第109話 ケルベロス狩り

 戦闘の開始を告げるスチアとスイアの叫び声。

 睨み合いなどというものはほとんど存在せず、魔物と冒険者の戦いがはじまった。

 

 スチア一家による最初の攻撃は、やはりスチアの短剣投げであった。

 空気を切り裂き突き進んだ短剣は、ケルベロスの真ん中の頭、その目玉に直撃。

 刃物が目玉に突き刺さったケルベロスは、その痛みに悶え、一瞬の隙ができる。

 

 隙を作れば、そこに全力で攻撃を仕掛けるのがスチアだ。

 ケルベロスが悶える間に、スチアはケルベロスの足元へと踏み込んでいた。

 少女と魔物の距離は、もはや目と鼻の先。

 スチアは両手で握った剣を、体が仰け反る程の勢いで振り上げる。

 彼女の剣はケルベロスの首の1つにめり込み、そのまま首を通り抜けた。

 

 首の1つが鈍い音と共に地面に落ちると、ケルベロスはいよいよ怒り狂った。

 残された首の1つが、牙をむき出しにしてスチアに襲いかかったのだ。

 切られた首から吹き出す血を纏いながら、恐ろしい表情をする番犬。

 だが所詮は知能の低い魔物、ケルベロスはそれが自殺行為であることに気づいていない。

 

 自らを傷つけた人間を噛み砕こうと、首を伸ばしたケルベロス。

 怒りに任せた無防備な攻撃。

 冷静さを欠き、晒してしまった弱みに、スイアの剣が襲いかかった。

 

「弱み見せたら終わりよゴルァァ!」


 相手を怯えさせるスチアのような口調ではなく、説教するかのようなスイアの言葉。

 語尾が強烈なせいで怖いことに変わりないが、やはり娘と母親の違いだろうか。

 そんな言葉と同時に、スイアの剣がケルベロスの首を一刀両断する。

 なんとも物騒な説教である。


 真ん中の首だけを残し、両端の首からは鮮血が吹き出すケルベロス。

 地面に落ちた頭は、瞳孔の開いた目が虚空を見つめているだけ。

 首をなくし、目玉を潰されたケルベロスは、もはや痛みに耐えられないようだ。

 意味もなく頭を振り回し、咆哮しながらのたうち回っている。

 もう勝負は決まったようなもんだ。


 スチアは大げさな動きをするでもなく、ケルベロスの首元に剣を刺した。

 すると先ほどまで振り回されていた首は静止し、鳴き声も止む。

 そしてそのまま、ケルベロスは地面に横たわった。


「たった3撃でケルベロスを倒すなんて……」


 目の前で起きた、鬼と般若のケルベロス狩りに、ロミリアは目を丸くしている。

 たぶん俺も、彼女と同じ表情をしていることだろう。

 映画やゲームでは手こずる猛獣が、こんなに簡単に撃破されてしまったのだから。

 驚かない方がおかしい。


 ところが、悠長に驚いている暇はなかった。

 俺たちの背後に生い茂る草木が、にわかに騒がしくなったのだ。

 まさかと思い振り返ると、嫌な予感が的中する。


 草木から飛び出した巨大な影。

 大きな獅子の体に、3つの犬の頭を持つ影。

 ついさっきまで戦っていた魔物と、まったく同じシルエット。

 もう1匹のケルベロスが、俺たちの背後に現れたのだ。

 

「イダさん! 危ない!」


 ケルベロスのすぐ目の前には、ゆったり地面に座るイダさんの姿が。

 いくらなんでも老婆がケルベロスを相手するのは無理だ。

 早く助けないと。


 咄嗟に魔法を放とうと構える俺だが、ここで俺は違和感を覚えた。

 近接戦闘に関しては、俺なんかよりもスチアやスイアの方が格段に上だ。

 つまり俺が攻撃するよりも早く、彼女らの攻撃がはじまっていないとおかしい。

 なのに、スチアとスイアの攻撃ははじまっていない。

 どういうことだ?


「あ~あ、あの犬、死んだね」

「そうね」


 攻撃をはじめないどころか、剣を鞘に納め、雑談をはじめるスチアとスイア。

 自分の家族が危機だというのに、随分と呑気なもんだ。

 でも彼女らの言葉を聞いていると、なんとなくだが、これからの展開が読めてくる。


 一応は援護をしておいた方が良いと俺は判断。

 再度、魔法を放つ構えをするが、スチアとスイアに気をとられすぎていたようだ。

 無防備に座る老婆に引導を渡そうと、ケルベロスの首の1つが襲いかかる。

 これは援護が間に合いそうにない。


 マズい、と思った瞬間である。

 イダさんを襲うケルベロスの首元に、一瞬だけ閃光が走り、その直後にケルベロスの動きが止まった。

 まるで雷にでも打たれたかのようにである。

 よく見ると、座ったままのイダさんの手には、剣が握られていた。

 

「年寄りを舐めると、ろくな目に遭わないよ」


 笑みなのか、憤怒なのか、哀れみなのか、それともその全てなのだろうか。

 様々な感情が詰め込まれ、そのために無とも形容できるイダの口調、そして表情。

 例えるなら能面だろう。

 自らに引導を渡そうとしたケルベロスに、イダさんは引導を渡す。

 

 どこをどう攻撃されるとそうなるのか分からないが、ケルベロスは動けずにいた。

 その間にイダさんはゆっくりと立ち上がり、真ん中の首の付け根に、剣を刺す。

 スチアが攻撃した場所と同じだ。

 きっとそこが弱点なのか、ものの数秒でケルベロスの生命活動がストップする。

 すでに動けないでいたケルベロスだったが、今度こそ本当に動けなくなった。


「マジか……」

「な、何が起きたのか……私には理解できません……」

「ニャーム……」


 呆然とするしかない俺たち。

 鬼と般若に続き、今度は能面が登場。

 怖い。


 猛獣を瞬殺したスチア一家に俺たちは本気で震えている。

 だが当の本人たちは、普段通りに戻っていた。


「これで私が狩ったケルベロスは、34匹目だね」

「さすがおばあちゃん!」


 イダさんと会話するために声を張り上げるスチア。

 そういやさっきスイアが、イダさんは耳がいいとか言っていたな。

 どういうことか気になるので、聞いてみよう。


「あの、イダさんって耳がいいんですよね。じゃあなんで、大声で会話するんですか?」

「よく聞かれるわ、それ。実はお母さん、耳がよすぎて何でも聞こえちゃうのよ。そのせいで、普段の会話は雑音にしかならないの。だから大声で話さないと、お母さんの耳は話を聞いてくれないのよ」


 なるほど、耳がよすぎるってことか。

 もう俺たちの常識を超えた存在だな、イダさんは。

 なんか、イダさんってホントに人間なのかどうかすら分からなくなってきた。


 ケルベロス狩りが終わって数分後。

 俺やロミリアは緊張が解けていないが、スチア一家は雑談タイムに入っている。


「スチア、その剣と短剣って、10歳の時の誕生日プレゼントよね」

「そうだよ。使い慣れてるからまだ使ってる」

「プレゼントを大事に使ってくれるなんて、嬉しいわ。でも、あの戦い方は感心できないわね」

「お説教?」

「当たり前よ。いい? 武器を投げるのは危険な行為よ。一度でも手から離れた武器は、敵のものになったと思いなさい。あなたは敵の武器を利用するのが得意なんだから、それはよく知ってるはず」

「でも、遠距離からの攻撃で相手を混乱させた方が、近接戦が楽なんだもん」

「短剣は遠距離武器じゃないわ」


 おやおや、スチアの得意技がお説教の対象ですか。

 まあ、スイアの言ってることの方が正しく感じるな。


「そんなに遠距離での攻撃がしたいなら、弓を使えば良いじゃない」

「イヤだよ。弓って1度の攻撃に時間が掛かるんだもん。攻撃に時間が掛からない遠距離武器って短剣ぐらいしかないの。あたしだって、遠距離から簡単に、強力な攻撃ができる武器があれば、それ使うよ」


 なんだかスチアの言い分を聞いていると、彼女にお勧めしたい武器がある。

 元の世界に溢れる程ある、銃という武器だ。

 彼女の戦いからして、拳銃がぴったりだろう。


「なんでも良いけど、あの戦い方は止めなさい」

「戦い方は人それぞれさね。その人に合った戦い方をすれば良いよ」

「そうだそうだ、おばあちゃんの言う通り。ママもおばあちゃんを見習ってよね」

「スチア、それはおばあちゃんぐらい強くなってから言いなさい」


 ケルベロスを瞬殺するような冒険者一家の会話は次元が違う。

 普通のことを話しているように聞こえるが、その普通の概念がまったく違うのだ。

 彼女らの言うことは、一般人が従っても意味がない。

 鬼と般若と能面なんて、優しい表情とは裏腹に、恐ろしい家族である。


「ねえミードン、もう虫は持ってこないでね」

「ニャーム……」

「そんなにがっかりしないで。今度、美味しいお魚をいっぱい食べさせてあげるから」

「ニャ? ニャーム!」

「えへへ、ミードンは可愛いね」


 ああ、なんという癒し。

 恐怖の一家とは対照的な、ロミリアとミードンの可愛らしい会話。

 殺伐としたジャングルで唯一、俺の心を落ち着かせてくれるやり取りだ。

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