Episode-2 悪異性体‐Evil:イービル(B)

       6




 意識が戻ったとき、最初に感じたのは消毒の臭い。

 病院に運ばれたのかと思い、辺りを見回そうと瞼を空ける美天。

「んっ……」

 窓からさす朝日が眩しい。

(寮じゃない……)

 おそらくどこかの病室。

 何故目を覚ましてここにいるのか。 頭を押さえ、眠る前の記憶を思い出そうとする美天。

(そっか……私、帰りしに道で倒れたんだっけ……。でも、なんでだっけ……)

 理由だけ思い出せない。

 何か、大事な事を思い出せない。レジャー施設へ日没までとりあえず視察をしてそのまま帰ろうとしたはずだ。そこに、バタリと倒れる原因があるとは思えない。

「んん……」

 一向に思い出せず、考えるだけ寝ざめの頭には疲れるだけのものだと、一息ついて考えるのを止める。

 だがいつまでも身を倒しているだけというのも窮屈なので身を起こそうとする、

 と、

「……?」

 その時、ようやく気付いた。

「瑠奈?」

 美天の体に突っ伏すようにすぅすぅと寝息を立てている瑠奈がいた。いつからずっといてくれたのか分からないが、

「ありがとう、瑠奈……」

 と、優しく囁きながら彼女の頭を軽く撫でてやる。

 髪を掻くさらさらと言う心地よい音が、沈黙に静まる病室内ではその音が良く聞こえた。

「ん……」

 美天に頭を撫でられ、目を覚ます瑠奈。

 一つ短いうめき声を漏らし頭を上げて美天をみる。そして互いの目が合い、美天は半開きの目で寝ぼけ顔を浮かべる瑠奈に向かって微笑みかけ、

「おはよう、瑠奈」

 その美天の口から出たその言葉。それをを聞いて、徐々に瑠奈の表情が寝ぼけ顔から驚きに変わり、安堵に変わり、

「美天!」

 そして堪らず大きく身を乗り出して美天を抱きしめてきた。

「美天――ッ、美天!」

「朝から苦しいって、瑠奈」

 抱きしめてくる瑠奈の背中をトントンと叩く。

 どれだけ力入れているのだろうか。ホントに息がしづらい。が、その分瑠奈が自分に向けるぬくもりが直に伝わって心地よくもあった。

 瑠奈は美天の胸に顔をうずめて嗚咽を漏らし身を震わせている。

 そんな瑠奈を美天は強く抱きしめ返し、泣きじゃくる我が子をあやすように瑠奈の肩に頭を乗せ背中を撫でて柔らかくぽんぽんと叩く。

「ごめんね、瑠奈。心配かけちゃって」

「ホントよ……っ」

 美天の囁くような優しい声を聞いた瑠奈は嗚咽混じりに発せられる言葉。普通なら聞き取れるはずもない物も、こうして肌でふれて近くに居れば分かるものだった。

 しばらくの間互い抱き合う。

「何で倒れちゃったのよ」

「んん……」

 ようやく口を開いた瑠奈の問いに考え込む美天。

 瑠奈から身を離し、首を傾げながらまた考える。が、やはり思い出せず、

「ごめん、何があったんだろう」

 と、申し訳ないと頭を掻いて苦笑いを浮かべる。

「ホントに大丈夫? そんなで」

「うんっ。平気、へっちゃらだよっ」

「もう……」

 明るい美天の笑顔を見て心の底から安心出来たのか、ようやく瑠奈の表情にも笑顔が現れて来た。

「今度から私も一緒に行くからね」

「うん。じゃあその時になったらお願い、瑠奈」

 その時病室のドアが開き、昴が入り、

「美天!」

 意識をとりもどした美天をその目に捉え、昴がほんの少し驚きの顔を見せてこちらに小走り的に駆け寄ってきた。

「昴君……」

 病院まで走ってきたのか、少し汗が流れて息も少し上がっている。

「大丈夫だったのか?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとうね、昴君」

 美天のにっこりとした笑顔を見て、昴自身も重石が下りたようで焦りと心配を見せる表情が崩れ、一息ついて笑顔をこぼす。

「そうか、良かった……」

「昴君こそ……」

「ん?」

「学校は大丈夫なの?」

「休んだに決まってるだろ」

 と、言いながら昴はベッドの脇に置いてあったパイプ椅子を開いてベッドの傍らに置いて座り、美天の頭に手を乗せて顔を覗き込むように真っ直ぐと見詰める。

「今日一日ぐらい付くよ」

「んっ……。うん……」

 知り合いの前でこうして恋人としてのお互いを見られるのが恥ずかしくて、しかし昴の表に出してくれる優しさが温かくてつい甘えたくなってしまう。

 そんな、美天と昴に気を遣ってか瑠奈は立ち上がり、

「じゃあ、私お医者さん呼んでくるから。飲み物大丈夫だったら何欲しい?」

「え?」

 瑠奈が問うと、美天は首を横に振って自分の頭に手を乗せる昴をどかせ、

「じゃあ私モーモーヨーグル!」

 子供のように元気な返しをする。

 さすがに美天だけ買ってくるとなると不公平なので、

「昴さんは?」

「え? じゃあ俺スポドリで頼もうかな」

「はーい」

 と、気味の良い返事を返して瑠奈は病室から小走りに出て行った。

 病室で二人っきりとなった昴と美天は瑠奈が出て行ってドアがピシャリと閉まった後、また、昴は美天の頭に手を乗せ、デートの時によくやるように美天の髪の毛を撫でる。毛並みに沿うようにしたり、ウェーブのかかった髪の毛に指を絡ませたりと色々な撫で方をしてくる。が――

「んっ……」

 だが少し、

「もう……昴君、頭撫ですぎ。髪の毛グチャグチャになる――」

 美天は自分の頭を撫でる昴の腕を持って、止める。

「悪かったな、美天」

「え?」

「こうなるぐらいなら、一緒について行けば良かった……」

「…………。やめてよ、今更しょうがないし」

「でもさ――」

「いいよ、別に」

 と、美天は自分の頭に乗っている昴の手を下ろし、自分の胸の前で両手で柔らかく握る。

「じゃあ、いつかこの埋め合わせをしてくれるなら、許してあげてもいいよっ」

「美天……」

 お互い、同じような微笑みを浮かべて見つめ合う。傍らからでは、その二人の間に入り込めない様な雰囲気が見えていた。故に、

「……?」

 病室に入ってきた瑠奈の事を数秒の間、気付かぬままであった。

「瑠奈?」

「あ、いや続けて?」

「え、いやちょっ!? 違うから!」

「別に変じゃないって。恋人同士でキスするなんてさ」

「ちょっと、瑠奈――ッ!?」

「ただ、ちょっと場所といつやるかって――」

「今じゃないから……ッ、今じゃないから!」

 妙に気まずかったと苦笑いを浮かべて半身引く瑠奈。見られてはいけないところを見られてしまった気恥ずかしさで気が動転して強く反応してしまう。片や、昴の方は「違ったのか」と、すこしがっかりしている様子であった。




