第108話 マラモンベル島
2月14日午前7時頃。
トミンと冒険者魔術師が操縦する小型輸送機を降り、俺たちはついに、マラモンベル島に上陸した。
マラモンベル島は、上空から見た感じ、ガランベラ島よりもはるかに大きな島だ。
本来なら街の1つや2つありそなもんだが、人気はない。
この島に住んでいるのは、野生の、凶暴な魔物のみ。
異世界者のような強大な力を持たないと住むことすらできない、秘境である。
「パパ、目的地に着いたら合図出すから、ちゃんと来てよ」
「分かってる、気をつけろよ」
「スチアとお母さんがいるから、こっちは大丈夫。むしろ、私はあなたの方が心配よ。前みたいに、野生ドラゴンに見つからないでよね」
「はいはい」
奥さんと娘に下に見られるトミン。
まあ確かに、スチア一家で一番弱そうなのは誰かと問われれば、トミンと答えたくなる。
女系一家のお婿さんは、辛いだろうね。
そういやイダの夫、スチアのおじいちゃんがどこにいるのか。
昨日の夕食の時に教えてくれたが、彼は超大陸の方で冒険者ギルドの管理をしているらしい。
小さなギルドだが、イダが育て上げた精鋭の集うギルドだそうだ。
おじいちゃんは専ら、事務方のようである。
スチアとスイアに見送られ、トミンらが乗った小型輸送機の扉が閉められる。
同時にエンジンから吹き出る推力が、辺りに生えるヤシの木を揺らしはじめた。
小型輸送機は高度を上げ、針路を海の方角に向ける。
排気ノズルが青く輝くと、砂浜に砂埃を巻き上げながら、小型輸送機は大空へと向かって行った。
風と砂埃が落ち着いた頃には、それを発生させていた機体の姿は見えない。
トミンとはここで、一旦お別れだ。
冬月の隠れ家の位置は大まかにしか分かっておらず、少しばかり探しまわることになる。
ところがマラモンベル島は、野生のドラゴンが住まう土地。
小型輸送機でふらふらと飛び回るのは、危険なのである。
次にトミンと出会うのは、隠れ家を見つけ、場所を伝え、マラモンベル島を出る時だ。
「よし、行くかね」
相も変わらず和やかな笑みを浮かべたイダさんの、出発の合図。
マラモンベル島にいるのは、俺とロミリア、ミードン、スチア、スイア、イダさんの6人だけ。
脅威の女性率だが、これほど頼れるパーティーも少ない。
老婆をリーダーとしたパーティーは、冬月の隠れ家を探すため、ジャングルに足を踏み入れた。
ところで今日はなんの日でしょうか?
今日の日付は2月14日です。
そうです、元の世界ではバレンタインデーなのです。
日本では、女性が意中の男性にチョコレートを渡すという、甘々のイベント日。
人間は顔によってその人生が左右されていることを示す、残酷な日。
モテない男たちが期待し、絶望し、怨嗟に包まれる、地獄の1日。
義理チョコを1度だけもらったことのある俺は、まだマシな方である。
こちらの世界では、やはりなんの日でもない。
ラノベだと、異世界者がそういったイベントを流布するもんだが、この世界は違う。
そもそもクリスマスが流布されていないんだから、大方予想のついていたことだ。
たぶん過去の転生者と先代異世界者たちは、非リア充でNOハーレムだったんだろう。
じゃなきゃ、元の世界の様々な技術を伝えておきながら、2つのイベントを広めなかった理由が見つからない。
元の世界ではバレンタインデー。
女性からチョコをもらえるかも知れない日。
なのに今の俺は、ジャングルで、ミードンに虫を見せられている。
「ニャーム」
ドヤ顔と優しさが同居した、ともかく可愛い表情をするミードン。
だがミードンが口にくわえているのは、手の平サイズを優に超えたムカデ。
まだ息があるようで、ムカデの何十もの足が、狂ったように動き回っている。
そんなムカデを、ミードンは自分の特等席、ロミリアの肩に置いた。
