第3話異端の文学

 「SFってなんなんだろう?」にて、正統であろうSF論を簡単に紹介というか述べました。

 また、「日本にて」では、作品とは別に逃避文学というジャンルの確立の面から、夢野久作に焦点をあてて述べてみました。

 本来はどちらももっと項数をとって詳細に議論する問題だと思います。

 ですが、ここではそういう話はおいておいて、SFってなんなんだろう? ――日本にて――の最後に書いておいた「定義できない異端の文学。SFってそういうものなのかもしれません。」というあたりについて考えてみます。


 まず、喧嘩を売るようですが。「純文学は親子関係と恋愛を繰り返し書いているだけ」と言われます。これは私の感想になりますが、「そんなの意味ない」と思います。

 結構日本独自の私小説。私の感想ですが、「編集や脚色が入っているにしても、あなたがどうしたとか興味ありません」と思います。

 先に夢野久作を例に引いといてアレですけど、ミステリ。「犯人がいるのはわかってるんじゃん。それ、面白いの?」と思います。

 ファンタジーは、「同じような世界でセコセコ登場人物が動いてもなぁ」と思います。これは下でちょっと触れます。

 ホラーは、まぁ正直興味ないだけです。

 書きたいだけ書きましたが、ではSFはどうなのか? まず、SFの大前提として現実、虚構のものを問わず「科学技術がその大本にある」。これだけは、おそらく譲れないというか、動かしようがない事実でしょう。ただし、それが基準ではありませんし、その技術は多岐に渡りますが。でも、本当に?

 さて、ではどういう要素があればSFと読まれる――あるいは呼ばれる――のでしょうか:

* 科学技術: いやいや、なにかしらの現実、架空をとわず、科学技術が出てきてもSFにはなりません。

 異論はあるかと思いますが、スター・ウォーズはファンタジーです。

* 時代: 未来ならSFでしょうか? これまた異論はあるでしょうが、

 スチームパンクはSFではないのでしょうか?

* ガジェット: ガジェットが未来的ならそれはSFなのでしょうか?

 これまた異論はあると思いますが、新元素、天才発明家の発明。

 「もう、そういうのいいいや」と思える時代を私たちは経験しています。

* 社会情勢: あぁ、これは近いかもしれない。ただ、どう描くか、どういう社会なのか、

 それが問題になります。たとえば、異論はあると思いますがPSYCHO-PASSはSFなのか?

 あれは社会情勢もガジェットも、ただの舞台装置に過ぎなくなっています。

* 誰かの思想を小説の形で表現したもの。

 異論はあるかもしれませんが、「哲学書でも読んでろ」って言えそうです。


 どうも個別では違うように思います。では、これらのいい塩梅の混合でしょうか。うん、それはかなり近いかも。ただそうすると、混合の割合やされ方が問題となりますが。

 あるいは、「異論はあるでしょうが」と書いたように、何かを定義してしまおうとしても、何かがすり抜けてしまいます。こっそりとかちょっぴりとかではなく、ゴッソリと。「未来である」と定義していたところに、「ディファレンス・エンジン」という過去に逃避したSFが現れたように。

 作家の想像力なのか、SFというジャンルの持つ懐の深さなのか、定義してみてもそこから抜け落ちる作品が現れてきてしまう。文学には詳しくありませんが、そういうジャンルは少ないのではないでしょうか。異端の文学でありつつ、常に更に異端を生み出していく。果たしてこれは文学なのでしょうか?

 その他のSFの特徴として、「誰かが設定した舞台、あるいは舞台装置を他の人も使う」という点があります。たとえばサイバーパンク。ブルース・スターリング編の「ミラー・シェイド」とかでサイバーパンクという概念がかなり明らかになりましたが、それは別段ブルース・スターリングだけが使える舞台ではありません。

 スチーム・パンクもギブソンとスターリングだけが使えるわけではない。

 あるいは、マーティン,ジョージ・R.R. の「ワイルドカード」。これはモザイク小説とも称しており、ワイルドカードウィルスによるミュータント化をテーマに様々な作家が書いています。

 注意が必要なのは、細目のジャンルを他の人も使えるということではなく、根っこの所にあるアイディアとか世界を他の人が使えるという点です。

 これらの例は他のジャンルにも無いわけではありません。たぶん代表例は「クトゥルフの呼び声」でしょう。(ちなみに国書刊行会から出ていたものは、「クリトルリトル神話」(だったかな?)と言う訳になっっていました。そもそも人間には発音できないとは説明されているものの、これはどうなのかなと思いますが。)

 ファンタジーについては、指輪物語は化物です。それまでのファンタジーという概念をまったく書き換えてしまいました(ただし、ミドルアースという名前が示すように、神話や民話をきちんとリスペクトしています。そこがまた化物であるわけですが)。原書は英語ですが、これ、そもそも「ミドルアースの言葉の英語訳である」として書かれています。トールキンは言語学者でしたので、凝らずにはいられなかったのかもしれません。指輪物語の設定や世界を皆が使っているとは言えるかもしれませんが、SFの場合とはおそらく状況が違います。指輪物語(ホビットも含めて)が世界を作ってしまい、抜けだそうにもなかなか抜け出せない。そういう状況なのではないかと思います。ある程度D&Dも影響しているかもしれませんが。

 あるいは、ゲド戦記などのアーシュラ・K・ル=グインの「夜の言葉」にファンタジーについてのいろいろエッセイがあります。ファンタジーは論理の光に照らされない夜の言葉であり、それに対して言うならSFは論理の光に照らされる昼の言葉なのかもしれません(昼の言葉はSFだけに限りません)。

 ル=グインと言えば、スーパーマンとか、活力のある、人を惹きつける物語りを「亜神話」とも名づけています。では、これらははじめから亜神話だったのか。いえ、必ずしもそうではないでしょう。発表当初から馬鹿受けし、ずっと続いている作品も、そりゃあるでしょうけど。

 活力を感じ、語り継がれる亜神話。目指したいですね。

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