第20話 番外編 ―― ファンタジーとSF2 ――
「SFってなんなんだろう? —— ファンタジーとSF ——」では、ファンタジーとSFの区別は難しいというようなことを書きました。さてそこでよくよく考えてみると、むしろこっちを書いてからの方がよかったかなと思うことがあります。実際のとこは「SFってなんなんだろう? ―― 異端の文学 ――」に挙げてあるからいいかなぁみたいなところもあったのですが。
というわけで本題です。ファンタジーとはどういうものか。それは「SFってなんなんだろう? ―― 異端の文学 ――」に挙げたアーシュラ・K・ル=グインの「夜の言葉」のエッセイ、あるいはこのタイトルそのものがファンタジーとSFの違いでしょう。そこの要約をすると、こんな感じです:
| SFは論理の光に照らされる昼の言葉であり、ファンタジーは論理の
| 光に照らされない夜の言葉である
これがどういう意味なのかというと…… マジもんのファンタジーとSFを読んでもらうのが結局一番早いんだろうなぁと思いますが。
ですが、ここでは二つの例を挙げておきたいと思います。
まずは、昔話、民話、おとぎ話の類いです。なお「昔話」と言っても、おっさんやじいさんの「俺の若い頃はなぁ」みたいな話ではないことは、言うまでもありません。それで、民話などを思い出して欲しいのですが…… と書こうと思ったのですが、もしかして比較的最近の書き換えられたバージョンしか知らないという方もいるかもと思ったり。まぁ、グリム童話も、フィールドワークで集めたバージョンはエグくて、それを柔らげて第一版を出したけど、やっぱりそれでもまだエグくて、結局大量に出版されたのは第三版だったりします。そうでなくても、民話は変わっていくものなんですが。
話を戻しましょう。
民話などを思い出してください。ようく思い出してください。あちこちで理屈がつかない話ばかり、まぁすくなくともそういうものが多いだろうと思います。それらを文化人類学的に分析するという方法もありますが、そういうのも含めた科学的考察や解釈は、ここでは忘れてください。というのも、語り伝えてきた人々は、そんなものは気にしていなかっただろうからです。ん〜、まぁこのあたり、日本だと古事記や日本書紀の時代に風土記の編纂も各地に命じられていましたので、中には文化人類学に至ったかもしれない考察を試みた人がいたかもしれません。ですが、そういう記録はなさそうなので、あるいは見つかっていないようなので、忘れましょう。
まぁ、民話には理屈がつかない話があります。ここ大事です。「SFってなんなんだろう? ―― 異質との邂逅 ――」に、SFとは異質との邂逅だというようなことを書きましたが、異質との邂逅という面ではファンタジーも同じです。SFとファンタジーでは、その「異質」に対する態度が違います。SFでは、あくまで異質ではあったとしても、論理的理解を求めます。書き手にしても読み手にしても。対してファンタジーの場合、論理的理解を拒絶します。理解に対して、もう一つの軸を考えてみましょう。その軸としてここでは「共感」を考えてみます。この場合、SFは「共感を否定し」、ファンタジーは「共感を求める」となります。繰り返しますが、この「論理的理解」と「共感」は、書き手と読み手の双方にとってのものでもあり、また作中の人物にとってのものでもあります。
ちょっとまとめてみますね。
SF: 論理的理解―非共感
ファンタジー: 非論理的理解―共感
共感
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ファンタジー |
|
|
|
非論理的理解−−−−−−−+−−−−−−−−論理的理解
|
|
| SF
|
|
非共感
これら以外のジャンルとかは、「論理的理解―共感」と「非論理的理解―非共感」に入りそうに思えますが、実際のところほぼすべてがファンタジーと同じ「非論理的理解―共感」に入ります。ミステリとかはその代表例です。ただし、この分けかただと、ナンセンスは「非論理的理解―非共感」に入ります。
ファンタジーとその他が「非論理的理解―共感」に入るわけですが、では、ファンタジーとその他とはどのように違うのでしょうか。そこに入るということは、ファンタジーとその他を弁別する基準が足りないということになります。そこは簡単に済ますなら「想像力」を入れるのがいいでしょう。ただし、実際のところは「想像力」は、「論理的理解」と「共感」に対して、副次的な軸です。というのも、「想像力」は、「論理的理解」と「共感」から、言葉そのものとしても別扱いできるほどのものではないだろうからです。
で、上のものに想像力を加えてみます:
SF: 論理的理解―非共感―想像力
ファンタジー: 非論理的理解―共感―想像力
ナンセンス: 非論理的理解―非共感―想像力
その他: 非論理的理解―共感―非想像力
さて、ここまでで気付いているかと思いますが、「魔法」というようなものは要素に入っていません。というのも、この軸の分けかただと、「魔法」はガジェットの類と考えているからです。「魔法」に限らず、「不思議技術」や「遺跡」とか「ロスト・テクノロジー」なんてのも同類です。そこで、ちょっとこれについて説明してみようかと思います。
古来、魔法とは類似性に基づくものでした。この点において「想像力」なわけですが。似たような状況を作ったら、似たような状況が起きるみたいなもんです。これは占星術でもそうですし、まぁ占星術では似たような状況を作るというのは難しいのですが、似たような配置になったり似たような感じで彗星が来たらとか、そういうもの。もっと身近(?)に言えば藁人形とか。その他に、言葉が後発で入ったので、その時点で状況はすこし面倒になりますが。それでも陰陽道なんかで有名な(?)「急急如律令」なんてのは、普通の人間に命令を伝える際にも使われていた言葉で、そのように「命じることができる」という状況の類似性があったりするわけです。あるいは悪魔との「契約」も同じようなものですね。すくなくとも旧約聖書では「神との契約」という概念が基本にあったりします。んで、「契約」は粘土板に楔形文字を書いていた時代からの概念です。当時、「神との契約」という概念があったかはわかりませんが、まぁここでは契約という概念が魔法に入ったと考えておくことにします。そんなこんなで、「魔法」という具体的なガジェットではなく、「類似性」という「想像力」として「共感」に入る要素と考えるのが妥当でしょう。
SFがガジェットによってSFになるのではないのと同様に、ファンタジーも魔法というガジェットによってファンタジーになるのではありません。そもそもの世界観において「共感」がどれほど重要かによって、ファンタジーになります。「共感」が強いと「ハイ・ファンタジー」、弱めだと「ロー・ファンタジー」と考えればいいかと思います。
ル=グインの「夜の言葉」ですが、この「夜の言葉」という言葉ほど、ファンタジーの何たるかを示している言葉はなかなかないだろうと思います。
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