第3話(1)「ロベールソンの末裔たち」


「映画の歴史は十九世紀末にエジソンとリュミエール兄弟によって始まった。まずエジソンが撮影機械と、その機械で撮った映像を、こう……こんな感じで、箱を覗き込む形で視る装置を作った。これがキネトスコープ。そしてリュミエール兄弟がそのキネトスコープを、映像をスクリーンへと映し出す形に改良した。それがシネマトグラフ。映画の誕生だ。

 ただ映写機そのものの起源となると、ずっとずっと古くなる。画像に光を当てて投影する機械の発明時期に関しては諸説あり、二世紀頃には中国にそれらしきものがすでにあったなんて話もあれば、かのレオナルド・ダヴィンチもそれらしき落書きを残していたりもするが、決定的なものはマルチ学者でイエズス会の司祭でもあった、アタナシウス・キルヒャーによる幻灯機マジックランタンだ。キルヒャーは十七世紀、ランプとレンズを組み合わせることで、ガラスに描かれた絵を壁へと映し出す機械のスケッチを、原理の説明と共に自著に記している。

 そしてこの百年以上あと、十八世紀の終わりに、ついに原初の映画と言っていいショービジネスが登場して、大ヒットを飛ばす。ベルギーの物理学者のエティエヌ・ロベールソンはキルヒャーの幻灯機を改良し、様々な絵をスクリーン上に投影する見世物をパリで開催した。これはファンタスマゴリーと呼ばれ、フランス革命が終わって間もないパリのシトワイヤンたちにバカウケした。

 ロベールソンによる世界初と思われる映像ショーは、一体どういうものだったのか? 何を映し出したのか? それは幽霊だった。広告で幽霊出しまーす! と煽って客を集め、不穏な音楽を流し、暗闇の中に幽霊の像を浮かび上がらせた。原初の映画はなんちゃって降霊ショーのようなものだったわけだ。

 その後もロベールソンは、ファンタスマゴリーがある種の幽霊装置であることにこだわり続けた。実在した死者を幾人もスクリーン上に蘇らせ、修道院の地下墓地で興行を行った。フランス革命で処刑されたルイ十六世を蘇らせてほしいという要望が寄せられた逸話も残っている。遡ればキルヒャーの幻灯機のスケッチにも、鎌を持った骸骨……死神の姿を映し出す様子が描かれていた。

 映像には実体がない。視えるだけで、触れることはできない。ゆえに幻灯機は幽霊を想起させたのだろう。この幻灯機は江戸後期にはオランダを通じて日本にも入り込んでいて、国内最古の映画会社として知られる吉澤商店も、元々は幻灯機の製造販売の会社だった。その血脈は現在も生き続けている」

 布巾で映写機を拭きながら、早口で長々と、久郎は蘊蓄と語り倒した。俺は奥歯を食いしばり、鼻で息を吸い、眠気と欠伸を嚙み殺した。

 日曜の朝。八時過ぎ。開館前のテアトル三津由園の映写室。

 平日は学校に行ってるので知らんが土日祭日の開館準備は通常、二人で行う。ジジイと久郎と俺、のうち二人。ジジイと久郎は映写室と劇場。俺はロビーや入口周りの準備、および清掃。俺がいない時はたぶん久郎が俺の仕事をやっているのだろう。

 しかし今朝のテアトル三津由園には三人目がいた。

「つまり、そのフィルムは棺桶みたいなもので、ここは現代の幽霊屋敷ということですか」

 換気扇の音と重なって、くわはの声が響いた。

 彼女の視線の先、久郎の足下に、銀光りする円状のケースが積み重なっている。中には久郎曰く「第二次世界大戦下のポーランドを描いたブラックコメディ。ド傑作」が入っている。

 久郎は手を止めて、振り返り、邪悪な笑みを浮かべた。

「そういうことだな。映画も結局のところファンタスゴマリーと変わらん。見せられるのは過ぎ去ったものだけだ。かつて在った命の残照、感情の傷痕を幽霊と呼ぶならば、映画は暗闇に彼岸の窓を形成し、過去たちを映し出している。チャップリン、ヘップバーン、三船敏郎の幽霊を。フィルムに焼き付いた亡霊たちを。俺たちはロベールソンの末裔というわけだ」



(1)

 夜空は黒くないな。深夜、星明かりしかない暗所を歩くたびにそう思う。

 黒く染まるのは樹木や建物、草花や道、そして自分自身だ。空は暗緑と濃紺の中間色で風景を縁取って、それを見上げる自分は足先から闇に溶けてゆく。

 一歩、また一歩と、踏み出すたびに積み上がる、硬い地面の感触。足下の視界はなく、登っている感覚だけがある。顔を刺す冷気を相殺しようと息を吐きだすが、白く形を成しているかを視認することはできない。

「おぉっ?」

 階段を登り終え、やや夜空が広くなったところで、巨影が出現した。驚いて後退る。

 ショベルカーだった。車体から伸びたアーム部分が首のようで、首長竜を思わせた。ネッシープレシオフタバスズキリュウ。

 日中に何か作業をしているのか、それとも乗り捨てられ、長期間放置されているのか。近付いてみても暗いので何色かもよくわからない。暖色系っぽい気がする。

「めっちゃビビった。超ビビった」

 小声で呟きながら、いやそこまで驚いちゃいねえな、と発声した言葉を頭の中で否定する。

 ショベルカーの前を通り過ぎ、チケット売り場っぽい小屋の横、入口っぽいアーチをくぐり、少し階段を下りて、開けた場所に出る。

 やっぱりほとんど何も見えん。見えんが広いという感覚はある。エントランス的な広場だここは。色数が削ぎ落された世界は空とそれ以外の境界を闡明にし、その分断は空間の認知を与える。

 取り囲む山稜。アメーバのように枝を伸ばす樹木。等間隔に並ぶ背の高い街路灯。何やら建物。鋭角の屋根。高い塔。その頂点に北東を指す矢、さらに上に鶏のシルエット。風見鶏だ。凹凸だったり湾曲していたりと幾何学的な、なんだかよくわからないシルエットもある。

 それらの影の一部と化している自分自身の輪郭は、依然として曖昧なままだ。夜の胃袋にもぐりこむ感覚。悪くない気分だね。

 とはいえ夜に咀嚼され、消化されるために、自転車を扱いで、養生シートや金網で構築されたバリケードを二つ三つと乗り越えて、こんな所までやって来たわけではないのだ。

「ねむくなってきた」

 目を瞑って、耳を澄ます。無音。風すらない。瞼を持ち上げて、その場でゆっくりと身体を二回、三回、四回とソフトクリームのように回転させ、360度を見渡す。

 闇だけ。闇だけだ。人の気配はない。と思う。

 監視カメラが設置されている可能性は高い。非常に高い。そしてその場合は確実に暗視されているので、つまりもう気にしても仕方がないと言える。一応死角っぽそうなとこに立ってはいるけれども。

 じゃあもういくか。いっちゃうか。いっくぞ~?

 コートのポケットから携帯電話を取り出して、開く。光る。煉瓦道を踏むスニーカーが現れる。携帯電話を頭上に掲げる。光る。しかしその光は弱々しく、周囲を照らすには不十分で、掲げた右手の回りがぼんやり明るくなるだけだった。しまった。深夜徘徊生活中はマイバッグに懐中電灯を常備していたが今はない。油断していた。吐いた溜息は白く形を成してすぐ消えた。

 じゃあ検索だ。携帯電話の画面にはアンテナ二本。電波は一応来ている模様。俺は某大手検索サイトで「そのドリ」を検索した。

「……ぉお、おお~、あーそうそう、こんな感じだったこんな感じだった」

 周囲の景色は夜に塗りつぶされたまま、表示された画像を媒介に幼少期の記憶が蘇り、影の内側に明かりが灯る。

 眼前にはルネッサッ~ンスといった感じの建物が軒を連ねた、なんとなくヨーロッパっぽい町並みが広がっている。見えないけど。謎の幾何学的シルエットもその一部だ。見えないけど。とはいえここはローマでもフィレンツェでもない。建物の外壁は近寄ってみればどれも薄汚れていて、窓ガラスは割れているものが多く、中を覗いてみれば人気はない。

 そのドリはアトラクションエリア、シネマタウンエリアの二つで構成されている。ここはシネマタウンエリアだ。町並みはなんかの有名映画を模して作られているらしいがタイトルは忘れた。

「失礼しまーす」

 適当な建物に入ってみる。棚とかあるので売店的な感じ? 所々壁紙は剥がれてるし、倒壊してるインテリアはあるし、床はなんだかザラついている。おっ長椅子みっけ。座っちゃうもんね。木製だね。うーんケツが冷たい……が、まあ、イケないことはない。

 うーん。イケないことはない。ないが、うーんと唸ってしまう。墓地で寝ていたときの俺基準なら、雨露凌げればそこはユートピア! だったものだが、しばらく続いたテアトル三津由園生活で贅沢になってしまっている。困ったものです。

 次いこ次。自身の欲望に正直に従って外に出る。って霧出てきた。四方を山に囲まれた三津由園は地形的に霧が発生しやすい。放射冷却によって山の冷気が降りてきて低地に溜まってなんとか以下略。盆地霧というやつだ。

「ピローン(口笛)。明日晴れる確率アップイベント発生」

 人間、暗闇の中に独りでいると、独り言が増える。「ウェンザナイ、ハズカム、アンドランドイズダー~ク」。意味もなく歌ったりもする。

 恐怖を紛らわすため、ではない。身体が闇に溶けると、普段はそこにある腕が、胴が、脚が、その存在が稀薄になる。なのでなんか足したくなる。削られた視覚に聴覚を補填することで、自身の質量を増やしたくなる。

「てかさ、闇に霧ってさ、これもしマジでアレなヤツが出てもさ、ぶっちゃけ見えなく……ね……」

 今なんか光らなかった?

 南西の中空を凝視する。独り言が止まり、曖昧だった視覚が研ぎ澄まされる。流れ星や航空機、そういったものとは違う、静止した、ぼんやりとした光だった。俺はそれが何かを考える前に、光が見えた方向に歩を進めていた。

 シネマタウンエリアを抜け、アトラクションエリアに足を踏み入れた瞬間に、景色に違和感を覚えた。闇と霧に塗れて解像度が低いから、だけではない。記憶と決定的な齟齬がある。なんかない。なにがない? ……あっジェットコースターの、レーンが、ない?

 かつてそのドリにおいて絶大な存在感を放っていた、鉄骨の密林が影も形もなくなっているのだ。そういや一部大型アトラクションは安全のために解体済みという話だったし、あのデカい図体である。きっと最優先で解体されてしまったのだろう。

 歩きながら、ジェットコースターの消失を確認したことで、そのドリにおけるもう一つのランドマークの存在を思い出す。

 いつのまにか霧は晴れていて、見上げた先、丘の上に満月と観覧車が見えた。

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