Today is a good day?

かおるさとー

 

「うわあっ」

 それは自然と出てしまった反応だった。

 見知った顔がいつもと違う風になってしまっていることにびっくりして、思わずもれてしまった奇声だった。

 朝の通学路。途中の木下2丁目交差点でみっくんと合流して、そのまま学校に向かうのがいつもの日課になっている。

 今日もいつもどおり待ち合わせて、みっくんがやってきたので駆け寄ろうとしたら、その変化に気づいてびっくりしてしまったのだ。

「おはよう、ひーちゃん。……どうしたの?」

「お、おはよ。……いや、だってそれ」

「ああ、これ?」

 みっくんは目元にかかったそれを軽く動かして整えた。

「……眼鏡?」

 うちのお父さんも眼鏡をかけている。そのせいか私にとって、眼鏡は大人の人のアイテムというイメージがある。もちろん大人用のそれと比べたら大きさは違うのだろうけど、みっくんがかけている眼鏡も十分に“大人っぽさ”を感じさせるものだった。

 みっくんは、恥ずかしそうに顔を伏せた。まっすぐな毛並みの黒髪がきれいにおどる。

「……変かな?」

 ほんの少し、返事に困った。

 だって、気恥ずかしかったから。

 眼鏡をかけたみっくんは、私が昔から知っているおとなしい男の子の雰囲気はそのままに、ちょっとだけかっこよくなったような気がしたのだ。

 フレームが細いからかな。こういうときどう言えばいいのかわからない。

 思ったことをありのままに言うのは恥ずかしすぎた。

「うん……まあまあじゃないかな」

 だからちょっとはっきりしない答えを返してしまった。

 でもみっくんはそれでもよかったみたいで、伏せていた顔を上げるやうれしそうににっこりと笑った。

 その笑顔はかわいいとかっこいいの中間くらいだったと思う。ちょっとどきっとした。

「やっぱりちゃんと見えた方がいいと思ったんだ。似合うかどうか、ちょっと不安だったんだけど」

 みっくんは歩きながら事情を話してくれた。

 ようするに、お医者さんから眼鏡をかけるようすすめられたらしい。

 たしかにみっくんは視力があまりよくない。先生に頼んで一番前の席に座っているし、全校集会のとき、だん上の校長先生の顔が見えづらいともらしたこともある。ちゃんと先生の方を見てるんだね。私は結構きょろきょろしがち。

 ふと疑問が。

「眼鏡をかけると視力が落ちるって聞いたことあるんだけど」

「それって迷信なんだって」

「そうなの?」

「えっとね、自分の目に合っていない眼鏡をかけていると、目づかれをして視力が落ちることもあるんだって。だけど、きちんと自分に合った眼鏡をかけていれば、そんなことはないってお医者さんが言ってた」

「そうなんだ」

 考えてみたら、眼鏡をかけていなかったのにみっくんは視力が落ちてきているのだ。仮にこれからみっくんの目がさらに悪くなったとしたら、それは眼鏡のせいじゃなくて、それ以外のことが原因なのだろう。

 私はよく「テレビははなれて見なさい」とか「寝転がってマンガを読むんじゃありません」ってお母さんにしかられる。うるさいなあと思うけど、もしかしたらそういう小さなところから視力は落ちていくのかもしれない。

 うん、今日から横になってマンガを読むのはやめよう。テレビもまあ、できるだけ。

「あと、もっと外で遊びなさいって言われた」

「外で?」

 みっくんは困ったように照れ笑いを浮かべた。

「部屋の中で本ばかり読んでたらダメって」

「テレビじゃなくて?」

「近くのものばかり見てると、目がそれになれすぎちゃって、遠くのものが見えづらくなるとか」

「……それってつらいんじゃない?」

 みっくんは本を読むのが好きで、文字の小さい難しそうな本をよく読んでいる。私としてはいっしょに遊んでくれないこともあるからちょっとつまらないけど、本人が好きなんだからそれはしょうがないとも思う。ゲームではよく遊ぶんだけどね。

 しかし、好きなことをしたらいけないというのは、かなりつらいんじゃないだろうか。

「まったく読んじゃダメってことじゃないよ。なんていうのかな、たまには目を休めて外の景色をながめなさいとか、外で遊びなさいとか、そういうこと」

「外で?」

 私は少し期待した。

「遠くのものを見ることも大事なんだって」

「じゃあ、これからはもっと外で遊ぶ?」

「うん。でも……」

 みっくんは口ごもった。

「でも、なに?」

「運動は苦手だから、みんなに迷惑かけちゃいそう」

 みっくんらしい。

 この男の子は変なところで気をつかうので、友達によく笑われる。バカにするような笑いじゃなくて、もっとこう、なごみ系の笑いだと思うけど、私としてはおもしろくないわけで。みっくんはちょっとまじめすぎるだけなんだから。

