第一章 -邂逅- ⑬

 その瞬間、


「────うわっ!」


 眩い光が、目の前にある祠を光源として僕の視界を奪った。まるで太陽のようだった。とっさに右腕で顔をかばったけれど、光が網膜に焼きついてチカチカと点滅している。直前まで暗闇だったのだからなおさらだ。


 数秒の間、僕はその場に固まってしまっていた。


 そこに聞こえた、声。



「よう、大丈夫か?」



 その声は、さっきまで聞こえていたものと同じそれだった。だったのだけれど、聞こえ方が──少し遠くというか、人が人と会話するのに適した、慣れ親しんだ距離感で僕の耳に届く。


 いる。気配を感じる。僕が立っているこの場所から二メートルも離れていない所に、“それ”はいる。


 ゆっくり、僕はまず右目を薄く開いた。


 祠はまだ発光を続けていたけれど、僕の目には、さっきほどの刺激はない。僕と祠との間に“それ”がいたからだ。少なくとも肉眼で捉えられる、人型の“それ”が。


「………………」


 言葉を失った。


 逆光で全体のシルエットしかはっきりしないけれど、それだけで十分すぎる情報を得て──なんと、僕は感動していた。


 シルエットの背中に、それは見えた。


 空を飛ぶという、人間が憧れ、機械を使って擬似的に模倣する行為を可能にするパーツ。


 翼。


 そして物語の世界には、その憧れを体現した存在として──多くの場合、人よりも上位の存在として登場する、ある種族がいる。


 僕は目の前のシルエットに、その存在を重ねたのだった。


 あの世からの来訪者としてはあまりに短絡的だとも感じたけれど、だからこそ真実味を帯びていた。だからこそ驚きよりも、感動が勝ったのだろう。


 名作フランダースの犬だって、最期を迎えたネロを天へ連れていったのは、彼らだったのだから。


 天使だ。


 鳥の羽のよりも柔らかそうなシルエット。神々しくて、見蕩れてしまう。


 徐々に光量が減っていく。目の眩むような輝きは、闇を程よく照らす灯りとなり、この地下の空間を端々まで顕にした。


 息を呑む。


 僕の背後──空間の入り口は鳥居の形をしていて、ひし形の白い紙を連ねた飾りを付けた注連縄が巻かれていた。そして僕が歩いてきた道の両脇には、火をくべる柱がある。


 ここは、祭壇だった。


 けれど、僕が息を呑んだのは、それが原因ではなかった。当然だ。目の前にいる不可思議な存在の方に、意識を向けないはずがないだろう。



 美しい女性の姿をしていた。


 僕が今まで生きてきた若干十六年と数ヶ月の中で、突き抜けた美しさを誇っていた。


 のどがごくりと鳴る。

 それはあまりの美しさにか。


 ──いや、違う。そうじゃない。おかしい。たしかに美しい容姿をしているけれど、決して僕の好みに合致しているわけではない。

 美に対する価値観は人それぞれだけれど、それでもメディアが発達した現代において美しい人などいくらでも目にするというのに、ここまで心を奪われる美しさは、どこかおかしい。


 この美しさは、魔的だ。


 出逢ったばかりの存在を率直に修飾した表現は、我ながら的を得ていると思った。


 燃えるような緋色の髪、血のように紅い瞳、長く尖った耳、腰から伸びる尻尾、獣のように鋭い犬歯──姿は人間で、形は人間ではない。


 そして僕が目を奪われた翼は、天使を連想させる白ではなく──文字通り魔を連想させる黒だった。


 それでも美しいと感じた気持ちに変わりはないのだけれど、少なくとも、この存在は天使ではなかった。


 魔性の女とはよく言ったものである。


 僕は、この暴力のような美しさ──魅力に、惑わされていた。


 はっきりとした顔立ちも、鼻筋の通った高い鼻も、その赤い瞳や長い睫毛も、女性らしさを追求したスタイルさえも──この魔性を構成するすべての要素が魅力という武器になって、僕を惑わしにかかっていた。

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