第33話 虚空の中に浮かぶもの



 階段をのぼり、建物を出ると、だいぶ日は地平線に近づいていた。


 まばら、というほどではないのだけれど、ほどよく間隔をおいて立ち並ぶエーテル柱のあいだを抜けて、あたたかな色合いの光がそこかしこにあふれ、まだ昼のぬくもりを残したほこりっぽい匂いの風が、地上をきよめるように通りすぎていった。


 そんな風くらいで、あの濃いエーテルの気配が取りのぞかれるはずはないのだが、それらの気配もきれいさっぱりなくなっていた。


 逆光の中で、エーテルちゅうの群れは、行儀ぎょうぎよく無言でまっすぐに立ちならび、影だけがお互いにそっぽを向くように、黒く、長く伸びていた。


 「あの森もまた、まぼろしだったということですね」


 白目で、口をぽかんと開けているグリシーナのそばで、ボビーがまわりを見回して、あきれたようにつぶやいていた。


 そちらの方へわたしも行こうとしたとき、木の葉が風になびくような気配を感じた気がして、後ろを振り返った。


 口をあけたままでいるはずのグリシーナの口元くちもとから、ぷしゅう、という煙を吐き出すような音がれて聴こえてくるような気もしたが、気のせいだろう。うん。


 そこには、全体を蔓状つるじょうの植物でびっしりとおおわれた建物があった。ノルクナイでよく見る、ありふれた遺跡とたいして変わらないものだ。


 「そうなってしまうと、もう中には入れんよ。時間が経つと、また幻に覆われるようじゃがな」


 ガドルフ爺さんが近づいてきて言った。


 「わしらのために、というか、ここを訪れる者のために、力を使いすぎてしまうんじゃないのかな? そういうことにしておこう」


 「力って、あの中の光のことですか?」


 隣に並んで尋ねてきたボビーにうなずき返すと、じいさんはわたしに聞いてきた。


 「お前は中で、何をしていたんじゃ? 仕事を手伝いもせんで」


 「にゃ、壁際かべぎわに水槽みたいな大きな硝子箱ガラスばこがあってさ、光が出ていたから、気になって見に行ったんだ」


 「何か入っていたんですか?」


 ボビーが尋ねてきた。


 「なかった。何もーーいや、水晶玉が入ってた」


 わたしは、ひと息時間をおいてから、重々しく断言した。


 「あれは、きっと、ノルクナイの水晶の王が持っていた物だ」


 「なるほど、そういう設定ですか」


 ボビーがうんうんと納得するように頷く。


 「まあ、何があったのかは見てないからわからんが、お前がそれで満足ならいいじゃろ」


 「にゃー」


 「オルタ、危ないことはするな、とは言わん。ただ、まわりをよく見るんだぞ、そして考えろ」


 「ハイ」


 「ようし、さっさと地竜の様子を見に行って、一休みできそうな場所を探そう。もうすぐ陽も落ちそうじゃしな」


 「ねえ、あれみて!」


 そのとき、グリシーナが高い声を上げたので、振り返ってみると、彼女は空を見上げて、上空の何物かを指差していた。


 つられてボビーも上を見上げて眼を細めるのを、ガドルフ爺さんは、なぜか無関心に横目でうかがうだけで、じぶんは空を見上げようとはしなかった。


 わたしもまた、上空を見上げてみた。


 沈みかけた太陽の炎は、わたしたちの上空ではもうその熱を失い、水面のように、冷たく透明な空が広がっている。


 しかし、その透明な空気が隠している星々がまたたき始める時間にはまだ早い。

 わたしたちのはるか上空、どれほど離れているのかわからないほどの遠くに、一見いっけん、星のように見えるものの、それとはまた違った輝きを放つ、小さな点が確かにそこにあった。


 「天使よ」


 はるか遠くを見上げたまま、グリシーナが静かにささやく。


 「じゃろうな。わしの目じゃあ、この明るさでは見えんが、珍しいものでもないじゃろ、日が落ちる前に地竜のところへ戻るぞ」


 つまらなさそうにガドルフ爺さんが答えた。


 爺さんの言うことももっともなのだが、わたしは、地面が緊張しているかのように硬くちぢこまった感触を伝えてくるのを感じていた。


 あたりの草は何かしら警戒するように、せわしなく風に揺られていた。



 弟3章 おわり

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