Episode-1 夜業‐Worker:ワーカー(A)
1
「あぁ!?」
ガタタンッとトラックが妙な方向へと傾いた。ハンドルもそちらの方にとられてしまう。男はついにパンクしたかと思いつつ、「クソ……ッ」と悪態をついて道のわきへとトラックを寄せた。
大きなヴゥウンと言う電気のモーターが止まる音が運転席にまで聞こえ、トラックも寄せたほうの道で完全に動きを止める。
トラックを停車させた男は、運転席から降り、そのパンクしたであろうタイヤの方へと向かって歩き出した。
「あぁ、なんだよ、たくっ」
運送しなければならない荷物はまだほかにも残っている。これで荷物の運搬が遅れることは確定だ。今から客に連絡をした後、修理してもらうためにサービスの方にも連絡しなくてはいけない。いったいこの場にどれだけ縛り付けられるのか。もっとも、今では深夜で車の通りはほとんどないので、交通事故に遭う確率は限りなく0%に近い。
頭をガシガシと掻きながら携帯を懐から取り出し、画面を操作しながらウロウロとあっちに行ったりこっちに行ったりとする。
その時、何か踏んだらしい。くちゃっと言う耳触りの悪い音が聞こえ、踏んだものがまるでガムのように足裏にへばりついてきた。
「……? なんだこれ」
それが、ガムならば何も疑問に思うことは無かった。ガムでないから、疑問になるのだ。男が踏んだものはガムではないらしい。思えば、トラックの荷台の片方の側面にそれと同じような粘液がべったりと一面に張り付いているのだ。
不透明で、いかにも毒々しい色合いをしている。それはまるで生きているみたいにうごめき、弱い月明かりの反射が絶え間なく変化し続けていた。それに、鼻に突き刺さるような腐臭もする。鼻で息をすることが出来ない。
「くっそ、ぉえ……」
あまりの腐臭にえづく男。これでは中の荷物にもにおいが映っているのではないのかと思ってしまう。いや、もしかしたらもう手遅れなのかもしれない。だとすれば、荷物を届けること自体、不可能だ。
「こりゃ、糞よりもクセェぞ……」
手で鼻元を覆ってその腐臭をかがないようにする。それでも臭いは手の指の間を通り抜けてきているのだ。思わず、臭いが顔に当たらないように、顔をそらした。
2
それは寮への帰りだった。大学に入った頃からお互いが一目惚れをして今年で三年目。いいところも悪いところもお互いで共有して、長い喧嘩もしたこともあるがそれでも仲たがいすることなく、つい先ほど、お互いの両親に恋人がいることを告白してきたのだ。元々、そういう男女間に関してはうるさくないのが幸いして、お互いよろしく頼まれたので、誰が見てもまぎれもないハッピーエンドを迎えているのである。
二人が住んでいる寮は山を挟んで大学の付近にある。もちろん、同棲だってしている。
その住んでいる寮への帰り道。そして青年の車の車内。
「なに? あのトラック」
「うん?」
その時、道路の片隅に妙なトラックが見えた。ランプは点灯しているようだが、動く気配が見えない。
もちろん、気味が悪くなって車であっても近づきたくもない。対向車線にでて少し余分に出てよけて行こうと、ハンドルを切った。
停まっているトラックのすぐ横を通り過ぎようと、したその時であった。
「うおぉっ!?」
ガタンガタンガタンッと車が大きく揺れ、そのままエンストでも起こしたかのように車が動かなくなった。
「な、なにっ!?」
「いや―――――」
エンジンのキーを回してもかからない。
エンジンオイルが減っていたのだろうか。だが、先日車検から帰って来たばかりだ。そんな事がある筈がない。
「くそ、ありえねえ!」
しっかり点検されていなかったのか。
「ねえどうするの?」
「レッカー呼ぶしかねえだろ」
そう言い、懐から携帯を取り出す。
その時、
