ジュタ 4
畑でじゃがいもの収穫が出来たとスイから電話で報告を受けた時、俺はアジトから2日程離れた場所にある海岸線にいた。
アジトを出発して今日で5日目程、スイは拗ねもせずじゃがいもの収穫を喜ぶ報告をして来る。外泊を徐々に増やしたかいあって、もう10日位ではなんとも思わなくなったらしい。そのおかげで俺はこんな遠く離れた海岸線の調査に乗り出せた訳だ。
この海岸は、機械との戦争が始まる前に金持ちの別荘地としての開発が行われていたらしい……その後何年も続いた戦争でビル等の建物は事如くのように崩れ去ったが、環境的にはそんな大ダメージは受けなかったようで、海は青く澄んでいた。
少し目を凝らすと海底に貝や小魚が生きていて、そんな魚を狙った鳥も飛んでいる。
海岸に面したこのエリアは昔そのままの森も残っており、探せば他の動物も見付けられるのだろうが、今回の調査はここまで。
これまで細かくメモしたものをまとめに戻らなきゃならない上に、通信機の充電もしなきゃならない。それに軽く物資不足だ。昨日から現地調達した貝しか食べてないから空腹で……そこを見計らったように収穫の報告、帰るしかない。
2日かけてアジトに戻ると、スイは通信機片手に機嫌悪そうに俺を見ていた。理由は、電話が通じなかった。に尽きるだろう。しかしあえて何事もなかったかのように荷物を下ろし、パソコンにメモした事柄のまとめを始める。すると横からヒョイと顔を出したスイは作業が終わるまでジットモニターを見ているのだ。
「今回は海まで行ったんだ?」
作業が終わる頃になるとこの通り、斜めだった機嫌も元通り。
「元々海まで行くつもりはなかったんだけど、思ったより海岸線が近くに見えたからついでに見て来たんだ。で、貝やら魚がいたから観察してたら予定より随分長い滞在になって、それでバッテリーが持たなかったって訳」
スイの機嫌が直ってから電話が通じなくなっていた理由の説明をすると、じゃーしょうがないね。と、笑ってくれる。これが機嫌の悪いうちだと“本当かなぁ”となかなか信じてくれない上に当分拗ねたままなのだ。
「腹減ったろ?スグなんか作るから待ってろよ」
台所へと移動したスイからは鼻歌などが聞こえ、何故か機嫌は最高に良さそうだった。さっきまで機嫌が悪かったとは到底思えない程の変わり身にただただ幸せ気分に浸れる俺も謎だな。
最近ではたまにしか悪夢を見なくなったらしいスイの精神は安定していて、若干記憶も戻りつつある。
久しぶりにアジトで向かえた朝。本来なら二度寝でもして疲れを癒す所だが、今日はそんな訳にもいかず、俺の通信機がけたたましく鳴っていた。
俺に電話して来る奴なんてスイの他にはタイキしかいない。
「よぉ。どうした?」
電話の向こうはやけに慌しく、遠くの方ではガドルの声までした。雰囲気的に急患か?
「俺にもよく分からないんだ……とにかくスグ来てくれ!」
スグに来い。
その言葉に俺は記録的スピードで準備を整えるとロケットに乗り込んでいた。
普通に考えてそれが1番早くに行けるルートなのだ。まぁ普段は燃料代とかかかるから出来るだけ徒歩なのだが、急患となれば話は違ってくる。
「急患だ、行って来る」
見送りに来たスイに報告し、月を経由してやって来た施設。
ロケットで来るだろうと想像していたらしいタイキは既にそこにいて、挨拶もそこそこに診察室へ案内した。
以前の診察室と雰囲気が違うのはリフォームされて広くなった事と、拘束器具が姿を消した事が原因だろう。
「で、どうした?」
患者は女の改造人間で、さっきから気分悪そうに診察室とトイレの間を行ったり来たりしている。そんな女に付き添うようにガドルもウロウロしていた。
「時々……すごく気分が悪いんだ……」
少々落ち着いたらしい女は診察台に寝転びそう言った。
気分が悪いという事は内臓が圧迫しているからか?ただの食べ過ぎって事も無いだろうし……まぁ、調べてみないとなんとも言えないか。
「今から診察を始める。1人でいけるか?」
診察室にはガドルを始めとする何人かが付き添いの為にいて、俺はメンテナンス以外の治療を始める前には患者自身に毎回そう聞くようにしている。
1人で良いと言ってくれれば部外者を追い出して集中出来るのだが……。
「ガドルさんには……いて欲しい……」
はい、分かってました。
今までに誰1人として1人で診察を受けた奴はいない。
たいがいこのガドルが指名され、頼んでもないのに手伝おうと邪魔をするんだ。良いからジッとしてろ!と怒鳴ると“ガドルさんをいじめるな”と患者が怒る始末……はぁ。
診察を始めて数分後、俺は女の異常部分の特定にいたり、同時に管轄外だと結論付けた。これは人間部分の異常、俺ではどうする事も出来ない。
こういう場合はなんて言えば良いんだろうか……まぁ、普通に、
「懐妊おめでとう」
かな。
妊娠していると分かった瞬間ガドルは単純に喜び、激しい運動はしない方が良いだのバランスのとれた食事をしろだのと注意をしている。
そんな2人に背を向け、俺は月の管理センターに電話をかけていた。もちろん助産師の派遣を求めたのだ。
しかし、管理局の態度は必要以上に冷たく……というか、月においても助産師は足りていないらしく、地球に派遣できる人材がいない。と言うのだ。
「なら必要な器具とマニュアルを送ってくれ」
それならば、とスグにパソコンにメールが届いた。
1から勉強しろってか?まぁ、改造人間にとってはこの程度の情報量、1時間もかからずに丸暗記出来るんだけどさ。
あ、待て。その前に確認する事があった。
「父親は誰か分かっているのか?」
まだ喜び合っている2人の元に戻り、普通の質問をしたつもりだったが、女はあからさまに睨んでくるし、ガドルはそんな言い方はないだろ!と怒った。何故この2人が怒っているのかは分からないまま、
「子供を産むかどうかは良く話し合って決めるんだ」
と、これまた普通の言葉をかけた。
2人は診察室から出て行ったので、戻ってくるのを待つ間にマニュアルに目を通す。
「よぉ、元気だったか?」
メモリに情報を入れ込んでいると、かなり近くから声をかけられた。
資料から顔を上げてみれば、ほんの数センチの所にタイキの笑顔がある。
なんだ?この距離感。
「……お陰さまで」
「ドクターは全ての改造人間をメンテナンスしてんだよな?」
なんだ、ただの質問か。
「そうだな」
「俺の友達……親友の事なんだけど、見た事ない?ジュタっての」
友達?親友?
