第3話不動とハニー
アップルは大好きな剛力と仲良くしているハニーを見て、彼が彼女と幸せにいるのならばそれが一番いいと悟り、早々に身を引こうと考えていた。
けれどもヨハネスはまだ直接本人に振られていないのだから、自分で勝手に決めつけて諦めるのは早計だと言うのだ。
「アップル君、思い切って君の好きな男の子に告白してみたらどうかな?」
「でも、僕男だからきっと振られるに違いないよ……」
「告白する前に失敗するかもって思っていたら、恋は実らないよ」
ヨハネスの優しい言葉に、彼は小さくコクリと頷き、
「……そうだね。僕、剛力に告白してみるよ」
フッと顔を上げてそう宣言する彼の瞳には、先ほどまでには感じられなかった自信がみなぎっていた。
「よし、そうと決まれば早速実行に移そう。何事もすると決めたらその日にした方がいいからね」
「うんっ」
こうしてふたりは喫茶店を出て、剛力のいるアップルの家へともと来た道を歩き始めた。
☆
「このケーキ、美味しいなぁ」
ハニーはガブリエルのケーキ屋自慢の苺のショートケーキをフォークで一口ずつ切り取り、口へと運ぶ。彼女はケーキの頂上に乗っている苺は最後に食べる主義であるため手はつけていない。そしてその苺を万が一の確率とは言え剛力が奪わないかと、先ほどから子猫が威嚇しているような目つきで、彼を見つけている。
だが、彼はそんな彼女に顔色ひとつ変えない。
「ハニーお嬢さん、安心してください。お嬢さんの苺は食べませんよ」
「本当に?」
「俺が今まで嘘をついた事ありますかね」
「ないけど……でも、本当に取らない?」
「大丈夫です。それともお嬢さんは、俺を信用できませんか」
「うーっ、分かったよぉ。信用してあげる!」
「そう言っていただけて光栄ですよ」
剛力は自分が注文した――以前彼がアップルに一度食べてみたいと話していた――アップルパイを手に取り、一口かじってみた。口の中いっぱいに甘く優しいりんごの香りと甘さが広がり、アップルが大好物になる理由が分かったように、瞼を閉じ、パイを深く味わった。
「ねぇ、剛力くん」
彼がアップルパイを食べきった頃、ハニーが眉を八の字にした心配そうな顔で彼の名を呼んだ。普段は天真爛漫で明るい彼女がこのような表情をするのは珍しいため、何か困った事が起きたのだと彼はすぐに悟り、返事をした。
「どうかしましたか」
「うん、たった今、私のケータイの着信履歴を見てみたんだケド……」
彼女は自分の着信履歴を彼に見せる。そこには、同一の人物からの着信が幾度もされていた。
ハニーは剛力とのデートを優先するため、ケータイは予めマナーモードにしてあったため気づかなかったのであるが、上から順に十回も電話をかけている人物の名を見て困惑した。
その人物の名は――
「不動仁王(ふどうにおう)……」
不動仁王(ふどうにおう)。
それは、ハニーが最も恐れている男の名であった。
彼は彼女と同じ南斗十字星学園に所属している高等部二年である。
百八十七センチに九十キロという恵まれた体格を生かし、柔道部、空手部、レスリング部を渡り歩き、それぞれの主将を倒している猛者である。
彼はストイックな性格で、般若のような凶悪顔であるためその強さも相まってクラスメートからも避けられていた。そんな彼の噂を耳にし、可哀想という同情から彼の力になろうとしたものの、彼と絡む事で誤解が生じ、カップル扱いされてしまったのである。
ハニーはその認識の違いを解こうとしたものの、それがますます恋人疑惑に拍車をかけるようになってしまった。それ以来、不動は彼女に対し強い怒りを抱き、事あるごとに鉄拳をお見舞いしてやろうと、彼女が行くところどこへでも追いかける復讐鬼と化していた。その話を聞いた剛力は、自らの頭を押さえため息を吐く。
「お嬢さん、それなら俺に相談すれば、ここまで問題が拗れる事はなかったのではないですか」
「うん、ごめんね」
金髪碧眼の美少女は、俯きがちに呟く。
と、その時店の扉が開いて、凄まじい殺気を放つ人物が入ってきた。
茶色の長髪に猛禽類の如くするどい瞳、赤のカンフー服を着て威圧感を放出するその男こそ、ハニーの因縁の相手である不動仁王だった。
