第6話
遠くに聞こえる車内アナウンスを手繰り寄せて目を覚ますと、新幹線はもう東京駅に着くところであった。
耳元で鳴っていた音楽もいつの間にか止まっていた。知らぬ間に眠ってしまっていたのだ。横を見るとコンはもう起きていた。
「着くよ」
「うん、いつの間にか寝てた」
俺は目を擦る。まだ少し眠い。
新幹線がゆっくりと東京駅のホームに停まる。久しぶりの東京だった。
「とりあえず今日はどうする?」
ホームに降りてコンが言う。
「うーん、今何時?」
「23時半」
「そしたらとりあえず宿を探そうか」
俺たちは東京駅を出て近辺のビジネスホテルを訪ねたがどこもいっぱいだった。ここまで来ても外国人観光客の影響なのか、何件訪ねてもホテルはどこも空いていない。
「まいったなぁ」
俺が困って頭をかく。俺もコンも仕事終わりで東京までふらっと来てしまったので何の用意も持っていない。
「まさかの東京初日から野宿?」
「いやいや、それだけは避けたい」
そんな水曜どうでしょうみたいな展開は望んでいないのだ。
「とりあえず手当たり次第あたってみよう。今日だけやり過ごしたら明日からはアテある」
そう、俺には1人アテにしている奴がいたのだ。
「おっ、それは心強い」
その後、俺たちはランクをDVD試写室にまで下げて宿を探した。どれくらい歩いただろうか? 東京駅からかなり離れた見知らぬ土地でやっと1件のDVD試写室に2人分の空きがあった。お世辞にも綺麗とは言えなかったが、横になれるタイプの部屋だったのでありがたかった。
当然DVD試写室なので部屋は2部屋だ。俺とコンは隣り合った部屋に案内された(こんなところに男2人で入る奴なんているのか?)
自室に入ってスーツの上着を掛けたところで、明日の予定をコンに伝えるのを忘れていたことに気づく。
俺は自室を出てコンの部屋をノックして中に入った。驚くことに奴は横になって煙草を吸いながらAVを観ていた。
「誰だっけ? その子」
「いや、知らない」
「何律儀にAV観てんだよ」
「せっかく試写室に入ったんだから勿体無いだろ」
「じゃせめて鍵くらいかけろよ!」
「お前にだけは言われたくないね」と言ってコンが笑う。
確かに俺はコンの家に居候中に4回ほどソロ活動を目撃されている。しかも内1回はサヨちゃんに目撃された。何も言い返せない。
「コン、明日はどうする?」
何と無くバツが悪くなり話題を変えてみる。
「特に予定はないよ」
「そうか。俺は明日朝からお客さんとこに行って来るよ」
「分かった。俺は俺で適当にしてるよ」
「うん、それで夕方から用事があるんだ。ちょっと付き合ってくれ」
「了解。さっき話してたアテのことかい?」
「うん、ソータに会う」
「あぁ、そういうことね。了解」
画面上ではAV女優が少し恥ずかしそうな表情を作ってパンツをゆっくりと脱がされている。そしてそのまま股を広げられ、奥にある花びらが満開になった。花びらはモザイクに覆われているが、逆にそれがいやらしい。
合法的なAVの合法的ないやらしさだ。
「じゃまた明日連絡するよ」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
その後俺は自室に戻り企画物のAVを観て2発キメた。
朝起きたらコンはもういなかった。こんな朝から活動しているなんてちょっと意外だった。とりあえず外に出てお客さんに電話をかけてみる。
「お世話になります。O印刷です。先日お話していた件について、突然ですが今から伺って打ち合わせできますか?」
「大丈夫ですよ。お待ちしております」
やけに聞き分けのいい担当者だ。ここにきてそれが逆に不安を煽った。
しかしそんな不安をよそに打ち合わせは滞りなく終わった。電話で話していた通り詳細な仕様の打ち合わせをした後、アッサリ契約を締結した。
このご時世、こんなにアッサリ新規案件を受注できるなんて珍しい。
とりあえず俺は将に電話をした。
「お疲れ様です」
将のやつはすぐに電話に出た。
「お疲れ様。今大丈夫? 忙しい?」
「いや、大丈夫ですよ」
「ちょっと追加でお願いしたいことがあるんだけどいいかな?」
「いいですよ」
「えーっと。新規の案件で十万件のDMなんだけど、…………で、スケジュールは…………で、だからとりあえず…………して…………してほしいんだ。それが終わったら…………しておいてくれるかな」
「分かりました」
「ありがとう。よろしく」
電話を切った後、心がちょっと軽くなった気がした。次の原稿の締め切りはまだしばらく先だ。営業の仕事もとりあえず今の電話で片付いた。これで当面俺を縛り付けるものは何もない。
腹が減ったから何か食べたいと思い、たまたま目に付いたマクドナルドに入った。
近くに大学でもあるのだろうか? やたらと若い人が多かった。俺はその中に紛れてぽりぽりとポテトフライを食べた。ポテトフライは少ししょっぱかった。
今夜はソータのバンドのライブがある。ソータというのは俺の会社の元後輩だ。
