3
隣に座り込んだ村瀬に、私は事故のことを話した。村瀬は表情も変えずに、ただ黙って私の話を聞いていた。
「――だから、私は幽霊になったの」
そう締めくくって、私は自分の話を終えた。
「ふうん、なるほど。急に塾から消えたのはそういうわけね」
村瀬は納得したように頷いてみせた。
村瀬の言う塾というのは、私がついこの間まで通っていた進学塾のことだ。彼とは中学校は別々で、その塾で知り合い友達になった。
「それで、幽霊がこんなとこで何してんの?」
出会いがしらに投げかけてきた質問を、もう一度村瀬はした。特に、何をしていたというわけでもないし、答えようがない。
「成仏するまでの暇つぶしかな」
私はおざなりにそう返した。自分で聞いたくせに、村瀬は「ふうん」と気のない返事をして海を見つめていた。
「村瀬こそ、こんなところに何しに来たの?」
「ん? 俺は、特に何も。たまにここ来て、適当に時間つぶしてることあったから、今日もまあそんな感じかな」
なんだ。私と同じか。特に用もなくここに来る人なんて、私と村瀬くらいのものだろうけれど。
「私も、よくここ来てたよ。でも、一回も会ったことなかったね」
「へえ、そうなんだ。まあでも、俺が来るのはたいてい夜だからなあ」
夜にこんなとこまで出掛けるなんてヤンキーだなあ、と思ったけど、口には出さなかった。村瀬の家は、何やら複雑な事情があるということを知っていたから。それに、本当は一人で海になんか、来たくなかったのかもしれないし。私と同じように。
「暑いね」
「だな」
適当な会話を交わしたところで、私たちは無言になった。
吹き抜ける風が、私と村瀬の髪をなびかせる。
私の長い髪とは対照的に、村瀬はかなりの短髪だ。サイドを刈り上げているのと、目つきが悪いのとで、正直、田舎のヤンキーにしか見えない。知り合いじゃなかったら、絶対に避けていた自信がある。
「寝よっかな」
村瀬は唐突にそう言うと、さっきの私と同じように、砂の上にごろんと横になった。
「一時間くらい経ったら起こしてよ」
「やだよ。めんどくさい」
にべもなく断ると、村瀬は「ちぇ」と残念そうに呟いた。それから鞄を枕にすると、目を閉じ、本当に寝てしまいそうだった。
「村瀬、今何時か分かる?」
「ん……ちょい待って」
村瀬は顔を上げると、枕にしていた鞄から携帯を取り出した。
「十二時五十六分」
「ありがと」
今からゆっくり歩いて帰れば、泣いているお母さんを見てしまうことはないだろう。私は立ち上がって、砂を払った。
「帰んの?」
「帰る」
「そっか」
「うん。じゃあね」
「おう」
そのまま、私は砂の上を歩き始めた。振り返りもせずに、歩いた。
すぐに砂浜を抜けてしまい、地面は硬いコンクリートに変わる。下るときは早足で進んだ坂道を、のろのろと上って行った。
思い出す。
村瀬に出会ったのは、ちょうど一年前の初夏だった。
中学校に進学すると同時に、私は塾に入らされた。その塾には、普通クラスと特進クラスというのがあって、入塾テストの成績でどちらに入るのかを決められるのだけれど、別段頭が良かったわけでもない私は、当然のごとく普通クラスに入ることになった。
宿題が増えるし時間は取られるしで、最初は面倒だなあなんて思っていたけど、真面目に通っていた成果か、初めての中間テストではかなり良い成績を取ることができた。その達成感をまた味わいたいと思った私は、以来特進クラスに入るのを目標に、勉強に本腰を入れるようになった。
そして、夏に差し掛かってきたころ。
その日は集団授業の日で、科目は確か数学だった。私は一番うしろの席に一人で座っていた。
授業が始まり、十分ほど経ったくらいに、村瀬は教室に現れた。うしろの扉から、忍び足でそーっと入ってくる様子がちらりと視界の端で見えた。先生は、特に注意はせずに授業を進める。私もあまり気に留めていなかったけれど、村瀬は予想外にも、私の隣の席に座った。
うわ、何で隣に座るの。この人、なんかヤンキーっぽいし苦手なんだよね。目つき悪いし。と、何とも失礼なことを私は考えた。まあでも、授業が終わるまでの我慢だ、と気を取り直し、先生の話を聞きながら数学の問題を解いていた。
すると、村瀬は急に、私の方に少しだけ、顔を寄せてきた。ぎょっとして横を見ると、村瀬は小声で、
「なあ、この問題解き方分かんねんだけど、分かる?」
と問題集の問題を指しながら尋ねてきた。村瀬が教室に入ってくる少し前に先生が解説していた問題だ。
えー何で授業中にそんなこと聞くの。喋ってたら注意されるじゃん、しかも目つき悪いし怖いし。突然話し掛けられたことの動揺で、頭の中がぐるぐるしてきた。どうしようどうしようとコンマ数秒悩んだ末に私が出した結論は――
「……自分で考えたら?」
とんでもなく不親切な返答だった。村瀬はちょっと驚いていた。当たり前だ。
その時の私には、その言葉を取り繕う余裕すらなく、また前を向いて、動揺を隠すように再び問題に向かった。……後で教えてあげるくらい言えば良かったなあ、と自分の愛想のなさに辟易しながら。
村瀬も前を向いて、ホワイトボードを見ながら、自分で問題を解き始めているようだった。
その後も自分の失言に落ち込んでいたせいで、あまり集中ができないまま、授業が終わってしまった。
とっとと帰ってしまおう、と素早く片づけを終え、立ち上がろうとした、その時。
「なあ、山元!」
村瀬が私の名前を呼んだ。話しかけられたことより、名前を覚えられていたことの方に驚いて「へ?」と素っ頓狂な声をあげてしまった。
「やっぱ分かんねえし、教えてよ」
そう言った村瀬の切れ長の目は人懐っこく細くなり、口元は白い歯を見せてにかっと笑っていた。
「……いいけど」
無愛想ながらも、さっきよりはまともな返事をすることができた。
「じゃ、自習スペース行こ」
村瀬は鞄を肩に掛けると、さっさと歩いて行った。私も慌てて後を追う。
自習スペースに隣り合って座り、村瀬に数学の問題の解説をした。習ったばかりだったしノートもちゃんと取っていたから、きちんと説明することができた。
「お、できた。さんきゅー、山元」
一人で問題を解けたらしい。村瀬は嬉しそうに笑った
「あーうん。いいよ」
前髪をいじりながら、適当な返事をした。
「でも、何で私に聞いたの?」さっきから疑問に思っていたことを、つい口に出してしまった。「話したことなかったし、学校も違うから」と急いで付け足す。
「だって、山元が一番真面目に授業聞いてるじゃん」
さらっと村瀬はそう言った。
まあ、確かに私は真面目に勉強をしていたけど。
そうだとしても、いきなり話したこともない人に勉強教えてなんて言う勇気は私にはない。
変なひと。
とまあ、これが私の村瀬に対する、第二印象だった。第一印象は、前述の通り。
それからの一年、週に一度会う授業で、私と村瀬は喋ったり喋らなかったり。一緒に勉強をしたりしなかったり。つかず離れずといった言葉がぴったり当てはまるような関係だった。そして、今年の七月七日の七夕が、私にとっての最後の塾だった。その日は村瀬とは言葉を交わしていないまま別れた。
そのまま、もう二度と会うことはないのだろうと思っていた。
でも、村瀬は私を見つけた。
このことに、いったいどんな意味があるのだろう。
いや、もしかしたら、意味なんてないのかもしれない。
そこで、私は考えることをやめた。
坂道を抜け、目の前には平らな道が広がっている。私はひとつ、すうっと深く息を吸い込んだ。
それから、地面を蹴って私は真っ直ぐな道を走り出した。
何も考えなくて済むように、ただ、走った。
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