第2話(2)



「ユーレイといえばさぁ、これこないだ聞いた話なんだけどぉ。なんか最近そのドリでそれっぽいの見たってお客さんがいてぇ」

 ユマちゃんはカウンターに両肘をつき、赤い下唇を突き出し、上目遣いで、ネイルアートが施された指先をくねくねさせながら、そう言った。

「あー、潰れたばっかの頃よく聞きましたねそういう話」

 市の南部の郊外、三津由園を取り囲む山麓に寄りかかる形で広大な版図を誇っていた、複合型アミューズメントパーク『みつゆそのドリームランド』――通称「そのドリ」が経営悪化の末に半世紀近い歴史に幕を降ろしたのは、二年ちょい前の話だ。

 役目を終えた夢の国。とはいえドデカい遊園地は施設やアトラクションを取り壊し、更地にするにも金と手間がかかる。跡地の新たな買い手も、再開発の目途も立っていない状況で、莫大な損害を被った運営会社が後始末に大金を注ぎ込みたがるはずもなく、“元”そのドリは一部の大型アトラクションを安全のために解体&撤去したのみで、ドリーミーな姿の大部分を保持したまま放置されることとなった。

 ところがこの放置プレーが新たな問題を呼び込む。閉園後しばらくすると、元そのドリに関する非ドリーミーな噂が市内を駆け巡り始めた。

「あれすよね、自殺した社長が観覧車を磨いてるとかそんなの」

「そうそぅ」

「そんでそのドリができる前は空襲で工場が全焼したとか江戸時代は処刑場だったとかなんとかの」

「あったあった。こわいよねぇ~」

 全然怖くなさそうに首を縦に振るユマちゃん。

 野ざらしの大型獣の屍体には腐肉食動物が群がるもので、閉園後のそのドリにも廃墟マニア、ユーチューバー、ロジョーズ、暇な地元の若者たちと、望まれざる客がてんこ盛りでやってきた。そしてしばらくすると、そういった連中の一部が囁き始めた。「幽霊見タリ枯レ尾花ニアラズ」というわけだ。

 この幽霊目撃談はSNS、動画サイトといった噂増幅装置を総動員し、三津由園市を飛び越えて県内全域、さらには全国のオカルト好きへと拡散していった。そして拡散する過程でそのドリが開園に至るまでの背景、閉園後の顛末などの情報が付け加えられ、特に中高生を中心に、チェーンメールまがいの恐怖を煽る文面が猛威を振るった。ガラケーユーザーで非SNSマンの自分の元にも届いたくらいなので、市内の若者の大半が一度は目にしていると思われる。

 その文面は市県内を駆け巡る過程で変形を繰り返し、様々なバリエーションがあったようだが、核となる情報、共通する部分を羅列すると、大体こんな感じだった。


 ・そのドリがあった場所にはもともと兵器工場が建っていた。

 ・そのため戦時中は空襲の標的になり、多くの工員が死んだ。

 ・さらに遡ると、江戸時代は処刑所だった。

 ・今も園内には処刑された罪人の首が埋められたままになっている。

 ・その怨念によってそのドリは潰れ、遊園地を作った社長は自殺に追い込まれた。

 ・無念の死を遂げた社長は、現在も夜になると観覧車やメリーゴーランドを磨いている……


 しかしそんな噂も最近は下火になり、すっかり聞かなくなっていた。というのも。

「でもそのドリの跡地って、今はもう入れなくなってますよね?」

 元そのドリの不法侵入者たちは不穏な噂を市内に撒き散らしただけにとどまらず、器物破損や盗難、近隣住民への騒音被害や治安悪化の不安などなどなど、様々な問題を引き起こしていた。

 夢の国が一転害虫ウヨウヨ。軽犯罪の温床へ。これが市議会で取り上げられ、管理責任を追求された運営会社は重い腰を半分だけ上げた。具体的な撤去計画はおいおい考えるとして、とりあえず誰も入れないようにしておこう、ということで元そのドリ及びその周囲を厳重に封鎖し始めた。もともと山に面した立地なので封鎖は比較的容易だったようで、かくして老若男女を分け隔てなく受け入れていた夢の国は、あらゆる人間を拒む堅牢な城砦と化したのである。

「そうなの? でもそこはムンくんだからぁ~、ムンくんだからねぇ~?」

「むんくん?」

 なんだその叫びそうな奴は。頭に浮かんだ疑問を挫くように、「あー!」とユマちゃんがスマホを見ながら叫んだ。

「もうこんな時間かぁ。帰って帝王にごはんあげないとぉ。てかエネルギ切れそぅ!」

 帝王とはユマちゃんが飼ってるインコである。なんとも偉そうなネーミングだが以前写真を見せてもらったそのインコは確かに支配者っぽい精悍な面構えをしており、黄色い頭部は王冠のようだった。

「そんじゃーねぇ~……ってさっむうー! マジさっむぅー」甲高い声に、鋭い風の音が重なる。「築き成したる吾が大スマホ。スマホがんばれ。がんばれスマホ」

 謎の歌でスマホを応援しながら、短いスカートで、太もも丸出しで去ってゆくユマちゃん。その太ももを見送りながら、俺とユマちゃんの会話には参加せず、自分のスマホをいじっていた久郎が呟いた。

「……ま、そのドリができる前はあのへん一帯、全部畑だったらしいけどな」

「元社長もちゃんと御健在なのよね」

「どっかの旅行会社の顧問だか相談役に就任したって新聞で見たな。そもそも無念の怨念も何も、そのドリ作った社長と潰した社長は別人だしな」

 そう。三津由園市を席巻したそのドリの幽霊話は、そのほとんどがデマで構成されている。実際に幽霊を目撃したと主張する連中の真偽は知らんが、外殻を固めた逸話は典型的なザ・都市伝説というやつだ。

 三津由園の農産物といえば葡萄。しかしそれはあくまで北部や東部の話であり、葡萄の栽培に適しているとは言えない南部で盛んだったのは養蚕業、そして麦やとうもろこしといった穀物の生産だったらしい。戦後それら農地をぶっ潰して暴誕したのがそのドリなのだ。

 つまり江戸時代に数多の罪人が斬首された処刑所も、空襲で焼夷弾を落とされて炎上した兵器工場も存在しない。経営を破綻させた元社長は創業者ではなく二代目で、自殺なぞしていない。

 この件に関しては元そのドリの運営会社が「そのような事実は一切ありません」と公式に否定するリリースを出している。だから俺もデマだと知っている。

 にもかかわらず未だに情報がアップデートされず、ユマちゃんのように都市伝説を信じている人間が市内には少なくない。その修正パッチの伝播と浸透力は、デマが瞬く間に市内に広がったのに比べると、明らかに弱かった。

「真実がどうかより面白くて、話のネタになるかどうかが重要ってわけだ。都市伝説も怪談も映画もな。あの土地は呪われている、怨念で遊園地潰れた、跡地行ったら幽霊見た、自殺した社長が彷徨ってるって、なんかこう、上手いことコンボが決まってる感じがあるしな」

 そう言って久郎は笑った。なんというか久郎に似つかわしくない、邪悪さを感じさせる普段の笑みとは異なる、柔らかい微笑だった。そんな表情がここで出る理由が、何がそんなに可笑しいのか俺にはわからなかった。

 客がロビーからいなくなったのを見計らって立て看板を片付ける。折り畳んで事務所へGO。今日のホラーの時間はおしまいだ。

 久郎のシフトも今夜は九時で終了。丈の短いダウンベストで手足の長さを見せ付けるコーデで去って行く久郎と、入れ替わるようにしてジジイが現れた。

 これまでにも何度かこなしてはいるものの、未だに緊張させられるジジイとのマンツーマン労働。墓地で会ったときは饒舌だったのに、ここでは寡黙を突き抜けてほぼ無言なのでたいへん空気が重い。グラサンで表情読めなくて何考えてるかわかんねえし。

 今日もやっぱり何も言わずに映写室に入っていくジジイを横目に、俺は客の応対をする。モギリをし、コーラやビールやポテチやアイスを売る。ポップコーンはゲロマズなので売れない。そうして再び開演のブザーが鳴る。

 普段上映中はボケーとしている俺だが、勤務中に何もしていない姿を雇い主に見せつけるのはなんとも気まずい。なのでカウンターから出て、特に汚れてもいないロビーのテーブルを布巾で拭いていると、いつの間にか背後にジジイがいた。

 ジジイはグラサンを外していた。やや緑がかった青い瞳。

「先ほど久郎と話していたが、お前も潰れる前にそのドィに行ったことがあるのか」

 そのどぃ? 一瞬ジジイが何を言っているのかわからなかったが、そのドィ、そのデイ、そのD……と脳内で数度繰り返して、この単語がみつゆそのドリームランドの略称だと理解する。というか館内にいなかったはずだが、どこで盗み聞きしていたのだろう。

「そらま、ありますよ。三津由園市民なら一度くらいは行ってるもんじゃないですか」

「一度だけか」

「自分は二度ですかね。小さい時に親に連れられて一度。二度目は小学生の時になんか友達と、夏休みに」

「そうか」

 ジジイは呟いて、再び映写室に戻っていった。久しぶりの会話はそれで終わった。やることのない俺はカウンターに戻る。やることがないので煙草のヤニで黄ばんだロビーの壁紙の切れ目を視線でなぞり、線上に重なる薄黒い染みの形が何かに似ているような気がして考えて、すぐに飽きて目を瞑る。

 また映写室のドアが半開きになっているのだろう。映写機の動作音とジジイが咳き込む声が重なって聞こえてくる。壁の向こうのスクリーンでは久郎曰く「やや演出過剰だが悪くない純愛映画」が流れている。『ずっと起きたまま夢をみていた』。興味もないね。

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