第119話 凶刃

 場の空気が瞬く間に変わった。

 先ほどまでは、佐々木とジョエル、メルテムの説明会のような部屋。

 今では、久保田の感情が剣先と共に、佐々木へと向けられる騒然とした部屋。

 俺は久保田を止めにかかる。


 魔力を応用しているのか、久保田の走るスピードは速い。

 ルイシコフを彼を止めなかった。

 おかげで俺もロミリアも、リュシエンヌも、彼に追いつくことができない。


「邪悪な破壊者め! 消えろ!」


 久保田の中に渦巻く、攻撃的、負の感情の一切が込められた叫び。

 同時に部屋に響いたのは、肉を切り裂き血を纏った剣の音。

 彼の剣は佐々木に到着し、彼の腹部から背中にかけてを貫通したのだ。

 和平交渉直後の凶刃。

 友達を救うには、まだ間に合うだろうか。


「何をしているのだ? クボタ。我の正体を忘れたか?」


 自らの体内を剣が貫通しているというのに、佐々木は余裕の表情。

 それもそのはず。

 ヤツは佐々木であり、魔王でもあるのだ。

 彼の体は魔王の体であり、彼には魔王の魂が取り憑いている。

 剣を刺すどころか、おそらく首を落としても死にはしないだろう。


 ともかく、魔王の反撃を食らえば、久保田はひとたまりもない。

 なんとしてでも、アイツを助けないと。

 そう思って一歩踏み出した俺を、ロミリアが俺の服を掴んで制止した。


「アイサカ様、もっと早く言うべきでした」


 なぜだか彼女は涙目で、そんなことを言い出す。

 そういやロミリア、ずっと何か言いたげな感じだったな。

 もっと早く言うべきということは、久保田に関係することなのだろうか。

 

「どうしたロミリア」

「魔王の魂が憑依する条件、覚えてますか……?」

「怒り、恐怖、哀しみ、だったっけ」

「そうです。その3つの条件が、クボタさんにも当てはまるような気がして……」


 なぜ、俺は気がつかなかったのだろう。

 リナを殺された怒り、リナの愛した世界を守れるのかという恐怖、リナを亡くした哀しみ。

 確かにロミリアの言う通り、久保田は魔王になる条件が揃っている。

 魔王の体である佐々木に剣を刺した今、久保田は魔王の魂に気に入られる瀬戸際だ。


「アイサカの使い魔よ、心配は無用。我の怒りと恐怖、哀しみは、クボタのそれとは比べ物にならん」


 ロミリアの言葉を聞いても、佐々木は相も変わらず余裕の表情。

 だが俺たちは安心できない。

 久保田の怒りや恐怖、哀しみは、佐々木が思っている以上に大きなものだ。


「久保田! 剣を抜け!」


 友達を魔王にする訳にはいかない。

 今ならまだ間に合うんだ。

 なんとしてでも、久保田の剣を佐々木の体から抜かす必要がある。

 だが久保田は、俺の言葉に聞く耳を持ってくれない。


 口で言ってダメなら、行動で止める。

 俺は久保田のもとに駆け寄り、なんとかして彼を佐々木から離そうとした。

 

『クボタ=ナオト。貴様の怒り、恐怖、哀しみ、実に気に入った』


 もう少しで久保田の体に手が届く、という時である。

 脳に直接響く、異様なまでに低い声が、どこからともなく聞こえてきた。

 何事かと俺が足を止めると、佐々木から紫色の〝何か〟が抜け出してくる。

 そしてその〝何か〟は、久保田を覆いはじめる。


「な、なぜだ魔王! なぜ私から出て行く! なぜクボタに!」


 焦りに顔を歪め、つばを飛ばし、必死の形相で喚く佐々木。

 一体何が起きている?

 あの紫色の〝何か〟は、あの声は、一体なんなんだ?


「私の怒りと恐怖と哀しみは、ヤツよりも大きく――」

『希望と喜びに満ちたお前なぞが、よもや我の興味を惹くことができるとでも?』

「……やめろ! 私から出て行くな! やめろ!」


 喚き、煙のような〝何か〟を掴もうとする老人は、もはや醜い。

 そんな醜い男を捨て去るように、〝何か〟は佐々木の体から抜けていく。

 抜けた〝何か〟の行き先は、変わらず佐々木の体に剣を刺す久保田。 


「アイサカ様! 離れてください! それは魔王の魂です!」

「ニャー!」


 後方から聞こえてくる、ロミリアの忠告。

 佐々木から抜け出すあの〝何か〟こそが、魔王の魂なのか。

 でもちょっと待て。

 それじゃあ魔王の魂は、久保田を選び、彼を魔王の体にしようとしてるのか!?


