第5話
次の日、黒田さんの言う関連会社の担当者から連絡が入った。
「黒田からはとても頼りになる方だとお聞きしています。この度はよろしくお願いいたします」
「ええ、こちらこそ」
担当者はえらく謙虚な人だった。電話で話したところ、費用感も仕様も特に問題無さそうだった。一度顔を合わせて詳細な打ち合わせをして、その時に発注書も渡すとのことだった。
つまり黒田さんは約束を守ったのだ。約束を守ってくれたのであれば御礼を言わなければと思い、俺は黒田さんに電話をかける。
珍しく黒田さんが電話にでた。
「もしもし、どうもお世話になります。僕です。先日はありがとうございました」
「お、おう。なんや君か。どないしたんや?」
「お話いただいていた通り、東京の関連会社のご担当者から今日ご連絡をいただきました。ありがとうございます」
「あ、あぁ。まぁあんじょうやってやってくれや。ほな僕はこれで……またよろしく頼んます」
「あ、ええ、はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
いやにアッサリ電話は終わった。今日の黒田さんはなんだか元気がなかったなと思ったが、昨日の件を考えるとそりゃそうだなとも思った。
さて、近々日取りを決めて東京へ行かなければならない。
ここで問題となるのは金だ。現在、俺の全財産はざっと5,000円ちょっと。東京への旅費は会社から出るとして、向こうで使う金がない。俺はどうせ東京へ行くならしばらく向こうにいようと思っていたのだ。
次の原稿料までまだ2週間ほどある。金が入るまで2週間待っても良かったが、なんとなく早めに東京へ行ってしまった方がいいと思った。
ということは現実的に誰かから金を借りるしか道がないと言うことだ。
夕暮れ時、俺は京阪電車と近鉄電車を乗り継いで京都へ向かっていた。下校中の学生の多い時間帯だった。
けばけばのシートに腰掛けて彼らを見ていると、彼らは皆、希望に満ち溢れているように見えた。
キラキラとした女子高生たちの笑顔、丸坊主の男の子たち、参考書を読みふけるオカッパ、大学生のカップルが携帯を覗き込んで話している。
遠い昔、俺にだってそんな時代があったのだ。
彼らと同じ歳くらいの頃の俺は毎日何かが楽しみで、明日がくることが待ち遠しくて仕方なかった。未来はいつも輝いていたし、それに恋をしていた。
家族を置いて半年も家出して、得意先に日本刀を突き付けるような未来なんて想像もしていなかった。
なんだか辛気臭くなってきたな。電車を降りる。
弊社の工場は京都にある。今日はそこの工場長、藤伊工場長に会うために大阪での仕事を早めに切り上げ、電車を乗り継いで京都まで来たのだ。
入場の手続きを終わらせ工場へ入ると偶然コンに会った。コンはこの工場で働いているのだ。
「あれ、こんな時間に珍しいね。どうしたの?」
作業着のコンが言う。
「うん、ちょっと工場長に用事があってね」
「そうか、俺は今日はまだまだ帰れそうにない」
「そういえば近々仕事で東京へ行くことになりそうなんだよ」
「おー、そうなんか」
「うん、それで東京行ったらしばらく向こうでブラブラしようと思ってる」
「いいなぁ、俺も行こうかな」
これはちょっと意外だった。
「えっ、全然いいけどサヨちゃんは? 一緒に行くの?」
「いやサヨは仕事があるし、2人で行こうよ」
「いいよ。ただ金は貸せない。なんせ自分の分も借りないといけないくらいだからね」
「金かぁ……幾らくらい必要かな?」
「ざっと見て5万くらいは要るかなと思ってる」
「手持ちだけじゃ全然足りないな。まぁ何とかするよ。出発は?」
「はっきりしてないけど今週中には」
「了解。また家で話そう」
そう言ってコンは喫煙室の中に入って行った。
事務所に入ると奥の席で工場長が難しそうな顔をしていた。「うーん」と唸っているような、そんな顔だ。
藤伊工場長は今でこそ製造部のトップだが、元々は営業部の出身で、俺の上司だった。
当時からとにかく飲み歩くのが好きで、毎晩夜の闇へ姿を消していく風来坊だった。俺も部下の頃は相当連れて行ってもらった。
昔はそんな遊び好きがたたっていろいろなところから借金をして常に金に困っていたが、工場長になって数年経ち念願の会社役員にまで登りつめたこともあり、最近は金まわりが良さそうだった。
「工場長、お疲れ様です」
「んっ、おぅ、お前か」
「お前です。どうしたんですか、難しそうな顔して」
「いや、大したことやない」
「小さな悩みでも言ってしまったらスッキリしますよ」
「いや、どうやって事務所脱出して帰ったろかなと考えてたとこやってん」
工場長が他の社員に聞こえないように小声で言う。定時までまだ少し時間があるがもう飲みたくて仕方ないのだ。
「……じゃもう脱出します?」
「おう、お前が来たのはラッキーやった。すぐに脱出しよう」
工場長が悪そうな顔をする。
「おーい、上野さん。俺、これからコイツと一緒に協力会社の作業状況を見に外出するわ。ほんで今日はもうこの時間やから直接帰る。悪いけど、後のことは頼むデ」
「……分かりました」
事務の上野さんはそう言って疑いの目を工場長に向けた。いや、その目はもはや疑いの目なんかではなくハナからまったく信用していないような目だった。
そして俺たち2人は脱出を決行した。
早速、桃山御陵前にある焼き鳥屋へ所を移す。ビールを注入する。
「営業部の景気はどうや?」
「うーん、ぼちぼちですねぇ」
「何やぼちぼちって中途半端やなぁ。そもそもお前ちゃんと仕事しとるんか?」
「してますよ」
俺はちょっとムッとして答えた。こんな俺にだってまだ一欠片のプライドがあるのだ。
「ほーか、何かええ話はないんかい?」
「あっ、そうだ、そうだ。この前、10万通のDMを受注しました」
「ほほぅ。なかなかええやないの。一応ちゃんと仕事しとるんやな」
「だからしてるって言ったじゃないですか。熾烈な交渉の末の受注でしたよ」
確かに大変な交渉だった。嘘ではない。
「ええこっちゃ」
今夜も冷たいビールはたまらなく身体にしみる。俺達は黙々とビールを飲んで焼き鳥をつまんだ。しばらくして工場長が急に話し出す。
「このご時世や。印刷業界の先行きは決して明るくない」
「ええ」
「世の中の流れはどんどんペーパレスな方向に進んどる。それに景気が悪くなったら企業はまずDM等といった広告費を削る。
そして社内で使うようなちょっとした印刷物の費用を下げようとする。もちろん一回下がったものはもう二度と上がらん」
「ええ」
我々はビールから日本酒へ切り替えた。この歳になるとビールは5、6杯にしておくのが丁度いい。
工場長は飲むと仕事に対して熱くなる。
「せやけどな、そんな中でも絶対必要な印刷物っちゅうもんがあるんや。紙でなければ意味がないもの、紙でないと伝えられないもの、必ずあるんや」
「ええ」
工場長のピッチが上がる。
「俺らはそういったどんな時代でも必要とされる印刷物を抑えて行かなあかんねん。それが大事やねん。うちの奴らはその辺がまだよく分かっていない。目先の利益ばかり考えてる。だからあかんねん」
「ええ」
「そんなんじゃ先はないぞ。もっと頭を使って働いていかなあかん。分かるか?」
「ええ」
「よし、ほなオネエちゃんのおる店行こか」
「はい」
そして我々は工場長行きつけのスナック「イルカ」へ素早く移動する。
俺も何度か来たことのある店だ。今日も数人の女の子とママがいた。工場長はここ数年ここのママに入れ込んでいた。
我々の席についたのはまだ若い女の子だった。黒髮のロングヘア、綺麗な子だ。モデルでもやっているのだろうか。
「初めましてアケミです」
「初めまして。アケミちゃん、綺麗だね。モデルか何かやってる人?」
俺は思ったことを素直に聞いた。元々素直な人間なのだ。
「えぇーっと、モデルもしてるんですけど、本職は一応歌手なんですよ」
「歌手? すごいなぁー。芸能事務所かなんかに所属してるの?」
「そうです。大阪にある芸能事務所なんですけどね。何枚かCDも出してて、作詞作曲もやってます」
アケミちゃんが少し得意げに微笑む。
「へぇー、そうなんだ」
「基本的にはロックをやってるんですけど、たまにフォークっぽいのもやってるんです」
「ほうほう。じゃ、どんなミュージシャンが好きなの?」
「うーん、エイミー・ワインハウスとか好きですね」
