきた。多少乱暴なやり方なので扉がガッシャン! なんて派手な音を立てるが、この現場を他者に見られたことは今までない。
「開け方知らねえならここに向かってたりしねえだろ、なあ四条」
「えっと……うん、まぁ……兄貴が嬉々として教えてくれたんだよ」
ここで嘘をでっち上げても仕方がない。少し迷ったがやはりぼくは正直に答えた。
「へー、四条兄貴いるんだ……む、ってことはもしや入学当初から知ってたりした?」
「……うん、まぁね」
木藤君の問いにやはりぼくは素直に答える。
へー、と彼はまた言う。
「ふむ。鉢合わせしなかったのが不思議だな」
魔王様が言う。
「……ぼくが屋上行くのはだいたい朝だからね。昼来たことそういえばない」
なるほど、と皆納得する。
「うちらがたむろしてるのは昼か放課後だものねぇ」
「よしよし、屋上秘密同盟新規会員ご入会か、めでたいな。なんせ魔王の名付け親だ。大歓迎だぜ」
「いやそんな同盟初めて聞いたんだが」
「ノリだ。気にすんな」
「ふむ……」
納得するのか、魔王様。
「そんな変な名前のよくわかんない同盟ヤだなぁ……」
朝倉さんが苦笑いしながら言うと、
「私も御免蒙るわ」
吉村さんも眼鏡を押し上げつつそれに同意し、
「ぼくもちょっと遠慮したい」
ぼくも続いた。っていうかもう何かこの妙なコミュニティ(?)の一員と認定されてしまっているのだろうか、ぼく。
「だからノリだっつってんだろ、頭かたいぞお前ら」
木藤君は少し閉口している様子である。
「……まぁ」
魔王様がぽつりと口を開く。ん? と言う感じで木藤君が彼女のほうに視線を合わせると、
「要するにスベったんだな、木藤」
無表情のまま魔王様はとどめをさした。が、逆に彼は復活した。
「万年見当違いのお前にだけは一番言われたくないセリフだな」
何とも投げやりな様子で彼は魔王様にカウンターを食らわせた。
「まぁ否定はしない」
だが魔王様はノーダメージのようだった。
さすがラスボス……って、違……。
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