第5話

家に着くとまきは玄関前の道路で待っていた。

「乗って」

まきは私の姿を見つけるとそばにあった自転車のスタンドを上げサドルに腰を下ろしながら言った。

「どこにいくの?」

私は荷台に座りながらまきに尋ねた

「近くの公園。ここじゃ話できんでしょ?」

そう言うと勢いよく自転車をこぎだした。

私は慌ててまきの腰に手を回した。公園に着くまでまきは何も話さなかった。私も黙ってまきの小さな背中を見ていた。

公園に着くと自転車を入り口に停めまきは先にたって歩き出した。公園に人影はなく私たち二人きりだった。

「私、店以外ではもうあんたとは会わない」

急に立ち止まり振り向いたまきは私を見てそう告げた。私が電話でまきと話していたときに感じた不安は突然、現実のものとなった。

「えっ」

一瞬、私は言葉を失った。まきがなにを言ってるのか分からなかった。そしてもう一度まきの言った言葉を頭の中で繰り返していた。それは私にとっては残酷な別れの言葉に他ならなかった。ようやく言葉の意味を理解した私は問い詰めるように聞き返した。

「どうして?」

「どうしても」

まきは自分に言い聞かせるようにそう答えた。私は訳が分からなかった。海辺でお互いの気持ちを確かめ合ってからまだ半日しか経ってないのにいきなりもう会わないと言い出すまきが私には理解できなかった。

「俺のこと嫌いなの?」

私は半ば諦めたようにそう聞いた。

「うち、あんたのこと好きでも嫌いでもなんでもないと。もう家に電話してこんでよ!」

まきははき捨てるように言った。それでも私は諦め切れなかった。

「俺が大学生だから?」

と言うと。

「まるで漫画やね」

嘲笑するようにまきは言った。まきにしてみれば高校を中退してスナックで働いている自分と大学生の私が付き合うのは漫画みたいな話だったのかもしれない。もうこれ以上何を言っても無駄のようだった。

「バス停まで送るから」

そう言うとまきは公園の入り口に向かって歩き出した。私はまきのことが分らなくなっていた。昨夜の海辺でのまきと今日のまきとはまるで別人のようだった。いくら考えても私には理解できなかった。私たちは来た時と同じように自転車に乗りバス停に向かった。私は無言で自転車を漕ぐまきの小さな背中をただ呆然と見つめていた。

「じゃあね」

バス停に着くとまきはそう言い残し来た道を帰っていった。私は一人バス停に取り残され遠ざかって行くまきの後ろ姿を見送った。

家に帰り着いてからも公園でのまきの言葉が頭から離れなかった。今日まきと会うまではまきも自分と同じ気持ちだと信じていた、それががらがらと音を立て崩れ堕ちた。それでも私のまきへの気持ちは変わらなかった。

私が再びまきの店を訪ねたのは東京へ戻る前日の晩だった。まきは私の顔を見て少し驚いたようだったが、それ以外はいつもと変わらなかった。いつものように酒の相手をしカラオケを歌い楽しそうにしていた。店が終わり私はまきをタクシーで自宅まで送った。その車中で手紙を書くから自宅の住所を教えてほしいと頼むとバッグから小さな紙切れを取り出しそれにメモして私に手渡した。私は冬休みにはまた帰ってくるからと言ったがまきはただ黙って前を見つめていた。自宅の前にタクシーが着き扉が開いた。

「ありがとう。じゃあね」

まきはそう言って車を降り自宅の方に歩き出した。これがまきとの最初の別れだった。翌日私は電車で東京へ発った。もしかしたらと微かに期待して電車の時間を伝えたがやはりまきは見送りには来なかった。

 東京に戻ってからもまきのことが頭から離れなかった。私の腕の中で見せた穏やかな表情のまきと公園で私のことを好きでも嫌いでもないと冷たく突き放したまきはまるで別人のようだった。まきは俺のこと好きじゃなかったのか?好きだからキスを許したんじゃなかったのか?一晩で嫌いになったりするのか?まきは好きでもない男とキスするようなふしだらな女なのか?いくら考えても答えは見つからなかった。私はまきという女が分からなくなっていた。それでも私はまきのことが好きだった。海辺で過ごした時間は私にとって心の救いだった。私は毎日まきのことを考えながら暮らしていた。私はまきに手紙を書こうと思った。しかし好きでも嫌いでもないと拒絶されたまきに何を書けばいいのか分からなかった。いろいろ考えているうちに私はまきが保母さんになりたかったと言っていたことを思い出した。私は保母の資格を取るための手引き書を買ってきて読み、手紙に今からでも遅くないから保母さんを目指したらどうかといった内容のことを書いた。もちろんまきが高校を中退してることは分かっていた。それでも定時制の高校を出て短大に入り国家試験を受ければ保母になることができると思った。しかし私はその手紙を出せなかった。まきの家の事情を考えればまきが保母になることはかなり難しくそれはまきが一番良く分かっていることだった。だから店を手伝いゆくゆくは後を継ぐと言っていた。そんなまきに自分のこともその家族のことも良く知らない私からこんな手紙をもらってもまきは嬉しくないと思い手紙を出すのを躊躇っていた。手紙を書いてから一ヶ月程たったある晩私は思い切って店に電話した。その日は日向の十五夜の祭りの日だった。

「はい、吾亦紅です」電話に出たのはママさんだった。

「もしもし久しぶりです、ひろしですがまきちゃんはいますか?」

「ひろちゃん。久しぶりやね元気?」

「あ、はい何とか」

「そうそれはよかった」

「ところでまきちゃんはいます?」

私はまきの声が聞けるとドキドキしながらそう尋ねた。しかし私の期待はあっさり裏切られた。

「それがねまきはもうおらんのよ、男の人と一緒に他所に行ってしもうて」

私は耳を疑った。私が日向を離れてからまだ一月しかたっていなかった。それにママさんを助けて店を手伝うとあんなに言っていたのに、私には信じられなかった。

「それでどこに行ったんですか?」

私は重い口を開きそう聞いた。

「滋賀」

ママさんは申し訳なさそうにそう答えた。

「滋賀ですか。分かりましたそれじゃ」

私は茫然としてそれ以上声がでなかった。それを察したのかママは

「元気だしないよ。ひろちゃんにもきっといい人ができるから」

と言ってくれたがその時の私には何の慰めにもならなかった。

「帰ってきたらまた飲みにきない」そう言ってママは電話を切った。終わった。私は心の中で呟いた。これでまきは本当に私の前からいなくなってしまった。

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