第12話
彼女が喋りながら、何かを数える様な仕草をする。
「受話器の向こう。電話機の向こう。ケーブルの向こう……」
視線は、ケーブルの向こうを見ているのだろうか。
「途中が皆目わからないけど、また、ケーブル。電話機、受話器。多分、誰か居る」
「誰?」
「うん」
「電話の相手」
「うん。ただの電話の相手」
「ん?」
「電話の相手」
「問い合わせ先のオペレーターみたいな」
「ちゃんと、すぐにつながるのよ」
「ふうん」
「で、とにかく勝手にこっちから喋るの。どうか切らないで。切らないで私の話しを聞いて欲しい。向こう側の聞く耳を掴めた感触があったら、そのまま軽いあいづちを空想しながら、それでもとにかく、よどみなく。よどみなく。話し続ける。それはきっと、受話器から、電話機、ケーブルと伝わって、ただ、向こう側に押し出される様に伝わっていくの。押し出される様になめらかに伝わって、でも、何が伝わるかしら。大丈夫かしらって考えながら、ずっと。私の話しを聞いて。私の話しを聞いて。私の話しを聞いて」
「聞いてもらえるの?」
「うまくいけば」
「うまくいかないこともあるの?」
「あるね」
「そうなんだ」
「うん」
「伊勢屋さんから……」
「ん?」
はっきりと聞き返した割に、彼女の表情は曖昧だった。
「黒電話」
「ははは。なんとなく」
「なんとなく」
「聞いて欲しいとか、喋りたいとかじゃなかったの」
「なにが?」
「それもはっきりしないなぁ」
「そうか」
彼女の視線と人差し指は、まだカウンターの縁で何かを数えている。はっきりしないことを吐き出すために電話を買って来た。彼女の中にはまだ何か吐き出しきれていないものが残っている様に見える。
「おっと。閉店しなきゃ」
彼女が表の看板の電気や、フロアの電気を落とし、表に出ている看板を店内に取り込む。
「帰るね。コーヒー代」
「はい。まいどあり。またね」
君は、喫茶店を後にした。
なんとなく消化不良なのは、ここしばらくずっとそうかもしれない。とはいえ、何をどうしたいのか、君の中で具体的に形になっているものは全く無い。
とりあえず、何か夕食でもと考えながら歩いているうちに、君はなんとなく駅前まで出てしまった。
店頭のポスターによれば、一昨日オープンしたばかりのコーヒースタンドの前に、水だしコーヒーののぼりに混じって、ホットサンドののぼりが何本も立っている。ここももう閉店らしく、店員がのぼりを片付け始めている。
君は、なんとなくのぞいたコーヒースタンドの中にちらりと田中さんの姿を見た様な気がして、ふと足を止めた。
カウンターの向こう側に見え隠れするバックヤードの中に、妙に姿勢の良いダークスーツの男が居て、スタッフに何か指示を出している。どう見ても田中さんだ。
この沿線に展開しているコーヒースタンドを運営しているのは、田中さんが勤めている会社かと君は始めて納得した。カウンターの中で閉店作業をしていたらしいスタッフの女の子と、なんとなく目が合ってしまい、君はそのままそこにぼんやり突っ立っていられなくなった。田中さんがこちらに気付くわけもない。かち合ってしまった視線を切るために君は歩き出した。
田中さんは出張から戻っていた。ここしばらく顔を見なかったのは、このコーヒースタンドの開店が絡んでいた様だ。
「あ、こんばんわ」
声がかかって、見れば伊勢屋の娘さんだった。
「あ」
昼間、伊勢屋の軒先で会うのとは違って、大きな目になんとなく挨拶の言葉が詰まってしまい、君はただ手を挙げて返事するだけだ。
「どっか行くんですか?」
「や、なんとなく飯でもと思ったんだけど……。飲みに行くの?」
「うん。友達と」
「へぇ」
「近所に何人か同級生居るんで、なんとなく集まっちゃうんですよ」
「なるほど」
「何年も面子が変わらなくて、気持ち悪いんですけど」
「ああ、わかる。でも、それはそれで良い感じなんだよね」
「家で飲んでるよりはマシな程度かな。かなり問題です」
「どっか行かないの?電車で」
「呼ばれれば出るんですけど、いちいち遠征に出る感じでちょっと」
「ああ」
「ダメですよねぇ。なんとなくなんですけど、それが、あらら、呼ばれた……」
軽く舌打ちしながら、携帯の着信を切って、彼女は笑った。
「いきます。また」
「うん」
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