「やっと探したぞ、ハニー=アーナツメルツ!!」
「ふ、不動くん……」
彼女は睨みつける彼を見て、顔が青くなる。
すると剛力は振り向き、不動に向かって言った。
「ハニーお嬢さんから話は聞かせて貰ったぜ。不動、どうやらお嬢さんを苛めたいそうだな。だが、そう簡単にお嬢さんを渡す訳にはいかねぇな。
俺が相手になってやる」
剛力がボクシングのファイティングポーズを構えると、不動はニヤリと笑う。
「どうやら、少しはできるようだな。その構えを見ればわかる。いいだろう、お前の相手をしてやるとしよう」
ふたりの間に火花が散り、誰も介入することができない激しい闘いの幕は――
「君達、店が壊れたら困るから、喧嘩は外でやろうね」
アップルの父により外で切って落とされた。
剛力と不動の対決は、アップルの店の近くにある公園で行われた。
見物客はハニーただひとり。
彼女は剛力の事が心配でついてきただけであったが、剛力にとってはそれで十分であり彼女の応援があるだけで百万の力を得たような感じがした。
「では行くぞっ」
不動は憤怒の形相で間合いを詰め、剛力にその剛腕を見舞ってくる。
けれど、日頃ボクシングでフットワークを鍛えている彼には、それを避ける事は容易であった。大きく空振りした自らの拳に目を見開き驚愕する不動。その隙を逃さず、剛力は彼の懐に潜り込みボディーブローを炸裂させた。だが、不動は僅かに後退するだけで倒れるけはいを見せない。普通の少年であれば今の一撃で確実に気絶しても不思議ではないのであるが、そうならないのは、不動が一般の少年とはケタ違いの戦闘力を誇るからに他ならない。
「どうやらお前はボクシングを得意とするようだな。今のパンチはなかなかの威力だった……だが、俺の敵ではないッ!!」
鍛え上げられた足から放たれるローキックは、まともに剛力の足首に命中する。
「確かにボクサーはパンチの威力は凄い。しかし、その反面、普段鍛えていない脚を狙われると脆いものだ」
「……ぐっ」
足に蹴りを受けた衝撃で、よろめく剛力。
「剛力くんっ」
幼馴染でもあり彼女でもあるハニーの声が響く。
『お嬢さんの前で、情けねぇ姿は見せられねぇな』
彼は体勢を立て直し、再び敵に突進していく。
「無駄だと言う事がわからんとは、愚かな男だ。そんなに俺に倒されたいか!」
不動は彼が愚直にも突進してくるものだと予想し、身構えていた。
だが、その予想は外れ彼は不動に拳を炸裂させると見せかけ、背を向け逃走を開始した。
「逃げる気か。そうはさせんっ」
剛力の後を追いかける不動。その様子を心配そうに見学していたハニーに対し、彼氏はアイコンタクトを出した。彼が彼女に伝えた内容、それは――
『俺が注意を逸らしている今の内に逃げてください』
そのメッセージを受け取った彼女の行動は早かった。
すぐさま彼の思いに答えるべく、全力疾走で公園の出口を走り抜けた。
公園を出ても走るのを止めず、体力が限界を来るまでひたすら走った。
それが彼の望んだ願いだったからである。
剛力は不動との戦闘中に考えたのだ。
敵の狙いはハニーただひとり。
自分はただ標的の邪魔者でしかなく、本気を出さずに戦っている。
それでも自分を圧倒するほどの力を持つ男。勝ち目は薄い。
ならば自分が犠牲になって愛する彼女を逃がす時間稼ぎを作るしかない、と。
大好きな彼の犠牲を無駄にするわけにはいかないと、小柄な美少女は涙を流し、街中を走り続ける。ふと後ろを振り返ると、そこには不動の姿はどこにもなかった。
「剛力くん、大丈夫かな……?」
弥生は肩で息をしながらも、身を挺してまで自らを逃がしてくれた剛力が心配でたまらなかった。彼はボクシング部のキャプテンを務めているほどの実力を誇るが、敵である不動はそれ以上の強さを誇るのだ。とても無事では済まない事は彼女にも理解できた。
踵を返して戻ろうかとも考えたものの、それでは折角の彼の犠牲が無意味になってしまう。
それだけはできないため、ハニーはぐっと涙を堪えて前を向いて歩き続ける。
疲れで少し目が虚ろになりながらも、一歩一歩足を進める。
彼女は、とある喫茶店を通り過ぎた。
