第一章 -邂逅- ③
異常に気付いたらしく、ヒロが駆け寄ってきて、僕の肩を揺らす。
「おい、タカ! おい!」
ヒロは僕の名を呼ぶが、その声は意識の奥にまで入ってくることはなく──電話の内容といまさらやけに響くように届き始めた雨音が、反響するように僕の身体を駆け巡っていた。
冗談のような話だと思った。というより、冗談であってほしいと──たちの悪い夢か何かで、目覚めた後、あやふやな恐怖の残滓ととてつもない安心感でごちゃまぜになれたら、それはどんなに幸せかと思った。
けれど、そんな確認をするまでもなく、現実はどこまでも現実で。
わるあがきにもならない現実逃避から帰った僕は、空っぽの頭で、突きつけられた事実を咀嚼した。
苦くて、しょっぱい、酷い味のするそれは、吐き出したいのに僕の底の方へと侵食してくる。コントロールができない。
父さんと母さんの、訃報だった。
正確には、東京からのバスが、大雨でスリップして横転し、ガードレールに衝突したらしい。事故現場で発見された遺体が僕の両親と思われるため、“いますぐに迎えに行く”とのことだった。
両親と思われる。
推測の表現ながら、その確率が限りなく百パーセントに近いことは、僕にだってなんとなくわかる。
可能性がないわけではなかった。
でも、希望は湧かなかった。
受話器の向こうからは、無機質な電子音が一定のリズムで鳴っている。
僕は、悪い息子だった。
「……ヒロ」
電話を受けてから、ようやく口を開いた僕に、ヒロは初め、ほっとした表情を浮かべた。
けれど、僕と顔を合わせた瞬間に何かを察知したのか、表情が固くなった。
「おい、何があった! おい!」
「……ごめん」
言うや否や、僕はヒロの制止から先回りで逃げた。電気も点いていない暗闇の廊下を全力疾走で駆け抜ける。
明るい時には気付きにくいものだけれど、一般家庭の廊下というのは、結構狭い。灯りがないだけで、途端に手探りでないと進めないほど、不安な空間になってしまう。
一種のアトラクションが出来上がるわけだ。
いくらヒロが僕の家に何度も遊びに来ているとはいえ、この条件下でヒロが僕に追い付くことはできない。
文字通り──ではないにしろ、ここは僕の庭だ。
一呼吸遅れた制止の声が背中を叩いたけれど、目もくれずに廊下を抜け、玄関を開け放った。
鼓膜を打つ雨音が、より強くなる。
風に煽られた雨が、僕の身体をほんの少しだけ濡らした。
「………………」
一瞬、言葉を失った。
ほんの、で済んだのは、僕が玄関を開けるのを待っていたかのように──暗闇と分厚い雲を背景に──スーツ姿の男が、そこに立っていたからだった。
細身で長身、歳は五十前後に見えるけれど、弱々しい印象はなく、服の上からでも分かる程度には鍛えられた体躯をしていた。身なりが整っていて、どこかの大きなお屋敷で働く執事かと思うほどだ。
「お待ちしておりました」
その男は、ある意味これ以上ないくらい、見事に状況に即した台詞を吐いた。
僕は、この人を知っていた。
父さんと母さんの秘書であると小さい頃に紹介された、前村さんだ。それ以降も数回だけれど面識がある。
「ご用件は、先ほどお電話にてお伝えした通りでございます」
前村さんが、胸に手を当て、浅く頭を下げる。ますます執事みたいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます