03 この世界のこと

「改めて、俺はレヨン・セルパータ。ベニヒがリーダーをやっている狩猟ギルド【ぽぽーん】に入れさせてもらっているよ。戦うことがそんなに得意じゃないから、役には立てていないのだけれど」


 薄い表情筋で小さく微笑んだ小柄の男性 レヨン。全身の細い線を隠すように身につけた余裕のあるシャツは、夏場でありながら長袖だ。暑そうだと空が思うのに対し、本人は汗ひとつ顔に見せず軽い髪の毛を揺らす。


「うちのギルドリーダーがなにもわからない人間を拾った直後に、休肝日に入って家に引きこもるような責任のない人でごめんね。とはいっても、俺も拾われた見知らぬ子なんてどうすればいいかわからなくて近寄れなかったのだけれど」

「むう……私だって放っておいてしまって悪かったと、ちゃんと思ってるぞ……。ただな、仕方がないじゃないか。外に出ると酒がないことが苦しくて寂しくて仕方がないんだから」


 居心地が悪そうにする彼女に空は首を横に振った。


「大丈夫でしたよ!!! その分たくさんグリエさんにいろいろな話を聞かせてもらえましたし!!!」


 そのいろいろな話の内容については、朝食のときに津島も聞かされていた。「この世界には魔法があるんだって」から始まった説明に、もはや驚き疲れた津島はなにも思わなかった。


 曰く、ここには、魔力というものが存在しているらしい。人の体をはじめ建物の壁や本、存在しているもののすべてが魔力でできていると考えられ、人は魔法構文という呪文で宙に漂うそれらを扱うことで、生活に役立てている。食物を育てる補助や魔物を狩る道具として——また、戦争の道具として。

 しかし魔法構文は万能でない。あくまで補助としかならない一例として、魔法構文で作り出したものはすぐに消えてしまうのだという。本物に見劣りしない光沢あふれる林檎を作り出したところで、ものの数分で跡形もなく消えてしまう。当然ながら腹には溜まらないし、栄養が吸収されることもない。同じように、魔法構文を使用して松明に火を灯そうが、桶に水を注ごうが結果は変わらない。すぐに消えてなくなってしまうのだ。魔法構文はあくまで肥料を振りまいたり木材を短い時間で多く運ぶために使うことしかできず、なにかの素材となることはないのである。

 そのうえ魔法構文を扱うには適正があり、現在では使うことができない人の方が多くなってしまったらしい。魔法構文を使える人間のほうが多かった時代もあったそうだが、その時代を生きた人間はもう残っていない。遠い時代の話だからだ。今、人々はその頃の遺産をやりくりして生活を続けている。その一番の例が、転送門である。


 ちなみに使用されている文字も当然ながら日本とは異なっていた。ここに来て間もない空は、それを直感的に読むことができたらしい。津島には、その直線的な記号の羅列が何を表しているのかさっぱりわからなかったが。


 つまりは、この雲のない世界は本に書かれるようなファンタジーの世界であり、自分たちが住んでいた世界とは全くもって別の世界なのだ。


 別世界というのは空の憶測であったが、ここへ来て間もない津島でもその考えにはいたって同感であった。

 天に表情らしい表情が一切ない代わりに、気候はすべて地上に現れる。少なくとも海外などという小さな移動でないことは確かなのだ。なぜ言葉が通じるのかという疑問を置いておけば、別の世界という表現は非常にしっくりと津島の中におさまったのである。



「ツシマカズネは、昨晩魔法構文を使ったのか?」


 分厚いテーブルに置かれた菓子に、唯一この場所で外見が女性のベニヒが手を伸ばしながら切り出した。言わずもがな壁に穴を開けたときのことだ。テーブルを挟んで向かいに座る津島はあわてて首を横に振る。


「ええと、魔法構文では……ないとおもいます。知識がないですし……壁に開いた穴には帰ってきたとき初めて気が付きました。夢から覚めきれていないまま怖がる自分の手をなにかが、こちらから逃げるといいよと引いてくれたような……そんな感覚だったように覚えています。助けていただいたのにも関わらず逃げてしまった上、借り物の家に穴を開けてしまい、すみませんでした」

「いや、気にすることはない。見ず知らずの場所に放り出されては、誰だって逃げ出したくなるだろう。穴に関してもあの家で使っているのは屋根裏だけだし、屋根裏は保存魔法がかけてあるから多少のことでは壊れないからな。