「エイミー・ワインハウスか……あんまり聴いたことないなぁ」
「良いですよ。日本で言うと椎名林檎みたいな感じだと思います」
「おー、そうなんだ。椎名林檎は俺も好きだよ。作詞にしても作曲にしてもあの人から学ぶことは多いんじゃない?」
「そうですね。事務所に所属してからは頑張っていろいろな音楽を聴いているんです。作詞作曲をするためには勉強が必要なんで」
「ユーミンは?」
ここでずっとムスッと黙っていた工場長が口を挟んだ。
「え?」
「ユーミンは聴いたんかい?」
「あっ、ユーミンはあんまり……」
「それじゃあかんなぁ。作詞作曲を本気でやりたいならユーミンを聴かな話にならん。
あの曲は知っとるか? 別れた男に見栄を張るためにいつもオシャレに着込んでいた女の歌」
「えっ、いや分からないです……」
「安いサンダルを履いてたってやつや。お嬢ちゃん、一体何の勉強をしてたんや!」
「あぁ、ありますよね」 俺が口を挟む。
「そうや、お嬢ちゃんほな。14番目の月はご存知か?」
「14番目の月……?」
「あかんなぁ。お嬢ちゃん、それじゃあかんで」
工場長が煙草を吸って苦い顔をする。意地悪な顔つきだ。
「あのね、14番目の月ってのは要するにね、付き合い始めたら後は欠けていくだけだからそうなる前のギリギリの時を楽しみたいって歌なんだよ」
俺が助け船を出す。ユーミンの歌詞は俺も大好きだ。
「へぇ、素敵な歌詞ですね……勉強しておきます」
アケミちゃんはちょっと苦笑い。しかし工場長は更に続ける。
「それにな、お嬢ちゃん。本気でその業界で飯食ってこうと思うならやっぱり東京へ行かなあかんのちゃうか?
大阪の芸能事務所になんか所属してても無駄なんちゃうか?」
アケミちゃんの顔は完全に曇っていた。でも工場長は止めない。
「ローカルの芸能事務所なんて所詮営業レベルやろ。あんたのやりたいことはそんなことなんか? ミュージックステーションなんかに出てタモリからインタビューされてみんなにチヤホヤされたいんとちゃうんか? え? どうなんや?」
「……はい、ごめんなさい……」
とうとうアケミちゃんは謝ってしまった。俺はもう何も言わなかった。
「頑張れよ、お嬢ちゃん。とりあえずユーミンは聴きや。ほなちょっとママ呼んできて」
結局ママと話したかっただけだったのだ。
途中から気づいていたがアケミちゃんに冷たく当たっていたのも、ママが向こうの席で他の客と仲良く話していることに嫉妬したからなのだ。
もちろん工場長は芸能界のことなんて何も知らないはずだ(地方の芸能事務所だってちゃんと頑張っている)年甲斐ない小ささだ。
「あらぁー、藤伊さん。お久しぶり。お元気?」
ママがこちらの席に来る。入れ替わりでアケミちゃんは別の席に移っていった。なんだかかわいそうなことをしたな。
「元気や。いや、ママがなかなかこっちけえへんからちょっと元気なくなってたワ」
「まぁ、お上手。貴方もお久しぶりね」
ママが俺にも笑いかける。
「お久しぶりです」
イルカのママはおそらくもう50を超えていると思われる。しかしまだまだ肌も若く綺麗な人だった。若い時はもっと綺麗だったのだろう。工場長が入れあげる気持ちも少し分かる。
「おう、お前なんか歌えや」
「あっ、はい。そうですね」
と言って俺はカラオケのリモコンを手に取る。無難にサザンを選ぶ。
そして俺はメロウな歌詞を放った。歌っていて気持ちが良かった。
「これサザンか? 初めて聴いたな」
「私も知らない」
「えっ、松田の子守唄をご存知ない?」
俺は少し驚いた。あんたら世代だろ。
「よし、俺もサザン歌う!」
工場長は上機嫌でリモコンを繰る。選曲したのはまさかの最新ナンバーだった。
「きゃーっ」
ママはご満悦の模様。だから工場長のテンションもどんどん上がっていく。しばらく歌い続けていると工場長の手がママの胸へのびた。
「いやーっ」
と言いながらもママは本気で嫌がっている感じではなかった。だから工場長もどんどん調子に乗ってママの身体を触りまくる。
「いやーっ」
いつの間にか俺たち以外に客はいなくなっていた。いかん。このままじゃ収集がつかなくなる。
「工場長!」
「……なんや?」
ママにキスをしようとしていた工場長が振り返る。
「5万円貸してください!」
「……いいよ」
こうして俺は旅の軍資金を手に入れた。
その夜、電車はもうなくなっていたのでタクシーで帰った。
おそろしく眠かったが、不慣れな土地なのか運転手に土地勘がなかったため小まめに道を指示していたので眠れなかった。
家の前でタクシーを降りた時、ちょうど出掛けていくサヨちゃんとすれ違った。
「おかえり」
「うん、ただいま。こんな時間から出掛けるの? 電車もうないよ?」
「ちょっと友達と会う約束があるの。バイクで行ってくるわ」
サヨちゃんはボロボロのベスパを1台持っている。常に謎の白煙を吐くあのバイク。俺はサヨちゃんが無事友達のところまで辿り着けるよう願った。
「そっか。気をつけて」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
部屋に上がるとコンがまだ起きていた。例によってギターを弾いている。
「おかえり」
「ただいま」
俺は冷蔵庫から買い置きしていたマウントレーニアを取って、いつも通りコンの前に座った。
「お金のことなんだけど」
コンが手を止めて切り出す。
「あぁ、俺は何とか今日5万用意できたよ」
「そうか。俺も何とかなりそうだ。このギターを売ろうと思うんだ」
「えっ、そのギターを?」俺は驚いた。
「うん、バンド時代のファンの間で売ればなんとか5万くらいにはなるんじゃないかと思ってね」
「それはそうかもしれないけど……いいの? ずっとそのギター使ってたじゃない」
俺の知り得る限りコンはこのギターをもう10年以上使っている。スピリットという少し変わった形のギターで、バンドの全盛期を支えたギターだった。確かにファンの間で売れば5万くらいには十分なるだろう。
「もったいないよ」俺は繰り返す。
「いや、いいんだ。だって考えてみろよ。6弦を操る手はここにあるんだぜ」
そう言ってコンは掌を俺に見せる。
「そりゃそうだけど……」
「だから何も問題ないよ。またギターを買えば新しい音が出せるんだから」
「でも、なぁ……いいの? こんなことに使って……」
俺はちょっと残念だったのだ。俺だってこのギターが好きだった。
「こんなことって。そりゃ寂しいは寂しいよ」コンが笑う。
「でも人生楽しい方に賭けなきゃ。俺はなんとなくこのタイミングでお前と東京に行きたい」
「なんかあったの?」
「いや別に」
「そっか。ちょっと残念だけどコンが決めたことなら仕方ないね」
「楽しもうよ。向こうで」
コンのギターはそれから3日後に9万円で売れた。
それから1週間くらい、なんとなくバタバタしていて出発できなかった。
ある日の夕方、俺は後輩の将を会議室に呼び出した。
将は見た目はまだ高校生に見えるほど若いが、割と優秀な男で一部の仕事で俺とペアを組んでいた。東京へ行っている間、彼に留守を頼もうと思ったのだ。
「俺、しばらく休もうと思ってるんだ。だからその間仕事をお願いできないかな?」
「いいですよ」
将はあっさりオーケーした。
それからお願いしたい仕事の説明をした。お願いしたい仕事と言うより俺の持っている全ての仕事を説明した。こうなったら全部やらしてやれ、と思ったのだ。
「……と、こんな感じだけど大丈夫かな?」
全部説明するのにはけっきょく3時間くらいかかった。
「はい、大丈夫です」
「えっ? 本当に大丈夫?」
「ええ、これくらいなら」
ずいぶんあっさり言ってくれるじゃないか。しかし表情を見ると本当に大丈夫そうな感じだった。
「じゃお願いします」
引き継ぎが終わったら俺はすぐに事務所を出た。外に出たら風が生暖かかった。そうか。もう春は終わったんだ。
近くのコンビニにでビールを買って風に当たりながらそれを飲んだ。
酒を飲んだことで頭が少し働き出した気がした。スイッチを入れたばかりの機械がブーンと音をたてるように思考のモーターが回る。
仕事の引き継ぎは思っていたより時間がかかった。その疲れは直に身体に降りてきていた。
しかしよく考えれば、自分のやっていた仕事を数時間で任せられるのであればそもそも会社に俺の存在価値なんてあるのか? 将の奴が優秀だからか?