「なんだ、この音」
「ん?」
「いや、なんかキィキィって音が……」
金属をする音とも違う。カミキリムシの鳴き声みたいな、そんな音だった。
気味が悪くなってきた。しばらく携帯から電話を掛ける事も忘れてしまう程であった。
瞬間、
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
外側に何かが激突したかのような音が響き、車が大きく揺れた。
思わず携帯を足元の落としてしまった青年。しかし、それどころではない。
何かが激突したような音があってから、小刻みに車が揺れている。
「何よ、何ナノよ!!」
両者、パニックに陥る。
小刻みに揺れた車体は怪しげな亀裂音を上げながら浮かび上がる。
「イヒッ、ハッ――!?」
フロントガラスの向こうに見える物を見ればそうなる筈だ。
姿全体が見えるわけではない。だが、二人の目に映るのはまさに口。それも、車一台など平気で入れ込むことが出来る程の大きさだ。
もはや悲鳴は声にすらならない。
ぐしゃりっとその口の中に車のバンパーが入り込み、ひしゃげる。
「に、逃げるぞ!」
「うん!!」
そんな状況になってようやく頭が働くようになってドアを開けようと――
「――クソッ、なんだ。なんなんだよ!!」
「開かない! 誰か、誰かぁああッ!!!」
助けなど来てくれるはずがない。来ても誰も助けられない。
車から見える視界が黒に染められる。
瞬間――
車は黒の中に押しつぶされた。
フロントガラスもその圧力で破壊され、もはや逃げ道などない。
自分たちではなにも出来ない。きっと助けは来るとお互い恐怖に精神をむしばまれながら抱き合うしかない。
ついに車の天井が潰れる。
死に首根を掴まれる両者――
その時異形は悲鳴を上げ、原型をギリギリに留める車は乱暴に道路上に投げ飛ばされ、ガードレールによって車が逆さまの状態になりながらも崖への落下は防がれる。
「……ッ――――――――!!!」
視界がグチャグチャになり自分たち身に何が起きているのか全く把握できない。
気づけばシートベルトによって身は吊るされ、逆立ち状態となっていた。
「助かった……?」
互い顔を合わせ合い、無事を確認する。
細いため息を吐き、安堵――
だが割れたフロントガラスの向こう、
上下逆さまの視界の中、先ほどの異形がこちらへと迫ろうとしてくる。
死は獲物を逃さない――ッ
今度こそ喰らうと、殺意を一方的に向けながらこちらに迫る。
「うぁぁぁぁああああああッ――!!!!」「きゃぁぁああああああッ!!!!――――」
二人とも悲鳴を上げながらもシートベルトを外す。
「うあっ!」
唯一の吊るし亡くなった事によって地面に落ち、互いが体が重ねあってしまったために車から出る事が難しい。
「早く、早くッ!」
青年は自分の体に覆いかぶさる少女の身を叩き、脱出を急かす。
その時にはすでに異形はすぐ目前。見た目は鈍重そうだが動きはすばしっこいようだ。異形はその身から触手を伸ばし車の中にいる二人を捕まえようと伸ばす――
瞬間、その異形の身を穿った数発の光の弾丸。
穿たれたあとさらに強く発光し、爆散する。
異形は悲鳴を上げながら後ずさりしてその襲撃者から逃げるように道路を走っていく。
「……?、?」
「何? 何なの?」
お互い、状況の変化に頭が呑み込めていない。
車の窓から見えるのは先ほどの異形を追いかけていく数人の隊員らしき者達。そのうちの一人がこちらに来てズルズルと両者の体を掴み、車の中から引きだす。
「え、え?」
二人の体を引き出したのは女性だった。
全身暗めの隊員服に黒いヘルメット。顔はフェイスガードが黒い為よく見えない。何故女性だと分かったのかというとその体つきであった。肩から掛けている長大な銃は重量もありそうで、それを軽々と持っている彼女が、人間なのかどうかも疑ってしまいそうである。
「早く逃げて。向こうの方に係がいるからしたがって頂戴」
と、その歳二二程の声をした女性隊員はそれだけを言い残し先ほどの異形を追いかけて行った。
とりあえず異形が向かって行った方向とは真逆の方に逃げればいいと、二人は恐怖と緊張で震える足のままその場から去って行った。
3
『対象
「了解。状況、最終フェーズへと移行する」
無線の向こうから少年の声が聞こえ、指示を出す。
対悪意性体殲滅部隊、NWC《Night Work Corps》の隊員ら四人は、イービルと呼ばれる怪物が逃げた方向へと駆けて行く。
暗色の戦闘服は夜闇の中に溶け、人の目では視認することが難しい。
隊員達のかぶるヘルメット、フェイスガードには暗視ゴーグルと特殊センサーが映されるARモニター付けられており、イービルがどこへ逃げようと隠れようと瞬時に発見することが出来る。
先ほどのイービルは襲撃を受けて、闇の中へと溶けて行ったがその実、コンクリートの地面に溶けて消えて先にあるトンネルの方へと逃げて行っていたのだ。
暗黒からさらに暗い暗黒へ……。
トンネルに入るとそこは光すら存在しない闇――
否、光が存在しないのは、光を遮るものがいるからだ。目の前にいる者、それは先ほどのイービルだが、サイズが先ほどよりも二回りも大きい。
暗闇の中に見えるうごめく触覚が頭部の物だとするのならば、大きさは五メートルを超えている。
その巨躯で
だが、彼らは屈することは無い。
「掃討せよ!」
隊長の声がトンネル内に響き、長大な銃――セライヴィムランチャーの銃口を向けるNWCの隊員ら。
一斉に引き金を引くと銃声がトンネル内に立て続けに響き、イービルの体を銃弾――光が穿つ。
身を穿つ光は爆発し、大きな穴を空けてダメージを確実に与える。
その一撃の衝撃に後ずさりして銃撃から逃げていくイービル。
だがそれこそが狙い――
「七瀬! そっち行くぞ!」
イービルが逃げ込んだ先、
立っているのは一人の少女。
深い青が掛かったロングヘアーを一房結った髪型に、女優やモデルを思わせる端正な顔立ちとスレンダーな体つき。
深海色の瞳は自分の方へと寄ってくる――
闇の中にうごめく
イービルは逃げ道を塞ぐものが女一人だと知るや否やこちらへと振り向き、ついでに喰らおうと迫る。
「七瀬!!」
隊長の大声が響く。
常人であれば驚くほどであるが、
それよりも今すでにここにいない者へと捧げる沈黙の祈りをする。
身に受ける悪意もその祈りの前には無意味であった。
「行くよ、詩音……」
この場に居ないかつての相棒の名をその口にし、
(――今再び、
左手首にはめられているブレスに、
短刀状のアイテムを差し込む――と、
数閃の光がその身を包み、イービルの行く手を遮る。
身を包むいくつもの数閃の光の中、七瀬の体を包む青い光。
その青い光が払われたとき、そ
の身に白と黒をを基調とした青のラインが走り、胸に盾をもした青に光る菱形のランプがある光の装束が纏われる。
それはまさに変身。
変身した七瀬の姿を例えるならば戦踊り子。その身に装備している数多の剣で迎え来る敵を倒して見せようという風貌だ。
変身――即ち、ただの人間が異性体を滅する剣となる。
その七瀬を捉えるや否や明確な敵とし、イービルが腹の口を大きく開けて威嚇しながら触手を薙いでくる。
「――ッ!」
刹那その触手は空を薙ぎ、
「ハアッ!」
その手に剣を持った七瀬の斬撃が縦に、幾重にイービルの体に閃を描き、切り裂く。
バシャッという巨大なデキモノが潰される音と共に、どす黒い血液のような液体がイービルの体から飛び散る。
その飛び散る液体は、七瀬の纏う装束から発せられる光が防ぐ。
(ガソリンの臭い……?)