「昼休みに男子はサッカーやってるじゃない。入れてもらえば?」

「ひーちゃんは何するの?」

「ドッジボールかな」

「うーん」

 みっくんはなぜか考え込んでしまった。

「どうしたの?」

「眼鏡じゃドッジもサッカーも難しいなあと思ってさ」

「外せば?」

「あ、そっか」

「というか、眼鏡ってずっとかけてるものなの? まだそこまで悪くなってないなら、普段は外していた方が」

「えっと、ちょっとふどうし気味だから、しばらくこのままかけ続けてほしいんだって。なれるまで」

 『ふどうし』ってなんだろう。よくわからないけど、まあかけ続けていないといけないならしょうがない。

 ずっと話しながら歩いていたら、いつの間にか学校に着いていた。

「今日は私と遊ぼ?」

「え、でもドッジは」

「ドッジやめて、別の遊びをすればいいよ」

「ぼくはうれしいけど、ひーちゃんはいいの?」

 そんなこと、聞かれるまでもない。

 だけど、そっか。私はそれを聞いてうれしくなった。みっくんもうれしいんだ。

「いっしょに外で遊ぶことなんてなかなかないんだから、いいの!」

 なんだか気持ちが抑えられなくなって、私は急に駆け出した。

「あ、ひーちゃん!」

「教室まで競争!」

「スタートしてから言わないでよー!」

 後ろから届くみっくんの文句にあははははと笑いながらも、私はスピードを落とさない。急に走り出したくなるときってあるよね。

 朝からうれしいサプライズだったので、テンション上がってるんだ、きっと。それも、変な方向に。

 ああ、いい1日になりそうだなあ!




 みっくんの眼鏡姿はクラスでもなかなか好評だった。うちのクラスに眼鏡をかけている子はいなかったから、ものめずらしかったのだろう。

 元々頭がよさそうな雰囲気があったのに(実際勉強はすごくできる)、眼鏡がさらにそれを強めているような感じで、でも表情はいつもどおりおだやかだから、こわい感じは全然なくて、だから、ようするに、今日のみっくんはとてもかっこいい。

 だから、みっくんの隣の席のまゆちゃんが、ちらちらみっくんを見ているのも無理はない。私の席は一番後ろだから、様子がはっきり見えるのだ。

 男子は男子でみっくんの眼鏡に興味ありげで、休み時間に眼鏡を借りて触ったり、試しにかけてみたりしていた。頭の大きい子がかけると眼鏡のツルが曲がったり折れたりしてしまうんじゃないかと心配になったけど、そんなことにはならなかった。オーダーメイドの眼鏡だって言ってたから、たぶん丈夫な作りになっているんだと思う。そうじゃないと簡単に人にさわらせるなんてできないからね。

 午前中だけでみっくんの人気は急上昇したように見えた。

 ちょっと複雑だ。

 みっくんの人気が上がることはうれしい。とてもうれしい。でも、なんだろう。人気が上がるにつれてみっくんが私から遠くなっていくような、離れていっているような、そんな気がしてならない。

 別にみっくんは元々そんなに人気がないわけじゃない。勉強はできるし、優しいし、たぶんみんなの評価も「いいやつ」くらいにはなっているはずだ。

 けど、運動は苦手だし、昼休みは図書室で本を読んでいるし、みんなと騒いで遊ぶことがあまりなかったから、それはいいやつ止まりでしかなかったようにも思う。

 その評価が、眼鏡効果で新しくぬり変えられてしまったような。

 まだ昼休みにもなっていないのに、みっくんが別の人間になってしまったような。

 うまく言えないけど、そんな不安が私の胸をいっぱいにしてしまうようだった。




 給食は炊き込みご飯に豚汁、ムニエルだった。デザートにヨーグルトもついていて、みんなちょっとテンション上がってる。

 いつもなら私もそうなっているはずなんだけど……。

 みっくんの方を見ると、まゆちゃんに話しかけられていて、なにやらそれに答えている。後ろの席にいると、その様子がいやでも目についてしまう。なんだか仲良さそう。いや、みっくんは誰にでも優しいし、誰とでも親しく付き合える性格だから、それ自体は別になんてことない光景なのだろうけど、でもでもやっぱりいつものみっくんとは違うから、他の人との当たり前のやり取りさえ、ちょっといつもと違うように感じるのだ。

 眼鏡のみっくんはたしかにかっこいいんだけど、もやもやする。おかしいな。朝は全然そんな気持ちにはならなかったのに。

 昼休みになると活発な男子は校庭に出てサッカーを始める。女子も交じることはあるけど、その数は多くない。女子は女子で遊ぶのが普通だ。ドッジボールをしたり、バスケをしたり。運動が苦手な子は教室でおしゃべりしたり、図書室で本を読んだり。保健室に遊びに行く子もいたりする。

 私もいつもなら他の子たちといっしょに遊ぶのだけど。

「みっくん」

 相手も待っていてくれたようで、みっくんは小さくうなずいた。

「なわとびしようよ」

「え?」

 みっくんの表情がちょっといやそうな色を見せて固まる。うん、その反応は予想通り。みっくんは運動が苦手で、その中でもとび箱・鉄ぼう・マット運動が大の苦手で、なわとびはその次くらいに苦手なのだ。

 私はみっくんの手を引いて、校庭に出た。今日はよく晴れていて、風もそれほど強くないから運動もしやすい。

 すみっこの方に移動して、私は説明を始めた。

「今日は特訓」

「特訓?」

 みっくんは首をかしげた。そういうしぐさもみっくんらしい。

「来週の体育、なわとびなんだって」

「そうなの?」

「先生に聞いたの。みっくんなわとび苦手だから、今日はそれの特訓」

「う……」

 さすがのみっくんも苦手なものをわざわざ昼休みにやりたくはないらしい。いやそうな声を出した。

 でもここはちゃんと言っておかないと。

「あのね、いつもみっくん、私に勉強教えてくれるでしょ」

「あ、うん」

「だからね、そのお返し。今日は私がみっくんの先生になるから」

「……仕返し?」

「お・か・え・し! 私、そんなにいじわるじゃないもん」

「だってひーちゃん、いつも勉強するのいやがるから」

「でもみっくんが教えてくれるときはさぼったりしないでしょ。みっくんもがんばろうよ」

 みっくんは納得したのか、うんとうなずいた。

「わかった。がんばるね」

「それになわとびなら、眼鏡かけてても平気でしょ?」

「あ、そっか。そうだね。さすがひーちゃん」

 ほめられると照れくさい。

 私はみっくんになわとびのとび方を教えた。

 とぶときはつま先でとんだ方がいいとか、なわを持つときは親指を立てた方がいいとか。

 みっくんは前回りとびそのものはできるけど、そのスピードはゆっくりめのぴょーん、ぴょーん、という感じで、リズミカルにぴょんぴょんととぶことはできない。私はみっくんと向かい合って、長めのなわでいっしょにとぶことにした。

「どう?」

 最初はゆっくり。それから少しずつ速く回していく。

 みっくんは真剣な様子で、私と向かい合ってとんでいる。

 でも私の方はあまり集中できなかった。

 すぐ目の前に、みっくんの顔がある。

「ひーちゃん?」

 なわのスピードが落ちたせいか、不思議そうにこちらを見つめてくる。

 私はなわ回しを止めた。

「し、失敗しなかったね」

 ごまかすように言うと、みっくんはにっこりと笑った。

「うん。ひーちゃんといっしょなら大丈夫みたい」

 そんなことを言われたらうれしすぎて、逆になわなんか回せなくなってしまう。

 それからしばらく前回りとびの練習を続けていくうちに、みっくんはそれなりに速いリズムでとべるようになった。まだ引っかかりがちではあるけれど、最初のころに比べるとだいぶいい。みっくんの顔に笑顔が生まれた。

 でもそれくらいでよろこんでもらっては困る。

「目標は二重とびだからね」

「えっ」

「たぶん先生が出す課題の一番最後にそれがくると思う」

「ひーちゃんは得意だよね」

 三重とびやはやぶさまではできる。つばめはさすがにまだ成功したことない。

 はっきり言ってしまうと、私には細かいところまでは教えられない。なわとびは得意だけど、教え方まで得意なわけじゃないからだ。とりあえず今日のところは前回りとびがしっかりできるようになれば、それでいいと思っている。昼休みにちょっと練習したくらいで二重とびができるようになるなら苦労はしない。

 みっくんはコツがつかめたことがうれしかったようで、教室のときとは打って変わってすごく楽しそうだった。

 よかった。たまにはこういうことがあってもいい。

「ありがとう、ひーちゃん!」

「うん、どういたしまして。明日もやるよ」

「二重とび?」

「それは難しいかもしれないけど、あやとびか交差とびくらいはチャレンジしたいね」

 人によっては二重とびの方が簡単かもしれないけど。

「なんだかいつもとは逆だね」

 なわとびを直しながら、みっくんが不意にそんなことを言った。

 私は思わず相手の顔を見つめた。

 眼鏡をかけた頭のよさそうな顔立ち。レンズの奥に見える、かしこそうな目。

 この目に見つめられると、なんだか落ち着かない。

 それは私の気持ちだけじゃなく、きっとみっくんが持っている性質のせいでもある。

 みっくんは昔から気遣いができて、みんなに優しくて、誰とでも仲良くできる。

 運動ができなくて、いっしょに遊ばなくても嫌われたりしない。「いいやつ」止まりかもしれないけど、誰からも嫌われず、ケンカもしないというのは、私たちくらいの年ではちょっとすごいことだと思う。

 優しいとか、おだやかとか、そういうレベルの話じゃなくて、そういう性質を生まれ持って生きているのがみっくんだと思う。

 だから私はちょっと怖いのだ。みっくんが誰に対してもそういう態度というか、性質を発揮して生きているのなら、私も他の子たちと同じ扱いなんじゃないかって。

 みっくんにとって私はその他大勢の人たちと変わらないんじゃないかって。

 もしそうだとしたら、私はどうすればいいんだろう。

 どうしたら私がみっくんの一番でいられるんだろう。

 ましてや、眼鏡をかけたことによって、周りもみっくんを見直し始めたとしたら。

 それはさすがにあやふやで、ちょっと突飛すぎる想像かもしれないけど、そういう不安があるのは確かだった。

 私はうなずいた。

「そうだね。逆だね」

 いつもはみっくんが私に勉強を教えてくれる。その逆はない。だけど今日に限っては、逆もありえたのだ。

 そして、できればこれからもそれはあってほしい。

「たまには私もみっくんを助けたいもん」

「そっか。ぼく助けられちゃったんだ」

「そうだよ。体育に関しては私が先生なんだから」

 みっくんはまた笑った。

 こんなことしかできないけど。

 少しはみっくんの特別になりたい。

 みっくんが私にとっての特別であるように。

 教室に戻りながら私はたずねる。

「放課後さ、もう少し練習する?」

 みっくんは苦笑いしながら首を振った。

「図書室に行って本を返さなきゃ。他に読みたいのもあるし」

「……」

 なんだか敗北感を覚えた。

 そうだ。みっくんは本が大好きなんだった。前もって朝に約束していたから昼休みは付き合ってくれたんだろうけど、もしかしたらみっくんにとって、その他大勢の人より本の方が大事なのかもしれない。

 それは困る。非常に困る。

 無性に腹が立ってきた。

「なんのための運動だー!」

「え?」

「少しは外に出て遊べって言われたんでしょ!」

「え? でも本を読むなとは言われてないし、眼鏡のおかげでずいぶん読みやすくなったし」

「こいつのせいかー!」

 眼鏡をかけたみっくんはかっこいい。でもそれは別に眼鏡そのものがかっこいいわけじゃない。つまりは眼鏡そのものには何の思い入れもない。

 みっくんの魅力を引き立ててくれたのはありがたいけど、それとこれとは話が別だ。

 せっかくみっくんと遊べるチャンスだったのに。

 はい、そうです。逆になりたい、特別でありたい、ってなんだかんだ理由をつけてるけど、ようするに私はみっくんといっしょにいたいだけなのです。

 でもあの図書室という場所は、どうにもなじめない。

 マンガなら読めるけど、小説を読もうとしても眠くなるだけで全然頭に入らない。あの場所はひたすら退屈だ。

「ひーちゃんも来ればいいのに」

「え」

「おもしろい本、教えてあげるよ。それに11月に読書感想文の校内コンクールがあるから、そのための本を今から探しておくといいよ」

「え」

 思わぬ提案に私はまともに返事ができない。

 いっしょにいられるのはうれしいんだけど……。

 みっくんは私の様子を見ておかしそうに笑った。

 そして得意げに宣言されてしまった。

「今度はぼくが先生だからね」

「……はい」




 結局、放課後は図書室ですごした。

 帰りはいっしょだったし、考えてみれば朝の登校も昼休みも放課後の下校もずっといっしょにいたのだから、それだけ見ると“いい1日”だったといえるのかもしれないけど。

 カバンの中にはみっくんおすすめの本が2冊も入っている。貸し出し期間は2週間だ。

 2週間以内に読み終える自信はまったくなくて、私はがっくりと肩を落とすのだった。

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Today is a good day? かおるさとー @kaoru_sato

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