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「きょうはね、神父さまとシチューをつくったんだ」


――小さな手には布きれ。錆びた機体からだを一生懸命に拭いている。


「それでね、お祈りもしたんだよ。あしたもへいわにくらせますように、って」


――応える声はない。幼な子が語りかけるその鉄は、致命的なまでに損壊していた。


「……うん。へーき。神父さまも、シスターも。樵のお爺さんも、肉屋のおばさんもやさしいから。おじさんも、いつでもこうして待っていてくれるから」


――だから、さみしくないよ。と、壊れた鉄に笑いかける。


 一日の始まりと終わりに。幼な子は必ずこの、僅か十数mの奥行きしか無い、閉じた廃坑に足を運んでは、こうして拙く、けれど丁寧にこの機体からだを拭いていく。


 まるで空管パイプに穴が空いてしまったオルガンのペダルを押し込み、鳴りもしない鍵盤を叩く事に似た、あまりにも無為な日々のルーチン。


 まったく例え方に異論が浮かばない。言葉通り、この機体からだに詰め込まれた臓機オルガンは壊れてしまっているのだから。


 だから幼な子の、一日の始まり――今朝はね、こんな夢を見たよ。それからどこそこに行くの――や、このような一日の終わりに、今日あった出来事を話しかけるという行為に、たったひとつの、たとえば頷くだとか、そういった反応さえも返せない。


――或いは。この、一見すると人生の足しには一切ならないようなこのルーチンこそが、幼な子の、幼な子らしい脆弱な精神の安寧になっていたのかもしれない。



 一日の始まりと終わりに一度ずつ。当機わたし機体からだを、少しの進捗で拭き上げたあと、幼な子は必ず、自分の腕ほどの大きさもある指に、そっと抱きつくのだ。


「今日もありがとう、おじさん。もうすぐ、ぴっかぴかになるからね」


 そうして朝の鐘がなる前に。あるいは夜の帳が落ちる前に。幼な子はこの廃坑を、嬉しそうに出て行く。


 当機わたしにとっては慣れたものなのだが。ちいさなちいさな当機わたしの主。


――独りで眠る夜は、寂しくはないだろうか。此処からでは星も月も見えたものではないが、せめて彼らが優しくあなたを見守ってくれていますように。






















 季節は秋。今日の主は、一風変わった登場の仕方をした。


 危なっかしくて見ていられない。だというのに当機わたしは関節ひとつ動かせないので、斜めの視界で認識するその姿を見続けるしかない。


 両手いっぱいに抱えられた赤い筒。材質は布。

 主の身体が小さいものだから、視界の確保もままならない。


 実際、此処に来るまで何度も転んだのだろう。頬には土がついており、赤い布筒も同じ有様だ。


 そして、当機わたしの傍にその、身体に対して大きな荷物を降ろすと、花の咲いたような笑顔で、とんでもない事を口にした。


「もうすぐ冬がくるからね、おじさんもさむいとおもってね。マフラー、ですっ」


――当機わたしに温度検知の機能はあったとしても、この機体には寒暖を感じる機能は無いのだ、主。


「でしょう? おじさんはとてもおっきいから、ながーくしました」


 諒解。当たり前だがまったく通じていない。


 おそらくは、この幼な子の世話を見ているシスターに手伝ってもらったのだろうその防寒具は、やはり当機わたしを拭く時のような拙さで、やはりとても丁寧に作られていた。


 調子の外れた鼻歌を鳴らしながら、当機わたし頚部くびに、ぐるぐると布を巻き付けていく。


「ね、これで冬がきてもあんしんだね、おじさん」


 と、今となっては遠い過去に記録した、この土地ウェールズの春のように、その顔を綻ばすものだから、当機わたしは黙って受け入れる外ない。もっとも、発声機関は損傷、音のひとつも出せない状態なので結果は変わらない。




 当機わたしにとっては慣れたものなのだが。ちいさなちいさな当機わたしの主。


 この通り、寒さとは無縁の身になれたのだ。来たる冬の厳しさに、この日常を休んで、暖炉の傍でまどろんでいてはくれないだろうか。




――その願いは、かなり悪辣な状況を以って叶えられることとなる。


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