奴は大学時代から仲間内でヘビメタバンドを組んでおり、働き出してからも細々とその活動を続けていた。そして数年前、たまたまスカウトの目に止まりめでたくデビューすることになったのだ。
デビューが決まると奴は会社を辞めてメンバーと共に東京へ進出した。その後の活動は何とも言い難いのだが、とりあえず音楽で食べていけるくらいの収入はもらっているようだ。
アマチュアでやっていた頃に何度か詩を提供したこともあり、今でも年に数回ライブのチケットが送られてくる。そして東京へ行く途中の新幹線で俺は偶然鞄の中に入っていた今日のチケットを見つけたのだ(行くこともないだろうと思っていたから鞄にねじ込んでいたのだ)
マクドナルドの窓から外を眺める。とにかくここは東京なのだ。行き交う人々の顔付きも少し大阪と違った。
どう違うのかと問われると上手く言えないが、少なくとも藤伊工場長みたいな人は見当たらなかった。
「おーい、コン!」
下北沢ガレージでコンと落ち合ったのは夕方17時だった。コンはガードレールにもたれてタバコを吸っていた。
「おう、お疲れ様」
「待った? ゴメンね」
「いや、大丈夫。商談は? まとまったの?」
「あぁ、問題なかったよ。コンは何してた?」
「ぶらぶらと古本屋行ったり音楽聴いたりしてたよ」
「大阪にいるのと変わらないじゃないか」と、言う俺もマクドナルドでずっとコナンドイルの「恐怖の谷」を読んでいた。
上京以来、ソータのバンド、キングダムハートは東京のライブハウスを中心に活動を行っていた。今はいろいろなバンドと対バンをして経験を積もうという考えらしい。今日の対バンの相手は在日ファンクだそうだ。俺はあまり聴いたことがない。
会場に入ると思っていたより人が入っていた。大阪にいた時とは桁違いだ。
「すごいね」コンも少し驚いていた。
「うん、すごい」
「やっぱり東京へ出ないと駄目だったのかなぁ。京都でちびちびやってるだけじゃあのレベル止まりなんだよな」
自分のバンドのことを言っているのだろう。
「難しいところだよね。でもコンのバンドはいいバンドだったよ。俺が保証する」
「あっ、なんか慰められてる? ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど。ありがとう」
コンが照れ臭そうに笑う。だから俺もなんだか照れ臭かった。
そうこうしてるうちに開演時間になった。先行はキングダムハートだ。
仄暗い闇の中から怖い顔をしたメンバー達が現れそれぞれのポジションにつく、観客からの声援の中、ライトに照らされた瞬間から鋭い演奏が始まった。ソータのギターだ。
演奏に合わせてボーカルが絶叫とも歌とも言えない雄叫びをあげる。久しぶりに聴いたがやはりバンド自体のレベルは高い。プロでも十分やっていけるレベルだ。
「いくぜぇぇぇ!」
ボーカルの男が雄叫びをあげて客席にダイブした。オーディエンスの上をごろごろと転がりながらなおも歌う。
俺は確か前にあのボーカルの男と酒を飲んだことがある。素直で良い奴だった。確か名前はケンジ君、だっけな?
ライブは大盛況のうちに幕を閉じた。結局俺はキングダムハートだけを見て外で風に当たっていた。コンは残って在日ファンクのライブも見ていた。
下北沢ガレージからすぐ近くの安居酒屋にソータが現れたのはもう日付が変わる直前だった。
「すいません。すっかり遅くなっちゃって」
当たり前だがソータは普段着に着替えていた。メイクを落としたソータは本当にどこにでもいそうな兄ちゃんなのだ。
「いやいや、全然いいよ。お疲れ様。ビールでいい?」
「はい、ビールで」
ソータの奴と飲むのは久しぶりだった。一緒に働いていた時はほとんど毎日飲みに行っていた気がする。
「それで、急に二人でどうしたんですか?」ソータが最初の一杯を一口でほぼ半分まで飲んで言う。
「ま、ちょっとね。出張ついでというか。しばらくは東京でぶらぶらすることにしたんよ」
「なんすかそれ。相変わらず適当ですねぇ」
「気紛れだよ。なんか大阪での暮らしに嫌気がさしたんだ」コンはすっかり赤くなっていた。
「二人とも何かあったんですか?」
「うーん、あったと言えばあったし、なかったと言えばなかったって感じかな」と俺。
「いや、あっただろ。もう半年も家出してるくせに」
「え! そうなんですか! いよいよ離婚するんですか?」
「馬鹿! みなまで言うな」
気付いたらすっかり盛り上がってしまった。なんだか最近、酒ばかり飲んでいる気がする。時刻はもう夜中だった。
俺たちは当然のようにソータの家へ帰り、また続きを始めた。
「立派なマンションだな。お前やっぱり儲けてるんだな」
ソータの部屋を見て俺は感心した。ミュージシャンも最近は儲からないという話を聞いたことがあるが、一概にそうは言えないようだ。
「まぁ、事務所がね。こういう家を用意してくれるんですよ。自分でなんてとても払えません」
「事務所が用意してくれるだけいいよ。うちの会社なんて相変わらず家賃手当もないぜ」コンも感心していた。
パックの焼酎を互いに注ぎ合う。
「なぁソータ、実際こうしてデビューしてみて何か変わった?」俺は尋ねる。
「うーん、そりゃ場所も変わったし環境はいろいろと変わりましたよ」
「あ、いやそういう意味じゃなくてね。自分が目指していた場所に辿り着いて、そこから何が見えたのかなって思って」
ソータはそれから少し考えて答えた。
「昔はデビューしたらもうそこで終われるような気がしてたんですよ。それはあくまでデビューということが僕の中では最終目標で、野球少年が甲子園を目指してるような感じですね。
でも実際デビューしてみたらそうじゃなかった。
本当に自然と次の目的地が見えたんです。『デビューしたから次はこうなりたい』みたいなものが遠くにだけどはっきりとあったんですよ。
それは僕としては少し意外でした」
「ふーん、そういうもんなのか」コンも少し考えたような顔を浮かべた。多分自身の事と重ねているのだろう。
「でもそれが正しいことなのかもね」俺は注がれた焼酎を飲み干して言った。
「そうですかね?」
「うん。だってさ、みんなゴールで立ち止まっちゃったら世界は進んでいかないだろ? ゴールしたらまた次のゴールを目指すって感じで進んでいくのがやっぱり人間の健全な形なんじゃないかな。
それができない人って意外と多い気もするけどね。俺だってその時にそういう考えになるか分からないよ。そもそも自分にはゴールなんてものもないし」
「お前はすでに作家になってる時点で一つゴールしてるんじゃないの?」と言ってコンは焼酎を注いでくれた。
「うーん、そうなのかな?」
「いや、そうでしょ。世の中に作家になりたいって思っててなれない人がどんだけいると思ってるんですか」
「俺さ、あんまり作家を目指してたって感覚はないんよ。好きで書いていたらいつの間にかなってたって感じかな」
「それは幸か不幸か才能があったんだよ。じゃあさ、これからどんなものを書いていきたいの? 今書いてるような種類のものをずっと書いていくの?」
コンのストレートな質問に俺はちょっと考える。
「正直……最近ちょっと迷ってる。書きたいのは今書いてるようなものなんだけど、これからもそれでいいのかよく分からないんだ」
「よく分からないですね」とソータ。
「分からない?」
「いや、成り行きで作家になったってくらいなのになんで迷う必要があるんですか? どうしても作家で生きていたいって思う訳じゃないなら自分の書きたいものを曲げる必要なんてないでしょ」
「それはまぁ確かに……」
「お前は結局さ、選ぶことに慣れてないんだよ。いつも流れ流れきてるんだ」
選ぶと言う言葉が出て俺は少しドキッとした。「選べよ」眠りの奴もそう言っていた。そういえばあいつは最近姿を見せない。
「才能があるからかなぁ。あー結局この中で何もないのは俺だけか。作家にミュージシャン、よく考えたらお前等凄いよなぁ」
「いや俺はコンさんは才能あると思いますよ。それくらいコンさんのギターは凄かった。一応同業だから分かります。
でもコンさんはその才能を使わない道を選んだんだ。それで得たものもたくさんあるんじゃないですか?」
「うん、確かにそれで得たものは多いかもな」
「そう考えたら別に才能なんてあってもなくてもいいのかもね。本気でそれを極めたいという人にだけあればいいんだと思う。俺はなんだか中途半端になってしまったよ」と俺。
「いや、それはちょっと違う気がするな。才能があって成り行きでもその道を選んだんならその責任は取らないといけないと思うんだ。中途半端なんて許されない」
珍しくコンが真剣な口調だった。俺が黙っていると今度はソータが話し出す。
「さっきの話に戻るんですけどね、本来書きたいものがはっきりしてるんならそれを曲げる必要なんて無いと思うんですよ。無理して思いと違うものを書いてもそんなの嘘っぱちじゃないですか。
でもそれを迷うっていうのは要は作家として続けていくことができなくなってしまうことを恐れてるんじゃないかなと思うんですよ」
俺もコンも黙っていた。ソータは続ける。
「何でもそうですけど、世間に受け入れられないと続けて行くことは難しいですよね。
受け入れられたい、その為には変わらないといけないって思うってことはだからつまり……」
「つまり?」
「自分で思ってる以上に好きなんじゃないですか? 書くことが、作家っていう仕事が」
「そうなのかな? 改めて言われると分からんのだが……」
「いや絶対そうでしょ!」
「うーん……」
「なんだよ、はっきりしないなぁ」
「そうかな? うん、そうかもしれない」
会はいつの間にかお開きになり、俺たちはソータの家のだだっ広いリビングで雑魚寝になった(結局どこに行っても雑魚寝なのだ)
しかし俺は上手く寝付けなかった。みんなが寝静まる中、俺はこっそりベランダに出た。流石は高級マンション、ベランダも広い。
寝静まった東京の街を見下ろしてさっき二人に言われたことを思い出していたら、遠くの空に小さく朝日が顔を出した。
それはまだ本当に小さかったが強く赤く、確かにそこにいた。
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