/0.5


――それは、ある冬の夜の出来事。






















 一日の始まりと終わりに、一度ずつ。それは当機わたし歯車ギアを回すような、一人と一機にとっての秘め事めいた日常あたりまえのはずだった。



 その夜。いつものようには、幼な子はこの閉じた廃坑を訪れはしなかった。



 淡い願いが届いたのだろうか。それとも、人間の身体には些か冷たい、冬の風に体調でも崩して寝込んでいるのだろうか。


 倒れたままの機体からだ。動かすことのできない視界の端に、小さく見える外の世界への出入り口。








――帳の降りた時間だ。幼な子は今日はもう来ることもないだろう。


 もしかしたら、明日の鐘に合わせて来ることもないのかもしれない。

 今日の朝、ついに当機わたし機体からだの隅から隅まで拭き上げて、ちいさな主は満足げに此処を出て行ったのだ。



――燃えるように赤い外の世界ウェールズを視ている。




……火事でも起きたのだろうか。あの子の事が、気に掛かる。


 当機わたしに出来る事はない。



























 やがて。



「……っ、おじさん……っ!」


 燃える外界を背に、ちいさなちいさな身体が、壊れた鉄に飛び込んできた。

 

 一体どうした、主。何をそんなに急いでいる。当機わたしに逢いに来てくれたのだ。感謝すれど、遅れることには何の異論も検出できない。



「むらが、っ……みんながっ! おそ、おそわれてっ! 火、火がたくさ、たくさんっ! どうしよう、どうしようおじさん! 神父さまも、おじいさんも、おばさんも、みんな、みんながっ……シスターはにげろ、って、でもおじさん、みんながっ!」


――――。


 それで、当機わたしのところに来たというのか。この幼な子は。

 他にもう、寄る辺が無かったとでもいうのか。このちいさな命を取り巻く世界は。


 このような鉄屑スクラップに縋る以外の選択肢が、もう用意されていないというのか。




 だが、ちいさなちいさな当機わたしの主。


 当機わたしに出来る事はない。


 今のこの機体には、そのちいさな身体を抱きしめることも、言葉をかけることも、外敵を排除することも出来はしない。



 当機わたし臓機オルガンは損壊している。

 動力源は無事だが、の機構が、そのための火打石フリントが、既にもう失われているのだ。



 問題なく機能しているモノと言えば、当該対象を認識するだけの視覚と、聴覚と、情報記録。それから製作者の気まぐれで搭載された、この【心】――歯車水晶ギアス・クォーツだけだ。


 発声機能も損壊してしまっている。








「見ィ~~~~つけた、っとぉ。おぉい、こっちだ!」


 記録にない声がする。


 判別/成人男性


「ったく、ガキの一人っくらいで大げさ過ぎンだろ! なんで俺たちまで出張ってんだよ。お前一人でやれよなー」


 追加/計六人



「仕方ねえだろうよぉ。一人でも残して、バレたら大事だ。こんなちっぽけな村の稼ぎで警察連中とやり合うとか尺に合わない。……ほらチビっ子。追いかけっこはおしまいだ。さっさと来い」


「……っ」


 ちいさな身体が、精一杯の力で当機わたし機体からだにしがみつく。


「つか、何だ此処。てかなんだソレ。売りの足しにはなるか、後で荷車にでも載せるかぁ?」



 

 男の手が伸びるのを、外れかけの視界に収めている。



 

 当機わたしに出来る事はない。






































『―――――――――、』




 鹿――!


 なにが「動かない」だ。


 なにが「損壊している」だ。


 なにが「出来る事はない」だ。



 内燃機構は無事だろう。ならばあとは点火をするイグニッションだけだ。


 このまま怠惰に、このちいさな命がやがて大きくなり、自分の元を去る時が来るのであれば、そのままでも良かろう。


 だが、今はどうだ。


――


 まったく寝ぼけた話だ。この状況を甘受するというのなら。


 まさに鉄屑スクラップ。分解され鋳潰され、農夫の手に持つ鍬にでも成り果ててしまえ――!



『ザザッ ザザザザッ ザザザザザザザザザザザザッッ!』


 無様な悲鳴だ。豚にも劣る。今の当機きさまにお似合いだ。






――別離を済ませろ。/諒解。


――ふいごを畳め。/諒解。



「なん――?」


「おじ、さん……?」



――遺す最優先命令プライマリ・コマンドを決定しろ。/全てはこのちいさな主の為に。



『――ザザザザザッザザザザザザザ永久稼動機関“ブラックダイヤ”にザザザザザザザザザザザザッザザザザ歯車水晶を起爆剤として点火を行う



 去らば。ちいさなちいさな当機わたしの主。



 その身の未来を、護り通そう。この錆びぬ誓いGeassQuartzに懸けて――!








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――鉄の巨人が立ち上がる。


水銀の血を滾らせて、幼な子の手により拭き上げられた黒鉄くろがねの四肢に命令を下す。



――赤く煌く眼光は廃坑の暗闇に残光を引き。



ザザザザッザザザザザこれより外敵を排除する


――壊れた声帯から、嵐の夜ワイルドハントのような意思ノイズを漏らし。



右腕に抱くのは幼いあるじ



――火花を散らし鳴き喚く大小幾千の歯車。

 軋みを上げて駆動する左腕。潤滑油が不足している。十全稼動には遠く至らない。

 だが、この程度の状況に。その程度の不具合で、果たしていったい何の問題があるというのか。


「ば、ばけっ、化物! 怪人ファントム――!」


 如何にもその通り。だが、そのルビの掛かる語に誤りが在る。



 十九世紀。人類文明の躍進に名を馳せた稀代の蒸気技師。



――ダニエル=アッシュ=オータムバインが傑作。


 彼の遺作はこう呼ばれる。自立起動する、心を持った鉄の巨人。


 “械人ファントム”と。





 その威容。創造主の偉業をほこるように。心を失っで点火した械人は、背部排気機構から、まるで翼のように銀蒸を排出させた。


 熱に棚引く真紅のマフラー。それを想う心は、もう亡くしてしまったけれど。

 だが、代わりに動くことが可能となった。



 そうなってしまえば事は容易い。如何なる剣も、ナイフも銃器さえ、脆弱な人間の身では、その黒鉄の身体を損壊せしめることはできないのだから。






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――状況は終了した。は主を地面に降ろす。



「…………おじさんっ!おじさん、おじさん、おじさん、おじさん!」


 だと言うのに、幼な子は再びその機体に抱きつく。離れない。


「ザーザザ、ザザザザッザザザザザ」


 交わす言葉は最早無い。無機質に心無く命令を待つうまを、まったく通じないノイズで発するだけ。


 だが。



 奇跡は機械の身にも降りかかるのか。それとも遺児を護ったことに対する、亡き創造主の温情か。



「ザザッ、ザザザザッ…………ザザザザ」



 たった一度。しかも拙く。やはりノイズ混じりの「声」で。喪われた心のまま。


 彼は、かつて心を通わせた、ただ一人の主の愛称を、搾り出した。







――それから、十年の時が経つ。

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