第11話
その朝、開店準備中らしい伊勢屋の大沢さんとシゲさんが立ち話しているところに君は出くわした。なんとなく挨拶を交わして君の足も止まり、すぐにシゲさんが黒電話を抱えているのに気付く。
「あれ、シゲさんその電話」
「黒電話ですよ」
シゲさんによれば、昨日シゲさんが喫茶店に行ったら、カウンターの真ん中に置かれていたらしい。電話線がとにかくモジュラーコンセントに向けてのばしてあるものの、そのままでは接続できないため、シゲさんがコードの先端にモジュラーを付けるために借りて来たそうだ。
「電話機の改造っていうのも、憧れでしたねぇ」
「改造ですか」
「違法なんですよ」
「憧れもなにも、やってたじゃないか」
大沢さんが笑いながらタバコに火をつける。
「人聞きがわるいですね」
「うちから何台電話機持って行ったかわかりゃしない」
「昔の話しですよ」
「へぇ」
「今回は、モジュラーを付けるだけですから。別に違法じゃないです」
「法律あるんですね」
「あります」
「知らなかった」
「そもそも、普通は電話機を改造しようとか考えないよ」
「それもそうですよね」
「知りたいじゃないですか」
大沢さんによれば、シゲさんの機械好きをひたすら支えさせられたのが伊勢屋であり、大沢さんだったということらしい。シゲさんに言われるままに店からいろいろなものをくすねては渡したり戻したりしていたそうだ。
「オーディオの質はよくなった筈ですよ」
「これだよ」
「掃除して戻したり、修理して戻したりですね」
「後の方はな」
「何でも練習です。おかげで色々勉強できたじゃないですか」
「そりゃぁね」
「大沢さんもオーディオマニアなんですか?」
「いやいや、俺はそういうんじゃないよ」
「電気ものの修理ができる様になったでしょ」
「まぁね」
大沢さんは苦笑いでタバコを灰皿に放り込み、そのまま続けてもう一本のタバコを口にくわえた。
夕方。仕事を終えた君は、なんとなく気になって彼女の顔を見に店に寄った。
テーブルが何組かの客で埋まっているが、カウンターには誰も居ない。カウンターの隅に黒電話が置いてある。シゲさんが早速直して届けたのだろう。
「いらっしゃい」
「こんちわ。ホットコーヒーひとつ」
君の視線は黒電話に釘付けになっていた。椅子に座る前に、なんとなく黒電話に手を伸ばすと、電話を片付けようとする彼女の動きとかちあった。
「シゲさんが」
君は、なんとなく彼女に黒電話を片付けさせたくなかった。
「今朝、伊勢屋さんの前でシゲさんに会ったんだ」
「うん」
君は彼女よりも先に黒電話に触れることができた。そのまま黒電話を手に取って座り直す。彼女の動きには気付いていないふりをした。
「つないでみたの?」
「ん?」
「電話」
「まだ」
「ふぅん」
コーヒーを待ちながら、君はなんとなくダイヤルをまわしてみる。シゲさんらしくきちんと巻かれたコードの先には確かにモジュラーが付いている。受話器を取って耳に当てても、当然向こう側は無く、通話する相手も居ない。
「どうぞ」
「ありがと」
君が受話器を置くと、彼女が自然に黒電話を下げてしまった。
「電話も」
「うん」
何組かの客が出入りする。君はなんとなく彼女とあたりさわりのない会話を交わしながらカウンターでぼんやりと過ごし、そのうち閉店の時間になる。テーブルの客達も皆居なくなった。
「電話ごっこか。電話ごっこ……」
「電話ごっこ?」
「した?電話ごっこ」
「したと思う」
「俺、あんまり覚えにないんだよね。電話のオモチャとか」
「うん」
「甥っ子が、携帯のモックアップが好きでさ」
「モックアップ?」
「ああ、お店で飾ってある見本。古いのを100円で売ってたりするんだよ」
「へぇ」
「電話する真似をするんだよね。でも、折りたたみの携帯の方が面白いし、見本は光らないから、やっぱり本物が良くてさ」
「うん」
「あれも、でも、受話器を持って目の前の人と話しをするんだ。もしもし……。って」
「かわいいね」
「まぁね」
「目の前に居るのにね」
「うん」
君が喋りたかったのは、君が聞きたかったのは、そんなことだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます