第43話 伝承



 「それにしても」


 衛兵を追って路地へと向かったボビーを見送ると、目元にある仮面の位置を人差し指で、くいっと直しつつ、師匠が振りかえった。

 直さなきゃいけないほど、仮面の位置がずれているようには見えないけど。


 いくぶん段階が下がっているようには見えるものの、師匠は引続き悪い笑みを顔に貼り付けたままだった。


 「ひったくりをつかまえちゃうなんて、さっすがこの衣装のご利益りやくはすごいわあ」


 師匠があたりに聞こえるようにわざとらしく大声でなにやら言いはじめたが、何のことを言っているのかまったくわからない。

 どうしたんだこの人。


 「師匠、何分けわかんないこといってえっ」


 何で足踏むのさ? しかも先っちょ的確に狙ってきたよ。


 「チェリは、この衣装の秘密は知らなかったでしょう?」


 わたしの口を封じ終えた師匠は、チェリに話しかけた。


 「ひ、秘密?」


 チェリはといえば、尻尾をぶんぶん振りながら、聞かせて、聞かせて、という心の声を全身から発散させ、目を輝かせて師匠を見上げている。


 そんなチェリを見て、師匠も何か感じたという風に、笑みを消して真剣な表情をうかべたのだが、これは絶対に演技だ。

 ていうか、また仮面の位置を人差し指でくいくい直しはじめたけど、なんか気になるからやめてほしい。ずれてないですから、それ。


 「昔、水晶の王さまにそのふたつ名の由来となった水晶珠すいしょうだまを送った賢者を知ってるわね」


 こくん、とチェリが首を縦にる。


 「王様と賢者が初めて出会った時、昔話では、賢者はぼろぼろの服を着ていた、としか伝えていないけれど、じつは、古びた道化の衣装を着ていたのよ。なぜかというと、いちばん賢者らしくない衣装でしょう? さすが知恵もの! これには王様もだまされるわ」


 チェリザーロだけでなく、聞き耳をたてている周りの群集からも、ほおーっと感心する声がれ聞こえてきた。


 「王様が北の地へ旅立つときに『かつて、私は、王子の服で出かけ、道化の服でひとり戻ってきた。また戻って来るときも、道化の格好かっこうで、賢者のお供をして戻ってくるだろうよ』と言い残して出発したそうよ。それ以来、水晶祭りの日は、みな道化の格好で王様を出迎える支度したくをするようになったそうよ」


 えっ初耳なんだけど、誰に聞いたのよ、師匠。


 「もっとも、今となっては、すっかり忘れ去られた風習となってしまっているけれどねぇ」


 やっと仮面の位置を直すのをやめた師匠は、肩をすくめてわざとらしく残念だ、というふうにため息をついた。

 チェリ、お前もそんな気を落とさんでいいよ。たぶんそんな風習なかったから。

 わたしはチェリの肩にそつと手を置いてあげた。


 いや、こっちにらまないでくださいよ、師匠。まさか心読んでるの?


 「ああ、今、この水晶祭りの時期だけ、街を歩く道化には、今も残る王の水晶の加護が降り注ぎ、大気に満ちるエーテルはその者に力をあたえ、幸運をもたらす(らしい)というのにいい」


 師匠がこっちをすごい睨みながら大声で叫んだ。

 どうでもいいけど、ちっさい声で(らしい)とかはさむのとかやめてほしい。


 睨むというか、仮面の奥で片目をぱちぱちさせてるのは何かの合図を送ってきているんだろうな。ええい。


 「な、何だってぇー」


 わたしがいやいやながらもわざとらしく大声で叫んだちょうどそのとき、チェリの頭の上のあたりに不思議にエーテルの濃い気配がした。

 チェリも何か気付いたのか、うん? というように何もないはずの頭上を見上げるそぶりを見せる。


 しかし、何もないはずの空中にそれはあった。

 水晶球だ。

 空中に大きく透明な球がいつのまにか浮かんでいた。


 水晶球は、ゆっくりと高度を下げ、受け止めようとおずおずと手を伸ばしたチェリの顔の前あたりで、氷が溶けてしまうように、空中に消えていってしまった。

 ちょ、これひょっとして師匠がやってるの? 師匠こんなことできたの?

 た、大変だー、親方。空から女の子、いや、水晶球が……。


 取り巻く距離を縮めて集まり、どよめく人たちといっしょになって、わたしも驚いた顔で師匠のほうを伺うと、なぜか師匠もびびっているように見えた。

 あんたがやったんじゃないんか。


 ひょっとしたらこれも演技なのかもしれないと思ったが、師匠のふるまいからは、今までのわざとらしさが感じられない。


 「はい来たー。来ました。間違いなく、いまあなたに水晶王の加護がおとずれたのよ。チェリ、近いうちにいいことあるかもよ?」


 何かもうやぶれかぶれな感じになって、師匠が叫ぶ。


 「やったあ」


 チェリは尻尾をぶんぶん振って本気で喜んでいた。


 師匠は、こんどはこっちをちらちら見ながら、大げさに残念がりはじめた。


 「ああ、こんなにすごい品なのに何でみんな道化プルチネルラの衣装を着ないんでしょう。いまなら、ボビーさんが仕入れた品が『格安』で一式いっしき手に入るっていうのに!」


 いまこのあたりの裏通りにいるのは、商会がらみの人が多いだろうから、師匠の見え透いた芝居が果たして通用するものなのかわたしにはわからなかった。

 ……あ、でも幸運てのは自分でつかまえに行かなきゃだよね。


 気を取り直したわたしも、集まった皆さんに極上の笑顔を向けることにする。


 「と、まあ、こんな風にご利益の話を広めながら、先ほどひったくりを見事に捕らえたボビーさんと、衣装を売りさばく予定なんですけど、在庫がたくさんあるので、皆さんも話を広めて、このすばらしい風習の復活に協力してくれませんか? 今なら底値でけっこうな数を用意できますよ?」


 わたしをとりまく商人たちがひととき静まり返り、そのあとみんな一斉にその顔に悪い笑顔を浮かべるのだった。


 「オルタ」


 微笑をたたえた師匠がわたしの横に並んできた。


 「何ですか、師匠」


 「あんた今すごい黒い笑顔してるわよ」


 「……いや、いますごいびっくりした顔してると思いますけど」


 この後、すごく衣装が売れた。




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