その刹那、何かに気づいて少し後退して喫茶店の窓を覗くと、そこにはアップルとヨハネスの姿があった。彼女はヨハネスの事は知らないがアップルの事は知っているため、助けを求めるのと体力の限界で、最後の力を振り絞って喫茶店の自動ドアを潜りぬけ、彼らの席に向かう。
「弥生、どうしたの!?凄く疲れているみたいだけど……」
彼女はヨハネスの座っている椅子の隣に腰かけ、息も絶え絶えに言った。
「お願い……剛力くんを、剛力くんを助けて……!」
公園に駆け付けたアップルとヨハネスが目の当たりにした光景、それはボロボロになり倒れ伏している剛力の姿だった。愛する人を袋叩きにされたアップルは、哀しみのあまり息を飲む。ショックで動けない彼とは裏腹にヨハネスはすぐさま彼の元へと駆け寄り、反転させて胸元に耳を当て、続いて首筋に人差し指と中指を当てて脈を確かめる。
「剛力は、大丈夫?」
「心臓の鼓動と脈は正常だよ。ただ、骨がどうなっているかはわからないからむやみに動かさない方がいいね」
負傷してはいるものの、剛力が生きていると知ったアップルはほっとした。
だが、その安堵も次の瞬間には、戦慄に変わった。普段は物事を達観し動じない彼がなぜ恐怖を感じたのか。それは、不動仁王が鋭い目つきでふたりの前に現れたからである。けれどヨハネスは怯えるどころか笑みを浮かべて言った。
「君が不動仁王だね」
「そうだ。だが、それがどうした? そこに倒れている男の敵打ちにでも来たのか」
その問いかけに、ヨハネスは高い笑い声を上げる。
バカにされたと受け取った鬼神は、吠え声を出してヨハネスに拳を見舞うが、驚くべき事に彼はそれを受け止め、倍はあろうかと思われる不動の巨体を柔道の一本背負いで放り投げたのである。
敵は慌てて間合いを取るが、我が身に起きた出来事に呆然としていたが、剛力と対峙した時とは違い、やや落ち着いた声で訪ねる。
「お前は何者だ?」
「君の胸に聞いてみればわかるよ」
「フン、訳の分からぬ事を抜かす奴だ! 俺はなぁ、お前の名などしらーん!!」
不動は意味不明な答えを突きつけられて困惑し、実力行使で解決しようとパンチの雨を見舞うが、ヨハネスは暑いはずのインバネスコートを羽織った状態でその猛攻を難なく避けていく。そして不意に間合いを取って一気に飛び上がり、彼の甲板にドロップキックを炸裂させた。
「グッ……」
小柄で軽いとは言え飛び蹴りをまともに食らったのはやはり痛かったらしく、不動は一歩後退する。少年探偵はそこにスライディングキックで体勢をよろめかせると、背後に回り彼の両肩に、まるで鳥のように飛び乗った。そしてそのまま凶器エルボースタンプで強襲する。
足で彼の足をしっかりロックしているため、両腕を使う事ができず、不動は彼の肘打ちを幾度も受け続け、ついに両膝をついた。ヨハネスはサッと彼の肩から身を翻して華麗に着地し、彼の闘いぶりに呆然としているアップルに言った。
「ここは僕が引き受けるから、きみは剛力くんをお願い!」
アップルはコクリと頷き、愛する人に歩み寄る。剛力の瞼は閉じ、死んだように動かない。眠っているのだろうか。
彼は思案する。
ヨハネスが言ったように心臓と脈は正常に動いている。骨にも(パッと見ではあるが)異常は見られない。そうすると、彼はただ気を失っただけと解釈するのが妥当だった。問題はどうやって彼を起き上がらせるか。一生懸命考えた末に彼が思いついたのは、
「剛力、僕の愛で目を覚まして……」
アップルは彼の顔を覗きこみ、キスをしようとする。
呪いをかけられたお姫様はキスで目が覚める。
呪いに効くのだから失神にも効果があるに違いないと思い、彼の唇に迫る。
読者はここで彼がただ単にキスをしたかっただけなのではないかという非情なツッコミをしてはならない。脳内がメルヘンである彼にはそれしか方法が思いつかなかったのだ。今にも彼と剛力の唇が重なり合おうとしたそのとき、ハニーが公園に遅れてやって来た。だが、キスをしようとするのに夢中なアップルは彼女に気づかない。少々状況判断に戸惑う彼女であったが、取り合えず彼に声をかける。
「アップル君……?」
