第5話
「出なくていいの?」
シゲさんは誰からの着信かを確認して、そのまま着信音のボリュームを下げはじめた。
「問題無いでしょ」
「そう」
「そんなことよりも、何か力になれればいいんですが……」
シゲさんが、携帯の電源を切ってカウンターで頭を抱える。
「ありがとう。でも、これも問題無いわ」
「そうですか」
「とりあえず、田中さんがもうすぐ戻って来るんだよね」
「確かね」
「それは心強い」
結局、君たちの奇妙な停滞に区切りらしい区切りはつかない。解決の糸口を持たない三人が集まっても良い知恵は出ない。二人がすっかりホットサンドに心を奪われている様子を、ふと引いて見てみると、そこに誰が加わったところで、田中さんとリチャードでなければ解決を見る気もしなかった。
「シゲさん、料理得意なんですか?」
「いや、皆目」
「あれ」
「それでも、なんでしょう、これまで食べたホットサンドのことを思い出しながら、何か食べたい具はあるだろうかと考えていました」
「ああ、リクエスト」
「一応ね、これまで具のレシピは被ってないの」
「そうですよね。アンコールはないんですか」
「あんまり考えてなかったなぁ」
「じゃぁ、これを機に」
「悔しいじゃない。田中さんとリチャードが居ないから今月は再現レシピだなんて」
「なるほど」
「もう一回食べたいの、ありますか?」
「どれも美味しかったんで、ここで何か下手な事を言うと次の楽しみが無くなる気がして、それはそれで困るんですよね」
シゲさんは自らの力不足な提案のせいでレシピに悪影響がでることを本気で恐れている。少なくとも、君よりは本気でホットサンドについて考えている様だ。
「ありがとう。気持ちだけでも」
「本当に気持ちだけというのは、なんだか悔しいものですね」
「悔しいでしょ」
幾度目かの波が、やはりさざ波に終わって店内から音楽の他に音が無くなった瞬間に、店の扉が開いた。
「社長」
「時間がきた様です」
シゲさんが君たちを見て済まなそうに笑い、軽く溜息をついて自分を呼びにきた社員の方に向き直った。
「行きます」
シゲさんが携帯の着信ボリュームを戻しながら君たちに軽く手を振る。シゲさんの黒い携帯電話を見て、君はふと彼女の黒電話を思い出した。
「ありがとうシゲさん」
「また」
「うん。また来ます」
シゲさんが立ち上がると微かにインクの匂いがする。若い社員にせかされながらシゲさんは会社に戻っていった。
君はまだ、なんとなく残っている午前中をどうしたものかと考えている。このままここでこうしていることには、特に問題はない。しかし、君は今こここでとても簡単な連想の循環に落ち込んでいる。幾つかの話題は簡単につながって、簡単に彼女と共有されて二人をもの思いの沈黙に誘い込む。それに加えて君は彼女の黒電話について、また気になりはじめている。
それはほんの少し前のことで、実際は忘れるも思い出すもない。ただ、君はなんとなく適切な質問の言葉を見つけられなかっただけだ。言葉が見つかれば、君は彼女に聞くだろうか。
そうして君はまた、結末のない新たな循環を作ってしまった。
君はこのままここで午前中を過ごすのだろうか。さっき帰っていったシゲさんが現れた様に、果たして他のお客さんは来るだろうか。君は、君が思い当たる午前中にも来そうな人物のことを思いめぐらせてみるが、あまりはっきりとした顔が浮かばない。
彼女は、なんとなくランチの仕込みの残りを始めている様子だ。彼女が厨房から出て来て、君はマグカップに残っているコーヒーを飲み干す。
「今日の日替わりはなに?」
「里芋のコロッケ」
「へぇ。美味そうだね」
「まぁね」
「この間、叔母さんが持ってきたのよ。里芋」
「あ、ママ来たの?」
「うん。一昨日ね」
「へぇ。そういえば、ずっと会ってないなぁ」
彼女に店を譲った彼女の叔母は、たまに店を見に来ることはあるが滅多に顔を出さない。
「行くわ」
「あら、そうなの?」
「うん。ごちそうさま」
「そっか」
「まだ早いから、なんとなく一仕事できそうな気がしてきた」
「いいね」
「まぁね」
「じゃぁまた」
「また」
君は店を出て、商店街を歩き出した。
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