なにを言い出すかと思ったら……まだ俺を探している最中だった訳か。こんな事を言われる位なら、正体がバレていた方が余程マシだった。
これだけ顔を合わせて、これだけ近くにいて、何度も会話をしたのに、お前はまだ俺を俺だと気付かないじゃないか。
確かに制御装置は無いかも知れない。だけどさ、それでも、お前はジュタなのか?みたいな質問位はあるもんじゃないのか?
「ジュタ?スクラップになった改造人間のリストで名前だけ見た事がある」
CF1519のジュタは死んだんだ。実際スクラップになってるんだから。
「どのリストだよ!」
「スクラップになった者に夢を見るのは止めろ。生きていると希望を抱くから苦しいんだ。受け入れろ、ジュタはスクラップになった」
なにか反論があったのか、タイキが身を乗り出した次の瞬間、出て行っていた女が1人の改造人間を連れて戻って来た。嬉しそうに産みますと言いながら。
「分かった。後2日程で月から詳しい検査の出来る機械が届く。届いたら連絡をくれ。今の段階で注意する事は、バランスのとれた食事、太らない事、塩分は控える事。激しい運動などは避けるように。いいな?」
仲良くそろって良い返事をした2人を診察室に残し、ロケット打ち上げ場に移動すると、後ろから黙ったままのタイキがついてきた。
「俺は……信じない」
親友よりもガドルを選んだお前が今更なにを言うんだよ。
「お好きにどうぞ。では機械が届いたら連絡してください」
早々に別れを告げて出発した俺は、1時間後アジトに戻って来ていた。
「日帰りなんて珍しいじゃん」
ぞうさんジョーロを片手にしている事から畑の手入れをしていたんだろうスイは、服に付いた土を払い落とし、わざわざ俺の為にと茶を入れてくれた。そんな俺は出された茶を飲みつつ資料を丸暗記する。そこには届く筈の機器の説明もあり、これならば患者を前にしたとしても普通の医者並みの診察は出来るだろう。
「改造人間でも妊娠するんだ?」
横からモニターを盗み見ていたスイはそれがなんの資料かを理解した途端怪訝そうな声を上げた。きっと悪夢の内容がそういう行為なのだから仕方ないと言えばそうだ。
「無事に出産出来るかどうかはやってみなきゃ分からん」
いや、きっと普通の人間と同じ確立で出産に至るだろう。
それが改造人間に生殖機能を残した理由だろうから……機械との戦争を終わらせる為に作られた改造人間。戦争を終わらせるという理由で作られたのだから終わった後の事も散々議論され尽くされただろう。
その結果、生殖機能が残された……いくら改造人間と言えども、妊娠し産まれてくる子供は普通の人間だ。政府の奴らはそうやって改造人間が人間に抱いている憎しみの緩和を図ったのだろう。
資料の全てを頭に入れ終え、少し暇になった俺は畑に戻って水遣りを再開させたスイをボンヤリと眺めた。
俺の正体を告げるのが良いのか、それとも最後までドクターとして傍にあり続けるのが良いのか……変だよな、タイキにはスクラップになった。なんて言っておきながらスイにはジュタだって言いたいんだから。
でも怖いんだ。俺の正体を知った途端記憶が元に戻るんじゃないかって……だったらドクターのままで良いと1度も2度も納得した筈なのに。
「思い出すまで黙ってるんだ」
溜息と共に自分に言い聞かせる台詞を吐いた俺は、通信機の充電と溜まっていたメモのまとめ作業に精を出す事にしたのだった。
それから1週間。
機械が届いたとタイキから連絡が入り、俺は歩いて施設に向かっていた。
もちろんスイは留守番。
最近ではスッカリ留守番にも慣れたようなのでなんの心配もなく施設に向えている訳だが、今回の帰りは10日やそこらじゃ済まなく可能性があった為、詳しい日数は告げてない。多分いつものように5日程で俺が帰るのだろうと思っているに違いない……そりゃ妊娠中の女になにもなければアジトに帰る事も出来るが……いや、なにが起こるか分からないのが改造人間の妊娠だ。ただの人間なら“無理はしないように”と言えば振動がある場所に行かないとか重い物を持たないとか勝手に判断して実行してくれるのだろうが、相手は改造人間、胎盤は人間と同じ強度だと言うのに“重い物”の認知が酷くズレている。それこそ“軽い運動”で100m全力疾走し兼ねない。
つまり、目が離せない。
施設に着き、真っ先に届いた機械のチェックを済ませ、診察室に患者とその夫を呼び、当然のように付いてきたガドルとタイキを迎え入れ、患者の様子を見る事にした。
「貧血気味とかじゃないだろうな?」
「大丈夫だ」
予想に反して即効返ってきた返事。
普通ならばガドルかタイキが“答えて”的な言葉をかけなければなんにも答えない改造人間達なのに……我が子の為なら気に食わないドクターの言葉にも従うって事か?
なるほど、人間が改造人間に生殖機能を残した策は大成功だったようだな。
「極端に太ってもいないようだし……食事は出来てるか?」
「まだ時々気分が悪くなるが、ちゃんと食べている」
診察の結果、女はガドル監視の下理想的な生活を送っている事が判明した。なので後は“軽い運動”内容を具体的に伝授し、腹の中で育っている子供の映像を見せておしまい。
説明すべき事はしたし、注意すべき事も全部言った。女の容態は安定しているし、そろそろ悪阻もなくなるだろう順調さ。だから一旦アジトに戻る事にした。
「次、1ヵ月後に来る。なにかあったら電話してくれ」
タイキは無言のまま出入り口を塞ぐように立ち、俺の行動を凝視していた。
きっとなにか重大な発表があるのだろう。タイキはいつも大きな事を決断する時はかなり慎重に考え、思いつめる傾向がある。ルルと一緒に前線に出ると告白して来た時の表情が丁度こんな感じだったっけ。
「ジュタ……」
なんだ?それ。
もしかして俺の正体に気が付いたのか?
それともまた、ジュタを知らないか?の意味?
かも知れないな。
「お前の、スクラップになった友人がどうした?」
「戻って……来ないのか?」
どういう意味だ?これ。
いや、もう言葉通りに受け取ろう。
「完全にスクラップになった者を修理する事は出来ない。残念だが諦めろ」
帰り支度が整い、軽く手を振ってみれば、タイキは塞いでいた出入り口を開けてくれた。
アジトに向かって歩く事数時間、突然通信機が鳴った。
相手はスイからで、ただすすり泣く声だけが聞こえてくる。
「どうかしたのか!?」
何度呼びかけても返答はない。きっと例の夢を見たのだろうが……それにしたって変だ。
「スグに帰るからな!一旦切るぞ」
「イヤダ!!」
急に荒げたスイの声は酷い鼻声で、号泣してたんだと想像が出来た。
早く帰りたいが、ここからじゃアジトまでどんなに頑張っても5時間はかかる。その間通信機使いっぱなしにするとどうしても途中でバッテリーが切れる。こんな精神状態のスイには急に通信が切れるというショッキングな出来事に耐えられないだろう。
急ぐしかないな。
「畑の水やりは終わったか?」
話しながら全力疾走するのはかなり無理がある上にスイからの返事はほとんどなく、俺の独り言に終わる。話しているうちに少しでも精神が安定すればと思っていたのに、1時間経った今でもスイはまだ泣くばかり。バッテリーは多分残り2時間程度、しかしアジトまでの距離はまだかなりある……。
「ごめん……もう大丈夫だから……」
ちっとも大丈夫じゃなさそうなんだけど?
「どうしたんだよ。なにがあった?話せるか?」
「ドクターがジュタ……なんだよな?それ思い出したら急に涙が止まらなくなっただけ。でももう落ち着いて来たから……急にごめんな」
急激に落ち着きを取り戻したスイは照れ笑いを含んだ声を上げ、それでもスグに通信を切りたくないと会話の続行を申し込んできた。なので、バッテリーの残り時間と、既にアジトに戻っている最中だと告げると、バッテリーが切れるまで話そうと言ってきた。
「急に切れても怒るなよ?」
「分かってるって」
完全にいつもの様子に戻った事に安心したものの、それでも早く帰らなきゃいけない気がして、俺はただ只管走ってアジトを目指していた。通信機からは他愛ない話しを続けるスイの声がして、でもそれとは対照的な鼻声は結局バッテリーが切れるまで続いていた。
通信が切れてからも走り続ける事2時間、アジトのある森の入り口が見えてきて、そこには俯いたまま座っているスイの姿があった。
「ただいま」
もしかしたらまだ泣いているかも知れないが、それでも姿を確認出来ただけでホッとした。どれだけ会いたかったか……言葉じゃ伝えきれないぞ?絶対。
「ジュタ……やっと会えたね」
声をかけるとパッと顔を上げたスイは俺を確認するとニコリと笑って見せてくれたのだが、やっぱりその顔は泣き腫れている。
「大袈裟だな、2日ぶり位だろ?」
妙に意味深いスイの言葉にどう返答して良いのか分からず、取り敢えず現実的な言葉を返すと、スイは“そうなんだけどさ”と立ち上がりアジトの方へと歩き出した。
走り続けて疲れていたらしい俺はアジトに着くなり資料の整理とかメモのまとめとか全て後回しにし、ただ通信機の充電だけしてベッドに倒れ込んでウツラウツラを眠ったのだった。
いくらか眠れた気がして目を開けるとスッカリ夜……この時間はいつもスイが魘されて飛び起きる時間だ。やっぱりこの時間になると気になって俺まで目が覚めるらしい。
もう眠れそうもないので後回しにしていた資料の整理をボチボチ始めていると、いつもの時間になってスイは飛び起きて来た。のだが、これまでとは違って、夢の中で延々助けを求めているジュタの正体を思い出したせいなのだろう、ズット俺を見ている。
「凄い汗だな。シャワー浴びて来いよ」
その視線にどう対処すれば良いのかが全く分からずに、飛び起きたスイに素っ気無く声を掛けたが、当のスイは俺を見たまま沈黙し、シャワーを浴びに行く気配も見せずにいる。
「スイ?」
「あ……うん。シャワー浴びてくる」
ノソリとベッドから出て去っていく後姿を見る限り、夢の内容が現実に起きた事だとはまだ気が付いていなさそうだな。
酷い夢を見た、といった気だるさしか感じないからだ。
一種のショック療法として“ジュタの正体を明かす事”が記憶を戻す切欠になるのでは?なんて考えていたが、俺の事を思い出した今になっても記憶が戻る気配がないとなれば、施設で暮らしていた頃の記憶はもう戻らないかも知れない。思い出す必要は全くないのだから、それは喜ばしい事……。
フゥと自然と溜息が出た。
助けられなかった癖に、人間の振りをしていたスイを施設に置き去りにして俺は安全な場所にいた癖に、なにが思い出す必要はない。だよ……俺はただ“なんで助けてくれなかったんだ”と攻められるのが嫌なだけなんだろ?
違う……スイがあんなにならなきゃ乗り越えられなかった事をただ純粋に思い出さない方が良いと思ってるだけだ。
俺が不甲斐ないのは分かってるし、嫌という程思い知らされている。今更攻められてもそれは覚悟の上……。
また溜息が出た。
今はもう妊娠した女の事だけを考え、出産に向けて準備を進めるとしよう。その間にスイの記憶が戻った俺を攻めるのなら、それを甘んじて受けよう。
でも、1つだけ言わせて欲しい事があるんだ……俺は誰よりもスイを大事に思っているのだと。
俺にとって、スイの存在は嬉しいんだ。
妊娠した女の3回目の検診は、診察を兼ねてメンテナンスも済ませたから、アジトに帰宅できたのは実に6日後の事となった。
「お帰り」
スイの笑顔を見て、ようやく張りっ放しだった肩の力が抜けた気がするよ。
「ただいま。変わった事はなかったか?」
「雨が降ったね」
どうやら平和だったらしい。
妊娠中の女は既に安定期に入っていて、流石にどれだけ動いて良いのかを学習したらしく無理な運動は自主的に避けているようだし、ガドルによる健康診断的な事も行われているようだった。だからわざわざ俺が行った所で特別にやる事はないし、診察料をもらうのも忍びない。しかし定期健診はしない訳にもいかず、結局1ヶ月に1回というペースを守って行くようにはしている。
「次も1ヵ月後?」
自分のベッドの上にドカリと座ったスイは、無造作に置かれていた雑誌を手にし、興味なさそうに数ページ捲った後、視線を雑誌から外す事無く聞いてきた。
「なにもなければ」
そんな俺もパソコンに向かったまま、特にスイを注意して見る訳でもなく答える。
スイが記憶を失う前の、普段の光景がここにはあった。ただ1つ、スイがまだ俺をドクターと呼んでいる事を除いては。
「なにもなかったら良いのに……」
なんとなく寂しげに聞こえたその言葉に立ち上がり、サイフをポケットに入れてロケットの前にスイを引っ張って移動した。
今日は買出しに行くつもりで、いつもは1人で必要な物だけを買ってさっさと帰ってきてたんだけど、精神が安定してきた今のスイならば一緒に買出しが出来るんじゃないかと思って。
それに、留守番の多いスイの方が色々入用な物が多いかも知れなかったから、今日は暇だし丁度良いかなって思ったんだ。
と、いう訳でやってきた月。なのだが、スイのテンションは低い。ロケットに乗っている時は月ってどんな所だろうと目を輝かせていたにも関わらずだ。
スイは月出身だから、この景色に見覚えがあるのかも知れないな。
「必要な物があったら言えよ?」
塞ぎこんでいるスイを他所に俺はあえて明るく振舞う事にした。そうする事で少しでもこの雰囲気が良くなればとの判断だったのだが、どうやら空振りしたようでスイは軽く微笑を浮かべ、また辺りを不思議そうに眺めた。
ゆっくりと確かめるかのように歩くスイの歩調は極めて遅くて無言、それに合わせて歩くと、周りの景色なんかを見回す時間の余裕が出来た。
高いビルとビルの間には青い空……なんか見える訳もなく、ドーム上の天井には太陽光を吸収して電気を生み出すシートが貼り付けられていて、更には自然光に近い色のライトが無数に付いていた。
大きな地下街、そんな感じだ。
「スイは元々月の住人なんだ。どう?見覚えはあるか?」
いや、見覚えがある場所に行ったら駄目なのか?
改造人間が月で生活してはいけない。との明確な法律は無いとは言え、前例もない事だろうし、極度に嫌がる人間がいてもおかしくは無い。それなのにスイを知る人間に見つかったら、コレ結構面倒な事になるよな……制御装置が無いから“適性テストに落ちた”とか言えばどうにかなるか?
「わからない……けど、この感じ……知ってる気がする」
自分が月に住んでいた事を今始めて知ったらしい。それなのにこの雰囲気に覚えがあるんじゃあ不思議に感じて歩みがゆっくりになるのも無理は無い。
「スイ!?」
ん?
突然後ろから興奮した風なオバサンが話しかけてきて、スイにしがみつくなり泣き崩れてしまった。
心底困ったような表情を浮かべているスイと、落ち着きを取り戻さないオバサンを引っ張って公園に移動してベンチに座らせながら、スイに母親がいた事を思い出す。
「貴方はスイ君の母親ですね?」
言うとオバサンは数回頷き、スイはそうなのかと驚いて俺とオバサンを往復して見ていた。それから察するに月で生活していた頃の記憶までないらしい。それでもこのオバサンは紛れもなくスイの母親だ。
数分後、落ち着きを取り戻したオバサンはようやくスイから離れると、一変して険しい顔を俺に向けてきた。多分白衣に身を包んだ俺を研究員と勘違いしたんだろうと思う。まぁ、研究員に成り済ましている訳だから、これは正しい反応。
「戦争は終わった筈でしょう!?この子を返して!!」
というのが母親の言い分。
それを聞いて嬉しさ半分。改造人間になったスイをまだ自分の子供として見ているって事がどうしようもなく嬉しかった。後の半分は俺の気持ち……スイとこのまま一緒にいたかったから。
「分かりました……スイ君には色々助けられましたから、彼にとって1番良い環境に戻してあげるのが恩返しとなるでしょう」
「え……?」
かなり無理矢理笑顔を作った俺はベンチから立ち上がり、スイと、スイの母親に背を向けたまま「元気で」と声をかけてロケットまで戻って来ていた。握手なんてしてしまったら、そのまま地球に連れ帰っていたかも知れないから……ただ一緒にいたいという勝手な気持ちで。
1人戻ってきたアジト内、出てくる前と変わらない光景がそこにはあるというのに、その景色は一気に様変わりしように見えた。
ここにスイがいないというだけで色が消えたように殺風景なのだ。
俺にとってスイの存在は嬉しかった。だからスイにとって1番良い環境に戻すのが誰にとっても1番良いと思ったのに、それは違っていたんだと気が付いたよ。
スイが近くにいて初めて俺は嬉しかったのだ。
