第120話 決別
俺もロミリアも、村上もリュシエンヌも、トメキアも、目の前の出来事を信じきれていない。
夢でも見ているような、そんな気分だ。
本当に夢なら良かったんだが。
「魔王になっても、左手が元に戻った以外は、特に何を感じるという訳でもありませんね。ルイシコフさんは?」
「私も同じです、我が主」
「そうですか。しかし、魔王の力は使えます。望んで魔王になった訳ではありませんが、せいぜい利用させてもらいましょう」
久保田の左腕には、手袋をしているかのように真っ黒な手がある。
きっと、魔王の魂が肉体を復活させたためであろう。
どうしてだ?
なぜ久保田は、魔王になるのを受け入れた?
理解が追いつかない俺たちを尻目に、久保田は佐々木の遺体から剣を抜く。
そしてそのまま、剣先をジョエルに向けた。
「まさか使い魔を独立させるとは思いませんでした。でもあなたも、死ぬべき人間です。佐々木に付き従い、リシャールの野望を許したあなたは、リナさんの愛する世界の敵だ」
厳しく、冷酷で、一切の感情を排した久保田の口調。
アイツは、あんなヤツじゃなかったはずだ。
いくら正義に狂っても、あんなヤツじゃない。
俺の4年ぶりの友達になってくれたヤツが、魔王なんかに……。
「フフ、魔王の魂が去って、ようやく気づいた。ササキ様も私も、魔王の魂に心を支配され、支配欲をかき立てられていたようだ」
剣を向けられた、地面に横たわるジョエルは、自嘲するかのようにそう言う。
彼はそのまま、久保田に言葉をぶつけた。
警告とも哀れみとも読み取れる言葉を。
「今の貴様は、まさしく58年前のササキ様そのままだ。全てに絶望し、全てを敵とし、死にきれず、しかし生きることもできない哀れなササキ様と同じだ」
あれが佐々木に対する、ジョエルの本音なのかもしれない。
だがそんなジョエルの言葉に構わず、久保田は剣を振り上げる。
ジョエルは逃げない。
いや、体がうまく動かないのか、逃げられないように見える。
このまま黙ってジョエルを見殺しにするのか。
そんなこと、俺にはできない。
何より、これ以上に久保田が人を殺すのを見ていられない。
気づけば俺は、熱魔法を使って久保田の持つ剣を溶かしていた。
たぶん無意識に放ったのだろう。
久保田は唖然とした様子で、こちらを見ている。
これはチャンスだ。
「リュシエンヌさん! ジョエルを!」
「分かった!」
返事をした頃には、リュシエンヌはジョエルを抱え、久保田から彼を守っていた。
さすがは女騎士。
人を守るのは得意だな。
ジョエルの殺害を邪魔された久保田は、俺を見つめている。
感情のない視線が、眼鏡越しに俺を睨んでいる。
「相坂さん、なぜ僕の邪魔をするんですか?」
「な、何を言ってんだよ久保田」
「僕は、魔王の力でリナさんの愛した世界を守ります。佐々木という悪は葬った。次はリシャール、元老院、共和国が標的です。悪はこの僕が許さない。魔王として魔族を率いて、悪を根絶します」
「ちょっと待て。佐々木の降伏文書はどうなる? 戦争はもう終わるんだぞ?」
「元老院がある限り、本当の戦争は終わりませんよ。本当の戦争を終わらせたいのなら、佐々木だけでなく、元老院も打ち倒すべきです」
「まさかお前、戦争を継続する気か!?」
「ええ、魔王は僕ですから」
何を言ってるんだ。
ここで戦争が終われば、リシャールの野望は打ち砕かれるんだ。
多くの人の命が救われるんだ。
なのに、なんで……。
「いいですか、相坂さん。元老院は絶対的な悪です。絶対的な悪を排除しないと、また次の戦争が起きる。僕が継続する戦争は、佐々木の憂さ晴らしなんかじゃない。絶対的な悪である元老院を打ち倒すための、正義の戦争なんです」
確かに、そういう考え方もありかもしれない。
第7次人魔戦争が終わったって、第8次人魔戦争が起きるかもしれない。
平和が絶対に長続きするとは限らない。
「相坂さんだって戦争を終わらせたいのでしょ。なら、僕と一緒に戦いましょう。僕と一緒に元老院を打ち倒しましょう。村上さんも協力してくれれば、僕たちに負けはない。僕たち地球人が、人間界と魔界を平和に導くんです」
それこそが正義、と言わんばかりの久保田。
彼の言いたいことは、俺だって理解できない訳じゃない。
だけど、認めたくもない。
元老院を打ち倒せばそれで平和だなんて、この世の中そんなに簡単なのか?
「なんかよく分かんねえけど、俺は直人とは一緒に戦わねえぞ! せっかく俺が戦争終わらせて、夢が叶いそうなのに、魔王と一緒に戦う訳ねえだろうがよ!」
単純バカな村上は、単純バカに久保田の誘いを断った。
いつもなら呆れるようなヤツの言動。
今に限っては、妙な安心感がある。
「そうですか。村上さんは正義の戦いに賛成してくれると思っていたのですが……。仕方ありません。相坂さんは、僕と一緒に戦ってくれますか?」
久保田の表情に、残念がるような反応はない。
きっと、彼が本当に仲間にしたいのは、村上ではなく俺なんだろう。
だから村上に断られても、なんとも思っていないのだ。
大事なのは、友達である俺の反応なんだ。
正直なところ、俺は久保田の言葉に従いたくない。
理由は3つ。
1つは、元老院が絶対悪であると思えないからだ。
リシャールはまだしも、パーシングやイヴァンは、とてもじゃないが悪には見えない。
むしろ元老院を打ち倒せば、人間界にさらなる混乱を呼び起こす気がする。
もう1つの理由が、俺の決意。
俺は、悲しむ人を増やさないために戦うんだ。
講和派勢力の戦いを手伝っているのも、それが理由。
果たして久保田と一緒に戦うのは、俺の決意に沿っているか?
残念ながら、違う気がする。
最後の1つが、ロミリアの存在。
彼女のお父さんが、魔界の最初の攻撃で死んだことを忘れてはならない。
久保田は戦争の継続だなんて言っているが、彼は新たな戦争をはじめる気だ。
魔界による新たな戦争の、最初の攻撃に、ロミリアを参加させる訳にはいかないだろ。
だが同時に、久保田を見捨てたくない気持ちがある。
ここで俺がはっきりと断ってしまったら、久保田は対等な味方を失う。
そうなることで、彼が暴走してしまうのではないかと心配なのだ。
悩む。
論理的、合理的に考えれば、久保田を見捨てるのが正解。
だが、論理や合理性を超えた、友達という関係で考えると、彼を見捨てたくはない。
こんなに面倒な悩み事、久しぶりだ。
「アイサカ様、私のことは気にしないでください。アイサカ様の選択に、私は従います」
悩む俺に、ロミリアが優しくそう言ってくれた。
きっと、久保田への心配が伝わったのだろう。
俺が久保田に味方できるよう、気を遣ってくれたのだ。
しばらく悩んだが、俺は答えを決めた。
やはり正直な気持ちに従おう。
「久保田、俺はお前と一緒に戦えない。悪い」
「そうですか……分かりました……」
村上の時とは違い、明らかに落胆する久保田。
もはや説得を重ねることすら忘れている。
まあ、そんなに落ち込むなよ。
別に俺は、友達を見捨てた訳じゃないんだから。
「でも、忘れるな。俺はお前を助ける。魔王の魂から、お前を助けてやる」
誘いを断っただけで壊れる友情なんか、クソ食らえだ。
たとえ魔王になろうと、戦争をはじめようと、友達は友達だ。
友達として、久保田を救ってやりたい。
俺の〝珍しい〟言葉に、久保田は少しだけ黙り込んだ。
何を考えているのかは分からない。
「相坂さん、村上さん、今は2人と戦う気はありません。僕と一緒に戦う気がないなら、僕の前からすぐに消えてください」
しばしの沈黙を破った久保田の言葉は、そんな言葉であった。
どういう意味でそれを口にしたのかは、やはり分からない。
額面通りに受け取れば、拒絶の意味。
だが、俺たちとは戦いたくないという意思表示にも受け取れる。
さてはてどちらの意味が正しいのだろうか……。
とはいえ、ここは久保田の言葉に従い、彼の前から消えるしかないだろう。
無意味な説得を重ねても無駄だし。
「それじゃロミリア、行くぞ」
「……はい」
「リュシエンヌさんは、ジョエルを運んでください」
「分かった」
決めたことはさっさとやる。
それが俺のやり方だ。
久保田の前から消えると決めたら、さっさと消える。
「次に会う場所が、戦場じゃないことを願います」
俺の背中に、そんな久保田の言葉が投げかけられた。
なんとも悲しい別れの挨拶じゃないか。
以前に久保田が魔界に残ると言った時の別れは、お先真っ暗なのは今と一緒だが、もっと明るかったのにな。
でも俺は諦めない。
必ず久保田を救ってやる。
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