第六話 テーブルライター ~X003年製・欧米のあるカジノ備え付けの品~ その5(終)
「仕込みは君がこのカジノを辞める前から行われていたのではないかね? 予備トランプの仕舞われている位置とか、私の勝負のときのクセの観察とか、色々やることはあっただろうね。」
「……。」
ただオーナーをにらめつけているだけで返答しようとしない挑戦者。
「仕方ない。ではもう私が一方的に語らせてもらおう。最後まで話した地点で、合っていたら返事をくれればいいよ。もしどこか間違っていたら君の勝ちでいいだろう。」
そう言って、オーナーは話し始める。たいへん長いため挑戦者が今日このカジノで勝負に挑む直前の前準備の段階からのみここでは示すことにする。
オーナーは特選台でしか勝負しない。毎日様々なルールのポーカーで勝負するにも関わらず、必ず相手を負かしてきた。短期的に負けることはあっても、大勝負や長期的な勝負になると必ず勝っていた。それは異常にオーナーのディーラーとしての腕が高いからである。それを痛感していた挑戦者は、できる限り運の要素が入るルールで、そこで仕込みをして勝つことを考えた。ポーカーの中でも最も駆け引きの要素が小さいと彼自身が思っていたポーカー、クローズドポーカー。それが開催される日は必ず誰か人を送り込み、その様子を詳細に観察させていた。数年続けて出た結論は、技術が入ると、勝ち目が無くなるということである。オーナーはシャッフルで好きにカードを並び替えて配ることができるからだ。カウンティングなどの論理的なテクニックもこのカジノのルールでは使えないように工夫されているため、実力以外で勝負する必要を彼は感じた。そして、運とイカサマでオーナーを打ち倒すことを考えたのだ。
まずは、カジノ常備のカードを使わせないこと。通常、一番仕込みをしやすいであろうカードへの仕込みは通常では不可能である。大量の新品未開封カードがあるのだから。では、それを消してしまえばどうか。消せなくても、せめて使えなくさせられないか。そして思いついたのは水攻めだった。
カジノの地下に向けてトンネルを掘り、そこに水を流した。その水位を上げることでトランプの置いてある地下室をいつでも水浸しにできるようにした。これはうまくいき、カジノ常設トランプ以外のトランプを使わせる準備ができた。
たとえ、トランプを自身が用意しても、それは調査され、仕込みなどはすぐにばれる。だから彼は、仕込みトランプをオーナーに作らせることにした。これは長年このカジノで彼が働いてきたからこそ打てる手段だった。このカジノで使われる備品についても隅々まで把握していたからだ。注目したのは、ペン。ペンと紙でトランプを作る。オーナーの目の前で共に作る。備品に細工することによって。あらかじめ紙に文字を描く。しかし通常では見えない文字。そう、あぶり出しである。ペンのインクは熱を加えると自然と消えるものに従業員の一人を買収して入れ替えておいた。二勝負分使われたトランプは、卓上ライターで処分していた。これを利用して、ペンの文字を消して、あぶり出しの文字を出したのだ。ペンの仕込みと紙の仕込みは一部しかできなかったため、条件を満たす回を彼は待っていたのだ。そして、その時が来たからこそ勝負したのだ。紙に仕込んだ文字は全部一緒の文字。だからタイミングが来るかどうかは賭けであった。調査したオーナーの癖も利用し、その手札と捨て札に炙り出しされるスートと数字がないことを確認した上で、勝負に出たのだ。
しかし、全てばれていたのだ。
「まさか、卓上ライターの中のアルコールの沁みた脱脂綿で文字を消し、煙草の煙で隠した柄の炙り出しを行うとはね。直接卓上ライターで炙らないってところがなかなか。やるじゃないか。」
聞かされたオーナーの推理が全て当たっており、挑戦者の顔は青くなる。そして悟る。遊ばれていたのだと。
「この紙は私が用意したものだ。それに君が細工する時間は果たしてどれ位あったのか。いや、違うな。あらかじめ君は細工していたのだな。最初用意したトランプが全て水没して使えなくなっていたところから君の仕込みか。となると、やはり君は普段からここで働いていた人物ということになるな。見覚えない気がするんだけどなあ。でも雰囲気は知ってるそれだしなあ。」
悪い笑みで挑戦者をひたすら嬲り続ける。
「言葉遣い、声色、容姿、癖。全て偽装したのか。全くよくやるものだ。そこまで私のことが憎かったのかな?」
挑戦者は、五年前にこの裏カジノの従業員を辞めた者だった。両親が自信の子供を賭けて負けたため、この挑戦者はこのカジノの所有物とされてしまったのだ。しかし、オーナーは、この子供がその両親と血縁関係がないことを調べていた。偽りの言葉を述べた両親は後処理されることとなり、子供は、挑戦者は、このカジノで一定額を支払うまで働かされることになったのだ。
挑戦者はその偽の両親を愛していた。これまで虐げられていた自分を暖かく世話してくれたから。当然それはギャンブルに挑むための仕込みであったのだが、それでも挑戦者は嬉しかったのだ。だから、偽の両親を処分したオーナーに復讐することにしたのだ。それを知っていたオーナーは挑戦者をずっと放置していた。好きに泳がせ、美味しい挑戦者になるのを待っていたのだ。
「君のイカサマは、ロボットで何かやると見せかけて、本命は全く別のものだった。私の用意したペンと卓上ライター。そして、紙。それを前もって調べ上げた上で綿密に練った作戦だったのだな。……楽しかったよ、本当に。」
漂う余韻。そのことから、オーナーが挑戦者に寄せていた期待の大きさが伺い知れる。これまでオーナーの前に相対したあらゆる全てよりも彼に期待していたということなのだから。
「まさかその卓上ライターまでもイカサマの道具に使われてしまうとは。他の道具は使われることを想定していたが、それは予想外だったよ。君の企みの全ては見破ったが、それには私の望まないことも含まれていた。それではイカサマを見破った私の勝ちとも言えないではないか。となると、落としどころはこうだろうな。ドロー。それで納得いただけるかな。」
オーナーは楽しそうに笑っている。そこに冷たさはなかった。観衆たちも大いに盛り上がる。それはまさしく名勝負だったのだから。
「なるほど、これは面白い解釈だな。ドローか。この手のポーカーにおいて全く想定できないような結末だな。」
挑戦者は平静を装ってはいるが、その両の手からは汗が止まらなかった。その足元には水溜りができつつあった。
「では、後処理をしなくてはならぬな。引き分けの場合。この特選台では引き分けになったことは一度もなかった。だからこれまで告知することもなかった。引き分けで何が起こるのか。それを決めることができたのは私がこの勝負の主催者だからだ。そしてこの建物のオーナーだからだ。」
そう言い終え、高笑いを続けるオーナー。
「ちょっとこれ何か……怖くないですか? Aさん……。」
オーナーを見て背筋がざわっとしたBは不安が恐怖に変わり、Aに縋ろうとする。しかし、Aも高笑いを上げており、全くBに反応しない。いつの間にか周囲の観衆たち、いや、カジノにいる客の全員が同じように不気味な高笑いを上げていたのだ。Bの足は動かない。一刻も早くそこから逃げ出したいのに。さらに、腰が抜けて、立ち上がれない。
挑戦者も周囲とオーナーの様子を流石に不気味に感じ、その意図を問う。
「一体何がしたい? ドローだと、その勝負は終わりだろう。私は帰る。そしてまた再度貴様に挑む。」
席を立ってそこから立ち去ろうとする挑戦者の背中に高笑いを辞めたオーナーの言葉が突き刺さる。
「おいおい、ドローなんてものは存在しないのさ。ドローとは勝者が居ないこと。つまり、両方とも敗者であるということだ。つまり、今回行われる後処理は、こうだ。」
オーナーは自身の側の卓上ライラーをもぎ取った。すると、周囲一帯が激しく光り、――――
そのカジノがあった国は生者無き瓦礫の山となった。唯一人を除いて。セールスマン風の男は、その者からこのライターを受け取ったのだった。
*
「いや、それはおかしくないでしょうか?」
セールスマン風の男が疑問を呈する。
「いや、どこもおかしくないんですよ。賭けの結果。それを確認する者がいなければそれは勝負でも何でもないでしょう。勝負の結果、全てを失ったと実感できる誰かが居なければこれは成立しないんですよ。」
紳士は自信ありげにそう語る。
「なるほど。感服致しました。私にライターを渡した男。彼の正体は私には分かりませんでしたからね。それは今回は差し上げましょう。なに、それはただその男から手渡されたものでしたから。代金を支払おうとしたところ、その男はもう私の視界から消えていたんですよ。」
セールスマン風の男は不思議そうに顎に手を当て首を傾げる。
「はは、またまた。」
「いやいや、本当ですから。」
二人は暫く談笑に耽っていたのだった。
今回の話には矛盾がある。二人が練り上げた話は意味がないものになることが多い。それはただ二人の心を満たすためだけのものなのだから。彼らは大仰なことを言いつつ、それはただの二人の想像でしかないのだ。練り上げられた話が意味がないものであることは何もおかしいことではない。
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