第445話 地味な長所
猛(たける)に言われて、ふっと蘭子(らんこ)の顔が浮かんだ。自分を好いてくれて、なおかつ己がおこぼれをもらおうとしなかった数少ない相手。
彼女も今は、私大に進学し音楽サークルをやっている。ロックだのパンクだの言われてもぴんとこないし、誘われたってやりはしない。しかし彼女が楽しそうなのはわかる。
それが、それだけが何より嬉しい。
「そっか」
響(ひびき)はつぶやいた。友達は、そんなもので良かったのだ。そんなものだから、良かったのだ。自分はすでに、本物を手にしている。なら、偽物はもう捨ててしまっても構わないだろう。
響は通信を立ち上げた。すぐに和歌山支部につながる。目当ての人物の名を告げると、在籍していると言われた。
「響ちゃん!」
一オクターブ高くなった、女の声がした。予想通り、自分から縁を切ったことはきれいに忘れている。
「百合(ゆり)。さっき、必要な情報が葛飾(かつしか)一佐まで伝わってなかった。こっちに苦情が来てる」
「え……手順通りにやったのに」
「どっか抜けてるんでしょ。平時ならともかく、今は困るの。マニュアル、もう一回確認しといて」
「こんな分厚いの、全部読めないよー。昔みたいに、響ちゃんが教えてくれたらなあ」
「やる気のない馬鹿に、何教えても一緒」
響がそっけなく言うと、通話口の向こうの相手が凍り付いた。
「馬鹿って……私のこと?」
「他に誰がいるっての」
「ひどい!! なんでそんなこと言うの!?」
「仕事だからに決まってる。事前にマニュアル読むくらい、常識」
相手の泣き言を、響は鼻で笑い飛ばす。思ったよりもずっと、気分が良かった。
「……私、ずっと心配してたんだよ。連絡がない間」
「誰が心配しろって頼んだ。付き合いもないのに勝手にやったことを、どうして私がありがたがらないといけないの」
一旦動き出した響の舌は、もう止まらない。過去から完全に逃れるために、戦い続ける。
「私ね、あんたみたいに過剰にくっついてくる女、大嫌い。私はあんたのアクセサリーじゃないの」
好きでこの顔になったわけじゃない。好きでこいつと同じ学校になったわけじゃない。
人生、とにかくハズレは至る所に転がっている。──だからこそ、決められるところは自分で選ぼう。くだらない人間に付き合っているには、人生は短すぎる。
「とにかく、仕事の話以外はもうしないで。あと、葛飾一佐には早めに謝りに行って」
「待ってよ! 私たち、友達でしょ!?」
「私はそう思わない。本物の友達ができたから」
「そんな……」
「あんたは私をただ苛つかせるだけ。もう二度と、こっちの人生に入ってこないで」
言いたいことを言って、響は一方的に無線を切った。
喉が渇いている。さっきのジュースを飲み干し、口についた残りを手でぬぐった。
「言うなあ」
猛がわざとからかってくる。親指を立ててくる彼に向かって、響は手を振った。
「すっきりしたか?」
「半分は」
「半分?」
「……なんでこの程度のことに、十数年悩んでたんだろってのが、もう半分」
引きこもる前に、気付いてしまえばよかった。過ぎてしまった時は、戻らない。
「ナマケモノでも、悔しいか」
「ふん」
鼻を鳴らす響を見て、猛が笑った。
「これから取り戻せばいいだろ。人生、八十年もあるんだから」
そう、普通なら。ただ、軍属には戦死という可能性もある。しかし、それではつまらない。
「……残りの人生、確保するため。今は働こうか」
響には珍しく、前向きな発言が出た。すると隣の猛はおろか、周りの部下まで露骨に驚いていた。
☆☆☆
本隊を支えるべく集められた、装甲トラックの集団。部下たちに向かって細かい指示を出しながら、昴(すばる)は詰めの甘いところがないか確認を行っていた。
欠員の補充、予備の戦車・装甲車。銃、弾薬、携行医療器。──今のところ、足りないものはない。
確認が終わって、昴は一息つく。間もなく本隊が動き出す。今が、この戦場で最後の休息となるだろう。それにしても総括指示を出しているのが自分の息子とは、と思って昴は苦笑いした。
「俺の若い頃とは、えらい違いだ」
「なに、黄昏れちゃって」
横から声が飛んできた。マシンガンを抱えた若菜(わかな)が、にこにこ笑いながら出番を待っている。
「いや……」
「気分でも悪い? 吐いてくる?」
戦場に出た昴は頻繁に嘔吐していた。そのことを知っているかつての部下は、未だにそれをネタにする。
「お前だって横で同じ事してただろ」
「それを言っちゃー、弱いなあ」
笑いながら、若菜は入念に銃を見る。デバイスの汚れが気に入らないのか、拡大鏡でしげしげと凝視していた。
「……もう、お前とも長いなあ」
そんな相棒の横顔を見ながら、昴が言う。鏡に視線を落としたまま、若菜が答えた。
「そーね。三十年弱? その間に、あなたも出世しちゃって。最初はどうなることかと思ってたけど」
「そもそも、注目され過ぎてた」
昴は当時を思い出してため息をつく。あの三千院巌(さんぜんいんいわお)の息子、ということでずいぶん騒がれたものだ。──ただし、悪い意味で。
期待されたデバイス適性はゼロ。Cランクどころか、完全な不適合者だった。しかも体格すら父とはかけ離れており、体力テストも平凡の一言。
「今だからこそ言えるけど、昔のあなたの評判はそれはそれはひどかったよ」
「なんて」
「詐欺、親の七光り……まあ、一番ひどいのだと、嫁が浮気して作った子ってのもあったわ」
「血のつながりすら、疑われたわけだ」
確かに巌と昴はまるで似ていない。横に長い、いわゆる狐目だけが同一で、あとは母似だ。父が有名になる前に他界していたため、軍内部に母を知る人はそう多くない。だから根も葉もない噂が流れたのだろう。
悪口が最もひどくなったのは、昴が補給管理部門へ配属された時だった。当時この部署は第一戦で使えないものが回されるところだったため、父のところまで嘲笑が届いたという。
しかし、巌はそんな声を柳に風と受け流し、昴に向かってこう言った。
『これは、お前にとって好機だぞ』
当時は昴も若かったし、気分がくさくさしていた。喧嘩腰で何故そう思う、と問い返すと父はこう答えた。
『お前は昔から、一度約束したら破るということがなかった。習い事でも、手伝いでも』
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