「イヤァァァァァアア! ミードン! ちょっと! イヤァァァァアア! ヤダ! ヤダヤダヤダ! 気持ち悪いぃ!」
肩にムカデを置かれたロミリアは、それに気づいた瞬間、悲鳴を上げる。
もはや断末魔だ。
目には涙を浮かべているし、ムカデを振り落とすために、体をねじらせている。
今までにも命の危険はあったはずだが、こんなロミリアは見たことがない。
さすがにスチアやスイアも引いてるぞ。
「イヤだぁ! もうイヤだぁ! 怖い――うわ!」
相当に気持ちが悪かったのか、ロミリアは体をねじらせ、小刻みに震え、動き回る。
ついにはバランスを崩し、地面にばったりと倒れてしまった。
ジャングルの地面に仰向けのロミリア。
「おい、大丈夫かよ」
「……うう、なんだか体中がムズムズし――!!」
立ち上がろうとするロミリアだが、彼女は時間が止まったように、動きを止めた。
何事かと観察してみると、彼女の握られた左手から、何かが飛び出ている。
ロミリアもゆっくりと左手を開くと、そこには潰れた巨大な蜘蛛が。
「イヤァァァァァ! どっか行けえぇぇぇ!!! 気持ち悪いよぉぉぉぉ!」
取り乱し、死の淵を歩くかのごとく必死な形相で、蜘蛛の死骸をロミリアは投げ飛ばす。
だがちょっと待ってほしい。
彼女が死骸を投げた先にあるのは、俺の顔だ。
俺の顔に、蜘蛛の死骸がぶつかった。
「うわ! 口に入った! 口に入った! 最悪だ!」
「気持ち悪いよぉ! 気持ち悪いよぉ! 手がムズムズして気持ち悪いよぉ!」
狂ったように水魔法で口を洗う俺、引きつった表情で手を洗うロミリア。
2匹の虫によって、ジャングルに地獄絵図が広がった。
しかも世の中は残酷なことに、地獄はさらなる地獄を呼び込む。
「ちょっと騒ぎすぎたね。なんか来たよ」
「……あっ、ホントだ」
「さすがお母さん、耳がいいわね」
スチア一家が何かに気づいたようだ。
しかしこれといって、何かがいる訳でも、何かが聞こえる訳でもない。
だがスチア一家が何かいると言うのだから、何かいるのだろう。
つうか、イダさんが耳がいいってどういうこと?
鞘から剣を抜き、戦闘態勢に入ったスチアとスイア。
イダさんは地面に座り、ゆったりとくつろぎはじめている。
3人が何かを察知してから約2分後、ジャングルの草木が音を立てはじめた。
そしてすぐに、物音を立てるものの正体が姿を現す。
草木を押しのけ出てきたのは、筋肉質の巨大な獅子の体に、3つの犬の頭を持つ魔物。
「ケルベロス……」
魔物の姿を見たロミリアが、震えた声でそう呟いた。
その名を持つ、こんな姿をした魔物は俺も知っている。
ケルベロスといえば、元の世界でも有名な、あの強力な番犬じゃないか。
とんでもないやつが出てきちまったもんだ。
ケルベロスの3つの頭、6つの目が、スチアたちを睨みつけた。
凶暴な目つき、よだれを垂らす口、そこから覗く鋭い牙。
誰がどう見ても危険な魔物。
危険な魔物を前にすれば、普通の人間は腰を抜かすものだ。
スチア一家は違う。
彼女らは凶暴かつ危険な魔物を前にして、凶暴かつ危険な笑みを浮かべやがった。
そして迷いなく、攻撃を開始する。
「少しは楽しめそうじゃんコラァァ!」
「私たちの戦利品になれゴルァァ!」
戦闘状態のスチアがどうなるかは知っていた。
でもスイアがどうなるかは、今になってはじめて知った。
あの優しそうなママが、娘と一緒に般若のような表情をするなんて……。
剣を構えた鬼と般若。
うむ、怖い。
虫ごときに取り乱し、おかげで虫どころではない敵が現れてしまった。
ところがその敵のおかげで、鬼と般若が現れる。
本当の地獄絵図はここからかもしれない。
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