「俺は久保田を助ける!」

「で、でも……」

「アイサカ司令殿! このままでは司令殿も危険だ! ロミリア殿の言う通り、その場を離れろ!」

「だけど、久保田が!」

「ふざけんな! てめえまで何かあったら、俺が直人とてめえを相手しなきゃなんねえじゃねえか!」

「久保田は俺の友達なんだ!」


 ロミリアもミードンも、村上もトメキアも、みんなが俺を止めようとしている。

 それでも俺は、久保田を止めたい。

 アイツを魔王になんてさせてたまるか!


「アイサカ殿、失礼!」


 再び、久保田のもとに駆け寄ろうとした俺。

 すでに1度だけ見捨ててしまった友達を、2度も見捨てることはできない。

 でも体が前に進まない。

 リュシエンヌが俺を、力づくで久保田から引き離しているためだ。

 

「おい! 離せ!」

「ここでアイサカ殿まで失う訳にはいかない! ロミリアのためでもある!」


 諦めたような目をして、リュシエンヌがそう言った。

 そう、もはや久保田は手遅れなのだ。

 こうしている間にも、魔王の魂によって久保田の体は、魔王の体に変貌していく。


 対照的に、魔王の魂が抜けゆく佐々木の体は、だんだんと弱っていった。

 90歳を超えているであろう彼が元気だったのは、彼の体が魔王の体であったためだ。

 今はそれが、一介の老人と変わらぬ体に戻っているのである。

 加えて彼の体には剣が貫通しているため、魔王の魂が抜けることは、佐々木の死を意味する。


「私は、元の時代の地球に帰り……妹を……!」


 死を間近に控えた老人は、それでも諦めてはいなかった。

 ようやく掴んだ希望を、佐々木は逃さない。

 

「ジョエル! お前を……完全に独立した魔力とする……。以降は私の使い魔でなく……、フライングスピリットとして……レイモンとして生きよ。そして小娘と共に……研究を進めるのだ……!」

「……ササキ様!」


 使い魔を独立させ、フライングスピリットとする。

 まさかそんなことができるとは、思いもしなかった。

 これによって、佐々木は死んでも、その意志は生き残るって訳だ。


 佐々木の宣言の直後、彼とジョエルの間に、僅かな時間だけ青白い光が繋がった。

 どうやら佐々木の魔力がジョエルに注がれたようだ。

 あれが、使い魔の独立なのだろう。

 光が途切れると、ジョエル――レイモンはその場に倒れ込んだ。


「ジョエル……お前は最後まで……私の味方であったな……」

「……当たり前です」


 魔王の魂が抜けていくことで、佐々木の顔はさらに年老いていく。

 貫通する剣の痛みも感じるのか、言葉を口にするだけでも、彼は辛そうだ。

 だが彼は、笑っていた。

 今までの狂ったような笑みではない。

 まるで苦痛から解き放たれるような、安堵に満ちた笑顔。


 佐々木の使い魔ではなくなり、地面に倒れるジョエルもまた、笑みを浮かべた。

 長きに亘って苦楽を共にし、お互いに唯一の味方同士であった2人。

 〝異世界〟の何もかもを憎んだ佐々木だが、ジョエルだけは、憎むことはなかったのだ。

 だからジョエルも、佐々木の最期を笑顔で見届けたいのだろう。

 

「妹は……任せた……」


 佐々木はその言葉を最期に、息を引き取った。

 何もかもを失い、何もかもを憎み、狂気に陥った先代異世界者。

 自分の勝手な都合で戦争を起こし、勝手な都合でそれを止めた魔王。

 ただ1人の妹を置き去りに、こつ然と消えた地球人。

 多くの災厄を振りまいた男は、ついに故郷に帰ることなく、突然の死を迎えた。


 絶対に許してはならないことを、佐々木はいくつも行った。

 彼はカワカミと冬月を殺し、戦争によってリナを殺し、ロミリアのお父さんを殺した。

 だから俺は、彼を許すつもりはない。

 ロミリアのお父さんの仇を討ったと、喜んでも良い。

 

 しかし、まだ見ぬ佐々木の妹は関係がない。

 佐々木のことは決して許さぬが、彼の最期の言葉ぐらいは、実現させてやろう。

 2015年の地球に帰るための研究は、佐々木の遺志を受け継がねば。


 それよりも、佐々木が死んだということは、魔王の魂が全て抜けきったということだ。

 魔王の魂が消えた訳ではない。

 魂は新たな体を見つけ、そちらに憑依したのだ。

 そして、その新たな魔王の体は……。


「あなたは死んで当然なんですよ、偽の魔王、佐々木」


 軽蔑が込められた、氷のように冷たい視線を、佐々木の死体に向ける眼鏡の男。

 今や誰よりも強い怒り、恐怖、哀しみを持つ男。

 俺の仲間であり、友達である、地球人。

 とても信じたくはないが、久保田が、新たな魔王になってしまった。

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