第446話 超える君に幸有れと願う

 父がつまらないことを言うので、昴(すばる)はつま先で絨毯の毛をほじくった。他にほめるところがなかったに違いない。


 ところが、巌(いわお)は昴の顔を見てさらにつけ加える。


『俺も昔に比べれば、動かせる人間の数が増えた。部下にも色々いるが、十回頼んで十回確実に仕上げる奴はそういない』


 昴は顔をあげた。


『たいていは一回か二回……ひどい奴は半分くらい忘れる』


 巌はいかにも面白そうに言った。


『昴、確かにお前には頭一つ抜けたところはない。そういう奴が勝とうと思ったら、何よりもまずしくじりを減らすこと。そして、正確さや積み重ねが評価されるところで勝負すること。──俺は今までの経験から、そう思っている』


 昴はいつの間にか、拳を握って父の話を聞いていた。


『飯は大事だ。弾は大事だ。どんな軍隊も、それなしでは戦えん』


 巌が両手を広げる。数多の戦場を経験してきたその掌は、分厚く固い皮で覆われていた。


『自慢じゃないが、俺はこの手で何人も拾って基地へ生還させた。合計すれば数百弱にはなるだろう』


 家には、父が救った相手から礼の手紙や品が届くことがあった。だから、昴は父の言葉が誇張でないことを知っている。


『だが、それでもせいぜい数百だ。あまりにも少ない』


 巌の眉が、かすかに動いた。拾いたくても拾えなかった人の顔が、浮かんでいるのだろう。


『戦闘が始まってから、現場でできることなんてたかが知れている。だが、後方部隊は違う』


 昴は巌の熱に押されて、つい後ろに下がった。


『上手く動けば、各部隊に百パーセントの力を発揮させることができる。昴、お前は数千人を救える男になるかもしれんぞ』


 それは、衝撃的な答えだった。腕力でも体力でも素質でも勝てないと思っていた父に、勝てる。昴の身体が震えた。


『とにかく、一度腐らずにやってみろ』


 巌は気軽に言ってのけたが、昴がこの道を究めようと決めたのはその時だった。


 ──それからは忙しくもあったが、結局自分にはこの仕事が一番合っていたのだと思う。


 意見の合わない仕入れ先との交渉、道路の使用権を得るための各役所への折衝、手に入れた装備の保管・整備。細かい仕事は山のようにあった。


 若菜(わかな)はじめ、多くの人の助けでここまできた。そして今日、ひとつの区切りが来るのは間違いない。


「息子の晴れ舞台、お手伝いといきましょうか」


 ようやく銃の具合に納得がいったらしく、若菜が立ち上がる。間もなく航空隊が到着し、支援射撃の後に陸上部隊の移動が始まるだろう。そう告げると、彼女はうなずいた。


「天狗たちが大人しくしてる、と確約したからヘリ部隊を出すの?」

「ああ。ありがたいことにな」

「嘘だったら責任問題じゃない」

「その時はその時だ」


 と言いつつも、昴は全く心配していなかった。葵(あおい)が人を見る目は確かである。その後救いようもない正確な批評を加えるので人付き合いはうまくないが……何か感じるものがあるのなら、乗ってみるのも悪くない。


 そういうことをかいつまんで若菜に説明すると、舌を出された。


「親ばか」

「別にいいだろ」


 自分は、数十年かけて父を超えた。そして今、息子が自分を追い抜いていく。


 ずいぶんと早足であったが、君に幸有れ。そう思いながら、昴は葵に連絡を入れた。




☆☆☆




 航空隊が放っていたミサイルの音がやんだ。そして任務完了の報告が入る。


 ミ=ゴの生き残り、巨大種、物資を運搬している妖怪。この三つに絞って攻撃を行った、と担当者は告げた。


「ありがとうございました。後は、こちらが引き継ぎます」


 葵は返事をしてから、予備隊以外の全部隊に指示を飛ばす。


「前進!」


 ミサイルは撃ち尽くしたが、ヘリ部隊は空中にいる。彼らは先行した大和(やまと)たちと合流し、前へ。残りは後ろから、敵の侵攻を最大限に遅くするため、ありったけの弾を敵に撃ち込む予定だ。


 銃・砲撃の部隊をサポートするべく、装甲化された補給車がぴたりと張り付く。今のところ順調で、予備隊の出番はなさそうだ。


 妖怪たちが時折やり返してくる。閃光と、銃撃の音が入り交じった。部隊が前進すれば少し楽になるだろうが、耳鳴り持ちの葵にとっては嫌な現場だった。


「大丈夫?」


 怜香(れいか)が声をかけてくる。一番大事な任務に就く彼女らに負担はかけられない。葵はできるだけゆっくりと身体を起こした。


「ああ。進行速度・状況共に問題なしだ」

「私が心配したのは、身体の方」


 苦笑いされてしまった。どうにもこういうあしらいは上手くならない。


「自分の方を心配しろ」

「はいはい」

「はいは一回」

「相変わらずだねえ、それ。じゃ、行ってくる」


 怜香、和泉(いずみ)、佑馬(ゆうま)、あとは各部署のデバイス使いの混成……合計八百。


 都市の防衛に回す分をさっぴくと、今すぐ動かせる数の限界に近い。この部隊が、挟み撃ちになっている敵の横腹を食い破るのだ。


 銃撃の音が、徐々に小さくなっていく。情報通信のとりまとめに戻った九丞(くじょう)と、まともに会話ができそうだ。呼び出すと、彼はすぐに反応した。


「残存妖怪の小物は、これで片付きそうですね」

「楽観はできんがな」


 葵はため息をついた。そして、一番聞きたかったことを口にする。


「ゴリラは今どこだ」

「移動して鬼一法眼(きいちほうげん)の側にいますね。本気で敵を殲滅されると陽動にならないので、後方待機ということになって」

「それなら」

「ええ、ご機嫌は最悪ですよ」

「子供か」


 妖怪を見たら戦いたくなる、という性分は相変わらずだ。いつまでたっても大人にならない。


「鬼一からは何も言ってこないな」

「はい。気付いていないはずはないのですが」

「そうか」


 鬼一は要が側にいても構わないらしい。彼も要と同じく、三体目の気配を感じ取っているのだろうか。


(……まだ、未確定情報だが)


 結局九丞にそれを告げぬまま、葵はモニターに目をやった。


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