第6話
テレビのワイドショーでかなりしっかりとリチャードが映っていたのを目撃した日、君は日替わり定食で二日連続で出ていた里芋コロッケを食べそびれた。
初めて中に分け入った商店街の古道具屋『伊勢屋』の店内で、君は何台ものテレビの前に立ち、短時間ながら久しぶりにリチャードの顔を見た。
伊勢屋はなぜか商店街の他の店舗の倍の間口を持っている。店主の大沢さんはこの古道具屋の二代目で、毎日店の外にも様々なものを並べてから何処かへと姿を消し、店の一角のアーケードに面したタバコ販売の小さなスペースで、大沢さんの奥さんと娘さんが交代で店番をしている。
奥さんは少し地味目で和風の顔立ちだが、切れ長の目にちょっと古いアイメイクがよく似合っている。娘さんの方は大沢さんに少しにたところのある目と口の大きな派手な印象で、一応、タバコ屋の看板という形容で問題の無い二人だった。むしろ、奥さんが身ぎれいにしている様子は、どこかでそのタバコ屋の看板という言葉を意識してのことではないかと君は感じている。
伊勢屋の店内には入ったことはなかったが、店頭にならべてある古本やCD、その他の古道具に思わず足を止め、店番をしている奥さんや娘さん、何処かに出かける前の大沢さんと言葉を交わした事はあった。
店内はぶら下がり健康機の様な大型の古道具から中古の電化製品、書画骨董の類までが並んでいる。
君は電話機の山の前で、彼女が買った黒電話分の空白らしき場所を発見する。
その空白を確認して、君は自分が特に何かをしたくて伊勢屋に入ったのではないことを自覚した。
もともと目的地は彼女の喫茶店だ。君は伊勢屋を出た。
「いらっしゃい」
彼女の声ではない。店のカウンターの中で青年が洗いものをしている。
「健ちゃん。どうしたの」
「あ、お久しぶりです」
「うん。久しぶり」
「店、今月入ってから、移転で休みなんすよ」
「え、ああ、健ちゃんの方ね」
「あぁ。そうそう僕の方。で、ちょっと顔を出そうかと思って来てみたら、留守番頼まれて」
「そうなんだ」
「ランチ終わったし、さっと買い出しに行って来るって、さっき」
「あ、終わったのか。食べそびれた」
健ちゃんが洗いものの手を止める。
「ご飯まだなんすか?」
「うん。朝からバタバタしてたんだ」
「そっか。なんか作ります?」
「え、いいの?」
「いいっすよ」
「いや、ちょっとどうしよう。緊張する」
「なんすか」
「だって、健ちゃんのお店とか、結局恐れ多くて行けてないしさ」
「いやいや、プレッシャーだなぁ」
健ちゃんはこの店のママの実の息子で、高校には進学しないまま料理人として修行をはじめ、今は有名なフレンチレストランで副シェフをしている。いつか健ちゃんのところでというのは、この店の客の誰もが言うことだが、実際に食べに行った者の極楽の様な体験談と値段の話しを聞く度に、皆の中で少しずつ敷居が高くなっていく様にも感じられる。
健ちゃんが厨房の方に消えてすぐに、付箋紙を読みながら出てきた。
「ホットサンドでいいですか?」
「え、うん」
「レシピも材料もあったんで、これ作りますわ」
「あれ、それは今月のやつかな」
「どうだろ。レシピしか書いてないっすね」
「未完成だよ」
「え、そうなんですか?」
「リチャードも田中さんも居ないんだ」
「ああ……」
健ちゃんが付箋紙を眺めて考えている。老眼の人がする様に腕をのばして付箋を遠ざけてみたりしながら、なんとも判断しようのない表情で何かを考えている。妙に真っすぐ伸びた背筋から、それが料理人らしいのかと考えれば実際どうかはわからないが、健ちゃんのその様子から君は料理人らしい清潔感を感じている。短く刈り込んだ髪と、しっかりと切られた爪。髭もなんとなく生やしている様子なのに、汚いとかみすぼらしいという印象が微塵も感じられないところからも、君は健ちゃんの身に深く染み付いている職業的な迫力、威光の様なものを感じている。
「できてると思うんだけどなぁ」
と、健ちゃんがつぶやく。
「そうなの?」
「うん。ホットサンド食います?」
「うん」
「作りますわ」
健ちゃんが厨房に消えていき。調理の音が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます