Episode-1 夜業‐Worker:ワーカー(B)
4
――よく、同じ夢を見る。
辺りを見回すとうっそうとした森。
キィキィと言う鳥の鳴き声とゴウゴウとした風の音、ざわつく葉の音。
霧の立ち込める森の中をパジャマ、裸足で走る。誰かを探している。あふれでる恐怖を押し留めながら。
その時、
ドサッと人影が目の前に落ちて来た。
「ママ……?」
それは間違いなく自分の母親であった。何故上から降ってきたのか。何故一向に起き上がらないのか。何故、自分の声に反応しないのか。
「ママ……? ママ……」
恐怖で震える、
絞り出したような声で何度も呼ぶ。
すると、母親のすぐそばにあった木陰から姿を現したモノの影が現れる。
「ママは何で寝てるの?」
そのモノの影に問う。
と、そのモノの影は母親の体を踏みつけ――
「俺が殺った。ツギハオマエダ」
ノイズのかかったようなどす黒い声で告げるそのモノの影。
瞬間、その身を悪魔の形と成す。
「――ッ!! ――――――――――――――――――ッ!!!!!」
その悲鳴――ッ
「アイッテ……」
と同時に、頭に衝撃が走ったと思って目を開けてみれば、視界が反転していた。寝相の悪さは前々から言われているので、こんな事いつか起きるのではないのかと思っていた。
ぼやぼやな意識のなか、|立花美天(たちばなみそら)はベッドから体を下ろして床で突っ伏してぷふぅ、と息を抜いた。触ればふんわりとした感触があるかもしれない髪型をした茶髪だが、寝癖でそういうようには見えない。活発的であるという事を物語るような顔立ちも、寝ぼけ顔である。髪の毛と同じ色をした瞳もどこか虚ろだ。
「何だ、夢落ちかぁ……」
横向きになった視界。それをしばらく眺めた後、立ち上がってまたベッドに腰掛けてパタンッと体を横倒した。
「ふぅ……」
そして体全体の力を抜き、意識も再び眠りの中に沈みこませる。
「美天、美天。もう朝だよ。起きなきゃダメだよ」
もうすぐ眠りに入ろうとしたとき、ゆさゆさと体が揺さぶられた。耳に入った声からして誰だかはすぐに分かった。起きて上げようか。それとも、夢の続きを求めて意地を張って寝ておくか。二度寝寸前の頭でそんな事を考える。
そうして考えているうちに眠りに落ちた美天は、くぅくぅと寝息を立て始めた。
そして今度はまた違う夢を見る――
――――――――
良い夢だった――
「あ、もう! 美天、起きなさい!」
そんな夢を見ていた最中、さらに強く体を揺さぶられ、美天はうめき声をあげて半ば目を開く。ここまでされれば何かしらの反撃をしたくなるものだ。
自分の体を揺さぶる腕をガシッと掴み、強引に引き寄せた。その時に聞こえた少女の「キャッ!?」と言う声も無視。ボフッとベッドの上で自分の横にその少女の体を横倒しにさせ、逃げ出さないように両腕でその体を拘束した。
目を半ば開いて、頬を赤く染めてワナワナと震えている少女の顔を見る。見た目は美天と同じ年ぐらい。セミロングの黒に近い濃い赤色の髪の毛をリボンで縛っており、美天よりも落ち着いた雰囲気が見える。美天と同じように、瞳の色は髪の毛と同じ色をしている。
「なっ、美天、やめて、離してぇ!」
「んぅ~、
「く、苦しい……っ! 美天、苦しいっ」
わざとらしくむにゃむにゃと言いながら込める力を強くして、絶対に離さない。ドンドンと胸をたたかれているが、もちろん気にしない。
このまま眠りに落ちてしまおうと再び寝息を立て始める美天。そうして諦めたのか、
「こんなこともあろうかと、起こしてもらおうかなって、七瀬さんを呼んだんだ……」
「……ッ……!?」
その時、美天の耳に言葉が触った。ピクッと体が動き「むっ」と小さくうめき声を上げる。
「たぶん、もうすぐ来るんじゃないのかなぁ。せっかく来てくれるのに、寝てたら、きっと――――きゃぁっ!?」
「瑠奈、瑠奈!」
ガバッと体を起こして瑠奈の両肩をゆさゆさと強く揺らす美天。その目は明らかに狂気の様である。
(こ、怖い……)
「瑠奈、どこ!? 七瀬さんどこ!? これは正夢だよ!」
「あ、へ、へぇ……。あぁ、ええっと……」
少々気まずくなってきた瑠奈は美天から目をそらして言葉を探った。だが、結局は思いつかない。とにかく笑顔を作り、一言発する。
「おはよう、美天」
「……え?」
5
「あっはっはっは! もう、美天ったら、単純すぎぃ!」
昼休みの話。何の目的があってか、瑠奈が朝にあった事を友人にぶち撒け、見事に笑いのネタにされた。美天的には不本意極まりない。恥ずかしくて仕方がないのだ。美天は、机に突っ伏して何度も小さくため息を吐き続けていた。
バンッバンッと背中を何度も強くたたかれているということは分かるのだが、それ以上の事は分からない。
その美天の背中を叩いている、甲高く、鈴の鳴るような声をしている少女、
赤っぽくて肘まで届くほど長い髪の毛をツイテールにしており、雰囲気こそ美天よりも少し年下らしく騒がしいという方向で幼く見える。
「だって、だってぇ……」
と、ガバッと体を起こして目の前にいる少女を見た。
「だって、七瀬さんが起こしてくれる夢見たから! 正夢だと思ったから!」
「それを単純って言うんですよ、立花さん」
自分を真っ直ぐに抵抗するかのようなまなざしで見つめる美天の頭を撫でながら、
頭を撫でられ、美天は「むぅ」と声を上げ、その手を振り払うかのように首を横に強く振り、唇を尖らせて仏頂面を浮かべ、机に突っ伏した。
「瑠奈のせい。瑠奈が悪いんだもん……」
「あ、えっと、美天? 私のせい?」
「瑠奈のせいだもん。ずるいよ。私が七瀬さんのファンだからって言うのを利用して……」
もはや八つ当たりだ。
怒りの矛先を向けられている瑠奈からすれば、ただの理不尽のほかなんでもない。
美天は身を起こして紙パックに残っているまだ残っている
「そういえば、美天」
「んん……?」
「あ、……いや、今日って――」
と、気まずそうにしながらも何かを言いかけた瑠奈――
「聞きたいんですけどぉ……ここに今、立花美天さんって、いますかぁ?」
少し弱々しいながらもお尋ねしてきた教師のその声は美天の耳に入った。
だが応える気がどうにも起きない美天。無視すれば気づかないだろうと思って身を伏せ――
「今日の課外授業の委員会があるんですけど、今日は全員が集まらないと会議が進まないんですが……」
「あ……あーーーッ!」
思い出した。そんな日だった。
そういえば昨日その会議があるから一緒に昼ご飯食べれないから聞かれたら言っておいてと伝えていたのだ。
瑠奈はそれを言おうとしていたのだろう。
「すみませーん!! 今から行きまーす!」
美天はまだ残したままのモーモーヨーグルを机の上に置きっぱなしにして教師がいる方のドアから教室を走り去って行った。
「はぁ……」
これが立花美天である。
無駄に元気だがうっかりや。自分で種をまいてこけるどじっこ。子供のころから全然治らないこの彼女の性格に、瑠奈は溜め息を吐いて頭を押さえた。
6
休日――
初夏前で暖かみは暑さへと移ろうとしている頃。
だが、東京ではそうはいかず最近では初夏からすでに三〇度を超える気温を記録している。
「で? 明日にその校外学習の最後の下見に行く事になったと」
「うん……」
「それは……うん、美天が悪いなぁ……」
待ち合わせ場所からほとんど離れないまま一時間が経過した。
三〇度を超える真夏日の中、広場のベンチで隣に座っている美天の愚痴に一時間も付きあわされている少年、
美天よりも一つ年上で、風景画や動物を描いていそうな優しい雰囲気を見せる少年である。と言うより、見た目通り芸術の高校に通っている。
「分かってるよ……。私が悪いんだよ」
「自業自得だな、うん……」
「で、昴君――」
「一緒に行ってほしいって?」
「うん!」
「いやぁ、それが来週に出す課題がなぁ……」
「えー」
「出さないと補修なんだよな。夏休みに」
「課題と私どっちがいいの……?」
「夏休みホントに会えなくなるぞ」
「………………」
どっちも嫌な美天。
彼氏彼女の好で一緒に付きあってくれるのかと思ったが時と場合が悪かった。学校が違うとこのようなスケジュールが合わないという状況がよく生まれるので不便なものだった。
「むー……」
頬を膨らませて昴を睨む美天。まるで子供が親に駄々をこねている様に見え、
(なんだこの可愛い生き物は……)
膨らんだ頬がリスの頬袋に見えてつい突いてしまう。
「んー……むー……」
突くたびに声を出す辺りにあざとさも垣間見える。
これでつい「やっぱり行くか」と言いそうになる昴。だが、そんあ甘やかしてしまうとただのデートになりかねない。飽く迄、美天は校外学習の委員会としての視察に行くのだから、デートになってはいけない。
昴は美天の頬袋を指で潰す。
ぷふっと口から頬の空気が抜け、美天はこれでもダメなのかとジト目で昴を見つめてくる。
「ダメ」
その意図を呑み込んでで答えると、美天は昴の自分の頬を潰す手をどかしぷいとそっぽを向いた。
「もういい、私一人で行ってくるもん」
「おう、えらいえらい」
頭を撫で、
マッサージみたく、くしゃくしゃと頭を軽く掻いてやる。少しの抵抗を見せるかと思ったが、ツンとしているがおとなしく撫でられている美天。
「ん……」
それどころか昴に身を寄せてもう片方もと要求してくる始末。
答えて、少し手の届きづらかった方の側頭をまた同じように撫でたり軽く掻いたりしてやる昴。おとなしくされるがままにされる様は猫か犬を思わせる。どれだけツンとしていても体は正直なのだ。
どうも、このままで一日を過ごしてしまいそうだ。
この暑い中ずっと美天を宥めているのかと思うと少し億劫になってしまう昴。
そんな時くぅ~と言う腹の音が鳴る。
昴ではない。腹の音が鳴ったとき少し様子が変った美天。間違いなく、彼女の物だ。差し詰め、寝坊して朝の用意している内に朝ごはんだけ抜いてきてしまったのか。それでも十一時過ぎまでよく腹の機嫌を損ねなかったものだ。
「お腹空いたし、昼食べに行くか」
ここで美天の腹の音だと思わせない為に昴は立ち上がりながら昼食を自分から誘った。
「うん、そうだねぇ」
気遣わせてしまったと、美天はバツの悪そうな表情を浮かべる。
「ほら、俺お腹空いた」
「全く……仕方ないなぁ」
差し伸べられた昴の手を掴むと立ち上がらせてもらい、エスコートされるように手を引かれながらその場所からようやく去って行った。
電気街を通りかかったとき、店頭に並んでいるテレビが今日のゴールデンタイムに放送する音楽の特番のCMを流す。
アーティストのラインナップ。
その中の一人に霧咲七瀬が映った。
「私七瀬さんと同じ高校なんだよぉ?」
「それ何回目だよ……」
そんなやり取りしながらデート日、その昼時を迎える。
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