その声に初めて弥生の存在に気付いた彼は、彼女の手を握り泣きそうな声で願う。
「お願い! 剛力には今の事言わないでいてくれないかな?」
「う、うん……」
彼女の答えに安心感を得た彼は今の状況を説明し、ふたりで剛力をベンチに引きずって連れて行き寝かせる事に成功した。
「ハッ」
「フンッ」
不動とヨハネスの裏拳が激突する。
ふたりの拳は交差し合い、互いの頬に命中する。
だがリーチが長い分、不動のパンチの威力が大きくヨハネスはよろめく。
けれど彼は体勢を崩しながらも、空いている手で不動の顔面にパンチを当てようとする。しかし、敵の鬼神はそれをソフトに受けとめ彼の右腕を掴むと、まるでハンマー投げのように自らの体を軸にして回転を始めた。腕を掴まれているヨハネスは回転による遠心力により、次第に地面から足が離れていく。彼は猛烈な勢いで振り回されながらも、不動が何をしようとしているのかを察した。
「お前は遠くへ飛んでいけーっ!」
叫び声と共に彼がパッと手を離すと、体重の軽いヨハネスはまるで円盤のように空中を浮遊し、生えてある大木に激突すると意識を失い動かなくなってしまった。
倒れたヨハネスを一瞥し、彼はゆっくりとした足取りでハニーとアップルの座っているベンチへ足を進める。本来ならばここで逃げ出してもおかしくはない。だが、ふたりは逃げようとしなかった。それは、彼と対決を意味しているのかそれとも恐怖で動けなくなっているだけなのかは、彼には分からない。ふたりの間を挟んで寝かされているのは、彼が先ほど倒したばかりの剛力徹。彼は目覚める気配はない。
不動はアップルではなく、私怨の募るハニーを目を細めて睨む。
「弥生=ハニー=アーナツメルツ。立って俺と闘え」
「……不動くん、ごめんなさいっ」
彼女は指示通りに立ちあがった刹那、いきなりぺこりと頭を下げた。
「私のせいでクラスメートに誤解されてしまって、本当にごめんなさい!」
米つきバッタのように平謝りする美少女に不動が取った行動。
それは――
「詫びの言葉など不用! 俺に恥をかかせた償いは命を以って償うがいいいいっ」
鬼のような大男は唸りを上げる鉄槌を、容赦なくか弱い少女に振り下ろす。
「きゃああああっ」
ロリ声のハニーの恐怖の叫びが公園内に響いた。
その時、アップルがふたりの間に割り込んできた。
不動の拳が彼女に炸裂する直前に、彼はにこっと優しい微笑みを浮かべる。
すると、たったそれだけで不動の動きがピタリと止まったのだ。
彼の拳はアップルの目と鼻の先で制止している。
「貴様、なぜ俺とハニーに間に入る。俺の拳を食らってもいいと言うのか」
「どうして、こんな事をするの?」
「何ッ!?」
「僕はね、弥生を殴っても変わらないと思う」
「どうしてそう思うのだ」
「きみの心は今、深い哀しみで満ち溢れている。人を愛したくても愛せない、感情の起伏が薄いために誤解されやすく、相手に親切にしても外見のせいで怖がられる。とても寂しい……きみの心がそう言っている」
アップルは自分の胸の前で腕を組み、半泣きの瞳をウルウルとさせた顔で彼を見つめる。暫く三人とも無言であったが、ここで不動が拳を降ろし、どこか遠い目をして口を開いた。
「俺は幼い頃から、生まれ持った凶悪顔のせいでずっとひとりだった。顔が怖いという理由で女子はおろか男子さえ近づいてくれなかった――俺の孤独は年月を経つにつれて大きくなり、愛してくれるものがいないその悲しみから強くなる事を選んだ。だが、本当はずっと誰かに愛して貰いたい故の強がりだったのかもしれぬな……」
彼の顔からは眉間の皺がなくなり、険しさから一変し、まるで別人のように穏やかな顔になるとハラハラと涙を流すと、ニヒルに微笑み言った。
「これからはたとえ怖がられても皆に優しく努めよう。そしてハニーにアップル、そんな俺の心に光を取り戻してくれて感謝する」
彼はふたりに感謝し、自分の家へと帰って行く。
その後ろ姿は、今までとは違い、怒りや殺気ではなく確かな優しさと自信を持ったものだった。
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