だからなんだよ、成した事が間違いだったと気付いた所でなにが出来る?後悔なんてしてる場合じゃない。まずは、そうだな……畑の水遣りからだ。
畑に出ようと戸に手をかけ、フイに視線をずらした先には象さんジョーロがぽつんと置かれていた。
それから1ヶ月が経ち、そろそろ定期健診とメンテナンスの時期になった頃、俺はスイのメンテナンスにも行こうと思い立っていた。
本当はもっと早い段階でスイのメンテナンスの時期は来ていたのだが、どうしても会いに行くって勇気が出なくて、それから1週間伸ばし伸ばしにしていた。
定期健診を重ねておけば一旦月に行ってスイのメンテナンスを終わらせ、そこから施設に行って、診察やらを終わらせアジトに戻るのでかなり慌しくなる。だからこそスイとまた一緒に暮らしたい。とかいう下らない俺個人の感情なんか出ないだろう。
これが今の俺にとっての最善策だ。
数日後、タイキからの診察要請があり、俺は逸る気持ちを抑えて月に向った。
月に着いてスイに電話すると、相変わらず1コール目で「よぉ!!」と、久しぶりに声を聞くという喜びを吹き飛ばす程のご立腹振りで、俺は無意識にハハハと乾いた笑い声を上げていた。
「今からメンテするから。打ち上げ場まで来てくれ」
「おぅ!分かった」
怒ってるのか喜んでるのか分からないテンションのスイは「ちょっと待ってて」と電話を切り、20分後、後ろに母親を従えた姿でやってきた。
親子関係は上手く行っているみたいで良かったよ。
「ドクター!なんで1週間も遅くなったんだよ!」
挨拶やらをぶっ飛ばして文句付けてきた様子は本当に元気そうで、安心して思わず笑みがこぼれた。それで頬を膨らませて拗ねたスイと、俺を監視するように厳しい視線を向けてくるスイの母親をロケットの中に招き入れ、早速メンテナンス開始。
母親は改造人間である我が子を見て驚愕の表情を浮かべていたが、それも最初のうちだけで、後は淡々とメンテナンスをこなしていく俺の手元をボンヤリと眺めていた。
「なぁ、なんで1週間も遅れたんだよ」
若干緩んでいた腕のボルトを締めている最中、スイは再び同じ質問をした。
「調査が長引いただけで大した理由はない」
これは半分本当の話しで、3日前まで調査に出ていた。と言ってもアジトからそんなに離れた場所ではなくて毎日畑に水をやりに戻れる位の近場だったんだけど。
「畑どうなってんだよ。手入れはしてるか?」
調査と聞いて大人しくなったスイだったが、やはり畑が気になったらしい。
枯れかけてるなんて、とてもじゃないけど言えない……。
「出来るだけしてる。はい、次そっちの手」
「おぅ。……なぁ、ちゃんと食えてるか?」
心配性だな。
「まぁ、魚もあるし大丈夫だ」
「……本当かよ」
全く信じてくれないようだ。
確かに調査に明け暮れて気を紛らわせようとしていたせいで、ちょっとだけ食事を疎かにしていた所はあったよ。ソレは認める。
まぁ、言わないけど。
「……よし終わった。次はまた1ヵ月後にな」
出来るだけ笑顔でスイと母親をロケットの外に連れ出し、そのまま手を振った。すると多少俺を信用したらしい母親が手を振り返してくれたのだが、スイは膨れっ面を浮かべ仁王立ち。
「買出しに来た時連絡入れるから。そんな顔すんなって、な」
「う~~~~本当だろうな?待ってるからな!」
待ってると返事したスイに見送られ戻って来た地球、施設の打ち上げ場には既にタイキがいた。
「よっ!元気だったか?」
片手を上げて挨拶してきたタイキに出来るだけ地味に挨拶を返す。
診察室には妊娠中の女がいて、お腹ん中の子供の父親もいて、ガドルとルルまで揃っていた。
女のお腹は初めの頃とは比べ物にならない程大きくなっていて、エコーでもハッキリ子供の形が確認出来た。逆子って訳でもなく成長も至って順調なのだが、心配事が全く無いという訳でもない。
妊娠7ヶ月目という時間が経っているが、俺は子供への影響があるかもしれないと女のメンテナンスを1回も行っていない。大丈夫だとは思うけどそこだけが唯一の心配。
「今回も異常なしだ。次もまた1ヵ月後に来るが……」
「なんかあったら電話しろ、だろ?」
はい、その通りでございます。
アジトに戻ってきて初めにした事といえば畑の確認。
出て来る時同様、そこにはほぼ枯葉と化した元食料達が可愛そうな程グッタリと地面に横たわっていた。この分だと近いうちに月に買出しに行く事になるのだろうな……さっき別れたばっかりなのにもうスイに会いたいなんて、俺はどうしちまったんだ?こんな個人的な事じゃなくてこれからの事を考えなきゃならないって時に……きっと、俺の正体は近いうちにバレるだろう。既に俺の正体がバレていてもなにかあるのは女の出産後になる筈……理由は改造人間が人間を産む最大のイベントだからだ。少なくとも後3ヶ月は大丈夫、その間に出来る事はしておきたい。
調査に没頭する事2週間。
診察にはまだ早くはあるが、俺はタイキに電話して明日診察に行くと連絡を入れた後、買出しの為と理由を付けてスイに会う為月に向かっていた。
数時間後には無事月に着いていたが、変に緊張してスイに電話が入れられない自分が妙に人間っぽくて笑えた。もしかしたら母親と仲良くなって今更会いたくないとか、そう言われるのが怖いのかも知れない、なんてな。本当に人間っぽくておかしくなる。
スーハー、と深呼吸を何度か繰り返して気分を落ち着かせようとして、これもまた改造人間らしくない行動だなんて思って本格的に可笑しくなった俺は1人で少しの間笑ってしまった。
笑う事で落ち着けた俺はその後スイに連絡をする事が出来て、無事に打ち上げ上での再開を果たす事ができた。
一通りの挨拶を交わし、コロコロと変わるスイの表情を見れば状態は安定している事が分かる。
月に……母親の元に返して正解だったんだな、良かったよ。
いつものように買出しを済ませ、公園のベンチに座っていると遠くで俺達を監視するように見ている数人の人間が目に付いた。買出しの途中から何度も見かけるなーとは思っていたが、やっぱり俺達を付けていたんだな……俺をか?それともスイを?
