第12話
事件の事を奈保子に告白し精神的にはいくらか落ち着いたが心の霧がすっかり晴れたわけではなかった。ただ何かが変わったのは間違いなかった。私は一日も早く奈保子に会いたかった。会って事件の事や今自分が抱えている親友との問題を話したかった。
冬休みに入り年末ぎりぎりまでバイトして私は帰省した。帰ってすぐ奈保子に連絡し、会いたいと言ったが年の瀬で忙しく年明けの3日に会う約束をした。帰省してからも私の頭の中は鈴木との事で一杯だった。鈴木には中学3年の頃から付き合っている彼女がいた。彼女は私の小学校からの同級生だった。中学1年の時告白したがあっさり振られた。それからずっと片思いの人だった。そんな彼女と鈴木が付き合い始めたのは中学2年の修学旅行の時だった。学校の成績も良かった二人はお似合いのカップルだった。私も彼女の友達と一緒になって二人を応援した。3年に進級し同じクラスになった私と鈴木はより一層親しくなっていた。高校に進学してからも同じ弓道部に入り、失恋して退部し陸上部に移った時暫らく口も利かない時期もあったが高校を卒業するまでは鈴木は間違いなく親友だった。そんな鈴木を遠く感じるようになったのは共同生活を始めてからだった。鈴木は高校時代とそれほど変わっていなかった。変ったとすればそれは私のほうだった。東京に来てからの私はもうそれまでの私ではなかった。奈保子に事件の事を告白して以来鈴木と私は本当の親友ではないという思いが強くなっていた。鈴木と私を繋いでいたのは彼女の存在だった。
年明けの2日、中学時代の同窓会があり私は鈴木の彼女に再会した。彼女は病気で留年し翌年京都の看護学校に進学していた。鈴木は卒業を控え進路を考えたいからと帰省しなかった。私は鈴木と一緒に生活しその言動から鈴木が彼女の事を本当に愛しているとは思えなかった。私は彼女のためを思い、彼とは別れたほうがいい、このままだと二人とも幸せにはなれないと忠告した。彼女はただ笑って私の話を聞いていた。私は彼女と会うまではただ友達として彼女に鈴木の事を話すつもりだった。しかし彼女と話しているうちに彼女への想いが募っていた。 同窓会が終わり家に帰ってからも彼女の事が頭から離れなかった。翌日は奈保子と会う日だった。私はどうしていいか分からなかった。奈保子は一度別れた私を許しまたやり直してくれた。私にとっても過去の事件の事を告白したたった一人の人だった。そんな奈保子がいるのに他の人を好きなっている自分が信じられなかった。しかし鈴木の彼女への私の気持ちはどうする事も出来なかった。私は一晩中考え奈保子と別れる決心をした。鈴木の彼女が私と付き合うという確証は何もなかった。ただ心の中に好きな人がいながら奈保子と付き合い続けることも私には出来なかった。
奈保子に今の自分の気持ちを伝えると決めたもののそれが本当に正しい事なのか私には分からなかった。ただ鈴木の彼女の事を想いながら奈保子と付き合い続けることも私には出来なかった。奈保子に本当の事を伝える事が彼女のためだと自分に言い聞かせ待ち合わせの喫茶店に向かった。喫茶店の扉をあけると私に気付いた奈保子が何も知らず私のほうに向かって手を振った。私は椅子に座りコーヒーを注文した。私は奈保子の顔をまともに見る事が出来なかった。奈保子をを目の前にしても私の決心は変わらなかった。私は重い口を開き鈴木の事そして前日、同窓会で彼女に会ったことを奈保子に話した。奈保子は何も言わず黙って聞いていた。私が話し終えてからもしばらく沈黙が続いた。お互いもうこれ以上話す事は何もなかった。
「海に行きたい」長い沈黙の後奈保子が口を開いた。
喫茶店を出たらもう終わりだと思っていた私はその言葉が意外だった。しかしそれは奈保子の最後の願いだった。私たちは喫茶店を出ると駅前でタクシーを拾い小倉ヶ浜の運動公園に向かった。野球場の前で車を降り、海へ続く道を私が先に立ち歩いた。海岸に出ると私は南北に広がる砂浜を南に向かって歩きだした。奈保子は黙ったまま後をついてきた。聞こえるのは冬の海の静かなさざ波と風の音だけだった。私はいたたまれなかった。いっそ奈保子にぼろくそに恨みや辛みを言ってほしかった。そうすれば私の心の自責の念も少しは和らいだかもしれない、しかし奈保子は何も言わなかった。ただ黙って歩いていた。距離にして2キロほどだったが私にはそれ以上長く感じた。
海岸から細い坂道を登るとバスが通る国道が見えてきた。私たちはバス停のベンチに腰掛け、奈保子の乗るバスを待った。程なくしてバスはやってきた。私たちは腰を上げ扉が開くのを待った。
「それじゃ」私はそういうのがやっとだった。
奈保子は頷きステップに足をかけバスに乗り込んでいった。バスは奈保子が座席に座ったのを確認して動き始めた。これでもう二度と奈保子に優しい言葉をかける事は出来なくなるそう思うと奈保子が可哀相で胸が締め付けられ涙が溢れてきた。私は奈保子の乗ったバスを見送ると国道を渡り駅前行きのバスを待った。バスに乗っても奈保子の事を思うと涙が止まらなかった。私は駅前の映画館に入ると後ろの席に座り声を押し殺して涙を流した。
家に帰った私は鈴木の彼女を呼び出し自分の気持ちと奈保子と別れた事を伝えた。彼女は私の気持ちは嬉しいけど馬鹿な事は辞めて奈保子とやり直してほしいと言った。しかしもう後戻りはできなかった。
私を信じてくれた奈保子と別れ鈴木の彼女に告白した事が正しかったのか私には分からなかった。ただ自分の気持ちには嘘は無かった。奈保子に申し訳ない事をしたと心から思ったし鈴木の彼女への想いも本当だった。奈保子と別れて3日後私は宮崎を離れ、鈴木達のアパートに戻った。しかし鈴木とは一言も話さなかった。鈴木も彼女から話を聞いたのかどことなくよそよそしくなっていた。もう一緒に暮らすのは無理だった。それから暫らくして私は丸ノ内線の新中野駅近くの古いアパートに引っ越した。鈴木と決別した事に後悔は無かった。奈保子に中学の時の事件のことを告白して以来私はそれまでの人生を振り返っていた。そしてあの事件の後の自分は本当の自分ではないという思いが強くなっていた。東京へ出て来てから鈴木と上手くいかなくなったのも鈴木の彼女に告白したのもそういう思いがあったからなのかもしれない。鈴木とはそれから何度か顔を合わせる事があったが親友に戻る事は二度となかった。中野のアパートに引っ越して3カ月経っても鈴木の彼女からは何の連絡もなかった。私はわずかな望みを持っていたがそれも日が経つにつれ諦めに変っていた。古くからの親友と友達そして恋人を同時に失い私は全くの孤独だった。
春になり新学期が始まったが寂しさは増すばかりだった。学校やバイト先では何もなかったかのように陽気にふるまったがアパートに戻り一人になると孤独に押しつぶされそうだった。そして私はもう二度と連絡をとらないと決めた奈保子に救いを求めまた電話した。電話できた義理でないのは分かっていた。許してもらえるとも思わなかった。それでも私にはもう奈保子しかいなかった。電話に出た奈保子はいまさらながらに電話してきた私を責めた。私は返す言葉が無かった。そして最後に鈴木の彼女と会う前に奈保子に会っていたとしても同じ結果だったのかと尋ねた。正直なところ同窓会で鈴木の彼女に会う前に奈保子に会って話をしていたらどうなっていたか私には分からなかった。もしかしたらこんな事にはならなかったのかもしれなかった。しかし私は奈保子に先に会っていたとしても同じだったと答えた。それは彼女への思いやりからだった。私は帰省して同窓会で鈴木の彼女に会う前に奈保子に会って話をしたかったが奈保子の都合がつかず会えなかった。もし奈保子に先に会っていたらどうなっていたか分からないと答えたら奈保子が自分自身を責めると思い本当は分からないのに結果は同じだったと答えた。奈保子はそうと言って電話を切った。人の運命はほんの些細なことで変ってしまう。過去の出来事が一分一秒でも違えば今の自分は存在しない。あの時奈保子に先に会っていたらどうなっていたかは今でも分からない。最後の望みの奈保子にも見放され私は生きる希望を失っていた。私がまきと出会ったのはちょうどその頃の事だった。
愛と憎しみの果てに @mplan
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