鼻腔を突き刺すその臭いに顔をしかめる。
爆発させてはダメだ。分解しなければならない。
大きなダメージを受けてしばらく悶えていたイービルは反撃に出ると七瀬の方に倒れ込んでくる。
腹の口を大きく広げ、喰らおうとしてくる。
「ふぅッ――、ハッ――!」
意を決し、
そのイービルの方に跳び込む。
七瀬の体が、イービルが広げた口の中に飲み込まれる。
喰われた――
瞬間、イービルは悲鳴を上げた。
青白い光をその身から発しその場で悶えるように触覚をあちらこちらへと振り回す。
その突然、イービルの体を一閃する青い斬閃――
瞬間、青白い光を発するその身がバシャンッと言う音と共に青白い光の粒子となって分解――消滅し、光舞う中に剣を一閃した七瀬がそこ立っていた。
イービルの反応は無い。
「状況終了」
隊長のその言葉は作戦行動の完遂、戦闘終了を意味していた。
NWC隊長、
こちらに振り向いた七瀬の身に纏われる装束は青い光を放ち、七瀬の変身は解かれる。
その青い光は七瀬の左腕に装着されているブレスレットへと集まり、その内光は消滅した。
「よくやってくれた、七瀬」
「いえ。私は私のすることをしたまで。この剣は悪を斬り、人を守る以外にできませんから」
まだ一七の歳でいつ死ぬか分からない戦場に身を投じ、自分自身に重い使命を背負わせる。そのあまりにもハードな生き方。同じ年の頃の三守ではできなかったことだろう。
『お疲れ様です。NWCのみなさん。後の処理は研究解析班にお任せください』
「NWC了解。CIC、さっきの被害者の人達は?」
『ご心配なく。NCが手を打っています』
「助かります」
一体上が何をして、どんな手を打っているのか。隊長である自分でさえ知りえない。だが実際に自分たちの任務への支障が一切ないことから、信用する他ない。
無線の向こうの少年との通信をする三守の傍ら、NWCの隊員、
「なに溜め息吐いてんの? 杉下隊員?」
そんな杉下に声かけるのは
「いや、危なかったってな?」
「危なかった?」
上条が首を傾げると、杉下は地面にこびりついている先ほどのイービルの体の一部であろう粘液を触ってすくい上げる。
「うぇ……」
「コイツの体、ガソリンと重油、アルコールの塊だ。もし警官がここを通りかかって拳銃で一発当ててみろ。大爆発して山火事は起きるわ、体の破片が飛び散ってここら一帯がイービルの巣になる所だった」
「ってか、触って大丈夫?」
「ああ。こいつからはイービル振動波が出ていないからな。細胞単位で死滅している証拠だ」
「ああ……そう……?」
だとしても、何の液体が得体のしれない物を平気で触っている杉下の気が知れず、上条は表情を歪ませて首を横に振る。
「何をしてるんですか。早く行きますよ」
物腰柔らかそうな青年、
「っし……」
緒川のいう通り、素直に従い杉下と上条は他の隊員達と共にトンネルから出て行こうとする。
「…………?」
その四人の傍ら、七瀬だけは立ち止まる。
「……? どうした? 七瀬」
「…………」
七瀬の目に、一人の少女の人影が映る。
(誰だ……?)
先ほどの戦いを見られたのか。だがそれにしては見てしまったという雰囲気はその陰からは見られない。伺っていた、眺めていたといった雰囲気を感じる。イービルと言う存在を知っているかのようだ。
「七瀬?」
「……っ、はい」
「どうした?」
「いえ……」
三守が立ち尽くしたまま外を眺めている七瀬の様子を伺いながら問いかけてきている者なので、七瀬はそれに応えるために一瞬だけ視線を外し三守に向けて首を横に振る。そしてもう一度先ほどまで眺めていたほうを見る。
と、
そこに、人影は無い。
七瀬が何を見ているのかと、三守がそちらを見、
「なにかいるのか?」
「いえ、何もいません。気のせいです」
「うん、そうか……」
そうして、NWC四人と霧咲七瀬は戦闘現場から闇の中に溶けていくように立ち去って行った。
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