第7話
音の次は匂い。しばらくすると君の目の前にホットサンドが置かれる。健ちゃんは、自分の分も一皿持って来ていた。
「コーヒーもどうぞ」
「ありがとう。いただきます」
「俺も昼飯まだだったんすよ。失礼します」
「どうぞどうぞ。いやぁ、健ちゃんの料理初めてだよ」
「レシピ通りですよ」
「いやいや」
君は、ホットサンドを口にする。
「おお」
「どうすか?」
「美味い。というか、えらく上品だね。美味いよ。なんだろう。軽い?軽いって言えばいいの?違うなぁ。なんだろ」
君は今、君がこれまで食べてきたホットサンドとは確実に違うものを食べている。具として使われている素材の味と組み合わせの軽やかさ、塩加減をはじめとする調理されて味が加えられている感触、パンとのバランス。「ホットサンド」同じ言葉で表されるにも関わらず、何か違う次元のものが存在していることを上手く表現できないまま、君はまだ言葉を探している。
「初めて食べるよ」
「え、そうなの?」
「いや、こんなホットサンド」
「褒め過ぎっすよ」
「そんなことないって。なんでこんなに美味いんだろ」
「レシピ自体が良い感じなんすよ」
「そうなの?」
「だって、美味いでしょ」
「美味い」
「別になんにもしてなくて、ただ作っただけですよ」
「かっこいいなぁ。ただ作っただけとか」
「いやいや。ほら。料理人なんで」
「そうだよね」
しかし君は目の前にあるホットサンドを見て、何か違いは無いのかと探してしまう。これまでのホットサンドと、このホットサンドの違いがあるとすれば何処だろう。思えば、この店以外でホットサンドを食べることがあるかといえば、そんなことはない。月代わりの具は当然初めて食べるものだ。
「ううん。何が違うんだ」
「やだなぁ」
「魔法みたいだよ」
「切ったり焼いたりの技術は、多少ホラ」
「それだけかなぁ」
「それだけですよ」
君は今、至福のホットサンドの最後の一切れを前に、コーヒーをすすってひと呼吸置こうと思っている。
この一切れを終わらせてしまう前に、とにかく一度手を止めなければならない。そんな気分になっている。できることならもう一度最初からやりなおしたい。あまり多くのことは考えられないが、君は確実にこの味の虜になっている。
「健ちゃん。美味いわ」
「褒め過ぎですって」
「だってさぁ。なんかこう、もっと上手く言いたいけど、言えないじゃない」
健ちゃんは笑っている。
「毎月さ、今月のホットサンドも美味いねぇって納得して食べてるんだけど、でも、こんなにびっくりしたことはないよ。いつもとは何かが違うんだよなぁ」
「ほんの少しの技術っすよ。きっと」
「技術かぁ。健ちゃん凄い修行したんだよね」
君がこの喫茶店に出入りし始めた頃、健ちゃんはまだフランスに居た。健ちゃんは最初に修行に出たフレンチレストランのシェフのつてを辿って、幾つかの二つ星と三ツ星のレストランで修行した後、修行仲間のフランス人が故郷のシャトーのオーナーから出資を受けて開業したオーベルジュの立ち上げに加わり、開業から三年目、そのオーベルジュが三ツ星を取ったのを区切りに日本に戻って来た。
「修行かぁ。あれはなんですかねぇ」
「え」
「いや、なんかこう、あれなんですよ」
健ちゃんが何か言葉を選んでいる。
「料理してるんだってのと、美味いもん作るんだっていうのは、間違いないんすけど、どうも最近違う気がしてるんですよねぇ」
「そうなの?」
健ちゃんは、カウンターの縁に貼ってあったホットサンドのレシピをはがして、改めて眺める。
「これですよ」
「うん」
「このレシピも、何かが辿り着いた果てのひとつだとすると、美味いものを作るって、なんなんですかねぇ」
「おお」
「丁度、店の改装で休みになったんで、いろいろ呼ばれて助っ人に行ってるんですが、気付いたら行った先で稽古付けてるんですよ」
「職人の世界だねぇ」
「火加減、塩加減、道具の手入れ。なんだか申し訳ないというか、何してるんだかわからなくなっちゃって」
「それも含めて呼ばれてるんでしょ?」
「多分そうなんすけど、どうも折り合いがつかないというかなんというか。上手く言いたいけど、言えないわけですよ」
「教えるのが?」
「いや、この違和感」
「違和感」
「そう」
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