いや、多分そういう問題ではないだろう。今まで気づかないフリをしていたが、会社に俺の存在価値なんてないのだ。たまに小説好きな客相手に名前を出してちょっと話題を作れるくらいではないだろうか。
そう考えると無性にやり切れなくなった。
疲れているからか酒はすぐ回った。アルコールが脳を柔らかくする。このままここで寝てやろうかとも思ったが止めた。そんなことをしても何の解決にもならない。俺はポケットから携帯を取り出して電話をかける。
「もしもし」コンはすぐに電話に出た。
「もしもし。仕事終わった?」
「ちょうど終わったところだよ。どうした?」
「今から行こうか。東京」
「今から? また急だな」電話口でコンが笑った。
「突然ですまない」
「いや、いいよ。じゃ京都駅で落ち合おう。多分1時間くらいで行ける」
「了解」
電話を切った後、残っていた少しのビールを飲みきり空き缶をゴミ箱に捨てた。
さて、大阪ともしばしのお別れだ。そう思うと少し寂しくもあり、もう一杯ビールを飲もうかと思ったが止めた。
突然出発を決めたのだ。ぐずぐずして京都駅でコンを待たせるのは偲びない。それにコンに会った後一緒にビールを飲めば済む話なのだ。俺は最寄りの地下鉄の駅へ向かって歩いた。
御堂筋線とJRを乗り継いだら意外と早く京都駅に着いた。新幹線に持ち込む酒やつまみを買おうと売店に行くとレジに並んでいるコンがいた。
「早いね」俺は少し驚いた。
「そっちこそ」
見ればコンはビールを2パックとチーザを3袋も買っていた。
「買いすぎじゃない?」
「せっかくの旅なんだからこれくらいやらないと」
「それもそうか」俺は妙に納得した。
俺たちは新幹線のホームのベンチに座ってビールを飲んだ。そしてやってきた新幹線に適当に乗って自由席に腰掛けた。2人掛けの席で俺が窓側だった。
新幹線に乗った段階でもう既に2人でビール1パック分を飲みきっていた。コンビニの前で飲んだビールを入れると俺はもうすでに4缶分のビールを飲んでいる計算になる。
しかし一向に満足感は訪れず、ごくごくとビールを飲み続けていた。コンも同じだった。何を話すでもなく俺たちはビールを飲んだ。
新幹線は心地よいスピードで夜の日本列島を駆けていた。あっという間に名古屋を越え、うかうかしているうちに浜松も越えた。
気づいたらコンは寝息を立てて眠っていた。無理もない。1日仕事をしてきた後なのだ。
俺はというと何故かまったく眠くならなかった。あんなに長い引き継ぎをしてたくさん酒も飲んでいるのに。不思議だった。
仕方ないので俺はイヤホンを付けて音楽を聴くことにした。曲は小沢健二の天使たちのシーンだ。
確か前にもこの曲を聴きながらこうして流れる景色を眺めていたことがある。
そうだ、あれは確か大学4年生の夏だ。俺は茨城県ひたちなか市まで野外フェスを観に行くために仲間たちと新幹線に揺られていた。道中、同じようにみんな眠ってしまったので俺は1人で窓の外を見てこの曲を聴いていた。
もうずいぶん昔の話だ。当時の仲間たちも今はみんなどこかに消えてしまった。
これだけ生きていたらもう二度と会いたくない人もたくさんいる。でも会いたいと思う人も確かにいて、こんなふうに流れていく景色を見ているとそんな人達のことを思い出す。
車窓から見える街の灯は綺麗だった。それは紛れも無い生命の熱だった。
俺は6本目のビールを空にして再び窓の外に視線を戻した。
天使たちのシーンが終わるまでは決してトンネルに入らないでほしいな。
昔と同じように本気でそう思った。
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