第三話 テーブルライター ~X003年製・欧米のあるカジノ備え付けの品~ その2

 挑戦者が席に着いて暫く経った後、逆ピラミッドを取り囲んでいた観衆の輪が再び割れた。開いた道を進んでくるのはこの勝負のディーラーであるカジノのオーナーである。190cm程度の長身。50歳程度だろう。髪は白髪が混じった、左右に分けた肩まで掛かる程度の波打った赤髪。短めの髭を顔を一周する程度に生やしている。着ている服はスーツだが、その色が異様だった。赤黒い、まるで酸化した血のような色。その濃淡のグラデーションができたスーツを彼は着ていた。黒い革手袋に黒い内羽根のストレートチップの靴を履いている。ネクタイは何故か真っ白だった。見るものに、違和感、いや、不快感を与える服装である。

 彼は趣味で特選台のディーラーをやっているのだ。その旨が特選台についての看板の裏面に書いてあったのだ。BはAに促されてそれを確認している。オーナーは挑戦者の対面に座り、宣言する。

「今宵の勝負はクローズドポーカーだ。諸君もそのルールは知っているだろう。一組のトランプから5枚のカードを参加プレイヤーの前に5枚置く。その後、自身の5枚のカードをおのおのが好きな枚数捨てて、捨てた枚数と同じカードを引く機会が一度だけ与えられる。捨てないという選択を取ってもいい。そして、作った役で勝負する。当然、カード交換の前と後に、掛け金を台へ載せる。カード交換の後の掛け金設定時からは、勝負に乗るか、降りるか、掛け金を釣り上げるかの選択肢が交互に与えられるようになっている。どちらかが降りるとそこで勝負は終了。降りた方の負けになる。その掛け金での勝負に相手が乗った場合は、手持ちの手札で勝負だ。手札の強弱で勝負が決まる。それを、どちらかの所持金が尽きるまで続けるのだ。」

オーナーからの長いルール説明が終わる。オーナーがカードを実際に動かしながら身振り手振りを交えて説明を行うため、その日の特選台でのポーカーのルールを知らない客でもルールを容易く理解でき、その勝負を楽しんで観戦することができる。

 盛り上がる観客たちに手を振るオーナー。観客たちは勝負のスパイスなのだ。それを理解しているオーナーは必ず試合前に観客たちの熱を高める行為を行うのだ。

「これがクローズドポーカーの通常のルールだが、この特選台での勝負はいろいろと特別だ。何度も勝負を見ている観客の皆様はそのことを知っているだろう。ハウスルールとでも言えばいいのかな。それを今から私の目の前の挑戦者と共に決めていく。」

暗い笑みを浮かべるオーナー。観戦の常連となっている一部の客たちは狂気に駆られる。突然高笑いを始めたり。顔をひどく歪めて笑い出したり。その様は異様だった。Bの隣にいたAも、両目を見開いて、口を歪めて笑っていた。


 会場から沸きあがった狂気の笑いが少し収まったタイミングで、オーナーが口を開く。

「さて、では選んでもらおうか。カードを配るのは、君か、私か、機械か、この場にいる誰かか。」

この特選台では、挑戦者がカードを配るものを指定できるのだ。イカサマもばれなければお咎めなしで、仕込みをする挑戦者も過去にはたくさんいたのである。最も、この衆人監視のものではそれを成功させることは難しい。バレたときは、その時がその者の人生の終わりとなる。


「機械で。しかし、俺が用意してきた機械でやらせてもらうぜ。」

すると、群衆の輪が割れて数人の精悍な体つきの男たちがそれを運んできた。人に似せたロボット。黒いスーツを着た、ディーラーのような格好をさせられたロボット。

「少し改めさせてもらっても構わないかね。」

「好きにしろ。」

オーナーはその機械を片っ端から調べる。

「なるほど、どうやら人の上半身を模したロボットのようだね。」

「御託はいい。さっさとしろ。」

「釣れないね。君は何故そんなにいらいらしているんだい? まだ勝負は始まってすらいないんだよ。落ち着きたまえ。」

「……。」

「ふふ、だんまりか。まあいい。このロボットを調べて分かったことを実況させてもらうけれど、いいかい?」

「……。」

「ふふ。お、手が細かいねえ。腕の稼動部位が多いね。いい出来だ。手の部分は当然さらに多いか。動かしてみてもいいかい?」

「ああ。開封したトランプ52枚をそいつの右手に裏向きに置いてみろ。」

「あれ、ジョーカーを忘れていないか、君は。ジョーカーはどうするかね?」

「要らん。」

オーナーがその機械の右手に開封したトランプからジョーカーを抜いたものを置いた。すると凄い勢いでカードがシャッフルされた。そして、二人の前に5枚ずつカードが置かれた。