「あそこにいる人間ズットつけて来るけど、思い当たる節はないか?」
俺はジュースを飲む振りして口元を隠して小声で聞いた。するとスイも小声で知らないと言い、いよいよ俺の正体を知られているのだと確認を得た。そうなるとスイにこれ以上関わらない方が良さそうだな。
俺はまた口元を隠し、今付けられているのは俺の正体がバレたからだ。と今の状況を説明した。
「月に来る事があっても気軽には会えなくなる。スイ、自分でメンテナンス出来るか?」
やり方は一通り知っている筈だけど、記憶と共にあいまいになっている可能性が高い。だったらメールかなにかで説明を?いや、ハッキングされていたら一大事だ。
「そんなの……一方的過ぎだ……」
「工具は今日持ってきた物を置いていく。今は納得してくれ」
そう言って工具をベンチの上に残したまま立ち上がる俺を見上げるムスッとしたスイの顔。それでも抗議の声をあげない所を見ると納得はしてくれたようだ。
「俺からも……連絡して良い?」
「……都合の悪い時は通信機の電源切ってるけど、それで機嫌悪くならないなら」
小声で言えばジトっと睨まれてしまった。
さてと、長居すると怪しく思われるだろうから早く地球に戻ろうか。
スイと軽く手を振り合って別れを告げた後、ロケットに乗り込んで施設に行けば、タイキが出迎えてくれた。隣には丁寧な事にガドルの姿まである。
ガドルは恐らく政府よりの人間だから、俺の正体について大々的にばれているのならなにかしらの反応はあると思うが……見る限りいつも通りだな。
「診察が終わったら、少し話したい事がある」
診察室に向う途中、タイキが俺にしか聞こえないような小声で言ってきた。
また“ジュタは何処だ?”だろうか?まぁ、付き合ってやるか。
「分かった」
順調に診察が終わり、タイキと2人でロケット打ち上げ場に向かえば、隣りから軽く溜息なんかが聞こえてきて、気になって見ればなんだろうな……凄い穏やかな顔で見られている。
「……いつ言ってくれんのかって、待ってたんだけどな」
ハハ、ようやく気が付いたのか。
「なにをです?」
だからってもう遅いから、シラを切らせてもらうとしよう。
ロケットに乗り込もうとした俺の手を掴んだタイキは、今度はこれ以上ないって位の情けない表情を浮かべた。
表情筋凄いな。
「今も待ってんだよっ!」
なんだよそれ……なにをそんな深刻そうに……これから起きるだろう未来を予想出来てるのか?
はぁ、仕方ない。
「俺は偽造身分証明を使って人間の振りを続けて来た。そしてその偽造が見破られる日はそう遠くない」
俺は出来る限りなんでもなさそうに言っていた。
改造人間だったってバレれば想像出来る結末なんかそう多くは無い。それはタイキにだって分かっているだろうから、だから説明は限りなく素っ気無く済ませようと思ったんだ。
俺の覚悟が充分出来てるって思わせる為に。
「なんで……」
出来るだけ素っ気無く説明を済ませたというのに、その表情は酷く深刻そうだ。
「偽造がバレたとしてもあの女が出産するまでは大丈夫な筈だ」
だからそんな顔すんな。そう続ける前に、
「出産後は?どーなんだよ……」
と質問を投げかけられた。
出産後にどうなるのかなんて分かりきった事、俺から直接聞きたいのか?言わせて覚悟を計ろうとでも?
「俺はスイッチを押されてスクラップにされた。そんな事は俺の正体が分かった時点で調べが付くだろう。だったらもっと確実な方法でスクラップにされるってだけだ」
人間の部分を攻撃する、それがもっとも確実な方法だろう。
「……ガドルさんには伝えない気か?」
ハハ、そこで如何して“ガドルさん”だよ。これだからガドル信者は嫌なんだ。
「色々面倒になるからバラスな。じゃあ、また1ヶ月後」
そう言って挨拶をした後ロケットに乗り込み、打ち上げ場に送り迎えのガドルやらルルが来る前にはアジトに向かって出発していた。
タイキは俺の頼みを聞いてくれガドルになにも言っていないらしく、かなり平和に時間が流れ、気が付けば女の出産まで後少し、という所まできていた。
どれ位かと言うと、数日後には出産予定日という所で、いつなにが起きてもスグに対処出来るように俺は1週間も前から住み込みで女の様子を診ている。
出産が終われば俺は完全に政府の監視下に置かれる身となる。表向きでは改造人間初の出産についての意見交換って事らしいが、実際には俺の監視だ。
「正体……バレたんだな」
一通りの診察を終え、診察室には俺とタイキだけ。隣の部屋にはガドルやルルがいるのだろうが、タイキは極力小声で話しかけて来た。
ここ最近タイキは暗い表情しか見せない。そりゃ、知り合いがスクラップになる日が近付いてるんだからしょうがない話しでもあるのだろうが、俺はそんなタイキを見ながら“人間っぽいな”と実に他人事のような感想を口にしていた。
「なんだよ……人の気もしらねぇで!」
感情むき出しに怒鳴るタイキは真っ赤な顔で俺を壁に叩き付け、その騒動を聞きつけたガドルとルルが診察室に入って来た。入り口からそれ以上入っては来ない2人は俺達をただ眺めている。
タイキは俺を力一杯壁に叩き付け、その壁は俺の形通り凹み放射状のひび割れを作っている。こんな力で人間が壁に叩き付けられれば無傷では済まない所か存命すら危うい、そんな中で俺は無傷で壁に埋まったままタイキの追加攻撃を受けていた。
普通の人間がタイキにこんな風にされていたらガドルもルルもすごい勢いで止めに入るだろうし、もう少し目立ったリアクションをとる筈で、だから俺は実はもう自分の正体なんか知られているんだと気が付いた。
「殴って気が晴れるんならもっと殴れよ」
バレてるのだからと、息苦しかったマスクを取り去って煽ってみるが、途端にタイキは勢いをなくしてしまった。
「晴れる訳ねーだろ!」
タイキは膝から崩れるようにその場に座り込むと今度は床を殴り始めた。この行動は本気で怒った時にしばしば見られる行動で、決まってその時は泣いている。怒りが涙腺に来るタイプなんだよな。
入り口付近には相変わらず俺達を眺めている2人がいて、流石に居心地が悪くなった俺は2人を押しのけて廊下に出て、そのまま見晴らしの良い渡り廊下辺りにでも行こうかと思ったのだが、足を出す前にガドルに“ジュタ”と呼び止めた。
「いつ気付いた?」
「ズット前から。でも確信したのは2週間前……連絡があったんだ、ドクターがジュタである事……1度廃棄処分にされた事もな」
妙に落ち着きいたガドルの声は冷静というよりもっと突き放したような冷酷さがあり、多分出来の悪い弟に腹でも立てているんだろうと思われる。そりゃガドルは政府の奴にご贔屓にしてもらってる身の上、こんな罪人が弟じゃ立場的にマズイのだろう。
「弟がこんなで残念だったな」
振り返りもせずにそう言った後渡り廊下までやって来た俺は、遠くの方に見える崩壊したビルを見ていた。方角的に見てあの瓦礫を超えた更に向こうにアジトがある。今畑はどんな惨状になってるんだろ?って、こんな心配したってアジトに帰る日なんて二度と来ないんだろうけど。
軽く溜息が出た。
本当は、なんの覚悟もないままここまで突っ走って来ただけなんだ。やるべき事はしたつもりだし、女の出産が終わったら処分されるってのも分かってた。なのになんの実感も沸かなかったんだ。そんなんでなんの覚悟が出来るってんだよ。だからって怖いって訳もなく逃げ出そうって意欲もなく、まぁ処分されようかなって、そんな感じ。あえて言うなら諦め?これを覚悟と言うならそうなのだろうが違う気もする。俺は処分されるかも知れないと分かる前からズットこんな状態だった。スイを月に住む母親に返したあの日から。
そう思って通信機を手にする。
地球と月の間でも通話出来るんだけど、実は最後の別れから1回も通信機の電源をオンにした事がない。スイと話したくなかった訳なんかじゃなくて、怖かった。なにが?って聞かれても明確な答えが言える自信はないんだけど、なんと言うか……自分勝手な行動をとってしまいそうで怖かったんだと思う。もうすぐ自分が処分されるって分かってるくせに会いに行くとか、そんな行動。
俺はしばらく通信機を見つめ、そのまま直した。もっと俺の身動きが制限されてからかけよう。スイに会いにもいけない程完全に監禁されてから、それから話そう。
予定の時間ピッタリに月からロケットが到着し、ロケットからはいつもの奴と、後数人降りて来た。いつもの奴はまたいつものようにロケットから降りるなりガドルの隣に陣取って立ち、勝ち誇ったような顔で俺を見ていた。
「CF1519……フフ、出来損ないにスッカリ騙されてましたよ。なにがドクターだ」
低脳的な嫌味を言った男は高笑いしながらガドルの腰に手を回して抱き寄せている。そうする事で改造人間からの攻撃を回避しようとしているんだろう。確かにガドルを慕う奴らならガドルにも当たるかも知れないこんな距離での攻撃は避けるだろう。まぁ俺は慕いもなんもしてないから無駄なんだが……まぁ良い。
「月においても助産師は足りていない。こんな状況で私がドクター放棄して出産が失敗に終われば……困るのは誰です?」
フフと鼻で軽く笑ってやると男は悔しそうに唇を噛み締めながら黙った。やはり改造人間に生殖機能を残したのは子供を産ませる事で人間に対する怒りを静める為だった訳だ?じゃあ失敗しちゃ都合が悪いよなぁ?
「産後……楽しみにしているんだな!それまで監禁させて頂く。意見はお有りかな?」
なにを今更言ってんだろう?
「元々診察室から出ませんよ。夜間は既に外から鍵を掛けられてますしね」
自分から診察室に戻れば間髪を入れず鍵の閉められる音がして、しばらく後には静かになった。隣の部屋にはガドルと男の2人がいるようで、なにか話し込んでいる声が微かに聞こえたが、聞き耳を立てようって気にもなれず、俺はドキドキしながら通信機の電源を始めてオンにしていた。もしスイが俺に連絡入れようとしてかけていたのなら、きっと物凄くご立腹だろうな……自分でメンテナンス出来たかどうかというそれらしい話題もある事だし、大丈夫だ。よし、かけるぞ!
という訳で早速かけると、相変わらず1コールで“よぉ”と出てくれたのだが、予想に反して全く元気そうじゃない。なにかあった?
まさかメンテナンス失敗でとんでもない事になってるとか!?
「大丈夫か!?」
とにかく現在の状況の説明を求めたのだが、スイは無言のまま俺の質問を流している。話せないって事はないだろ?だって、よぉって挨拶してくれたし。
「スイ?」
また続く沈黙。
少しの間その沈黙に付き合う事に決め、診察道具などの整理なんかを始めてみたが、そんなに散らかってもなかったので整理は間もなく終わった。で、受話器越しに続く気まずい沈黙。
「自分でメンテ出来たか?」
黙っている事に白旗を揚げて質問を再開した。するとようやくスイからの反応が返ってきた。
「出来た」
と、一言。
だから話しやすくなった俺は、安堵の溜息なんか吐いて椅子に腰掛けた。
「元気だったか?」
「まぁ……元気。そっちは?」
「相変わらず忙しい。そろそろ出産だから施設に泊り込み中」
「フーン……あのさ」
あのさ、で途切れた会話。重大な報告があるんだろうと身構えたまま言葉を待った。待って、待って、で、無言。
「えっと、スイの所に政府の調べはいってないか?」
「こっちはなにもない」
それは良かったと言った俺に対してスイは素っ気無く“あっそ”と返した。機嫌悪そうなその声の主は、このまま放っておいたらまた沈黙してしまうのだろうな。
「で、どうしたんだよ。あのさ、で止められて物凄く気になるんだけど……」
「……気まずいから、ごめん……」
確かに“あのさ”って言ってからの沈黙は長かったよな。俺も気まずいんだけど……話せないような内容の話しだったんならなんで言いかけたんだよ。それだけ重要な事だったんだよな?例えば……記憶が戻った。とか。
一応確認してみると、なんでもなさそうに“まぁね”なんて返事が返ってきた。
「ズット謝りたかった……助けに行けなくて御免……」
「……別に……そんなの気にしてない」
気にしてないってなんだよ。助けに行けなかった俺に対してもっと怒鳴っても良いんだ。なのに気にしてないっておかしいだろ……助けに行けなかった事への謝罪は足りないのに、突き放されたら黙る事しか出来ないじゃないか……。
「……最後に良いか?」
「なに?」
最後と告げた俺の言葉にまた素っ気無い声、よくよく聞くと鬱陶しそうにも聞こえるな。
「俺にとってスイの存在が嬉しいってのは……嘘じゃないから……今まで有難う」
そう言って電話を切ろうとして呼び止められた。
「礼を言う位なら早く迎えに来いっての!俺記憶戻ったんだけど!?畑絶対枯らしてるだろ?で、飯食ってないんだろ!?見なくても分かるわ!」
急にどうした……まぁ、仰る通りで……。
「一段落着いたらで良いか?まだしばらく慌しくなりそうだから」
分かったと返事をくれたので電話を切って、通信機の電源もオフにして診察台の下に隠すように置いた。
女のお産が始まったのはその日の明け方。
政府の奴は産まれて来る子供に興味はないらしく、隣の部屋でしっぽりとガドルと引き篭もったままで、診察室内には女とその夫とタイキがいる。
改造人間である女は痛みに対してある程度の抵抗力はあるが痛覚はあるので無痛分娩にしたものの、それでも完全な無痛では無いらしく、苦しそうに顔を歪めている。
多少……結構な力で暴れる女を3人がかりで宥めながらのお産は5時間続き、無事男の子が産まれた。元気良く泣いている子を幸せそうな表情で眺めるその表情は、さっきまでの鬼の形相とはまるで別人だ。
その泣き声を聞きつけた政府の奴は飽きもせずガドルを従えた姿で現れ、早速俺の処分を言い渡そうとしているようだが、やるべき事はまだ少しだけ残っている。
女の最後のメンテナンスだ。
妊娠中はメンテナンスをしてなかったのだから、あちこちガタがきている筈。しかし、出産直後なんて鬼過ぎる真似はしたくない。
「1ヵ月後にこの人のメンテをする。処分はそれからにしてもらいましょう」
そう提案した俺に政府の男は“とんでもない”と首を振りながら腕を組んだが色々思うところがあったのだろう、少し考え込む素振りを見せてから、
「……良いでしょう。ただし2週間後だ。それとここからの外出は一切禁じる」
と、譲歩してきた。
「だから、元々ここから出ませんよ。鍵をもう1つ増やしますか?」
決め台詞と共に部屋を出て行こうとするその背中に笑い混じりの言葉を返し、足を止めた政府の奴がこちらを振り返る頃には子供の体重を量っていた。
「これ以上の延期は認めないからな!」
イライラした様子の政府の男は隣の部屋に戻りなにかグチグチと文句を言っているようだったが、聞き耳立ててまで聞くような内容ではないだろうし、放っておこう。
「体は辛いだろうが、2週間後のメンテは受けてくれ」
「……分かった」
診察台からベッドに女を移して今後の経過を診る事にし、女の夫と、イザという時の為にタイキも診察室に残ってもらう事にした。
1週間過ぎた頃、女は歩けるようにまで回復した為子供を連れて自室に戻って行ったので、俺はようやくタイキにある頼み事が出来る環境にありつけたのだった。
「後……1週間だな……逃げねぇのかよ。スクラップになるんだぞ?」
思いがけずタイキの方から話題が出た。しかも俺が言いたかった事ともかぶるような内容。と言うよりここまで来たらそれ位しか話題はないか。
スクラップが怖くないかって言われても怖くは無いが、嫌だなーとは思う。でも、俺が逃げたらスイにまで捜査の手が伸びるかも知れない……俺1人が処分されて上手くいくならそうした方が良い。俺にとってスイは本当に大事な仲間なんだ。酷い目に逢ってた時に助け出してやれなかったから、だからせめてスイに捜査の手が伸びる前に処分されて、それを罪滅ぼしとしたい。
そう思うのは勝手だろうか?
それで許されようとしてるなんて甘いだろうか?
けど、こうする他になにも思いつかないんだ。
「偽造身分証明使ってたのは事実なんだ。それ相応の処分だと思う」
俺はさ、寂しかったけど忙しくて、結構辛くはなかった。2回スイに会いにいけたし通信機通して話しもした。礼はいらないって言われたけどちゃんと礼も言えたし。だからタイキがそんな深刻そうな顔する事なんかなんもない。
俺は出来るだけ笑顔を作るように残りの1週間と言う時を過ごし、診察室からも出なかった。だからガドルとも顔を合わさずに済んだし、いけ好かない政府の奴とも会わずに済んだ。タイキは笑顔でいる俺を物悲しそうに見つめてはいたが、俺が処分されるという現実は受け入れたようではあった。
こうして処分当日、最後の仕事、女のメンテナンスを行う事になった。
診察室にはタイキとガドルにルル、政府の男と女の夫と子供がいて、月からの見学者も数人か。
政府は改造人間である俺を長い間人間のドクターと思い込んでいた失態を受け入れたくないからなのか“偽造身分証明を使った事でドクター資格を奪われ月に輸送される”との表向きな理由を細かく設定した。どうあっても俺は人間としてそれ相応の処罰を受けるという形が欲しいらしい。とは言っても実際月に輸送される訳でも牢に入れられる訳でもなく、即刻スクラップなのだろうからどう設定されようが俺には関係のない事ではある。
女の体はやっぱりあちこちが傷んでいて、メンテナンスには少々時間がかかった。そのせいか政府の男は“まだ終わらないのか”とイライラした様子だったのだが、メンテナンス終了と同時に見せたあの清々とした笑みには、正直笑えたよ。
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