第6話

 私は四人兄弟の末っ子として日向市に生まれた。私が生まれたとき既に父親は家を出てほかの女の人と暮らしていた。母が産気づいたのはその女の人の家で父親に家に戻るよう説得している最中だった。母はそのまま近くの産院に運ばれ私を出産した。だから幼いころ父親に風呂に入れてもらったような定かでない記憶があるだけで物心ついてからは父親と一緒に暮らした記憶は全くない。私たちは長男である父親の実家で祖父母と一緒に暮らしていた。私は父親のいない生活に何の疑問も持たなかった。それが当たり前だと思っていた。しかしそれは私がそう思っていただけだった。どういういきさつがあったのか分からないが母は幼い私一人を連れて家を出て国道の建設現場で住み込みの賄い婦として働き始めた。私が四歳頃のことだった。高校生だった長兄や中学生だった次兄、小学生だった三兄たちは祖父母と一緒に暮らしていた。母と私が祖父母の家に戻ったのは小学校に上がってから少したってからだった。私たちが戻った時家には父親の弟の叔父さんが住むようになっていた。長兄は東京の大学へ進学し、次兄は高校に進学、野球をやるため叔母さんの家に下宿していた。祖父母の家には祖父母と叔父さん、母そして中学生だった三兄と私の五人が暮らしていた。しかしそんな生活も長くは続かなかった。私が小学三年か四年のある日母は私を連れて家を出た。私たちが向かったのは祖父が用意してくれた小学校近くの古い一軒家だった。祖父母も家を出てから十年以上たっても家に戻ってくる気配のない父親に見切りをつけ叔父さんに家を継がせる決心をしたのだと思う。当時の私はそんな大人の事情など知る由もなくただ母についていくしかなかった。三兄はちょうど高校受験をひかえていたのでそれまでは祖父母の家に別れて住むことになった。

 引っ越した家は六畳と四畳半のふた間に台所だけのそれまで暮らしていた祖父母の家とは比べのにならないほど小さな家だった。風呂は無く便所も掘立小屋のようなみすぼらしいものだった。私と母は夕方になると近所の知り合いの家に風呂を借りに行った。母はそれまで保険の外交等をやって生計を立てていたが引っ越してからは近くにできたドライブインの調理場で働くようになった。早晩と遅晩の二交代制で早い時は朝6時に家を出、帰りは遅い時には夜七時を過ぎることもあった。その間私は一人で母の帰りを待っていた。それまで祖父母の家にいる時は学校から帰ると家には誰かが必ずいた。一人で待つことなど一度もなかった。その環境の変化からかその頃から私は内向的になっていた。以前は学校から帰ると近所の上級生や下級生たちとチャンバラごっこや戦争ごっこをして遊んでいたが引っ越してからは家の中でテレビを見たり本を読んだりプラモデルを作ったりと一人で過ごす時間が多くなっていた。そんな生活が1年ほど続き5年生に進級したとき新卒の男の先生が赴任してきて私たちの担任になった。その先生は私の叔母さんの家に下宿しバイクで通勤していた。先生は叔母から私の身の上を聞いていたのかほかの生徒が依怙贔屓だと言ってくるほど私のことを可愛がってくれた。休みになるとバイクに乗せて山へランを取りに行ったり、先生が車を買うと従姉弟たちと一緒に阿蘇へドライブしたり先生の実家へ泊りがけで連れて行ってくれた。私もそんな先生に甘え,休みの日は叔母の家に入り浸っていた。私は友達と遊ぶより先生と一緒にいるほうが楽しかった。先生との出会いで私はだんだん外向的になっていた。六年も先生が持ち上がりで担任だった。私は生徒会長に立候補し当選。運動会では鼓笛隊で指揮棒を振り卒業式の予餞会では友達と一緒に漫才をやった。先生と過ごしたこの二年間が私にとっては生涯で一番幸せな時期だったのかもしれない。先生との交流の中でわたしは色んなこと学んだ。とくに他人を思いやる優しさを私の心に育ててくれた。その先生も私たちの卒業と同時にほかの学校へ転勤になった。こうして先生は近くにいなくなったが私は先生の教えを胸に希望を持って中学校に入学した。

