第35話 街角



 アルさんに、師匠とチェリを迎えに出ることを伝えた。


 わたしも小さい頃、同じように師匠に連れられて祭りを見に来ていたのだが、そのときは、街中で宿を取り、一泊する程度だったと思う。


 今回、わたしの思いつきで、主人夫婦に、祭りのあいだ、師匠とチェリに夫妻の家の一室いっしつを安く貸してもらえないか尋ねてみたところ、気安く応じてもらえたので、前回、師匠の家に寄った時に、だいたいの段取りを伝えてあったのだ。


 「おう、部屋の準備はもうしてあるぞ、妹弟子は祭りに来るのは初めてか?」


 げんこつ顔の食堂の主人は、コイツでぶん殴られたら、壁をぶち抜いて通りの向うまですっ飛ばされるんじゃないかと思わせるほどに顔の筋肉に力を込めて応じてきた。


 たぶん、これは極上の笑顔なのだ。そうにちがいない。

 一瞬、壁に猫型の穴をあけて通りにすっ飛ばされるわたしの姿が頭をかすめたが、気のせいだと思うことにした。


 それよりも、アルさんは間違いなくこれをチェリの前でも見せるだろう、ということにわたしは気付いてしまった。


 ……これ、あらかじめチェリには言っておいた方がいいよな、とわたしは考え込んだ。


 どんなにお前の本能が逃走を命じたとしても、けしてその場から逃げ出してはならない。

 そのげんこつ頭から頭突ずつかれて吹っ飛ばされる以外の未来が、どう考えても浮かばなかったとしてもだ。わかるな?


 それともチェリの場合、ひょっとして逆に闘争本能のほうが刺激されたりするのか?


 「おい、オルタ、どうした?」


 「にゃ、まさかな……。チェリには今日のうちに街中を飾りつけてる様子も見せてやろうかと思って、どこにつれていこうかとちょっと迷ってたんです」


 「ああ、そうだな、それもいいだろう、そうすると師匠さんだけ先にこっちに来るかんじか?」


 「うーん、そうなるかも」


 わたしは、あいまいに答えて、ひとまず中央広場を目指して「砦の食堂」を後にした。


 街中に入ると、そこかしこの通りは、普段より人の気配が多くなっているようだった。


 まだ、これといった飾り付けがされているわけではないのだが、通りを横切って、建物の間には何本ものつなが渡されていたり、普段は扉を閉じている倉庫の扉が開け放たれ、何人もの人影が出入りして中の道具類が運び出されるようすがうかがえた。


 建物の間に渡されている綱は、あかりや、飾りを吊るしたり、場所によっては、二~三階の高さから幕をたらして通りをふさいだりするのに使われる。


 明日になれば、仮面をつけた人々が街路に繰り出して、最終日の大行進だいこうしんが始まる前から勝手に街中をねり歩き始めるだろう。


 何もしないでいると、あちこちの街角という街角で、人の群れがぶつかり合い、えらいことになってしまうという。


 なので、いくつもの交差路で一方の路を塞ぐように幕をたらして、群集の進行方向がなるべくひとつに向かうように調整する目的があるそうだ。


 まあ、ひとりふたりが幕をくぐって向うに出たところで、誰も気に留めやしないから、これだって半分は飾り付けのようなものなんだろう。


 中央広場に近づくにつれ、路を行く人の数は増え続けていった。


 みんな祭りの準備に余念がないようで、何かしら浮き足立った様子で、手と足を大きく動かして通りを泳ぐように横切っていくのだった。




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