 確かにツシマカズネの言うとおり、知識がなければ魔法構文は使えないが……」


 ならばなぜ、爆発は起きたのだろうか。そう言いたげなベニヒの難しい顔に、グリエが嘆息を漏らす。


「今日はそういう話をするために呼んだわけじゃないってこと、もう忘れたの?? もう一度休肝日入った方がいいんじゃない。今日は二人が今後どうしていくかって話をするためであって、爆発はどうだっていいって話になったじゃないか。同じようなことを二度やってくれなければって」

「最近グリエ、私に辛辣すぎやしないか? ストレスが溜まってるならお前も酒を飲むといい。穴自体はどうだってよくとも、気になるじゃないか」

「確かにそうかもしれないけれど、お酒だけは絶対にやだよ。なにがあっても誰が飲むか、そんな麻薬みたいなもの。今日はそういう話をするところじゃないって言いたいの。二人をもと住んでいた場所に帰らせるために、僕たちができること。それを確定づけるんでしょう」

「あの!! その帰る方法に関してなんですけど……」


 話に割り込んだ空は、顎の下をひっかきながら一度大きく息を吸った。


「帰る方法なんですけど、多分ここ俺らが住んでいた場所とは別の世界なんだとおもいます。もしくは別の星かと」


「ほう、なるほどな。それなら——………えっ」


 話を流しかけたベニヒが瞼を上げる。最初の自己紹介以来一言も喋る気配がなかったレヨンが青い瞳をまん丸に見開いた。

「別の……? そんなものが」

「そう言われると確かに話が通じない理由も納得できる。けど……そうなると僕にはお手上げだね。世界学は学ばなかった教科だ」


 グリエが自身の両ほほを手で挟みこむ。うつむいてしまったベニヒが動かない。


「——ところで話はすこしずれるのだけど、“ほし”っていうのは……?」

「ああ! この世界にはないんでしたっけ。俺、二日前くらいにグリエさんに雲のことを話しましたよね。同じようにして天に見えるつぶつぶです。それらは遠く離れているから粒にしか見えないだけで、実際はめちゃくちゃ大きくて、そこにも自分たちの知らない文化が広がっているかもしれないんです!! ロマンの塊ですよ」


 やかましく笑う空に、グリエは知識欲を掻き立てられたのだろう。わずかに前のめりになる。


「つまり自分たちが住んでいる場所以外のところにも、他の生命がいると考えられていたんだ」

「残念ながら見つかってはいないんですけどね。見つけるべくスコープを覗きまくる日々が、俺にもありました!!」


 両手で輪を作り右目にあてがう空。ふと、それまで黙りこくっていたベニヒが顔を上げた。顔は険しい。


「まずは話してくれてありがとう。礼を言うよ。だが申し訳ない。現状私たちからはなにもできることがなさそうだ。ソラの憶測が本当かどうかを確かめることすら……。でもこちらに来れたのなら、戻ることもできるはずなんだ……絶対に。それは保証する」

言い切ったベニヒは、口の中の唾を一度飲み込む。

「……だからそういう類に詳しい友人へ連絡をとってみようと思う。忙しいやつで連絡一つ取るのにも手間がかかるからすこし時間がかかるけれど、待っていてはくれないか。その間にも他に私たちにできることあれば言ってほしい。どうだ?」


 もちろん断るわけがなかった。二つ返事で頷いた津島と空は、同時にお礼を口にする。それ以上を求めるつもりはい。礼をしたってしつくせなかった。少なくとも、津島にはそう感じられた。

 なんのつながりもない、ただただ偶然みつけしまったというつながりだけでここまで気にかけてくれる。その事実がとても嬉しかった。すがりつける場所が他にないからだと津島はちいさく思う。手を伸ばせば引いてくれる。心強い存在がいる。


 強く輝く黄色の瞳に、それでも自分で立つことを忘れてしまわないようにしようと固く思った。



××××


「あっ、あの。空、レヨンさんの自己紹介にも出てきていたけどギルドって……なに?」


 帰り道を歩きながら、津島はふと浮かんだ疑問を空に投げかけた。

 それまで前を歩きながら一人で雑談をしていた彼は、言葉をまとめるために一瞬だけ無言になる。


「いわゆる仕事みたいなものらしいぜ!!! 家を建てるひと、美味しいコーヒーを煎れるひと、世界のニュースを集めるひと……。それぞれ専門分野で集まってギルドという名の会社を結成し、他のギルドや民間人から受け取った依頼を解決することでお金を得るって話なんだってさ!! やることはどこの世界も同じなんだな」

 その直後「おっと」と両手で口をふさぐ。

「あまり世界だとか、そういうことは言わないほうがいいんだっけね」


 それは帰り際、グリエから言われたことだった。

「別の世界があるという考えは今では一般的に根付いてきたけれど、それでも空想上のものであることには変わりないんだ。それはまさにソラの言う宇宙人と同じでね。だから自分たちが別の世界から来たということ、他のひとには秘密にしておいたほうがいい。縛り上げられて、実験台にされてもいいなら別だけどね」


 その言葉とともに浮かべられたいたずらっ子のような笑みがさすが双子と言うべきか、普段のベニヒの顔とまったく同じであったことを思い出しつつ津島はつぶやく。


「大抵の依頼は、ギルドセンターというギルドに集められ、ギルドの人たちはそこから自分のできることをみつけて引き受ける……って流れだったね。じゃあ飲食店とかは? 依頼を受けに行くのではなく、店に人がくるのを待つだけなのかな。それとも直接店に依頼が飛び込むのかな?」

「さあ?? でもここ(ブラウ)の市場を見る限りだと、客を待つのがほとんどっぽいけどな。ギルドセンターに掲示されず直接ギルドに依頼が飛び込むパターンはそうとう有名ギルドにしかないらしいぜ!!」


 借家に戻り昼食にする。食材の説明を受けながら、津島はふと思った。


「空、今日で五日目なのにこの世界についてすごい詳しいよね、食材も全部覚えてて……」

「あは……照れるな。まあ、詳しくならなきゃ死ぬと思ったからな!! 金はあっても食べ物わからなかったら餓死しちゃう。とは言っても、全部把握してるわけじゃないぜ。この野菜はあれに似てる!! って思ったやつだけを買ってるってだけで! 肉やパンは以外とそのままの味だから……あっ、このトマトっぽいのは、セロリの味。刻んで、ご飯と一緒に炒めます!!! おりゃ!」

「ほんほん……」

「そうだ。昼食食べたらバイト行くんだけど……カズは午後帯どうする???」

「バイトやってるの?? あ、えと。空がよければ……ついていきたい」


 しりすぼみになる言葉に、空は了解! とやかましく口角を上げてフライパンを振った。


××××


「気になるのはあの壁の穴だよ。しまいにはあの森の中での様子……」

 二人が帰った直後の狩猟ギルド【ぽぽーん】拠点にて、レヨンが菓子の包みを不器用に開ける。しかし慎重に開けているにもかかわらずボロボロに割れてしまったクッキーへ、わずかに眉を寄せた。


「魔物が内から破裂していた。 ベニヒ、ツシマカズネ君が見つかったのはどこって言っていた?」

「キクジン村だ」


 言いにくそうなベニヒの応えに、レヨンはクッキーの欠片を口へ放り込み、飲み込む。


「俺は、破裂させた手段に関してはもう少し聞き詰めても良かったと思うよ。って思いながらずっと黙りこくっていたことに関しては反省しているけれど。……破裂を起こした力の原因が『あれ』だったらどうしよう。

 そもそもあの子たちが言っていることは本当? 別の世界なんてそんな……いや、この勘ぐりはやめたほうがいいかな。言い始めたら止まらないもんね」

「うん、そのとおりだよ。それに仮にツシマカズネが『あれ』を持ってしまったとしても、だからといって僕たちには特別態度を変えるつもりはないよ。僕たちだって使っている力なのだから。それに取り上げたくても、取り上げられるようなものじゃないでしょ」


 グリエの応えに、レヨンは「そうか」と呟くように言う。


「ベニヒとグリエは本質を気にしないタチだもんね。俺は……嫌だな。キクジンに関係ないのに『あれ』を持ってしまった人がなにを思うかを想像するだけでも」

「考えすぎだよ。大丈夫だって、守るべきものは、もう死んでるんだから」


 汲み上げた水を飲み干したグリエの言葉に、レヨンは反射で顔を上げた。

「なにそれ……どういうこと? 説明をしてほしい」

「そう焦るなレヨン。せっかくの朗報だもの。ぽぽーん全員が揃った時にしたいじゃないか」


 歯を見せて笑うベニヒに、レヨンは小さくため息をついた。


「前のキクジンでの依頼でなにかあったんだね。そういう考えなら、待っていてあげるよ」

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