 中学に入学しても私の積極性は変わらなかった。入学して早々の学級委員の選挙でも自ら手を挙げ学級委員長に選ばれた。部活も野球部に入り中学生活が始まった。しかし私には一つだけ気がかりなことがあった。それは担任の先生のことだった。その先生は技術家庭の先生で教室に来る時は必ず授業で使う木槌を持っていた。それで何か生徒が間違うと頭を叩くのだった。もちろん思い切り叩くのではなく軽くポカリと叩くのだがそれでも痛い。私はそれが嫌だった。ほかの生徒も同様にその先生を嫌っていた。しかしそれ以上に嫌だったのはその先生が家にやってくる事だった。その先生は私の家から歩いて五分程の所の借家に住んでいた。そして入学して暫らく経った頃から頻繁に家に来るようになった。その先生は私に用があったのではなく母に自分がやってる味噌や畳の表替えのアルバイトの注文を取る仕事を頼んでいたのだ。私は教師という立場でありながら人の頭を木槌で叩いたり自分のアルバイトを教え子の母親に手伝わせるその先生がますます嫌いになった。それだけでなくそんな先生の言うことを真に受けて手伝う母にも嫌悪感を持つようになっていた。そんな時ある事件が私を襲った。

中学一年の冬、それは何の前触れもなく突然やってきた。その日一人で留守番をしていたわたしは炬燵に入りプラモデルを作っていた。家の前の道路にバイクが止まり,階段を下りる足音がした。

「郵便屋さんか」私は気にも留めず、プラモデルを作っていた。郵便受けに郵便が落ちる音がした。それだけなら何の変哲もない日常の一コマのはずだった。しかしその日は違っていた。突然、縁側の障子が開き見知らぬ郵便屋さんが顔を覗かせた。そして

「お父さんは元気ね?」と声をかけてきた。

私は何も答えなかった。答えなかった、というより答えられなかった。一緒に住んでない父親のことなど分かるわけがなかった。

「父親の知り合いか」そう思い黙って配達人の顔を見ていた。

すると配達人は靴を脱ぎわたしに構うことなく家に上がってきた。わたしは戸惑い言い知れぬ不安を感じた。郵便局員とはいえ見ず知らずの人だった。配達人は無言でわたしの横に座り、自分のズボンのチャックを開け局部を取り出すといきなりわたしの手を引き寄せ握らせた。わたしは吃驚した。吃驚したが、どうしていいのか分からなかった。今なにが起きているのかまったく理解できなかった。そして配達人はわたしのズボンのチャックを開け局部を握ると白いハンカチをあてがい強くしごき始めた。わたしは頭の中が真っ白になっていた。もう何も考えられなかった。やがて局部に軽い痛みを感じわたしは射精した。配達人はハンカチでわたしの局部を拭うと自身の局部を握らせたわたしの手に自分の手を添え動かしていた。そのとき家の前でバイクの音がした。それまで無言だった配達人の手が止まり

「お母さんね?」と口を開いた

私はその声でようやくわれに還り炬燵から飛び出すと裸足のまま裏口から外に逃げだした。それは時間にしてほんの数分の出来事だった。どこをどう通ったのか気がつくと家から少し離れた畑の中に立っていた。わたしは呆然としていた。まるで夢を見ているようだった。

 家の前に配達人のバイクがないのを確かめてわたしは家に帰った。部屋の中は配達人が来る前と何も変わっていなかった。いつもの場所に炬燵がありその上にはさっきまで作っていたプラモデルが置いてあった。しかしわたしには全ての物が以前とはまったく違っているようにしか見えなかった。変わったとすればそれはわたしの心でしかなかった。

時間が経つにつれ私の中には配達人に対する怒りや憎しみがこみ上げてきた。それとともに射精してしまったことへの自己嫌悪、抵抗できなかった無力感が芽生えていた。私はこの事件のことを誰にも話すことができなかった。もし母なり兄達に事件のことを話せば担任に相談するだろうとわたしは思った。大嫌いな担任に事件のことを知られるのはどうしても嫌だった。結局私はこの事件のことを誰にも話さず心の中に封印してしまった。それが後になって私を長い間苦しめることになるとは思いもしなかった。

 私はこの事件後も何もなかったかのように普段通り学校に通い暮らしていた。それでも休みの日、家に一人でいる時家の前で郵便配達のバイクが止まると台所から包丁を持ち出し身構えた。もしまたあの郵便配達人が家に上がってきたら刺してやろうと思っていた。その後しばらくは配達人に対する怒りと憎しみは消えることは無かった。一度は道で見かけた配達人に石を投げつけたことがあったが石はバイクに当たり跳ね返っただけだった。私は事件のことを忘れようとした。そして一年、二年と時間がたつにつれ思い出すことも無くなっていた。私がこの事件のことを他人に初めて告白したのは大学三年の冬だった。

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