第10話
「おかわり食べたいなぁ」
咄嗟に君の口を突いて出た言葉だが、それは本音だった。
「レシピ通りでこれだけ美味いならいいと思うよ。凄いよ」
恐らく君にも選択肢は無かった筈だ。健ちゃんの作ったホットサンドを食べて、この場にも居合わせてしまった。
「リチャードも田中さんも、多分、納得するんじゃないかな」
自分が口走っていることが本意なのに、気味は今、とても座りの悪い思いをしている。だが他に何か言い様があるだろうか。適切な言葉を模索しているうちに、事態は君に無関係のまま、どんどん進んでいく。これが何処かに落ち着いてからでは、君に残されているのは恐らく、健ちゃんにホットサンドを作らせたことの是非だけだ。しかも、君自身はその是非を云々できる立場ではなくなっている。
「健ちゃんがこのままのレシピで大丈夫って言ったから、作ってもらったんだ。美味しいよ」
「でも」
「シゲさんとか俺じゃ役に立てなかったけど、凄くいい感じだよ」
彼女は君の言葉をどんな風に聞くだろうか。君は、彼女の喜ばない方向に闇雲に後押しをしているのではないかと、それを恐れながら言葉を継いでいる。
「美味い。十分。うん」
「うん」
「ほら見ろ。何の問題もないだろ。もう一回作ろうぜ」
「……うん」
「食うよ。食べたい。食べたい」
「うん」
君は、何を後押しして、彼女に何を要求しているのだろう。
「ほら」
健ちゃんが彼女を促して厨房に入っていく。
君はもう、彼女に軽く頷くだけで精一杯だ。
彼女が髪の毛を束ねながら厨房に消えていく。実際には、聞こえないだろうが君はとにかく厨房には聞こえない様に、静かに溜息をついた。
調理の音、健ちゃんの声。緊張して二人の再登場を待つ君の視界にふと入ったのは、この間の黒電話だった。
オーディオの側に片付けてあるのかとりあえず置いてあるのかよくわからない置かれ方をしている。彼女はまた、黒電話で何かしていたのだろうか。厨房に入って行く彼女の背中と、さっきまでの泣き顔と、この間の背中。君は、黒電話から視線を逸らすことができなくなってしまう。
彼女が作ったホットサンドは全く申し分無かった。
「うん。美味いよ」
「うん」
ほっとした様な彼女の表情を見て、君も少しだけほっとした。
「コーヒーくれよ」
健ちゃんも満足げにカウンターに座る。
「そういえば、健ちゃんいつまで休みなの?」
「いやぁ、改装はもうちょっとで終わるんで、今日から移転は始まってるんすけどね」
健ちゃんが座り直して一息つく。
「ここんとこずっと、改装だイベントっぽく仮店舗営業だ助っ人だとかやってるうちに、妙な感じになってたんすよ」
「あ、さっき聞いた」
「気分的には、なんだかずっと中途半端に休みみたいな感じだなぁ」
「え」
彼女が健ちゃんにコーヒーを出す。
「料理作ってる間はいいんすけどね。今日も仕事に行くぞ!ってのと、終わってから今日は仕事したなぁってのが、無いんすよ」
「うん」
「どっちかっていうと、料理するより、教えてる方が多かったなぁ」
「ここに来てまた教えたのね。ご苦労様」
彼女が皮肉っぽく口を開く。
「教えるよ。教える。喜んで教える」
「へぇ」
「ああ、でもそうだ。結局ずっと休んでないから、十日程完全にオフくれってオーナーにお願いしたんすけど、初日からまた教えちゃった」
「む」
「え?」
「ううん。なんでもない」
君たちはそれから、なんとなく他愛も無い話しをして暫く過ごした。とはいえ、話題の中心は自然と健ちゃんになる。厨房でのおもしろ可笑しい話しが次々出てくる。
実はドイツ語圏出身だったスイス人のアルバイトの失敗談があまりにも複雑で出来すぎていて、君が思わず「それはいくらなんでも作ってない?」と聞いたが、健ちゃんは顔色も変えずに「本当なんすよ」と答える。仕舞いには、「作ってない?」と君か彼女が聞き「本当なんすよ」と健ちゃんが答えるという流れができてしまった。
「さて、そろそろ帰りますわ」
健ちゃんが立ち上がる頃には、結構な時間になっていた。君も仕事に戻らなければならない。
丁度、新しいお客が店に入ってきて、君は健ちゃんと一緒に店を出ることにした。なにより、このタイミングを逃して彼女と二人になる事態を君は避けたかった。
店を出た君たちは、お互いが反対方向に向かうことを確認して挨拶を交わす。
「また」
「うん」
「なんか、ちょっと良い感じで目標できました」
「ん?」
健ちゃんが去っていく背中が少し楽しげだが、君は、健ちゃんの言う目標が全くピンとこなかった。
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