第32話 硝子箱の中



 わたしの目の前には、石の台に乗った、水槽すいそうのような硝子張ガラスばりの箱があった。


 わたしが両手を広げたほどの幅があり、奥行きも同じくらいあるようで、中にたたえられている液体それ自体が発光しているとでもいうように淡い光を放っていた。


 わたしは、正面の硝子ガラスに手をいて、顔を寄せると、水槽の中を覗き込んだ。


 硝子ガラスは、つめたく、かた手触てざわりだった。わたしの知っている硝子ガラスと同じ材質と言っていい物なのかは、正直わからなかった。


 内側から淡く発光している境界面がはっきりわかるから、こちら側との断絶がそこにあることはわかるのだが、そうでなければ、まるでその一角の空間自体が発光していると錯覚してしまいそうなほど透明なのだ。


 それでいて今わたしの手には、金属とも、石とも違う、硬質こうしつ手触てざわりが確かに感じられた。


 体を動かしたので、やや乱れていたわたしの息が硝子ガラスくもらし、ぴたりと突いていたてのひらあとを汗が浮き立たせた。

 ずっと背負ったままの背負せおかばんが、重みを増したように肩にずっしりと食い込んで来た。


 水槽の中には、何も入っていなかった。


 なかった。


 しかし、そんなことがあるはずがない。


 水槽の中は、どのような仕掛しかけになっているのか、中にたたえられている何かが、それ自体で光を発しているように、隅々まで照らし出されているのだが、まぶしいというほどの光ではなかった。


 水槽の底は下の台座と同じ白い石材で出来ているようだった。あるいは台座の石材が透明な硝子面ガラスめんかして見えているだけなのかも知れなかった。

 見た目には、ただ石の床が広がっているように見える。


 しかし、何もいにしては、中心部に、エーテルの感覚が強く意識させられるのだ。

 そこには、かならず何かがあるはずなのだと、わたしには感知できた。


 硝子板ガラスいたにぐっと顔を押し付けて、中央部に眼をらしたとき、そこに透明な球体があることをわたしは見つけた。


 わたしの片手だけでは、おそらく、持ち上げることが出来るかどうか、というほどの大きさだった。

 透明度が高く、よくよく注意深く探さなければ見つけられない、というのとはすこし違うようだった。


 どうも、その透明な球体から強く感じるエーテルが関わっている事のようだ。


 一度気付いてしまえば、見つけられなかったことが不思議なほど、はっきりとそこに存在していることを見分けることができた。


 水槽内の光を反射し、屈折くっせつさせ、確かにそこに境界面きょうかいめんがあり、球体を形作かたちづくっているものがそこにあることを示している。


 おそらくは、きわめて長い間、そのようにここにあり続けてきたはずだった。


 だが、どうしてこんなものがここにあるのかはわたしにはわからなかった。

 もちろん、この建物を作った種族がえ付けたものなのだろうが、何の目的で、どのような理由があってのことなのかなど、わたしにはわかるはずもなかった。


 無数のエーテルちゅうと、まぼろしみずうみへだてられた建物の地下に、奇妙きみょう硝子箱ガラスばこでさらにへだてられながら、じっとそこで何かを待ち続けてきていたようにそのときのわたしには感じられた。


 あるいはこれは古代人たちののこした、何かの標本か、あるいはさらに古い時代の遺物いぶつを展示しているだけのものなのかもしれない。

 わたしは、数百年ぶりか、ひょっとしたら数千年ぶりの待ち続けられた見学者なのかも知れなかった。


 「オルタっなにしてんの!」


 グリシーナの声が飛んできてわたしはわれにかえった。

 びくっと身をすくませて振り返ると、がらくたの山の向うで、グリシーナがぷんすかしながらこっちの方をうかがっているのが見えた。


 あわてながら、再びがらくたの山を飛び移ってグリシーナの横に着地すると、すかさず足をだんっと踏みつけられた。


 「にゃあっ!」


 わたしがあげた悲鳴を鼻息で軽くあしらうと、


 「命を大事にしないやつなんて大嫌いだ!」


 そう言い残して、グリシーナは階段をあがっていってしまった。


 ん、階段?


 「なにやっとんじゃお前」


 後ろからガドルフ爺さんがあきれたような声をかけてきた。ボビーはなんだかあいまいな笑みを浮かべてその脇に並んでいる。


 「にゃー、ちょっと気になるものがあって」


 「まあいい、こっちの用はもう終わったから、さっさと帰るぞ」


 「へ、もう終わったの?」


 「ああ、わりと状態のいい物が、すぐにいくつも見つかったからな。先に行くぞ」


 そう言って、二人も階段をあがっていったので、わたしもあわててその後を追った。


 わたしが階段に足をかける頃には、地下の四隅よすみから出ていた光の滝は、その輝きをらし、中央の噴水もその勢いを弱めようとしているようだった。


 階段をあがろうとしたとき、気になって、水槽のある壁の方を振り返った。

 ガラクタの山の向うで、水槽全体を見ることは出来なかったが、滝の光がなくなり、薄暗くなった壁のほうで、一角いっかくだけぼうっとした光が残っているのが伺えた。


 「まさかな」


 まったく意味はなかったけれど、なんとなくそう言いたくなったのでそれだけ言い残すと、わたしは三人の後を追った。



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