       7




 瑠奈曰く、来れるならば診察室に来てほしいとのことだった。

 特に立ち上がれないということも無いので、美天は素直にベッドから下りてスリッパを履き、昴に連れられて診察室へと行く。

「じゃあ、俺は待合室で待つから」

「うん」

 と、診察前で二人は別れる。

 スライドのドアを開き、中に入る。まだ医者が来ていないようで、誰もいなかった。患者用の椅子に座ってとりあえず待つことにする。

 白い仕切りのカーテンが閉まっており、室内はシンと静まっており落ち着かない。呼んでおいて来ないのかと文句が口から出てきそうであった。が、

「お待たせしました」

 と、白いカーテンを開けて中に入ってきた。

「へ?」

 だが、入ってきたのは白衣を着た医者ではなく、全身が黒ずくめの白髪のオールバックの眼鏡をかけた紳士を思わせる初老の男であった。

「あの――」

「はい、あなたの担当です」

 等と言われても、信用できるはずもない。姿が医者の者とふさわしく無いのだから。

「どうかリラックスしてください」

「ああ……はあ……」

 信用できる出来ないの問題ではないのは分かっている。医者と名乗る男は美天の前に置いてあった椅子に座り、対面する。

「まずは、首筋の方、よろしいですか?」

「え? あぁ、はい……」

 そう、言われるがまま、美天はほんの少し首を傾けて首筋を露わにする。と、

「ありがとうございます」

 男はマッサージローラーのような形状をした機会を取り出し、細く縮まった部分を美天の首に押し付け、

「え――」

 その時、キィーンという音が聞こえチクリと針を刺されたような痛みを感じた。

「んっ――!」

 瞬間、先ほどまで思い出せずにいた記憶が思い起こされる。それはまるで穴を埋められたかのような――

「――ッ!? あなたは……ッ!」

「思い出しましたか」

 そして、ずっと目の前に座っている男。

 美天を拘束し、目隠しされている中語り掛けてきていた管理官と呼ばれていた男の声だった。

「あの時の?」

「はい、そうです。昨日は手荒な行為をした事、申し訳ございません。組織の規定でしたので。我々の存在は一般には知られてはいけないという、ね」

「組織……?」

「ええ、国家レベルを超越し、ある者達からこの星を守るという使命を持った組織です」

「ある者達って……」

 思い当たるとすれば一つ。

 それは、レジャー施設で襲ってきた異形の存在。あの形や動きからして生物なのかすら怪しい。

 美天が思い浮かべる者を察した男は、

「ええ、あなたを昨日、襲撃した者です。我々VEIDOは、悪異性体――『イービル』と名付け、あの者達と戦っているのです」

「イービル……?」

「はい。この星に舞い降りた、人を喰らう怪物です」

「じゃあ、昨日行った検査って言うのは?」

「あなたが、イービルに触れられたからです」

「触れられたから?」

「詳細は、また後日。しかしあのままだとあなたの周囲の人間にも危害が及ぶ可能性が会ったことだけは告げておきましょう」

「あの、何でそんな事を私に? 機密じゃないんですか?」

「分かりませんか?」

「え……?」

 その男の返しに、美天も何となく察しがついた。

 願わくば、それが本当でない事を祈る。

「あなたの身柄は本日より、我々VEIDO-Jが預かる事になりました」

 が、その願いは一瞬で砕かれた。

「身柄って……。じゃあ私、帰れないってことなんですか!?」

 そんな理不尽な事があってたまるかと、美天はガバッと立ち上がり声を荒げる。いざ取り押さえられようものならばいつでも逃げ出せる。対照に、告げた男本人は落ち着いた面持で、立ち上がった美天の顔を見上げる。

「落ち着いてください」

「落ち着いてとかそんなの――ッ!」

「別にあなたの身体をどうしようとも、こちらは思ってない」

「……ッ!」

「あなたに、仲間にならないかと誘いに来たのです」

「仲間に……?」

「ええ。一緒に、この星を守りませんか。やりがいは、保証しますよ」

「この星をって…………」

 それは、一人の女子高生にとって聞かされる話にしてはあまりにもスケールの大きい話であった。頭で理解できても心が追い付かない。

 美天は脱帽したように椅子に崩れるように座って真っ直ぐと視線定まらぬまま男の顔を見据えていた。そんな美天の様子の何が面白いのか、男は微笑みを返してくる。

 男は、懐からブレスレット状の機械を取り出し、美天の手の届くところに置く。

「さしあげます」

「これは?」

「インパルスフォーサー、優れものです。まずはお迎えとの待ち合わせ場所へのナビゲーションにお使いください」

 美天はインパルスフォーサーと呼ばれるその機械を手に取る。

 その時、電源が入ったらしく、ディスプレイにはマップが表示され、ある地点にピンが打たれていた。

「それとこちらも……」

 と男が懐から取り出したのは、青白い光を放つコロイド状の結晶が付いたペンダント。

 男はそれを美天の前に掲げるので、美天は手を伸ばす。

 結晶は美天の手の平の上に乗り、男はペンダントを手放した。

「クリスタル?」

「VEIDOからの、昨日のお詫びの品です。どうぞ受け取ってください。こちらとしては、大事に持っていただけたら、嬉しいです」

「ええ……」

 ペンダントのチェーンを持ち、吊るされている結晶を自分の顔の前に、じっと眺める美天。

 病室の電気の光が反射をして、局所局所と、仄かに青白い光を散らす。

(綺麗……)

 その光を眺めると、まるで生きているものなのではないのかと錯覚してしまう。

「では、また後日。退院はいつでも結構」

「あ、あのっ――」

「はい」

 立ち去ろうとした男を呼び止める美天。

「後日って、いつですか?」

「いつでも構いません、そちらが向かい次第、こちらもお迎えにあがります」

「じゃあ、行かないって言うのは?」

「それもかまいません。ただ、今回の話は内密に。機密事項に触れますので」

「バラしたら……?」

「お勧めいたしません。バラせば、その話を聞いたお友達や親類方も、昨日あなたがされた様な事をされるまで」

「分かるんですか? そんな事」

「先ほど、あなたの記憶を復旧した際、ナノマシンを打たせていただきました。それで、貴方の発言を監視させていただいています」

「――ッ!?」

 ハッとして、美天は首筋を触る。

 先ほど、というのはおそらく首筋に機械が当てられた時。チクリと注射を打たれたような感じがしていたがそれがおそらく――

「心配はいりません。あなたのプライバシーやプライベートは保証いたします。ただ、あなたが特定の脳波を発して特定のワードを発そうとした際、ナノマシンが働き、こちらへと送信される仕組みとなっています。あなた自身の心身には何ら影響はありません」

 それはつまり、美天が無自覚の内に瑠奈や昴を傷つけるという事になる。

「そんな……」

 これから、どんな顔をして人と話せばいいのだろうか。特定のワード、特定の脳波。それがそろったらその時出会っていた人間が、美天が昨日されたことと同じことをされてしまう。

 恐怖や罪悪感で胸が締め付けられ、言葉を失う。

 激しく動揺する美天の様子をよそに男は美天に微笑みを向け、

「では、またお会いしましょう」

 と診察室から立ち去って行った。




       8




 VEIDO-Jの拠点要塞の一つ、『ジャスティスフォートレス』。日本国内にある湖の湖底に作られている巨大要塞。そのジャスティスフォートレス内のNWC A-unit待機ルームにいる三守率いるNWC A-unitの全員と、VEIDO-Jの管理官である永平泉吾ながひらせんご、そしてレイコネクターと呼ばれる椋良薫。総勢六人が居た。

「マザーがいる?」

「はい、昨日消滅したと思われる植物型ザボドタイプイービルの振動波は命令を受けていた物であると判明し、その命令の発信元が判明しました」

「それが、我々が最初に出撃したあのレジャー施設周辺であると」

「その通りです」

 マザーとはその名の通り、イービルの女王蜂のような存在。

 行うのは自らの分身を生み出す事。

 分身は人を捕獲し、マザーへとその身ごと捧げる。

「では、そのマザーを一刻も早く処理しなければならない。レイコネクター、作戦の方は? 無論、七瀬も出すのですね?」

「もちろん、マザーの掃討には彼女にも出撃してもらいます。検出したマザーイービルの振動波の範囲からして、その力そのものも強大なものでしょうから」

 七瀬が出るというのならば、掃討戦については心配はないだろう。

 問題は――

「マザーのいる巣まで、どうやって辿り着けばいいのです?」

 これだった。

 レイコネクターの言う通り、振動波が検出できる範囲が広い。なにも、検出できるエリアの中心にマザーがいるとは限らないのだから、探さなければならない。場所を絞り込めたとしても、絞り込めた最低範囲が広いのでは、捜索に困難を極める。

「作戦エリア内にて、囮を待機させています」

「…………」

 椋良が微笑みながら放つ言葉はあまりにも残虐。イービル相手に囮を使うことに躊躇がない。人間の犯罪組織に対して囮を使うのとでは意味が違う。もっと酷い。

「他の作戦は無いのですか?」

「もはや、相手が大きくなりすぎた故、こちらが検出エリアから探し出しての対応が不可能になりましたので他の手段はほぼない。それは三守隊長でも――」

「ええ、分かってますよ。聞いてみただけです」

 椋良の代わりに答える永平の言葉に完全に黙る三守。

 現場の心理的には、人間の身を危険に晒したくはない。そもそも、マザーの検出が出来なかったのは、レイコネクターや解析班の過失のはずだ。それに悪びれを感じないのか。それとも、検出出来なかったことすらも予測済みだったのか。

「作戦行動時刻は明日の夜。A-unitは所定の作戦行動範囲にて後に送るフォーメーションを取り、待機していてください。以上」

 ただ淡々と告げる事を告げた椋良はNWCの隊員達を見回し、少年の浮かべる物とは思えない笑顔を浮かべ――

 姿が消えた。

「私から告げることはもうありません。皆さん、健闘を祈ります」

 それだけを言い残し、待機室から立ち去る永平。

 出入口のドアが開き、廊下へと足を一歩踏み込む――

「ああ、言い忘れていました」

 とこちらの振り向く。

「近日、こちらに新人が入ります。研修担当としてこちらのA-unitから一人出る事になりますので、決めておいてください」

 最後にその通告。

 永平は待機室から出て、ドアが閉まる。


「全く嫌な作戦だ……」

 杉下が漏らしたその言葉はそのまま、三守の気持ちでもあった。

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