「捨てるカードをそいつの左手に裏返しにして置け。すると、右手からそれと同じ枚数のカードが追加で配られるようになっている。」

オーナーがカードを2枚ロボットの左手に置くと、右手から2枚のカードが追加で配られた。

「おお、これは素晴らしいじゃないか。ぜひうちに置かせてもらいたいものだね。」

「……。」

「おいおい、まただんまりか。そんなことではビジネスチャンスを逃してしまうよ。」

オーナーはその後、何度もロボットにカードを置き、シャッフルの具合や、配られるときに作為がないか徹底的に調査した。茶々を入れたり、考察を入れたりして観客を飽きさせないように気を遣いつつ。

「その機械からカードを引く順番は毎回ジャンケンで勝った方からということでいいかね?」

「ああ。」


 突然オーナーの顔から笑顔が消える。それは冷酷な顔だった。Bはその顔に恐怖を覚える。

「このオーナーって、カタギじゃないですよね、間違いなく。」

「Bさん、そりゃそうですよ。でも表にこんな魅力的な人はいないでしょ?」

Aの顔はどこか夢を見る少年のようであった。憧れの等身大以上の何かに、得体の知れない何かに陶酔するA。Bは心配になる。このような危ない香りのするカジノで今日Aが60万円の大勝負をしようとしていることに。Bは心の中で呟いた。

『Aさん、あなた、既に負けていますよ。勝負する前から。あなたはここで勝負しちゃあいけないですよ。私にすらそれが分かるほどなのですから。』

オーナーがその無機質になった口を開く。

「最後に。この勝負で掛け金となるものの範囲について決めなくてはならないね。金までか? 物品までか? 命までか? 心までか?」

言葉遣いは変わらない。しかし、それは先ほどまでも非常に不気味であった。この奇妙な問いかけ。後に並ぶものほど賭けるものの範囲が広くなっているのである。命より後に心が並んでいること。そのことから、この賭けはとても恐ろしいものであるということが分かる。

「Aさん、挑戦者になった人たちは普通、どこまで賭けるんですか?」

Bの声は切迫していた。不安なのだ。

「大概の挑戦者は、最後の心までを賭けの範囲にして破滅へと向かいますよ。さてさて、彼はどうするんですかね?」

BはAのことが怖くなった。この場から立ち去りたいような気がしたが、体はこの場に釘付けになっている。顔を背けようと思っても特設台の二人から目を離せない。足を動かそうにも、まるでずっしり地面から生えているかのように錯覚してしまい。動かすことができない。

『Aさん……。きっとあなたも今の私のような感じでここに縛り付けられていったんですね……。』

Bは自身の体に抵抗することを辞めた。


 挑戦者の答えは、観衆たちが思っていたものを大きく飛び越えてきた。

「いや、その上だろう、ここは。"全て"。お互いに関連するもの"全て"。それを賭けようぜ。」

オーナーの顔がぎらりとにやつく。

「それを受け入れたいところだが、君は私に匹敵する"全て"を持っているのかね? そうでなくては賭けは成立しない。」

挑戦者はオーナーの傍まで行き、耳元で何やら囁く。オーナーの顔色が変わる。そこにあったのはオーナーとしてではなく、全てを賭けるギャンブラーの顔だった。

「なるほど、君の"全て"は私に届き得るかもしれないねぇ。それは受けないわけにはいかないね。」

ねちっと、心に粘りつくようなオーナーの声に観衆たちは更に引き込まれていく。観衆たちは歓声を上げた。目の前で行われようとしている勝負はこのカジノ始まって以来の最大の勝負へと成ったのだから。オーナーがこれまで賭けたことがあるのは物品までである。オーナーは、挑戦者が命を賭ける中、それに自身の命では釣り合わないと言い、物品までしか賭けてこなかったのだ。命、心を超えて、ましてやオーナーが挑戦者を認めて本当に"全て"を賭けるような事態はカジノ設立から数十年間、これまで一度も無かったのだ。


 観衆の反応が落ち着いたところで再びオーナーが口を開く。

「さて、場は整った。全てを賭けるわけだ。だから、賭けるのは一度きりで善いだろう。賭けられる勝負は一度きり。タイミングは君が選ぶといい。私はそれに必ず乗ろう。カード交換後のタイミングで、賭けるかどうかを君から決めるんだ。その回以外は唯の調整ということでいいだろう。」

二人はにらみ合う。

「さて、ジョーカーはどうするかね?」

「要らん。」

「この勝負にはあった方が面白いと思ったんだがね。」

「くどい。」

挑戦者は思わず席から立ち上がってオーナーを威嚇していた。

「さあ、卓に着いてもらおうか。座ってもらえないと始められないじゃないか。」

「その前に一つ聞いてもいいか?」

「何だい?」

「こちらが勝った場合貰える全てというのは、どこまでだ?」

「君の想像する通りのものだ。私が君に与えられないものはないのだから。君が望むがままにすればいい。それが分からない君ではあるまい。それに、勝った後に考えればいいことだろう。」

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