第5話異質との邂逅

 えーと、日本でのSFの開花の時代についても書こうかとも思ったのですが。まぁ別のところに少し書いたりはしてあるのですが。読み手の側からのことを書こうとすると、これが結構難しいです。なので少し後回しに。


 今回は「異質な対象との出会い」という辺りについて書いてみます。


 「SFってなんなんだろう?」にてアシモフの言として、次のものを紹介しました。


* 現実に存在しない背景を取り扱う

* 科学技術の進歩に対する人間の反応を論ずる文学ジャンル


 また、ジャック・ボドゥが引用した言葉もふくめて(ここでは孫引きなんだかひ孫引きなんだかになってしまいますが)、次のようなものを紹介していました。


* 超越を認識することの象徴こそがSFの本質

 (アレクセイ&コーリイ・パンシン「丘の向こうの世界」)

* つねに根本的な違和感を、それが近未来の話であろうと

 いつまでも余韻が残る感動を、そして知的な、むしろ

 心地よいズレの感覚を供する(ボドゥによる)

* センス・オブ・ワンダー(昔の人曰く)

* どこかへのチケット [略] このジャンルは人々を

 未知の世界へと送り込む(ボドゥによる)


 これらを一つの言葉にまとめてしまえば、それは「異質との邂逅」といえるかなと思います。これは、SFだけでなく、ファンタジーも風刺小説も、逃避文学には共通して言えるものと思います。ただ、SFの場合、読者も、そしてたぶん作者も、「もっと異質なものを!」と求め続けているのではないかと思います。これを求め続けている点が、逃避文学の中でもSFを異質なものとしているのかもしれません。


 しばらく前に、友人から唐突に「タンパク質の光学異性体ってあるじゃん?」、続けて「雪風でさ」と言われ、「あぁ、あったね」という会話がありました。それを思い出したので、神林長平の作品「戦闘妖精 雪風」をネタに「異質なものとの出会い」について少し書いてみたいと思います。一応その一作目で(若干、後のものも入るかも)。

 戦闘妖精 雪風では、人類はジャムという敵と戦っています。ジャムは何者なのか。わかりません(えと、一応わからないということにしときます)。雪風のパイロットである深井と、深井が属するブーメラン部隊。彼らはジャムと戦うフェアリー空軍の中でも変わり者の寄せ集めです。フェアリー空軍も、地球に暮らしている人々からみればおかしな連中の集まりです。そして深井が操る雪風。深井にとってすら異質な存在です。異質な雪風を操り、ある意味では信頼し、ある意味では疑い、そうしながら戦闘の記録をとり、あるいはジャムと戦う。作風も文章もかなり無機質な印象を受けます。

 対してジャムにとっても、雪風も深井も何者なのかがわかりません。

 異質なもの同士が出会い、戦っています。

 人間は、ジャムは雪風たちの方こそが敵であると考えているのではないかと疑い、そして雪風たちの方こそジャムに近いと考えます。

 ジャムも、雪風たちが敵なのではなく、人間が敵なのではないかと考え、タンパク質ベースのロボットあるいは人工人間を作り出します。友人との光学異性体の話はここに関係した雑談でした。使った異性体が人間(というか、たぶん地球の全ての生命体)とは違うものでした。ジャムが人間を知るにあたっては、その違いが根本的な違いになるとは思いませんが。

 さて、以降、神林長平の意図とはズレるかもしれませんが。

 異質なものは、常にいつまでも異質なのでしょうか? そうかもしれません。ですが雪風においては、それがどういう意図のもとであれ人間もジャムを理解しようとし、同じくどういう意図のもとであれジャムも人間を理解しようとしているように思います。それが戦争という形であったとしても。そして、その戦争の場で、深井にとっては、人間とジャムのどちらがより異質なのでしょうか?

 戦闘妖精 雪風において、入り組んだ異質さの中に、読者はどんな異質さを読むのでしょうか。そして、それを受け入れる、あるいは受け入れる準備をするのでしょうか。

 異質なものは理解できないのかもしれません。ですが、理解しようと試みることは、そして試みを続けることはできます。センス・オブ・ワンダーは、これまでもこれからもどれほどであろうと異質なものを投げかけてくると思います。もしかしたら、現実の自然も世界もSFも、人間の知性に対しての挑戦なのかもしれません。どこまでわかるのか、どこまでわかろうとするのかと問い続けて。

 異質との邂逅。これほどワクワク、ドキドキするものはありません。なぜなら、そこに「知らない何か」があるのですから。そしてSF読みはいつまでも叫び続けるのです。「もっと異質なものを!」と。


P.S.

 えーと、読み直したら、「異質」ではなく「未知」ではないかと思われる方もいらしゃるかと思いまして、少しばかり。

 「未知」は未だ知らずであって、知ることができる可能性があるわけです。「異質」という言葉を選んだのは「知ることができるかどうかすら分からない」という点を出したかったからです。

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