第4話
君たちは相づちをうつ。シゲさんは喋る。これまであまり関心の無かったアンプに対しての態度が今後一生変わってしまいそうな日だ。
「もしもし。はい」
シゲさんの胸ポケットに入っていた携帯が鳴って、シゲさんが応答する所作に君たちは反応できなかった。それすらシゲさんの話しの続きかの様に、はなしの展開についていくために少し姿勢を正しかけた。
彼女はマグカップを指差して軽くうなづき、コーヒーサーバーを持って厨房に引っ込む。豆を挽く音が盛大に聞こえてくる。
君は、マグカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干して、オーディオに目をやる。目に入る光景の感慨深さに、自分で自分のことがおかしい。
シゲさんは電話で話しをしながら、少しずつ店の入り口の方に移動していっている。シゲさんが電話で話しをする声の大きさにも、シゲさんの音に対するバランス感覚の様なものが反映されているのだろうかと、君は店を出ていくシゲさんの背中を見ながら考える。
厨房からコーヒーの香りがしても、君の時間が店に来た直後に戻ることは無かった。
意識にこびりついてしてしまったことを、なんでも都合に合わせて意識の外に追い出すことはできない。彼女の黒電話と店の外で電話を続けているであろうシゲさんの声、店内に流れている音楽もしっかりと耳に入って、君はリチャードのとりとめのないイメージに煩わされる。
「シゲさんは?」
「電話してる」
「携帯って、あんなに小声で喋って大丈夫なんだよね」
「シゲさん小声ってわけじゃないよ」
「イメージ?」
「うん」
彼女がコーヒーを持って出て来ても、君は繰り返さない奇妙なループの中に居る様に感じる。
「飲む?」
「ありがとう」
続く会話があるわけでもなく、二人で暫く口を開かないでいると彼女がつぶやく。
「リチャードかぁ」
「リチャード」
気まずいわけではないが、このままではいけない。
「音楽変えようよ」
「……そうね」
「うん」
音楽が変わって、君たちがおちついてコーヒーを飲み始めた頃、ようやくシゲさんが戻って来た。
「いやいや、失礼しました」
「とんでもない。コーヒーどうぞ。今日は店のおごり」
「おや」
「修理代、どうしよう」
「構いませんよ。実際、手持ちの部品で事足りましたから」
「悪いわ」
「こちらがお金を出したいくらいです。いいものを見ました」
「あらら。ありがとう」
「いえいえ」
幸いシゲさんが講義を再開することはなかった。君たち三人は無事他愛も無い会話を交わして暫く過ごすことになる。
改めて確認してみると時間はそう経っていない。まだ午前中はたっぷりある。
「しかし、リチャードが居ないとなると、ホットサンドはどうなってるんですか?」
「がんばるわ。シゲさん」
「ナルホド。難しいものですね。」
「なんでリチャードも田中さんも、ピッタリ提案できるんですかねぇ」
「不思議ですよね」
「全く」
彼女が咳払いする。
「私の能力の限界がですね」
「なにをおっしゃいます」
シゲさんがぴしりと彼女を押しとどめた。
「十分ないい仕事ですよ。ただ、何かそれよりも良さそうなものを見てしまっているだけです」
「良さそうなもの」
「欲を言えば切りがない」
「でも、それじゃぁホットサンドはまた不人気メニューに逆戻りだわ」
「メニューは全部美味しいじゃないですか」
「褒められているんだろうか」
「褒めてますよ」
「でも、よろしくない。とても」
「そうですか?」
「そうですよ」
「アンプで言えばね。ハンドメイドで丁寧に作ったとして、ある回路がふくよかな幅を出していると聴くか、無駄な雑味だと言う風に聴くか、ギリギリのポイントというのはあるものです。美点なのか無駄な努力なのか、そういう判断が難しいところというのは、普通はその水準までいくこと自体が難しいんですよ」
「良いのか悪いのか判断できないレベル?」
「レベルが高くてですよ」
「上手だなぁシゲさん」
「本当ですって」
「うん」
彼女の反応につられて、結局は君たち三人揃って、少ししんみりした雰囲気になってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます